『シャガール ダフニスとクロエー(普及版)』岩波書店

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『ダフニスとクロエー』は、2世紀末〜3世紀のギリシャで、ロンゴスという人物が書いたと伝えられる、レスボス島を舞台にした若い男女の恋愛物語。本書は、そのテキストの日本語訳(松平千秋/訳)に、1961年にマルク・シャガールの制作した42点のリトグラフを併せた、フルカラーの挿絵本。
 タイトルにはラヴェルのバレエ音楽で馴染みがあり、長いこと愛聴はしていたものの、実際の物語は読んだことがありませんでした。一方、シャガールのリトグラフは、確かハイティーンの頃、鎌倉の神奈川県立近代美術館に「シャガール展」を見に行った際、現物を目にして、その色彩の余りの美しさに絶句、深く感銘を受けたという想い出があります。
 で、つい最近になって、ロンゴスのテキストとシャガールの絵がカップリングされた本書が、昨年出版されていたと知り、いそいそと買って参りました。

 物語は、神話と現実が分離する以前の素朴な田園世界を舞台に、羊飼いらにらによって育てられた二人の捨て子、ダフニスとクロエーが織りなす、その成長と愛を描いています。
 ドラマはいろいろと盛り沢山で、恋愛モノには必需の横恋慕も出てくるし、近在の村との戦争なんていうアクションもあり(これがバレエだと、海賊の襲来に変わってますね)、年上のオネーサンによる性の手ほどき(いわゆる、『青い体験』系ですな)もあり、男と男の同性愛(ま、古代ギリシャですからね)も出てくる。
 とはいえ、中核を成すのは、あくまでも詩情豊かな自然描写と共に繰り広げられる、少女マンガの如く美形の若い男女の恋愛模様。ロマンティックであることに加えて、清々しくおおらかなエロティシズムがあることも魅力的。ニンフやパンに捧げる儀式などの、エキゾティックで古代的な描写の数々も楽しいし、あちこちで顔を出すユーモラスな要素も面白い。
 興味深いのは、ラストになってこのモノガタリは、一種の貴種流離譚的な側面も持ちあわせていることが明かされるんですが、その最終的な着地点が「宮殿やお屋敷への帰還」ではない、つまり、主人公たちが本来属していた、生まれた場所に戻るのではなく、彼らが育ち、その愛を育んでいった場所である「田園」に戻るということ。ここには作者ロンゴスの、アルカディア的な憧れのようなものが感じられるのですが、古代ギリシャ世界においても、既にこうした都会人から牧人に対する牧歌的理想郷への憧憬という、昨今の定年退職後の会社員が田舎暮らしを希求するような、現代とさほど変わらない感覚があるのが面白い。
 こういった、あくまでも自然の美しさや自然神に対する信仰の純粋さや人間の素朴さを讃えるという、作者の一貫した視点が、モノガタリ全体にいっそうの清々しさを与えています。終幕、牧人たちの「荒々しいどら声で(中略)まるで三叉の鍬で畑の土を掘り起こしているような響きで、とても結婚を祝う歌とは聞こえな」い歌に祝福されて、二人が身体を重ね、それまで「森で二人がしていたことは、幼い牧童の遊びにすぎなかった」ことを知るシーンの、素朴な生と性と愛の合一した何という多幸感! ちょっと感動モノでした。

