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“Hellbent”

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“Hellbent” (2004) Paul Etheredge-Ouzts

 前に『ザ・ヒル』っつーC級以下のホラー映画(笑)を紹介したとき、「やだ、ひょっとして野郎版ジャーロ? 憧れの野郎系スラッシャー?」なんてことを書きましたが、いや、あるもんですね、世の中にはそんな映画が。
 っつーわけで、「そんな映画」の “Hellbent” をご紹介。
 と言ってもこれは、2004年制作のアメリカ映画なので、もちろんジャーロ映画であるわけもなく、今どきのスラッシャー映画です。
 ただ、ちょっと面白いのは、スラッシャー映画であると同時に、ゲイ映画でもあるんですな。それも、サイコ系映画でありがちな犯人がゲイだとか、あるいは殺されるのがゲイばっかりだとか、そーゆーレベルではなく、ゲイ・コミュニティの中での出来事を描いた、ゲイしか出てこない映画。
 つまり、スラッシャー映画とゲイ映画という、二つのジャンル・フィクションが合体した映画、というわけ。

 物語の舞台はウェスト・ハリウッド、ハロウィンの前夜から始まります。
 深夜の公園でハッテンして、カーセックスの真っ最中のゲイのカップルが、悪魔のマスクを被った上半身裸のマッチョ男に、鎌のような刃物で首チョンパされて殺されてしまう。
 翌日、警察でバイトをしている主人公エディ(健全にニコニコしている好青年で、万人受けしそうなタイプの、ノンケさんの世界で例えると、ヒロインタイプのカワイコチャン系ゲイ)は、署長さんだか誰だかから、この事件に関するチラシを、ゲイ・コミュニティ内のショップとかに配ってくれと頼まれる。
 余談ですが、この段階でエディが、ノンケ社会で問題なく暮らしている、カムアウト済みのオープンリー・ゲイだってのが判ります。
 で、実はエディは、自分も警察官になりたかったんだけど、ある理由でなれなかった、警察マニアのゲイなので、ハロウィンだし、警察のビラ配りの仕事という大義名分も得たので、趣味の警官コスプレの恰好で、嬉々として街にくりだす。で、ビラを置かせて貰いに行ったタトゥー・スタジオで、ちょいワル系のジェイクに出会って一目惚れ。
 ビラ配りのバイトを終えたエディは、ハロウィンのパーティーに行くために、友達と待ち合わせ。その顔ぶれは、フェロモンムンムンのラテン系バイセク男で、レザーのカウボーイ・スタイルに身を固めたチャズ、ルックスはナード系なのに、似合いもしないハードゲイ系のコスプレをしてしまったジョーイ、素材はマッチョな大男だけど、ゴージャスなドラァグ・クイーンに化けたトーベィ。
 仲良しゲイの四人組は、車でパーティー会場に向かう途中、よせばいいのに例の殺人があった公園に寄り道する。で、肝試し気分なのか「ここで昨夜、生首切断殺人が起きたんだぜ〜」なんてぬかしながら、ツレションしてるところに、例の殺人鬼に出くわしてしまう。彼らはそれを、ハッテン中のお仲間だと勘違いして、からかったりするのだが、男の手に鎌が握られているのを見て、ちょいとヤバそうだと退散する。
 パーティー会場に着いた四人は、屋台を冷やかしたり、バンドのライブを見に行ったり、バーで飲んだり、クラブで踊ったり、男を引っかけたりと、ハロウィンの夜を楽しむ。エディはタトゥー・スタジオで一目惚れしたジェイクに再会するし、モテないナード系のジョーイにも、何とジョックス系のボーイフレンドができそうな気配が。
 しかし、そんな楽しい四人組の側には、例の悪魔マスクの殺人鬼が影のようにつきまとっていて、やがて一人一人、生首狩りの餌食になっていく……ってなオハナシです。

 ストーリーからもお判りのように、基本的な構造は「乱痴気騒ぎをする馬鹿な若者たちが、次々と連続殺人鬼の犠牲になっていく」という、『13日の金曜日』あたりから続くスラッシャー映画のパターンを踏襲しています。で、その合間合間を、現代アメリカのゲイ・コミュニティーの風俗描写で繋いでいく。
 で、このふたつの要素が絡み合っていく。どんな具合かと言うと、まず冒頭で殺人をツカミに置き、その後はゲイ的な小ネタやディテール描写で各々のキャラクターを立てていき、こっちもだんだんキャラに感情移入してきて、同じゲイとしてゲイ映画的にハッピーな気分になりかけたとき、その頃合いを見計らって殺人シーンでそんな感傷をブッタ切るっつー、かなり邪悪な(笑)構成。これはなかなかのもので、ここまでは文句なしに面白かった。
 また、二種類のジャンル・フィクションの合体という点では、ある種のスラッシャー映画において、被害者の死が「アモラルな若者への罰」のような解釈が可能なように、この映画でも、四人組が殺されていくのは「年長のゲイに対する無神経な言動への罰」としても解釈できるのが面白いですね。
 もう一つ、ジャーロ系の要素とゲイ映画の合体という意味で、女装系には見向きもしなかった殺人鬼が、彼がカツラを取って「ホラ、男としてもイケてるでしょ?」と自分をアピールしたとたん、毒牙にかかってしまうってのが、ジャンル・フィクションの構造自体に対するパロディのようで面白かったなぁ。
 スラッシャー映画としては、殺しが鎌で生首チョンパという派手な手口さだし、シーンの描写も、サスペンスとショッカーを織り交ぜた見せ方で、これまたなかなか悪くない。グロ描写自体は控えめですが、首を刈り取られた死体とか、低予算だろうに特殊効果は頑張っている。
 レンタルビデオ屋の棚に並ぶ、大量の安〜いホラーと比べても、かなりマトモな部類。見ていて、下手でウンザリするってなことは、決してありません。

 ゲイ映画としては、恋愛の奥深さとかエロなセックスとかはないですが、散りばめられたゲイ的な小ネタは、それなりにけっこう楽しい。
 個人的にウケちゃったのは、犯人はどんなヤツなんだろうと四人組が話しているときに出てくる、「きっと、年寄りのゲイがあたしたちみたいなのに嫉妬して、クローゼットから出てきたのよ!」っつーセリフ。じっさい、自分の「秘密」がバレることを恐れるクローゼット・ゲイが、職場でカムアウトしているオープンリー・ゲイにホモフォビックな嫌がらせをしたり、あるいは、ゲイ・パレードのような「公の」ゲイたちに対して、批判的な言動をとることはあるので、こういったセリフもまんざら冗談では済まされない点がある。
 その反面、オープンリー・ゲイである若い四人組が、年輩のクローゼット・ゲイに対して、明らかに侮蔑的であるとか、ジョックス軍団(つまりモテ筋の体育会ゲイ)はナードなジョーイを馬鹿にするとかいった具合に、ゲイ・コミュニティーを「明るく楽しいパラダイス」としてだけ賛美するのではなく、その内に存在する「ゲイがゲイを見下す」差別的なヒエラルキーも、きちんと描写するという、視点のニュートラルさも好ましい。

