“Malpertuis”

malpertuis
“Malpertuis” (1971) Harry Kumel
 このタイトルにピンときた貴方、ひょっとして幻想文学好きですね? 国書刊行会とか創土社とか月刊ペン社とかの本が、本棚に並んでいませんか?
 というわけでこれは、今から二十五年ほど前、月刊ペン社の「妖精文庫」第二期配本として邦訳も出た、ベルギーの作家ジャン・レーの長編小説『マルペルチュイ』の映画化です。いや、つい最近この映画のことを知って、もうビックリしてDVDを個人輸入した次第。
 まず、この原作の『マルペルチュイ』がどういう話かと言うと……これがけっこう説明しづらい。私自身、高校生のときに夢中になって読んだわりには、ノーミソの経年劣化か内容はうろ覚えだし、覚えていることを書こうとすると、今度はネタバレになっちゃうし……。
 いい機会だから再読しようと思って、本を探してみたんですが、何故か見つからない。実家に置いてきたのかなぁ、それとも引っ越しのときに処分しちゃったのかなぁ。なくしちゃってたとしたら、かなり悲しい(泣)。
 そんなわけなので原作の解説はあきらめて、映画の解説を。邦訳本が見つからないので、キャラクター名の表記は原文ママでいきます。

 主人公の水夫Janが、しばらくぶりに故郷に帰ってみると、自分の生家には別の一家が住んでおり、しかもJan自身は気付いていないが、彼の身辺には様子を探るような奇怪な人影がつきまとう。やがてJanは、妹のNancyに似た人影を追いかけてキャバレーに迷い込み、そこで喧嘩沙汰に巻き込まれて昏倒する。
 Janが目覚めると、そこは彼の叔父Cassaviusが住むマルペルチュイの館で、傍らにはNancyがいた。Cassaviusは臨終の床にあり、館には他にも、港でJanの様子を伺っていた男とその妻や、狂人のように襤褸を纏って身体に鎖を巻き付けた男、神父、剥製師、黒衣に身を包んだ三姉妹といったJanの一族が住まっていたが、いずれも風体も言動も怪しげな者ばかり。
 彼らは皆、この陰鬱な館とCassaviusの支配を嫌っており、彼の死後、遺産を相続して館を出ることを楽しみにしていた。しかし、Cassaviusの残した遺言は、彼の死後も一族はこのままマルペルチュイの館に住み続けなければならず、そうやって最後に残った男女に遺産を与えるというものだった。
 一族と共に館に残ったJanは、臨終のCassaviusに謎めいた美女Euryaleと引き合わされ、恋に落ちる。謎めいているのは館も同様で、暗い回廊には開かずの扉があり、屋根裏に仕掛けたネズミ取りには、ネズミではない「怖ろしいもの」がかかる。そしてついに、Nancyの恋人であり、一緒に館を出ようとしていた青年Mathiasが、額を壁に釘で打ち付けられて宙吊りになった、無惨な姿の死体となって発見される。
 そして実は、マルペルチュイの館とそこに住む人々には、太古より連なる壮大な秘密が隠されていたのだ……! ってな感じでしょうか。

 私の記憶だと原作の小説は、もっと曖昧模糊と混沌としていたように思いますが、それに比べると映画の方は、モノガタリそのものはけっこうロジカルだし、筋運びもスッキリとまとまっている反面、いささか明晰に過ぎる感はあり。モノガタリの最後には、「夢」や「幻想」を絡めた二重のオチが用意されているんですが、これもまあ、ありがちといえばありがち(原作では、このオチはなかったと思うなぁ)。
 とはいえ、ミステリー仕立てのホラーかダーク・ファンタジーとしては、決して悪くはないと思います。見ていて面白いし、飽きさせない。前述したように、原作をあまり良く覚えていないので断言はできかねますが、娯楽性とは無縁の幻想小説を、商業映画というメディアに変換するトリートメントとしては、けっこう上手くやっているのでは?
 また、マルペルチュイの館そのものが、いわばモノガタリの主人公でもあるわけですが、この館の美術がなかなか良い。不安感を煽る回廊、無限の上昇と下降を連想させる螺旋階段、シンメトリカルなCassaviusの寝室など、印象的な絵も多々あって雰囲気も上々。DVDのオマケのメイキングを見ると、これらはセットではなくロケらしいので、それでこれだけの雰囲気を出しているのは、コーディネートも含めて、美術関係はかなり健闘していると言えそう。また、館や街並みのゴシック・ロマン的な雰囲気に対して、キャバレーのシーンなどは、いかにもこの映画が制作された70年代初頭の前衛っぽい、ちょいとキッチュでとんがった雰囲気があり、そういったコントラストも面白い。
 カメラワークや演出は、ほどほどにハッタリやケレン味が効いていて、斬新でビックリするまではいかないものの、でもちょっとハッとさせられるような、そんなセンス。何となく、ケン・ラッセルを薄味にして、ハマー・ホラーを撮らせたようだとか思ったり、ニコラス・ローグが撮影をした、ロジャー・コーマンの『赤死病の仮面』とかを思い出したり。乱暴に言うと、カルト的に愛される要素がある……って感じでしょうか。

 役者の方は、主人公のJan役にマチュー・カリエール。『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』で、タイトル・ロールのシーレを演じていた人ですな。この映画では、二枚目ながらちょっと神経症的でヌメッと気味悪い雰囲気もあって、なかなか悪くない。あ、でも、ヌメッと気味悪いってのは、あくまでも私の感覚。一昔前のゲイが好んだ「耽美的でヌメヌメした美青年」のニオイがするので(笑)、これを見て純粋に「美しい!」ってお感じになる方も、いらっしゃりそうではあります。
 Cassavius役は、オーソン・ウェルズ。登場シーンはモノガタリ前半のみで、しかもずっとベッドに横になっているという役柄ながら(メイキングを見ると、撮影も二日かそこらでさっさかすませちゃったらしいです)、やはり存在感はバツグンで、死後もなお一族を支配し続けるカリスマ的キャラクターという点で、実に適役。
 特筆したいのは、Nancy、Euryale、Alice、Charlotteと、一人四役をこなしている、スーザン・ハンプシャーという女優さん。これがまあ、実に見事にそれぞれを演じ分けていて拍手モンでした。特に、伏し目がちで謎めいた微笑みを浮かべている、Euryaleの美しさといったら!
 他には、私が名前を知っているところでは、ミシェル・ブーケとかジャン=ピエール・カッセルなども出演。あと、ゲスト出演的な使われ方ですが、キャバレーの歌手役に、古い洋楽ファンには「アイドルを探せ」のヒットでお馴染みであり、バルタン星人の語源でもある(笑)シルヴィ・バルタン。

 DVDはベルギー盤で、当然PAL。リージョン・コードはフリー。
 ディスクは二枚組。本編は、119分の全長版とカンヌ出品用の107分の短縮版の二種類を収録。監督のコメンタリー付き。収録は16:9スクィーズ。字幕は、英・仏・蘭の三種類。
 オマケは、メイキングとか、監督がロケ地を再訪するドキュメンタリーとか、オーソン・ウェルズやスーザン・ハンプシャーや原作者のジャン・レーといった人々のインタビューやドキュメンタリー、更に同じ監督が撮ったカフカ原作のテレビ映画(35分)や、やはり同監督の短編映画(7分)など。