 かつて私を感動させたシャガールの挿絵に関しては、やはり印刷物の悲しさで、あのリトグラフに見た鉱物そのもののような色彩の輝きには到底及ばないものの、しかし不可能な欲をかかなければ充分以上に美しく、目を楽しませてくれます。かつて、一葉目の「ダフニスを見つけるラモーン」を見たとき、画面のほぼ全体を占める美しいグリーンの中に、小さく白と肌色で描かれた山羊と赤子のコンポジションの美しさに、陶然として見とれてしまったことを覚えていますが、そういった感動はこの本だけでもちゃんと味わえるでしょう。
 また、シャガールの絵とリトグラフというメディアの相性が良い。個人的な意見ですが、シャガールの描く世界は、油絵の「重さ」とはあまり合わない。リトグラフの方が、絵とメディアそれぞれの「軽さ」が、絶妙にマッチしているように思います。
 一枚一枚の絵はいかにもシャガール調で、鮮やかな色味と牧歌的な幻想性が、『ダフニスとクロエー』という田園的な神話世界と、実に良く合っています。いかにも素朴で影をかんじさせないところとか、時に少女趣味的なまでにロマンティックなところなど、両者にはかなり共通点も多い。
 ただ、エロティシズムという点に関しては、残念ながらあまり上手くはいっていない。そもそもシャガールの描く人物は、およそ肉体の堅牢さや生々しさを感じさせない、どちらかというと魂か幽霊のような味わいなので、それらが例え裸で同衾していても、何ともあっさりとしていてエロスには程遠い世界です。ここいらへんは、デフォルメされた線画だけなのにエロいピカソあたりとは、全く異なる個性ですね。
 この『ダフニスとクロエー』の場合、全体に横溢するおおらかなエロティシズムも大きな魅力のうちだったので、その点は少しだけ残念ではあります。

 さて、ちらっと前述した同性愛について、もう少し詳しく書いてみます。
 美少年ダフニスに想いを寄せるグナトーンは、いわゆる放蕩者として描かれており、その男色趣味についてもモノガタリは「慰みもの」や「もてあそぶ」と語り、決して好意的とは言えません。
 しかし、それはともかくとして、グナトーンは自身で「(ダフニスの)からだに惚れたんです」と語るように、同性に対して完全に性欲に先導された興味を覚えており、しかも「生まれついての男色好み」とも描写されています。つまりこれは、同性愛者のキャラクターとしては、プラトン的に理想化された同性愛でもなく、バイセクシャルの一面としての同性愛でもない、いわば現代のゲイとかなり近い存在とも考えられるのが、興味深いところです。
 もちろんモノガタリ的には、グナトーンは所詮当て馬でしかないし、ダフニスを性的に求めるグナトーンに対して、作者はダフニスの口を借りて、そういった行為が「牡山羊が牝山羊に乗るのはあたりまえだが、牡山羊が同じ牡に乗るのは誰も見た者はいない、牡羊でも牝でもなしに牡を相手にすることはせず、鶏だって牡が牝のかわりに牡とつるむことはない」と、不自然なことであるとも語らせています。
 とはいえ、グナトーンは同性愛者ゆえにモノガタリから滅ぼされることもない。性欲ゆえにダフニスを「ものにしたい」というグナトーンの気持は、やがてダフニスに対する恋へとなり、グナトーンが自分の主人に語るダフニスへの想いは、それ自体は恋の姿の一つとして至極まっとうに描かれています。グナトーンがモノガタリ的に批判されるのは、あくまでも恋そのものに対してではなく、恋を成就させるために身体的な力や社会的な力を使おうとしたことにある。
 後に、二人のパワーバランスが逆転した時点で(当初「(身分の低い)ラモーンのせがれなどに惚れて恥ずかしいとは思わぬか、山羊を飼っている少年と並んでねようと本気で考えているのか」と揶揄されたグナトーンは、やがて「悪党のグナトーンめにも、取巻きふぜいの分際でどんな人間に想いをかけたのか、思い知らせてやらねばならぬ」と言われる立場に変化する)、主人公たちの恋路を邪魔する悪役という、グナトーンのモノガタリ的な役目は終わります。
 しかし、この時点ではグナトーンはまだモノガタリから退場はしない。また、悪役グナトーンに対するモノガタリ的な罰も下されない。この後グナトーンは、クロエーの危機に「ダフニスと仲直りする絶好の機会」と考えてその救出に赴き、結果としてダフニスからも「自分の恩人だといって、これまでのわだかまりを解」かれるという、一種のモノガタリからの救済が用意されている。
 このことから、同性愛全般に対する視点を読みとろうとするのは、いささか危険ではあります。グナトーンは同性愛者であると同時に、「全身が顎(口)と胃の腑とと臍から下でできている」、つまり、食欲と酒に酔うことと性欲が全ての放蕩者であり、男色好み云々を別にしても、そもそもが下衆なキャラクターという設定なので。
 しかし、グナトーンの性欲自体に対しては、それを卑しいものと捉えている傾向はあるものの、断罪しようとする視点は見当たりません。グナトーンに与えられるモノガタリ的な救済も、彼が性欲を諦めてプラトニック・ラブに移行したからではなく、あくまでも悪役であった彼が改心したからです。
 こういったことからは、決して歓迎されてはいないが、社会的なタブーではないゆえに容認はされているという、同性愛に対する視点が伺われます。現代の日本社会にも通じるものがあり、なかなか興味深い描き方でした。