 そんな具合で、前半はかなりノリノリで見られたんですが、いざ四人組が一人ずつ殺されていく後半になると、ちょいとダレてくるのは残念。
 と言うのも、この四人組はそれぞれ別行動中に襲われるので、誰かが殺されても、他の連中にはそれが判らない状況なのだ。だから、登場人物たちにとって、死は「不意に唐突に訪れる」だけで、「自分たちが何者かに狙われている」「次に殺されるのは誰だ?」「生き延びるにはどうしたらいい?」といった、サスペンス的な要素が全くない。しかも、無作為な無差別殺人ではないので、ショッカー・シーンも増やせない。
 これを、主人公エディとその相手ジェイクのロマンスや、その他諸々のゲイ映画的な小ネタだけで繋いでいくのは、いかにも苦しく、どうしても後半は間延びした印象になってしまう。物語としては、エディが警察官になれなかった理由とかの伏線もあるし、個々の描写が面白い部分も多々あるんですが、やはり軸が弱い。総合的には、スラッシャー映画としてもゲイ映画としても、ちょいと中途半端の虻蜂取らずになってしまったのが惜しいです。
 冒頭で、エディが警察のデータベースから、自分のタイプの犯罪者の写真をプリントアウトしてたりするので、ひょっとしてこれは、ナルシズムやサドマゾヒズム的な要素を含めた展開への伏線か、なんて期待もしたんですけどね。単なる小ネタでしかなかった。スラッシャー映画には、映画を見ることによって、観客が殺人行為を、加害者的あるいは被害者的に疑似体験するとか、時に現実的なモラルが逆転して、殺人鬼が観客にとってのヒーローになる(ジェイソンだのフレディだの……ね)といった、ねじくれたサドマゾヒズム的な要素があるんで、そこいらへんに絡めてくれたら面白かったのに。

 役者さんは、それぞれキャラも立っていて、全体的に好印象。
 私の一番のお気に入りは、ラテン系のチャズ(この子)なんですけど、殺され方も一番凝っていたから嬉しい(笑)。この映画では全体的に、殺しはズバッと一発で終わる感じなんですが、この子だけ、ちょっとジワジワ嬲り殺し的な要素があるし……って、こんなことで喜んで、自分のセクシュアリティが、前述のねじくれたサドマゾヒズムそのものだと、カムアウトしてどうする(笑)。
 殺人鬼の方も、こんな感じでなかなかカッコいい。アスペクト比の狂いか、リンク先の写真はちょいと細身に見えますけど、実際はもっとゴッツイです。
 こういったキャラを使って、内容がもっとヘンタイ的だったら良かったのに(笑)。あ、でも、映画前半タトゥー・スタジオのシーンで、血の滴が裸の背中を伝って、ジーンズの隙間に入りそうになる寸前、それを彫り師が手袋で拭う……ってのは、フェチ的にゾクッときました(笑)。
 あと、私事ではありますが、パーティー会場で Nick Name というゲイのパンク歌手がゲスト出演しているんですが、私、以前この方からファンメールをいただいたことがありまして。パフォーマンスを拝見するのはこの映画が初めてなんですが、超マッチョ二人を従えた、シアトリカルなスラッシャー風パフォーマンスで、ちょいと面白かったです。

 DVDは米盤、リージョン1、ビスタのスクィーズ収録。
 日本盤は出てませんけど、おそらく出る可能性もないでしょうなぁ。ビデオ撮りとはいえ、こういった映画が商品として成立しうる、アメリカのゲイ・マーケットの大きさは、やはり今さらながらうらやましい。
 佳品どまりではありますが、決して悪くはない映画です。少なくとも、『ザ・ヒル』よりゃ百倍マトモよ(笑)。
“Hellbent” DVD (amazon.com)

『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』刊行記念イベント、明日から予約受付開始です

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 先日ここでお知らせした、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』発売記念・原画展&トークショー&フィルム上映イベントですが、有料&定員制のトークショーとフィルム上映の予約が、明日11:00から受付開始します。
 タイム・スケジュール等、イベントの詳細、および予約はポット出版の該当ページからどうぞ。
 会場およびプログラムの詳細については、アップリンク・ファクトリーの該当ページもご参照ください。
 トークショーに関しては、前回お知らせした通りです。

 ただ、フィルム上映は、当初は日本のものを一本と、アメリカのゲイ・ポルノ映画も一本上映したいと思っていたのですが、やはり洋モノは、局部描写等セクシャルな描写に関して難しい問題があり、残念ながら断念せざるをえませんでした。
 できればこの機会に、私が個人的に敬愛している、アメリカ・ゲイ・ポルノ映画の伝説的カルト監督、Joe Gageの作品を、どれか一本紹介したかったんですけどね。個人的には、初期三部作の中の一本で、アメリカン・ニュー・シネマ系のロードムービー的な魅力もある、”El Paso Wrecking Corp” (1977) を候補として考えていました。
 モザイクを入れての上映という案もあったのですが、Joe Gageの作品は、とにかく「性行為をいかにエロティックにフィルムに定着させるか」に徹しているので、修正を入れてしまうと、ナニガナンダカワカンナイ部分が殆どになってしまうことと、同時に作品的な真価が全く伝わらなくなってしまうだろうということで、涙をのんであきらめた次第です。リスクも大きいしね。
 エロティック・アート関係に係わっていると、とにかくこの性器の露出やら性行為の直接描写といった、日本の法律の壁にブチ当たります。いいかげん、ウンザリ。
 しかし、そのかわりといってはなんですが、上映する日本製ゲイ・ポルノ映画(二本に増えました)に関しては、なかなか面白い充実したラインナップになりました。

 まずは小手調べ、『巨根伝説・美しき謎』(1983)監督:中村幻児。
 俗に「薔薇族映画」の呼称で知られる、上野や梅田の専門映画館で上映されているゲイ・ピンク映画の、黎明期に制作された力作かつ怪作です。
 三島由紀夫の自決事件や「楯の会」をパロディにした内容なんですが、黎明期ということもあってスタッフにゲイが一人もいないのか、「ノンケさんが考えた勘違いゲイ描写」が、全編に渡って炸裂。バック掘られながらオネエ言葉で熱演する大杉蓮さんとか、紙吹雪舞い散る中で集団切腹ごっこする褌男たちとか、見どころ(ツッコミどころとも言うが)いっぱい! ……とはいえ、ロッテルダム国際映画祭正式招聘作品でもあるんですけど(笑)。
 ゲイでもヘテロでも楽しめますが、キワモノ好きの方には特にオススメしたい逸品。目くじらたてずに、ツッコミ入れながら明るく楽しく鑑賞しましょう。

 もう一本は真打ち、『愛の処刑』(1983)監督:野上正義。
 これも「薔薇族映画」の一本ですが、こっちは実際に伊藤文學先生のお名前も制作クレジットに入っています。
 内容は、もう知る人ぞ知る……って感じですが、ゲイ雑誌誕生前夜、同好の士に向けて出されていた同性愛者向け会員誌に発表された、某文豪の匿名による作と伝わる、同性愛と切腹を描いた、日本のゲイ史上に残る伝説的地下文学の完全映画化。内容的には、取り組んだ原作が巨大過ぎるがゆえに、頑張っている部分もあり、力及ばずの部分もあり、といった感じですが、往年の日本映画を彷彿とさせる雰囲気自体は、決して悪くないです。
 諸般の事情から、めったに見る機会がない幻の映画なので、ヘテロもゲイも関係なく、とにかく「この映画を見る」ということ自体が貴重な体験になると思います。また、日本のゲイ文化史を俯瞰するにあたって、日本でもかつては即物的なゲイAVだけではなく、こういったフィルムが制作されていたこともあったのだという、そんな時代的な意義も体感できると思います。

 あ、もちろん前座の『Desert Dungeon』(2006)監督:田亀源五郎もよろしく(笑)。
 一人の作家が趣味にあかせて、こんなバカなものをマジメに作ってるんだ……ってなことで。
 ご予約&ご参加、お待ちしております。

『トリスタンとイゾルデ』

『トリスタンとイゾルデ』(2006)ケヴィン・レイノルズ
“Tristan + Isolde” (2006) Kevin Reynolds
 ワーグナーの楽劇で有名な、中世伝承文学の映画化。ロミオとジュリエットの原型的な悲恋物語ですが、構造的には、アーサー王伝説におけるラーンスロットとグィネヴィアに近いのかな。
 リドリー・スコットがプロデュースとのことで、内容の硬派さや絵的な見応えに、ちょっと期待していたんですが、それらはどちらも見応えありでした。
 絵的な面に関しては、構図の美しさが一見の価値あり。物語の前半、アイルランド王妃の葬送のシーンで、雄大ながらもいかにも荒涼とした風景の中、ちっぽけに蠢く人間たちという、素晴らしいスケール感の対比には思わず瞠目。
 同様に、入り江に浮かぶ船団のシーンなど、ドラマの主役である「人」や「モノ」を極力小さく、しかもセンターを外して配置して、あくまでも「風景」という世界の中の一部として見せる構図の数々が、実に見事で素晴らしい。同じ監督の『ロビン・フッド』のときには、こういった感覚に感心した記憶はないので、これは撮影のアルトゥール・ラインハルトという人のセンスなんだろうか。
 他にも、戦死者を船に乗せて火葬で送るシーンとか、婚礼の場に向かうイゾルデを乗せた船のシーンとか、絵的に「こう見せたい」というのがはっきり伺われる画面が多々あり、映画の「絵を楽しむ」という面では、かなり満足度は大の作品でした。
 ただ、全体的に彩度を極端に落とした画面設計は、重苦しい悲劇の予感としても、寒々とした感覚の惹起という点でも、それなりに面白い効果はあるものの、全てがそれで一本調子なので、ちょいと途中で飽きがくる感もあり。これは、もうちょっと内容の変化に応じてのメリハリが欲しかった。一律に彩度を落としているだけで、低い彩度の中での色彩設計までは気が回っていない感じ。
 内容的には、神話伝説的な要素は極力排除して、リアリズム志向で歴史物的に再構成した、という感じでしょうか。
 ただ、奇妙なことに『トリスタンとイゾルデ』と謳っているわりには、肝心要の恋愛要素がひどくおざなりで、それより各国間の政治的な駆け引きや戦闘シーンといった部分に重きが置かれている。規模は小さいけど迫力はタップリな、えらく気合いの入った戦闘シーンに比べて、主人公二人の恋模様の描写の、何とも気が抜けていーかげんなことよ。正直「……これ、別にトリスタンとイゾルデじゃなくってもいいじゃん」とか、思ってしまいました(笑)。
 演出も、風景や情景や戦闘といった「絵」を見せることに注力するのみで、人物の内面を描くという点がおそろしく不足している。登場人物たちの行動原理は、神話伝説的なシンプルで力強いものではなく、より近代よりの人間的なものであるにも関わらず、そういった内面描写が不足しているのが、何ともちぐはぐで落ち着きが悪い。よって、愛する者への裏切りや、裏切ったものへの赦しとかいった、心情的な部分でのドラマも、頭では理解できるんだけど感情には訴えてこないので、見ていてエモーションが揺さぶられることもない。
 特に、主役二人の内面描写の乏しさは致命的で、しかも外見上の魅力も乏しく、ラブシーン関係もおよそ褒められた出来ではないせいもあって(ラブシーンで「美しい」とか「ロマンチック」と感じさせるような絵が微塵もないってのは、恋愛が鍵となるドラマでは、ちょっとどうかと思うぞ)、悲恋の二人に感情移入するとか同情するとかではなく、逆に「……うっとおしい連中!」とまで思ってしまった(笑)。
 これはドラマの構成にも問題があって、こういった運命的な悲恋ものの場合、恋人たちの意志とは関係なく、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれていくからこそ、結果として訪れる悲劇に重みが増すのだが、この映画の場合、主人公たちが「自分たちの意志で選択できたはず」の状況が多すぎる。よって、彼らから受ける印象も、「過酷な運命を辿らざるをえなかった悲劇の恋人たち」よりも、「身勝手に周囲を振り回すバカップル」に近いのだ。
 以下、ちょっとネタバレを含みますので、お嫌な方は次の段は飛ばしてね。
 こうなると、前述したリアリズム志向の再構成という点とも関係するのだが、原典で二人を宿命の恋に走らせる「媚薬」の存在を、映画では完全に排除していまったのが裏目にでてしまう。このことによって、恋人たちの結びつきは、あくまでも二人の意志に異存することになるからである。
 ならばせめてこのカップルに、若気の至り的な同情をさそうような、初々しい魅力があれば救われるのだが、前述したようにそういった要素もない。
 そんな二人の愛について、最後にもっともらしく「二人の愛は国を滅ぼすことはなかった」なんて語られても、つい「そりゃ、結果として『滅ぼすには至らなかった』だけであって、別に『二人の愛が国を救った』わけでもないんだから、他の人からしてみりゃ、やっぱ迷惑なバカップルだったじゃん」とかツッコミたくなるし、そんな愛が至上のものとは到底思えない、ってのが正直な印象。
 ただ、愛の偉大さが、二人の恋愛ではなく、それによって裏切られたにも関わらず、最終的に赦すことができた、マーク王の愛について語られているのだとしたら、それなら納得ですけど。このマーク王、ホントいい人だわ(笑)。
 役者陣は、トリスタン役のジェームズ・フランコとイゾルデ役のソフィア・マイルズは、タイトル・ロールであるにも関わらず、前述したように残念ながら魅力がゼロ。特にソフィア・マイルズの魅力のなさは痛く、この人『アンダーワールド』のときは、脇役だったけど、今回よりもずっとキレイに撮られてたし、魅力もあったから、何だか気の毒な気がします。
 ロミオとジュリエットの伝統に倣って、こーゆー内容の話の場合は、ヒロインは初々しい溌剌とした魅力を最重要視した人選の方が良かった気はします。かつてジュリエットを演じた、スーザン・シェントールやオリビア・ハッセーのように、見ているだけでこっちも幸せになって、おもわず応援したくなるようなヒロインだったら、この内容でもバカップルにはならずに持ちこたえられるから。
 ともあれ、主演二人に関しては、全体的な魅力不足と内面描写の乏しさゆえに、演技力云々とは関係なく、全く感情移入できなかったのが辛かった。
 マーク王役のルーファス・シーウェルは、役柄的にも演技的にも、最も魅力的で見応えもありました。ただ、ちょっと外見が若々しすぎる気も。あと、この人は目の色のせいなんでしょうか、どうしても非人間的で感情が乏しそうだったり、歪んだ内面を持っていそうな印象を受けるので、今回は役柄としては、基本的にあまり合っていないという気も。逆に、『ダークシティ』の主役や、テレビ映画『トロイ・ザ・ウォーズ』のアガメムノン役とか、『レジェンド・オブ・ゾロ』の悪役とかは、けっこうハマってて好きだったんですけどね。
 その他の脇役については、更に内面描写が不足してキャラも立っていないので、外見以外には余り印象に残らず。アイルランド王役の、デヴィッド・パトリック・オハラって人は、ちょっとタイプでした(笑)。でもまあ、私の場合、こーゆー出で立ちでこーゆー髭面だったら、どんな男でもプラス30点増しくらいにはなるんですけどね(笑)。
 そんなこんなで、ちょいとバランスは悪いけれども、基本的には地味で真面目に作った歴史映画という味わいなので、西洋史劇が好きな方だったら、お楽しみどころもタップリです。
 前述した構図等の画面の見応えに加え、セットや美術やコスチューム等も、歴史的な重厚さを感じさせる出来映えで、かなり上質。それ系が好きな方だったら、そういう満足度は高いでしょう。
 アクション系も、前述の迫力のある戦闘シーン以外にも、姫を勝ち取る競技大会のシーンが、全体をまるでボクシングの試合のように見せたり、石の札で対戦相手を決めていくとか、細かなディテールがいろいろ凝っていて面白いので、古代戦闘好きの方に加えて、ファンタジー等の設定マニアの方にもオススメかも。
 逆に、古典ロマンスを期待しちゃうと、ちょっと裏切られちゃうかもしれません。『トリスタン・イズー物語』好きやワーグナー好きの人は、別物と割り切って見た方が吉。特に、ワーグナーの楽劇は好きだけど、史劇には興味がないというクラッシック好きの方は、この映画にはワグネリズム的な要素は皆無なので要注意。
 あ、あと、アン・ダッドリーによるスコアも、個人的にはけっこう気に入りました。派手にエピック風に盛り上げるのではなく、情感を押さえて静かに流れつつ、ところどころでトラッド風(そういえば、楽曲提供のクレジットには、アフロ・ケルト・サウンド・システムの名前もありました)や古楽風の要素も入ったりして、なかなかいい感じでした。
『トリスタンとイゾルデ/オリジナル・サウンドトラック』 (amazon.co.jp)