 では、もしグナトーンに与えられた性格が悪役としてのそれではなく、純粋にダフニスを愛する者として登場していれば、彼らの性愛も美しく讃えられていたのだろうか。
 残念ながら、答はおそらくノーでしょう。作者であるロンゴスの視点は、あくまでも自然と自然に近い人間の姿の素晴らしさを讃えることにあり、前段で述べた清々しくおおらかなエロティシズムを伴う性の姿も、そういった視点の所産です。
 ですから、近在の人妻リュカイオンが、ダフニスの筆おろしを「もって生まれた人間の本性が、どうしたらよいか教えてくれた」ようにすることはあっても、グナトーンとダフニスが結ばれることは、このモノガタリ世界ではあり得ない。同性愛は自然の営みではないという、時代的な限界がここにはあります。
 愛と性の喜びを謳い感動させてくれた作品で、同時にこういった要素を目にしてしまうのは、私としてはちと残念なことですね。
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『オーメン』

『オーメン』(2006)ジョン・ムーア
“The Omen” (2006) John Moore
 ビックリしました。
 このリメイク、かなりオリジナルに忠実だと聞いていけど、実際に見たら、確かにある意味でオリジナルと「同じ」で、しかもそれが「無意味に同じ」だったから(笑)。
 同じだと言った舌の根も乾かぬうちから、こう言うのもなんですが、実はモノガタリとしての根本的な構造は、オリジナルとは大きく変わっています。
 オリジナルのモノガタリは、最初は小さな「個」のドラマとして始まり、それがやがて「世界」という大きなスケールへと拡がっていく。しかし今回のリメイクは、天体観測からバチカン(……だよね、きっと)の会議という、モノガタリの導入部分から、これが「世界」のドラマであることを示す。ここで説明される現実の事件との結びつきは、いささか強引である感はありましたが、それでも最初から巨大なスケールを提示することで、ある種のワクワク感は感じさせてくれ、これはこれで新機軸としては悪くない。
 ところが、この後がいけなかった。
 多少の現代風のアレンジがあったり、多少のオリジナルではなかった要素が加わってはいるものの、基本的なエピソードは、ほとんどオリジナルのまんま。
 で、これが解せない。
 大使や夫人の苦悩や神父や乳母の怪しさなど、オリジナルで連ねられたエピソードの目的は、全て「信じていた(信じたいと思っている)幸せな(それも人並み以上に幸せなはずの)日常」が崩れていくという効果につながっていた。ところが今回は、初めからアンチ・キリストの出現に触れている以上、もうオリジナルの作劇上でのキモであった、「不穏だけど、考えようによってはどうとでもとれる気配」が次第に積み重なり膨れあがっていくサスペンスや、それに伴う「ひょっとして……いや、まさか……でも……」という人間的な煩悶、つまり、日常が次第に非日常へとスライドしていくサスペンスは、既に無効化している。だって観客には既に、主人公の知り得ないこと、つまり、よりモノガタリの外側からの視点による情報を、事前に提示されているんだから。
 にも関わらず、意義や効果が実質的に喪われているエピソードが、ただただ形骸的に同じようになぞられていく。こんな行為に、いったいどれほどの意味があるというのだ?
 更に言えば、下手にオリジナル通りであるだけに、つけ加わったアレンジの陳腐さや工夫の乏しさも、余計に目に付く。
 例えば、串刺しシーンにトッピングされたアレ。派手派手しい要素をプラスしたかったのかも知れないけれど、アレの位置からしてすごい強引。首切りシーンにしても、今回の首切りに使われるアレは、いかにも首を切るために考えた風の無理矢理感がイッパイ。こんな強引なことをするんだったら、別に「串刺し」や「首切り」にこだわらず、別の殺し方を見せてくれた方がずっと良いし、「串刺し」や「首切り」を四谷怪談の戸板返しみたいな定番として捉えたのなら、もっと「俺ならこう見せる!」という心意気が欲しい。
 新聞記事がインターネットの画像になっていたり、銀塩写真にデジタル画像が加わったり、三輪車がキックボードになっていたりといった「今風の」変更に関しても、正直「……だから?」って感じ。単にメディアやツールが現代風に置き換わっているだけで、置き換わったことによって生まれる効果が何もなく、逆にオリジナルの持っていた効果すらも喪われている部分も。だったら、無理に置き換えなくてもいいじゃん。
 そんなこんなで、全てがひたすら中途半端。アイデアを練るという工夫が、およそ感じられず、オリジナルをなぞることも、新たな解釈を加えることも、どちらもできていない。個々の演出が酷いとかいうわけでは決してないのだが、根本的にドラマに対する考え方が雑すぎる。
 オリジナルを未見であれば、そこそこ楽しめそうだとは思うけど、でもここまでオリジナリティやクリエイティビティやパッションとは程遠い作品は、やっぱり褒める気にはなれない。商品としてはそれなりに楽しめるにせよ、作品としては、作り手の志が低いにも程があるって感じでした。