『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』刊行記念イベント、開催決定

『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』の刊行を記念して、11月23日(木曜・祝日)に渋谷にあるアップリンク・ファクトリーさんで、イベントが開催されることになりました。
 イベントの内容は、原画展、トークショー、フィルム上映の三部になります。

 原画展はもちろん、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』に収録された、長谷川サダオ、林月光(石原豪人)、木村べん、児夢(GYM)、遠山実、倉本彪の、貴重で美麗な原画を展示。印刷物では味わえない、生の迫力を味わえる、またとないチャンスです。入場無料。

 トークショーは、日本の現代美術を代表するアーティストである村上隆さんと、わたくし田亀源五郎の取り合わせでお送りいたします。どんなお話が飛び出しますか、私自身も今から楽しみです。……ちょっと緊張もしてますが(笑)。入場料は1000円。

 フィルム上映は、日本のゲイ・ポルノ映画の黎明期である80年代の作品から一本、アメリカのゲイ・ポルノ映画の黄金期である70年代の作品から一本、そして、ゲイ・エロティック・アーティストのプライベート・フィルムということで、私自身の映像作品の、計三本をデジタル上映します。
 日米ゲイ・ポルノ映画は、まだ選考段階で上映作の最終決定はしていませんが、昨今のゲイAVとは、ひと味もふた味も違うヴィンテージ・ポルノ映画になるはずです。どうぞお楽しみに。……あ、でもお願いだから、会場でハッテンはしないでね(笑)。
 私の作品は、趣味で制作してウェブ上で公開している3DCGアニメーションの"Desert Dungeon"です。既に公開終了しているパートはもちろん、未公開新作部分も含めたロング・バージョン。でっかいスクリーンで見られるのは、ひょっとして最初で最後のチャンスかも(笑)。
 入場料は一本につき400円。

 より詳しい情報は、ポット出版のサイトでどうぞ。
 トークショー及びフィルム上映は、先着順で各回定員70名になりますが、11/1から同サイトで予約の受付もスタートするそうです。

 で、昨日はポット出版さんとアップリンクさんを交えて、上映するフィルムの選考会をしてきました。入手が間に合わなかったものもあり、まだ完全決定には至りませんでしたが、大まかなアウトラインと候補は絞ることができて、一安心。
 今回は残念ながら上映を見送ることにしたフィルムの中にも、佳品あり珍作ありの充実したラインナップでした。まさか、日本のゲイ・ポルノ映画で、パゾリーニのパロディ(それも、すご〜くマニアックな内容)にお目にかかるとは……(笑)。
 そんなこんなで面白かったんですが、とはいえさすがに、ゲイ・ポルノ映画を続けて何本も見たら、流石に疲れました(笑)。しかも、男女入り交じってゲイ・ポルノ映画鑑賞って……何だか貴重な体験をしてしまったような気もしますが、でも、イベント当日はそれが70人規模になるんですね。楽しみ(笑)。

 かくの如き斬新な(?)イベントですので、性別もセクシュアリティも関係なく、皆様、どうぞふるってご参加ください。
 もちろん私も、当日は一日中会場に詰める予定です。特にサイン会等の時間は設けませんが、ご希望の方は、私本人かスタッフに、お気軽にお声をお掛けくださいませ。

『ヘラクレス・サムソン・ユリシーズ』

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『ヘラクレス・サムソン・ユリシーズ』(1963)ピエトロ・フランチーシ
“Ercole sfida Sansone” (1963) Pietro Francisci

 ピエトロ・フランチーシ(前はフランシスキと表記しましたが、allcinema ONLINEの表記に合わせました)監督による、『ヘラクレス』『ヘラクレスの逆襲』(スティーヴ・リーヴス主演)に続く、三本目のヘラクレス映画、イタリア盤DVD。英題 “Hercules, Samson & Ulysses”。
 ヘラクレス役は、リーヴスからカーク・モリスにバトンタッチ。

 ヘラクレスは、弟分のユリシーズや部下を引き連れて、漁船を襲う海獣退治に出かけるが、嵐にあって遭難してしまう。難破した船が流れ着いたのは、イスラエルのガザ。そこに住むヘブライ人たちは、暴君の圧政に苦しんでおり、勇者サムソンがそれに抵抗して闘っていた。
 ヘラクレス一行は、故郷へ帰る船を入手するために村を離れるが、その途中でライオンに襲われてしまう。ヘラクレスがライオンを倒して事なきをえるが、それを見た地元民の一人が、ヘラクレスをサムソンと勘違いしてしまい、一行の身柄を暴君に引き渡してしまう。一方、ヘラクレスたちが村を出てから後、暴君の使者がサムソンを探すために村にやってくる。そして、村人たちがサムソンを匿っていたことを知り、皆殺しにして火を放つ。
 暴君の王宮に連れて行かれたヘラクレスは、彼がサムソンであるという誤解は解けるものの、美姫デリラの入れ知恵によって、ユリシーズたち仲間を人質にとられ、サムソンを捕らえるよう強要される……ってな内容の、ギリシャ神話 meets 旧約聖書なオハナシです。

 まず冒頭から、漁船を襲う海獣が、アザラシ(トドかな?)の頭のアップとアシカが泳ぐロングをカットバックしただけで、しかも決して漁船と同時にフレームインしないっつー、あまりの絵面の安さに「ど、どーしちゃったの、フランチーシ監督!?」と、思いっきり映画の先行きが不安になります。
 引き続き、ギリシャの王宮やヘラクレスの邸宅のシーンになると、今度はまあそこそこスケール感も豪華さもあるので、ちょっと一安心しますが、しかしかつての『ヘラクレス』『ヘラクレスの逆襲』のような、デリシャス・ゴージャスでリッチな味わいには程遠い。
 キャストのランクが全体的に下がっているように、予算の関係もあるんでしょうが、もう一つ、今回の撮影はマリオ・バーヴァじゃないということも、かなり痛手となっている感じ。旧作と似た絵面が多いせいもあって、どうも全体的に旧作の縮小再生産といった感じが免れられない。特に、『ヘラクレス』や『ヘラクレスの逆襲』でも出てきた「例の泉」(かたやアマゾンの、かたやオンファーレの宮殿にあった、ちょっとした段差で小さな滝のようになっている「あの泉」です)のほとりのシーンなんて、「う〜ん、同じ監督でも、役者と撮影の差で、こんなにも違うものか……」と思ってしまったくらい、およそ魅力のないシーンになってしまっている。それにしてもこの泉、ソード&サンダル映画では本当にしょっちゅう出てきて、もう何回見せられたことか……(笑)。