『ポセイドン』

『ポセイドン』(2006)ウォルフガング・ペーターゼン
“Poseidon” (2006) Wolfgang Petersen
 パニック映画大好きの相棒と一緒に鑑賞。
 まず、導入。カメラが海中から浮上して、ポセイドン号の船体をグルグルと舐めるように撮る。全体を捕らえたロングからワンショットで人物のアップに寄ったり、いかにも昨今のCGIを駆使した絵作りらしいアクロバティックな動きなのだが、映画の導入としてのケレン味はタップリ、クラウス・バデルトの勇壮なスコアもあって気分を盛り上げてくれます。
 引き続き本編に入り、それぞれのキャラクターの紹介は、必要最小限にして手堅くコンパクト。そして、そのキャラクターたちが集合し、新年のカウントダウン・パーティーのシーンになるんですが、このカウントダウンのシーンが、しっかりゴージャスかつロマンチックに見せてくれて、かな〜り良い。『ナルニア』のときにも書いたけど、こーゆー「スペクタクル」を見せてくれる映画って、意外と稀少だからねぇ。『トロイ』に引き続き、ペーターゼン監督に拍手!
 で、そこに大惨事が唐突に襲いかかるんですが、その「華麗な幸福感に満ちたパーティー」と「いきなり襲いかかる大惨事」の、コントラストの見事さといったら! ここはマジで感心!
 これ、この「唐突さ」が重要なんですな。普通は、アクシデントの到来までを、別視点での前振りを入れて、サスペンス的に盛り上げるのが常套手段。ところがこの映画は、ホント前振りらしい前振りもなく、唐突に「それ」が訪れる。その作劇法的な「外し」が、いかにも予期せぬ事故に巻き込まれ、平穏な楽しい日常が突如断ち切られてしまうという、現実的なブッツリ感を醸し出してくれて、実に素晴らしい。もう、拍手喝采もの。
 ……という感じで、タイトルからここまでは、百点満点をあげたい出来映え。
 話が本筋に入ってからは、アクシデントのつるべ打ちに。
 とはいっても、垂れ流しではなく緩急はあるし、迫力も緊迫感もあるし、エピソードの組み方も上手くて、見ていて鼻白むこともない。一緒に見に行った相棒は大喜び、私自身の印象も、満腹感はありつつ、でも胸焼け一歩手前で堅実に押さえている感じで、ここ数年来のパニックもの映画の中ではベストかな。
 で、パニック映画では、アクシデントやアクションといった様子と共に、「危機的状況の中で、いかに人として生きるか」というドラマが描かれるのが常で、オリジナルの『ポセイドン・アドベンチャー』の最大の魅力的はそこいらへんにありましたが、今回は「いかに生きるか」じゃなくて「いかに生き延びるか」で精一杯、「人としてのありかた」を問うている暇はない、といった風情。ロマンとしてのドラマが介在する余地は、ほとんどないといった感じ。
 ただ、かといって同じ監督の『Uボート』みたいな重さや圧迫感があるわけでもなく、ドライに突き放した視点で徹底するというわけでもなく、あちこちでいかにも娯楽大作的なクリシェや、ウェットな視点も混じります。本来であれば、そういった軸のブレはあまり好意的には見られないのですが、この場合のブレは、娯楽映画として成立させるためのバランスを手探りしているようにも見え(そういや『トロイ』も、そんな感じがあったなぁ)、そうなると作家の端くれとしては、その板挟みをいかに捌ききるかという点に興味を惹かれます。
 中でも印象深かったのが、子供の救出劇。他のシーンでは、いかにしてその危機を脱出するかというのが、ちゃんと描かれて説明されているのに、このシーンでは、どうあっても助かりそうにない状況から、どうやって助けることができたという説明が一切ない。それが何だか、監督の「ここは嘘なんだよ、ホントはこの子供は死んじゃうんだよ」という意思表示に見えてくるのが面白い。
 とはいえキャラクター全般は、捌き方は上手いものの、立て方が少々物足りない感もあるので、そこんとこはもうちょっとプラスアルファが欲しかった。特にメインの二人、ジョシュ・ルーカスとカート・ラッセルが弱い。
 ヒロイズム等を避けて普通の人っぽくしたかったのなら、だったら元ニューヨーク(……だったっけ?)市長なんて設定じゃなくてもいいような。往年のオール・キャストもののような華やかさは必要ないにしても、もうちょっと何らかの魅力は出して欲しいなぁ。
 サブキャラの、エミー・ロッサムとマイク・ヴォーゲルのカップルは、それぞれ最近『オペラ座の怪人』『テキサス・チェーンソー』で、いい感じと思っていたので、個人的にはお得気分。
 映画のアタマでは、「小綺麗で無精ヒゲもないマイク・ヴォーゲルは、全く魅力ナシ!」なんて思ったんですが、中盤以降はだんだん薄汚れていってイイ感じに(笑)。でも、水難事故だし上半身くらいは脱ぐかと期待してたんだけど、残念ながら濡れTどまりだった。
 あと、個人的に一番嬉しかったのは、リチャード・ドレイファス!
 だいぶオジイチャンになりましたが、しっかりステキなオジイチャンになってたし、とにかく我がハイティーン時代のアイドル、愛しのリチャード『グッバイ・ガール』ドレイファス様がゲイ役(!)ってだけで、個人的には映画自体がプラス10点くらいアップ。しかもこの役、モノガタリ的には別にゲイである必要も何もない。ゲイだということで特別に役割を背負うこともなく、フツーにゲイなだけ。
 悩めるハムレットでもなく、サイコなシリアル・キラーでもなく、モノガタリにとって都合の良いキューピッドや潤滑油でもない、こーゆー「ただゲイなだけ」のキャラクターを映画で見ると、何だかホッとします。扱いがニュートラルですごく感じがいい。脱出行で、若い男の子に「ハンサム君」とか呼びかけるあたりは、小ネタとしてゲイ的にはお楽しみどころかな。まあ、その後すぐにドツボなんだけど。
 そうそう、このドレイファス演じるゲイのオジイチャン、左耳にダイヤか何かのピアスしているんですが、「片耳ピアス=ゲイ」という「記号」を見たり読んだりするのは、もう20年振りくらいなんで、何だか懐かしかったなぁ。でも、あたしゃてっきり、これは都市伝説の類かと思ってた。
 で、このドレイファス翁が一番キャラが立ってたように感じられた……ってのは、単に私がゲイだから?
 というわけで、「導入の素晴らしさ」+「見せ物的な見応え」+「ゲイ役のリチャード・ドレイファス」ってだけで、もう個人的には充分以上に満足しました。
 軸のブレに関しても、根っこのところで「現実問題として生き延びるには、とにかく希望を捨てず、ひたすら頑張るしかないんだ」という芯は一本通っていたように思えるし、同ネタで別のものを作るという点では、リメイクものとしても興味深い仕上がりでした。