 演出自体のテンポやテイストは、テキパキと進む話、クラシカルで時に優雅さすら感じられる雰囲気、程良いノンビリ加減を醸し出すユーモア描写など、以前のフランチーシ作品とあまり変わりません。ただ、そういったテイストが「既に時代に合わなくなってしまっている」ようなギクシャク感があり、例えて言うと、ヒッチコックの『トパーズ』や『引き裂かれたカーテン』のように、どこか居心地の悪さを感じさせるのも正直なところ。
 特に、村人たちが虐殺されるシーンの、掌を土壁に釘付けにすると鮮血が滴るカットや、逃げまどう子供達を弓矢で射殺すカットといった、過去のフランチーシ作品ではおよそ見られなかった残酷趣味は、かなりビックリしてしまいました。またもや “The Pirates of the Seven Seas”『闘将スパルタカス』同様に、史劇からマカロニ・ウェスタンへという、時代の変化を感じさせます。
 とはいえ、それでも凡百の安手のソード&サンダル映画よりは、演出的にも絵作り的にもワンランク上の格は感じさせますし、物語的にも、ヘラクレスとサムソンを共演させるという、元がキワモノ的な発想なわりにはさほど珍妙でもなく、娯楽作として上手く仕上がっています。
 そもそも『ヘラクレス』のラストの神殿崩しのイメージは、おそらくサムソン伝説が元になっているんでしょうし、二人に共通するライオン退治をモノガタリの鍵にもってくるとか、いちおう工夫もされている。ただ、今回もラストに神殿崩しがあるんですが、これが『ヘラクレス』のフルスケールとは違ってミニチュアで、しかも実写との合成もないもんだから、イマイチ盛り上がりに欠けるのが残念。
 ヘラクレスが異国に漂着するっつーと、マーク・フォレスト主演の南米のマヤだかインカだかに辿り着くっつーのもありましたが(因みに、マヤの王子役がジュリアーノ・ジェンマ)、あれなんかと比べればキワモノ臭は薄い方。「ヘラクレス vs ○○」パターンで比較しても、レジ・パークの「ヘラクレス vs 狼男」の映画なんかよりゃ、内容は百倍はマトモだし(笑)。
 話自体は、お約束のテンコモリではありますが、ツボを押さえた話運びとテンポのいい展開で、フツーに楽しく見られるし、観賞後の後味も極めてハッピー。

 で、この「ヘラクレス vs サムソン」というのは、「ドラキュラ vs フランケンシュタインで恐怖も二倍!」なユニバーサル・ホラー映画や、「母が二人で涙も二倍!」の三益愛子映画みたいなノリなわけで、「マッチョ二人で筋肉量倍増!」なところが見せ所なんですが、これに関してはグッド・ジョブ!
 デリラと組んだヘラクレスは、自らを囮にしてサムソンを捕らえにいき、メソポタミア風の遺跡で両雄対決するんですが、このシーン、かな〜り楽しいです(笑)。
 まず、ヘラクレスは、デリラに捕らえられたヘブライ人の捕虜に変装してるんですが、そこにサムソンが現れると、歌舞伎の早変わりよろしく、片手でさっと服を引き抜いて半裸になる。
 で、二人のボディービルダーの取っ組み合いが始まるんですが、なんせ神話的な怪力同志ですから、柱にぶつかっちゃあ柱が倒れ、石壁にぶつかっちゃあ石壁が崩れ……といった具合に、闘うにつれて遺跡がどんどん崩壊していく。鉄棒で闘っていたのに、いつの間にか二人とも鉄棒をUの字に曲げて、相手の身体を挟み合っているシーンなんか、ほとんどギャグだし、もうなんかね、ノリはすっかり『サンダ対ガイラ』で、史劇でも何でもなく、怪獣映画を見ている味わいなのだ(笑)。
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 そして、お約束通りに、二人の英雄は闘いを通じて和解、仲間になるんですが、それを見てデリラ嬢が「ヤバい!」と逃げ出すと、まずサムソンが投げ縄で馬を倒し、落馬したデリラ嬢がスタコラ逃げるところを、今度はヘラクレスが投げ縄でキャッチ。で、サムソンと二人で縄をエンヤコラと引いて、捕まえたデリラ嬢をたぐり寄せる(笑)。
 この後は、もうだいたいお判りですね。二人仲良く、力を合わせて悪人退治です。ここいらへんのノリは『ヘラクレス』でも『ヘラクレスの逆襲』でも見られなかったので、なかなか新鮮。
 ヘラクレス役のカーク・モリスは、マチステ映画には良く出ていた人ですが、今回はフルフェイスのおヒゲさん。髭面のカーク・モリスって、私はこれで初めて見たので、ひょっとしたら貴重かも(笑)。ただ、この人は基本的にベビーフェイス、カワイ子ちゃん系の青年顔なので、正直あんまりヒゲが似合っていない。でも、他のマチステもののソード&サンダル映画で見るときよりは、何となく落ち着きや風格が増している感じはあり、けっこう頑張って演じているなぁ、という気はします。
 対するサムソン役のリチャード・ロイドは、私は全く馴染みがない人で、IMDBのフィルモグラフィを見ても、三本のソード&サンダル映画を含めて、出演作は七本しかありませんでした。顔は、ミンモ・パルマーラやシルベスタ・スタローン系のイタリア顔で、私は正直いって苦手な部類ですが、筋量はけっこうあります。ただ、筋肉自慢なのは判るんだけど、必要のないシーンで、さりげに胸筋をピクピク動かしてみせたりするのが、何ともウザい(笑)。
 デリラ役のリアナ・オルフェイは、スティーヴ・リーヴスの “The Avenger” とか、ゴードン・ミッチェルの “The Giant of Metropolis” などのソード&サンダル映画でお見かけした顔ではありますが、いかんせんデリラというには美貌も貫禄もオーラも不足。そうそう、珍しいところでは「映画はおそろしい DVD BOX」に入っていた『生血を吸う女』にも出てましたね。
 DVDはPAL、非スクィーズのビスタ、レターボックス収録。音声はイタリア語のみ、字幕なし。特典なし、チャプターあり。画質は良好。
 ま、フランチーシ監督なんで、残念ながら責め場とかは皆無ですが、こんな感じで、二人のボディビルダーの筋肉美は、タップリ堪能できます。
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【追記】アメリカ盤DVD-R出ました。画質良好。
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“Il Gladiatore di Roma”

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“Il Gladiatore di Roma” (1962) Mario Costa

 ゴードン・スコット主演のソード&サンダル映画DVD、イタリア盤。英題”Gladiator of Rome”。
 イタリア語での鑑賞だったので、物語の細部は判りませんが、どうやらカラカラ帝時代のローマで、とある裕福な一族が、濡れ衣を着せられるか難癖を付けられるかして、家人は殺され、使用人は奴隷に売り払われてしまう。で、軍役か何かで家を離れていて助かった息子と、彼と愛し合っている使用人の娘、その娘を守る力持ちの使用人という三人を軸に、仇敵を倒して家を再興する……ってな話みたいです。

 ゴードン・スコットは怪力の使用人の役。いちおう主役にクレジットされていて出番も多く、奴隷にされて連行されている途中に、溺れている貴族を助けたために、後になって幸いに繋がるといった、まんま『ベン・ハー』みたいなエピソードやら、宿場の娘とのラブ・ストーリーとか、脱走に失敗して殺されかけたところを、剣闘士にスカウトされるとかいった、ドラマティックなエピソードも用意されています。
 ただ、いかんせん役回りが、「無実の罪で陥れられた者の復讐譚」の中で、「陥れられた者その人」ではなく「それを助ける助力者」という、モノガタリの中心軸から外れた存在なので、どうも映画全体の焦点も定まらない印象。
 それと並行して、助かった息子の帰還とか、捕らえられた恋人の救出劇なんかが描かれるんですが、これまたどうも印象が薄い。ひょっとすると、セリフをしっかり理解しながら見れば、また違う印象になるのかも知れませんが。
 あと、ゴードン・スコットは剣闘士にはなるものの、描かれるのは訓練所の光景ばかりで、剣闘士としてアレーナで闘うシーンがまったくない(とゆーか、そもそもアレーナ自体が一回も出てこない)のも、何だか肩すかしをくらった感じ。

 という感じで、映画そのものの出来は、ちょいとイマイチ感が拭いきれないんですが、ゴードン・スコットを愛でるという点のみにおいては、実はけっこういい感じです。
 まず、ありがたいことにヒゲ付きなんですな、スコット君。加えて、ローマものにしては珍しく、徹頭徹尾腰布一枚の上半身裸。服を着ているシーンが一度もないので、肉体美(まあ、スコット君だから、バルクはそれほどないんですが、ナチュラル・マッチョって感じで、個人的にはけっこう好きな体つきです)は最初から最後までタップリ拝めます。元ターザン役者の、本領発揮ってトコでしょうか。……違うか(笑)。
 それとね、責め場が二カ所あって、これがどちらも悪くない。
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 まず、最初に脱走に失敗して、一緒に捕まった主人の恋人共々、石壁に鎖で磔に。このシーン、鞭で引っぱたかれるのは娘だけっつーのは、私としてはかなり物足りなくはあるんですが、両手両脚喉元を太鎖で拘束されて、腋窩も露わな大の字の磔姿そのものがセクシーだってことと、二股になった焼き鏝で目を潰されそうになるってのが、かな〜り嗜虐心をそそられます。私、スコット君の顔が好きなもんですから、こーゆー姿でそーゆー演技をしているのを見るだけで、けっこう満足度大。
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 もう一カ所は、また脱走に失敗して、今度は主人の恋人と宿屋の娘まで一緒に、三人そろって石切場で磔にされて、火あぶりにされそうになるところ。スコット君だけ、セント・アンドリュース・クロス(X字刑架)に後ろ手縛りという、変則的なスタイルなんですが、後ろ手拘束は私の好物でもありますし、今回もまた首元にジャラジャラ巻き付いた鎖が、残酷味があってヨロシイ。まあここは、積んだ薪に火を点けられそうになるってくらいで、責めらしい責めはないんですが、でもまあそれなりに身を捩ったり、悶えたりして目を楽しませてくれます。
 そんなこんなで、「ヒゲの生えたゴードン・スコット好き」な方だったら、けっこうそこだけでも楽しめると思います。
 DVDはPAL、非スクィーズのシネスコ、レターボックス収録。音声はイタリア語のみ、字幕なし。特典等もなく、チャプターがあるだけ。画質は、ちょっとボケた感じはありますが、目に付く傷や退色などはなく、暗部のツブレや明部のトビも気にならず、おおむね良好。
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 アメリカ盤DVDは、前に紹介した “Warriors 50 Movie Pack” に収録されていますが、そっちの方は、トリミング版、フィルムはボケボケの傷だらけで、トビまくりツブレまくりのハイコン状態、色なんてほとんど残ってやしないっつー、とっても悲惨な画質です。マニアだったら、やっぱりこっちのイタリア盤を押さえておきたいところ。

『闘将スパルタカス』

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『闘将スパルタカス』(1963)セルジオ・コルブッチ
“El Hijo De Espartaco” (1963) Sergio Corbucci

 スティーヴ・リーヴス主演のソード&サンダル映画、スペイン盤DVD。伊語原題 “Il Figlio di Spartacus”、英題 “The Slave” a.k.a. “Son of Spartacus”。

 リーヴス演じるローマ軍人ランダスは、隣国の提督のもとに間諜として派遣されるが、船旅の途中で海に落ちてしまう。何とか岸までは泳ぎついたものの、今度はそこで奴隷商人に出くわして、捕らわれて奴隷にされてしまう。ほどなくランダスは、奴隷仲間と共に脱出し、目的地であった提督の館に着くが、そこでは民人が虐げられていた。そしてランダスは、奴隷仲間の一人の導きによって、自分がスパルタカスの遺児であると知り、以来、黒い鎧兜で正体を隠した姿で、民衆のために戦う義賊となる……ってのが、大筋。
 この内容で『闘将スパルタカス』っつー邦題は、一種の詐欺ですな(笑)。

 全体のノリは、史劇やスペクタクルというよりは、西洋チャンバラ映画に近く、「弱きを助け強きを挫く」系の、痛快娯楽作。
 じっさい、正体を隠したランダスが立ち去った後には、壁に「S」の文字が残されている……といった、まんま「怪傑ゾロやん!」みたいなネタも(笑)。ただまあ、ローマ時代ということもあって、中世ものみたいな華麗な剣戟シーンとかはないですけど。
 有名人のご落胤ネタというのも定番ですが、同じソード&サンダル映画だと、マーク・ダモン主演の “Son of Cleopatra” なんかと同系統ですな。そういや、どっちもロケ地がエジプトで、ピラミッドやスフィンクスがデ〜ンと出てくるのも同じだ(笑)。
 監督は、前に紹介した『逆襲!大平原』と同じセルジオ・コルブッチ。画面にはスケール感があり、アクション・シーンのキレも良く、手堅くしっかり見せてくれます。
 音楽がピエロ・ピッチオーニ、仇役がジャック・セルナスってのも、『逆襲!大平原』と同じ。
 更に、またまたジョヴァンニ・チアンフリグリア君もチラッと出てくるんですが、今回の役どころはというと、港でオンナノコを鞭打っているところをリーヴスに止められる……って、これまた『逆襲!大平原』とおんなじなのが可笑しい(笑)。
 全体的には『逆襲!大平原』よりは軽いノリなので、大作感はない反面、娯楽アクション作品としての面白さはタップリ。ただ、惜しむらくはクライマックスが、まず仇敵の提督&ジャック・セルナスと対決して、その後は反逆者としてローマと対峙するという、二段構えになっているせいもあって、カタルシスが分散してしまった感はあり。
 ちょっと面白かったのは、悪役の倒し方が、悪人の集めた黄金を鍋に入れて、それを熱して溶かしたものを顔面に浴びせる……っていう、比較的エグめの方法だったこと。ソード&サンダル映画では、意外とこういう残酷趣味のようなものにはお目にかからないので、これまた “The Pirates of the Seven Seas” のときに書いたのと同じく、史劇映画からマカロニ・ウェスタン映画への過渡期を感じさせる要素でした。