『ロッテ・ライニガー作品集 DVDコレクション』

ロッテ・ライニガー作品集 DVDコレクション【3枚組】 ロッテ・ライニガー作品集 DVDコレクション

 前にここで書いた、発売を知って狂喜乱舞した『ロッテ・ライニガー作品集 DVDコレクション』、到着しました。書籍のような美麗な外箱に入った三枚組で、全部で約490分という満足のボリューム。
 一枚目が問答無用の傑作長編『アクメッド王子の冒険』+ドキュメンタリー『アート・オブ・ロッテ・ライニガー』、二枚目が「世界のお伽話集」でグリムやペローの童話を基にした短編、三枚目が「歌劇とその他の作品集」で『カルメン』『パパゲーノ』『ベツレヘムの星』などの短編という構成になっています。
 ロッテ・ライニガーは、1920年代から50年代にかけて活躍した、影絵によるアニメーション作家。
 アラビアン・ナイトを基調にした『アクメッド王子の冒険』はその代表作で、ディズニーの『白雪姫』に先んじること11年、1926年に制作された世界初の長編アニメーション。今回発売されたものは、1999年に映像修復がなされ、2004年にオリジナル・スコアに基づく音楽が再録音された「完全修復サウンド版」。
 これはもう、何度見てもホント素晴らしい。
 光の中に浮かび上がる黒く繊細なシルエットが描き出す、夢幻の影絵劇。サイレントなのでダイアローグはなく、影絵なので顔の表情もない。色も染色されたモノクロ・フィルムなので、ワン・シーンにキーカラーが一色存在するのみ。
 にも関わらず。レースのように細やかに切り抜かれた美しいシルエットたちが、身振り手振りのパントマイムで演じる芝居の、驚くべき感情表現の豊かさ。フィルムの湛える詩情、夢の恋物語のロマンティックさ、そして仄かに香るエロティシズムは、まさに魔術的。フィルムと同期した音楽も、その魔術の顕現に更に一役買っています。世界初の長編アニメーションとはその誕生の時から、かくもアーティスティックだったのだ。
 単品販売もされているし、近所のTSUTAYAにでもレンタルの棚に並べられていたので、まあとにかく騙されたと思って一度ご覧あれ。
 短編の方は、まだあちこちつまみ見した程度なんですが、シルエットの描き出す美しさは『アクメッド王子』と変わらず。『カルメン』におけるキャラクターのダイナミズムや、『ガラテア』のユーモアとエロティシズムなどにも感心。カラー作品『ベツレヘムの星』も、黒いシルエットの背景を彩る色とりどりの光が、これまた幼い頃に親しんだセルロイドや万華鏡のようで魅せられます。
 特に、影絵ならではのエロティシズムの表現には、興味を惹かれました。『アクメッド王子』の羽衣を奪われたパリバヌー姫や、『ガラテア』の命を吹き込まれた石像など、「ジャングルや街を徘徊する全裸の女性を、男が追いかけ回す」というシーンがあるんですが、これなんかはまさに影絵アニメーションならではの表現ですね。「隠す」必要がないから伸びやかで放埒で陽性で、しかし全てが「隠されている」から秘密めいた翳りのある香りも漂う。実に美しいです。
 もう一つ『ガラテア』で、白い大理石像が「真っ黒になって」命を得て動き始めるシーンに、影絵アニメーションならではのロジックの逆転が感じられて面白かった。というのも、キャラクターの色が「暗くなる」のは、普通は「死の暗示」に繋がる表現ですから。それが、影絵の世界では逆になるというのが、当たり前っちゃあ当たり前なんですが、ちょいと新鮮な驚きでした。立体的な明暗や、目鼻や模様と言った表面のディテールのあるものが「動かない=死」であり、全てが塗りつぶされた黒いシルエットが「動く=生命」という世界は、それだけでも何だか魔術的な気がします。
 一方、トーキーになってから入ってくるナレーションや台詞は、正直なところ邪魔に感じられてしまった。そんなものを入れなくても、物言わぬシルエットの動きだけで、表現としてはもう必要充分に為され得ているという気持が、私の中にあるからでしょう。だから、ナレーションなどの「説明」が、蛇足に感じられてしまう。ただ、そういった意識もあってか、例えば『シンデレラ(1954年版)』では、セリフを喋るのは意地悪な姉たちだけで、メインのシンデレラと王子様は一言も喋らなかったりするのが面白い(笑)。
 余談ですが、この『アクメッド王子』だけではなく、米KINOからDVDが出ているフリッツ・ラングの『メトロポリス』や『ニーベルンゲン』など、オリジナルのスコアが復元されたサイレント・フィルムを幾つか見る機会がありましたが、やはりオリジナル音楽付きは良いですね。一般的なサイレント映画のソフトでありがちな、いかにもありものをテキトーに引っ張ってきました的な、気のないBGM付きで見るのとは月とスッポンです。
 そうそう、サイレント映画と言えば、紀伊國屋書店さんが「クリティカル・エディション」と銘打った高クォリティのDVDを、しかもムルナウの『サンライズ』、ドライヤーの『裁かるゝジャンヌ』、パプストの『パンドラの箱』など、垂涎のラインナップで出していまして、毎回購入しては大満足し、引き続き次を楽しみにしているんですが、今度は7月に、何とベンヤミン・クリステンセンの『魔女 (Hexan)』が出るっていうじゃありませんか!
 ひゃっほ〜い! もう、夢じゃなかろかと、またもや狂喜乱舞しています(笑)。

『ヘラクレス(ワイド版)』+ “Mole Men Against the Son of Hercules”

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 前にドイツ盤とフランス盤を紹介した、スティーヴ・リーヴスの『ヘラクレス』ですが、ワイドスクリーン・エディションのアメリカ盤DVDが出たのでご紹介。因みに、アメリカ盤DVDは既に何種類か発売されていますが、いずれもテレビサイズのトリミング版で、ワイド版はおそらくこれが初めて。あ、VHSならワイド版も出ていましたけどね。

 で、気になる品質ですが、おおむねオッケーでした。とりあえずは、キャプチャ画像をご覧あれ。
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 経年劣化による色の変化はあるものの、発色は自然だし、質感などのディテールの再現性もかなり良いのがお判りになるかと。ご覧の通り画面サイズはシネスコで、スクィーズ収録。
 画質は、暗部に若干の潰れがあり、エンコード品質のせいか全体的にちょっと粒状感があるのと、少しボケもあって、フランス盤よりは劣る感はあるものの、それでも色は良く残っています。少なくとも、これまで出ていたテレビサイズのアメリカ盤とは、比べものにならないくらい画質は向上しています。前述の粒状感やボケも、さほど大きくないモニターならまず気にならないであろう程度。
 音声は、割れや歪みがちょっと気になりますし、全体に低いノイズがのっていて、これはフランス盤はもとより、ドイツ盤と比べても落ちるかも。ただ、鑑賞の邪魔になるほどでもないので、まあ許容範囲内といったところでしょうか。でも、米amazonのカスタマー・レビューを見ると、「吹き替えのバージョンがイマイチ」なんつー、マニアックなご意見もあり(笑)。
 尺はフランス盤とほぼ同じ97分。タイトルバックもフランス盤やドイツ盤同様の、赤地に黒の飾り罫に白抜き文字のパターンで、これまでのアメリカ盤のハンナ・バーベラ風(笑)じゃありません。
 リージョン・コードもフリーなので、PALには手を出すつもりがない方であれば、最初の一枚としてオススメです。もちろん、既にテレビサイズ版DVDをお持ちの方も、買い換えの価値は充分アリだと思いますよ。
 日本で売られているPDのDVDの中には、もっと酷い画質のものも幾らでもあるから、どっかの会社がこのマスターを買って、日本語字幕付きの日本盤を出してくれないもんですかねぇ。