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 今回のリーヴスは、ヒゲがないからちょっと寂しくはありますが、正体を隠した義賊スタイルの時は、なかなかカッコいいです。上半身裸の剣闘士スタイルで、顔は兜で見えないんですが、兜の色が黒いせいもあって、ブラック・レザーやメタルのような、ちょいとハード系のフェティッシュな魅力がある。
 DVDのジャケットになっているステキシーンですが、これは前半でリーヴスが奴隷商人に捕らわれたときの姿。でも、残念ながら映画本編では、上半身裸ではなくチュニック・スタイルなんだよな。首枷のまま鎖に繋がれて連行されたりはしてくれるんですが、肌は出し惜しみしていて、馬に引きずられて服が破けても、乳首も見えない程度の破れかたなので、物足りないのと同時に、なんか「……だまされた」感が(笑)。
 他には、後半で再度捕まって、木の檻に入れられるシーンとかもあります。ここは、檻の横木に両手も括り付けられるので、けっこうそそられはするんですが、太い木格子に邪魔されて身体が良く見えないのが残念。
 この前段でも、地下牢で追いつめられて捉えられるときは、前述した上半身裸の剣闘士スタイルなのに、牢屋に入れられた後は、なんでわざわざマントなんか着せるかなぁ(笑)。裸で鎖に繋いどきゃいいじゃん(笑)。
 あと、クライマックスで磔にされかけたりもしますが、残念ながら未遂。
 そんなこんなで、責め場はそこそこあるんだけど、そこで肉体美を出し惜しみしちゃってるあたりが、かえってすっげ〜残念で欲求不満が溜まります(笑)。
 リーヴス以外では、まず冒頭で奴隷の磔刑がありますが、それよりも中盤に出てくる、奴隷だか反逆者だかを十人くらい堀の中の柱に縛り付けて、そこに水を入れて水責めにするシーンの方が見応えあります。ここはけっこう悪くない。あと、宴席の真ん中に半透明のテントを設えて、そこに人を入れて煙でいぶし殺して余興にする……ってシーンもありますが、アイデアほどには見た目は面白くない。
 DVDはスペイン盤なのでPAL。ビスタ、非スクィーズのレターボックス。リージョン・コードは2。音声はスペイン語とイタリア語。字幕なし。
 画質は、ちょっと経年劣化による色調の変化が気になるし、いささかボケ気味ではあるものの、まあ佳良な部類。少なくとも米版VHSよりは遙かにきれい。ただ、ワイド画面のわりには、左右が切れている感じがするので、一度スタンダードにトリミングされたものを、更に上下を切ったという可能性あり。

【追記】アメリカ盤DVD-R出ました。画質良好。
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“Malpertuis”

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“Malpertuis” (1971) Harry Kumel
 このタイトルにピンときた貴方、ひょっとして幻想文学好きですね? 国書刊行会とか創土社とか月刊ペン社とかの本が、本棚に並んでいませんか?
 というわけでこれは、今から二十五年ほど前、月刊ペン社の「妖精文庫」第二期配本として邦訳も出た、ベルギーの作家ジャン・レーの長編小説『マルペルチュイ』の映画化です。いや、つい最近この映画のことを知って、もうビックリしてDVDを個人輸入した次第。
 まず、この原作の『マルペルチュイ』がどういう話かと言うと……これがけっこう説明しづらい。私自身、高校生のときに夢中になって読んだわりには、ノーミソの経年劣化か内容はうろ覚えだし、覚えていることを書こうとすると、今度はネタバレになっちゃうし……。
 いい機会だから再読しようと思って、本を探してみたんですが、何故か見つからない。実家に置いてきたのかなぁ、それとも引っ越しのときに処分しちゃったのかなぁ。なくしちゃってたとしたら、かなり悲しい(泣)。
 そんなわけなので原作の解説はあきらめて、映画の解説を。邦訳本が見つからないので、キャラクター名の表記は原文ママでいきます。

 主人公の水夫Janが、しばらくぶりに故郷に帰ってみると、自分の生家には別の一家が住んでおり、しかもJan自身は気付いていないが、彼の身辺には様子を探るような奇怪な人影がつきまとう。やがてJanは、妹のNancyに似た人影を追いかけてキャバレーに迷い込み、そこで喧嘩沙汰に巻き込まれて昏倒する。
 Janが目覚めると、そこは彼の叔父Cassaviusが住むマルペルチュイの館で、傍らにはNancyがいた。Cassaviusは臨終の床にあり、館には他にも、港でJanの様子を伺っていた男とその妻や、狂人のように襤褸を纏って身体に鎖を巻き付けた男、神父、剥製師、黒衣に身を包んだ三姉妹といったJanの一族が住まっていたが、いずれも風体も言動も怪しげな者ばかり。
 彼らは皆、この陰鬱な館とCassaviusの支配を嫌っており、彼の死後、遺産を相続して館を出ることを楽しみにしていた。しかし、Cassaviusの残した遺言は、彼の死後も一族はこのままマルペルチュイの館に住み続けなければならず、そうやって最後に残った男女に遺産を与えるというものだった。
 一族と共に館に残ったJanは、臨終のCassaviusに謎めいた美女Euryaleと引き合わされ、恋に落ちる。謎めいているのは館も同様で、暗い回廊には開かずの扉があり、屋根裏に仕掛けたネズミ取りには、ネズミではない「怖ろしいもの」がかかる。そしてついに、Nancyの恋人であり、一緒に館を出ようとしていた青年Mathiasが、額を壁に釘で打ち付けられて宙吊りになった、無惨な姿の死体となって発見される。
 そして実は、マルペルチュイの館とそこに住む人々には、太古より連なる壮大な秘密が隠されていたのだ……! ってな感じでしょうか。

 私の記憶だと原作の小説は、もっと曖昧模糊と混沌としていたように思いますが、それに比べると映画の方は、モノガタリそのものはけっこうロジカルだし、筋運びもスッキリとまとまっている反面、いささか明晰に過ぎる感はあり。モノガタリの最後には、「夢」や「幻想」を絡めた二重のオチが用意されているんですが、これもまあ、ありがちといえばありがち(原作では、このオチはなかったと思うなぁ)。
 とはいえ、ミステリー仕立てのホラーかダーク・ファンタジーとしては、決して悪くはないと思います。見ていて面白いし、飽きさせない。前述したように、原作をあまり良く覚えていないので断言はできかねますが、娯楽性とは無縁の幻想小説を、商業映画というメディアに変換するトリートメントとしては、けっこう上手くやっているのでは?
 また、マルペルチュイの館そのものが、いわばモノガタリの主人公でもあるわけですが、この館の美術がなかなか良い。不安感を煽る回廊、無限の上昇と下降を連想させる螺旋階段、シンメトリカルなCassaviusの寝室など、印象的な絵も多々あって雰囲気も上々。DVDのオマケのメイキングを見ると、これらはセットではなくロケらしいので、それでこれだけの雰囲気を出しているのは、コーディネートも含めて、美術関係はかなり健闘していると言えそう。また、館や街並みのゴシック・ロマン的な雰囲気に対して、キャバレーのシーンなどは、いかにもこの映画が制作された70年代初頭の前衛っぽい、ちょいとキッチュでとんがった雰囲気があり、そういったコントラストも面白い。
 カメラワークや演出は、ほどほどにハッタリやケレン味が効いていて、斬新でビックリするまではいかないものの、でもちょっとハッとさせられるような、そんなセンス。何となく、ケン・ラッセルを薄味にして、ハマー・ホラーを撮らせたようだとか思ったり、ニコラス・ローグが撮影をした、ロジャー・コーマンの『赤死病の仮面』とかを思い出したり。乱暴に言うと、カルト的に愛される要素がある……って感じでしょうか。

 役者の方は、主人公のJan役にマチュー・カリエール。『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』で、タイトル・ロールのシーレを演じていた人ですな。この映画では、二枚目ながらちょっと神経症的でヌメッと気味悪い雰囲気もあって、なかなか悪くない。あ、でも、ヌメッと気味悪いってのは、あくまでも私の感覚。一昔前のゲイが好んだ「耽美的でヌメヌメした美青年」のニオイがするので(笑)、これを見て純粋に「美しい!」ってお感じになる方も、いらっしゃりそうではあります。
 Cassavius役は、オーソン・ウェルズ。登場シーンはモノガタリ前半のみで、しかもずっとベッドに横になっているという役柄ながら(メイキングを見ると、撮影も二日かそこらでさっさかすませちゃったらしいです)、やはり存在感はバツグンで、死後もなお一族を支配し続けるカリスマ的キャラクターという点で、実に適役。
 特筆したいのは、Nancy、Euryale、Alice、Charlotteと、一人四役をこなしている、スーザン・ハンプシャーという女優さん。これがまあ、実に見事にそれぞれを演じ分けていて拍手モンでした。特に、伏し目がちで謎めいた微笑みを浮かべている、Euryaleの美しさといったら!
 他には、私が名前を知っているところでは、ミシェル・ブーケとかジャン=ピエール・カッセルなども出演。あと、ゲスト出演的な使われ方ですが、キャバレーの歌手役に、古い洋楽ファンには「アイドルを探せ」のヒットでお馴染みであり、バルタン星人の語源でもある(笑)シルヴィ・バルタン。

 DVDはベルギー盤で、当然PAL。リージョン・コードはフリー。
 ディスクは二枚組。本編は、119分の全長版とカンヌ出品用の107分の短縮版の二種類を収録。監督のコメンタリー付き。収録は16:9スクィーズ。字幕は、英・仏・蘭の三種類。
 オマケは、メイキングとか、監督がロケ地を再訪するドキュメンタリーとか、オーソン・ウェルズやスーザン・ハンプシャーや原作者のジャン・レーといった人々のインタビューやドキュメンタリー、更に同じ監督が撮ったカフカ原作のテレビ映画(35分)や、やはり同監督の短編映画(7分)など。

『スタフ王の野蛮な狩り』

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『スタフ王の野蛮な狩り』(1979)ワレーリー・ルビンチク
 出た出た出たよ〜、『スタフ王の野蛮な狩り』のDVDが! もう待望! ああ嬉しい。
 とはいえ、これは日本盤じゃなくてロシア盤。これを出したRUSCICOは、以前はロシア盤でも日本語字幕付きの親切設計だったんだけど、最近は付かなくなっちゃいました。『スタフ王…』も例外ではなく、残念ではあるんですが、まあ英語字幕が付いているだけでもありがたいと思おう。
 この『スタフ王の野蛮な狩り』は、旧ソ連映画。でもひょっとしたら、正確にはベラルーシ(昔はベロルシアとか白ロシアとかいってましたね)映画なのかな?

 舞台は19世紀末のベラルーシの寒村。ペテルスブルグから民話・伝説の蒐集に来た青年学生が、雨に降られて、とある古城に宿を頼む。城のあるじは美しい女性ですが、神経症的に何かに脅えている様子だし、その執事も怪しげな雰囲気が。
 この地方には昔、裏切りによって謀殺されたスタフ王という人物がいた。スタフ王は、自分を殺した相手とその一族に、二十世代(……だったかな?)に渡る呪いをかけ、以来一族の者は次々と怪死をとげてきた。そして城の主の女性は、その一族の最後の一人だったのだ。
 青年の身の回りでは、次々と怪しい出来事が起きる。全裸で羽毛にうずもれて、老婆の祈祷を受ける女主人。城の周りを駆け回る、亡霊たちの騎馬の音。ガラス窓に映る、侏儒の影。鶏を抱いて馬車に乗る、気がふれているような黒衣の寡婦。そして、殺人。青年は、それらの謎を解こうと奔走するが、いっこうに埒があかないまま、ついに、スタフ王とその部下たちの亡霊による、野蛮な狩りの季節がやってくる……とまあこんな感じ。

 モノガタリの内容自体は、道具立ても筋立ても典型的なゴシック・ロマンのそれで、特に独自性があるわけではないです。そのまま映画化したら「ハマー・ホラーの出来がいいヤツ」になりそう(ただし、スタフ王は農奴解放を訴えた「農民王」らしいし、舞台も世紀と世紀の転換期に設定されているので、ひょっとしたらモノガタリの裏には、もっと社会的な何かが含められているのかもしれないけど、今回の英語字幕での鑑賞では、私はそこまでは汲み取れませんでした)。しかしこの映画の場合、モノガタリの内容云々よりも、それを取り囲む雰囲気が、もうとにかく素晴らしいのだ。
 まず、美術が良い。メインの舞台となる古城、古い肖像画、贈られた豪奢なドレス、水に浸った地下室、絵付きの古文書、錆びたオルゴール、蔦の絡むドールハウス、旅役者のグランギニョール的な人形芝居……等々、とにかく全てが魅力的な造形だし、ムードも満点。
 そしてそれらを捉える、彩度を抑えた映像の美しさ。霧の立ちこめる沼地、ぽつんと立つ石の塔、荒野を駆ける幻のような騎馬の群れ、雪を滑る橇とクリスマス・ツリーの飾り付け……どの場面も幻想的なまでに静かで美しく、警察官が怪死の現場検証をするシーンですら、夢のような詩情を湛えている。
 こういった諸々が、オーソドックスなゴシック・ロマンに、芸術的な香気漂う独特の幻想美を与えている。この世ならざるモノが顕現しても不思議はないような、私的に言うと「あっち側」を感じさせてくれるような、そんな雰囲気。かつて私が一度見て、以来もう一度見たいと熱望していたのも、そんな絵作りとムードにすっかり惹かれたから。
 再見するまでは、ひょっとして記憶の美化作用があったり、あるいはマイナーな映画ゆえの判官贔屓的な気持もあるのかな、なんて不安もありましたが、いざ見てみると、それは全くの杞憂でした。記憶通りの素晴らしさで、夢幻の怪奇幻想美に酔いしれながら見て、寂寥感と清涼感の入り交じったエンディングでは、思わず「ほぅ」と満足の溜息が。

 DVDはNTSC盤とPAL盤と両方あり、私が購入したのはNTSC盤。リージョン・コードはフリー。スタンダード・サイズ。音声はオリジナルの露語の他に、英語と仏語の吹き替えあり。字幕は露、英、仏、独、伊、西の六種類。オマケはルビンチク監督のインタビュー映像など。
 さて、日本盤も出るといいんだがなぁ……。

Tanit Jitnukul監督、追補

 先日の“Bang Rajan”が良かったので、同じ監督のホラー映画『アート・オブ・デビル』(2005)を見てみました。
 ……やっぱダメかも、この監督(笑)。
 冒頭のツカミにショッキングなシーンを持ってきて、その後、いっけん何の関係もなさそうなモノガタリが始まり、それがいかにして冒頭のシーンにつながるか……という持っていき方なんですが、それが馬鹿正直に時系列どおりズラズラ見せるだけで、芸もへったくれもない。
 その結果、身辺で奇怪な現象が続発するホラーであるにも関わらず、「何(誰)が元凶(犯人)か」、「その現象がどうやって起きているか」「これからどうなるか」ってな要素が、見ているこっちには全て事前に丸判り……って、いくら何でもこの構成はねーだろう(笑)!
 現代の都会の中にも、土俗的で泥臭い「呪い」が……っつーネタそのものは悪くないけど、せめて「誰が何のために呪いをかけているのか?」ってのくらいは、伏せて話を進めろよ!
 で、観客にとっての「謎」の要素が全くない以上、残る期待は唯一、恐怖感の描出やショックシーンの見せ方になるんですが、これがまた、どーしちゃったのってくらい、演出力がない。オマケに、呪いなら呪いだけに徹すりゃまだしも、下手に色気出して幽霊とかも絡めるもんだから、余計に収拾がつかなくなっている。
 え〜、何とか、どっか面白いところも思い出してみると……うん、仏様のお供えを食べちゃってバチが当たるあたりは、いかにも敬虔な仏教とが多いタイらしいな〜とか、『ラスト・ウォリアー』同様に胎児をミイラにして呪術に使うんですが、これはタイでは伝統的なネタなのかな〜とか、床屋と呪い屋が兼業ってのは、呪術に毛髪を使うという点では、理に適ってると言えなくもないかな〜とか、ま、そんなトコでしょうか(笑)。
 ってなわけで、結論。
 Tanit Jitnukul監督、四本見させていただきましたが、どうやら”Bang Rajan”はフロックだった、ってことで(笑)。

アート・オブ・デビル [DVD] アート・オブ・デビル [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2005-09-02