 そしてこのDVD、更に2in1のオマケ付き両面ディスクだったりもします。
 で、カップリングされているのが、マーク・フォレスト主演の “Mole Men Against the Son of Hercules” (1961) Antonio Leonviola、伊語原題 “Maciste, l’uomo pi forte del mond”。
 これは「モグラ人間対ヘラクレスの息子」なんてタイトルからも察せられるように、まあ内容的にはけっこうスットコドッコイな映画(笑)。
 要するに、ヘラクレスの息子・マチステが、地底人と戦って打ち負かすんですが、地底人の国にはセクシー女王がいて、案の定それが次第にヒーローに惚れてしまい……ってな、お約束もテンコモリのファンタジー・アドベンチャー。で、ヒーローのマチステがマーク・フォレスト、女王が「ソード&サンダル映画の安い悪の女王ならアタシにおまかせ!」のモイラ・オルフェイ。
 でも、それなりに頑張ってはいて、地下帝国の宝石採掘に使われている巨大機械のスケール感なんか、かなりいい感じだし、話も危機また危機で飽きさせず悪くない。一連の Son of Hercules もの(見たことある方ならお判りだと思うけど、ミョーに脳天気な「♪ざ〜まいてぃ〜さん〜おぶ〜は〜きゅり〜ず……」って主題歌のヤツね)の中では、けっこう上出来な部類ではないかと。
 しかし、個人的に最大の見どころというと、この映画、責め場がかなり良いのだ(またかい)。マーク・フォレストにヒゲがないのは残念だけど、その欠点(じゃないだろ)を補って余りある充実した内容。加えて、メインのマーク・フォレスト以外にも、サブ・ヒーローのポール・ウィンターという黒人ボディービルダーがいまして、これまたタップリ責められてくれるもんだから、もう二倍オイシイ。

 で、具体的にはどんな感じかと言いますと…
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 二人仲良く後ろ手に縛られて、地底人に連行されるマチステ(マーク・フォレスト)とバンゴ(ポール・ウィンター)。画像だと判りにくいけど、後ろ手と喉に繋がって縄が掛けられているあたりの凝り方が、またウレシイ(マニア視点)。この後、互いに戦わせられたり、檻の中に入れられてゴリラだか猿人だかと戦わせられたりします。
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 一度は脱出したマチステだが、バンゴを助けるために罠にかかって再度捕まり、もう一人の仲間も加えて、三人一緒に拷問にかけられる。頭上に石版の重石を次々に乗せられ、重みに耐えかねてマチステが屈んでしまうと、縛られて寝かされた仲間二人を刃が貫いてしまうという仕掛け。
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 このシーン、最初は立っていたマチステがじりじりと膝をついていく様子を、ロングもアップも取り混ぜて、尺も長くタップリとネッチリと見せてくれるので、かなり満足感アリです。
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 マチステは試練に耐えたものの、バンゴは引き続き地下牢で吊されて拷問。
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 他にも、マチステは首枷付きの内側にナイフが突き出した檻に入れられたり、はたまた鉱山の採掘用の重石に押し潰されそうになったり。
 バンゴはバンゴで、初登場シーンからしてボンデージだし、その後も棒状の猿轡噛まされて立木に縛られて囮にされたり、猿轡のままマチステを閉じこめた檻を担いで運ばされたり、そうやってヘタったところを水をぶっ掛けられて足蹴にされたり。
 あと、二人一緒に他の奴隷たちに混じって、鞭打たれながら鉱山採掘の巨大機械を押して回したり、とにかくオハナシの大半が「地底人に捕まっている」状況なので、当然のように、縛られてたり鎖に繋がれてたり檻に閉じこめられてたりするシーンも多い……ってわけです。
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 あと、脇キャラですが、この責め場もお気に入り。地底人だから、日の光に当たるとエライコトになっちゃって悶え苦しむ……ってなシーン。
 ってなわけで、まあ、フィルムは退色しまくっているし、キズやらボケやら当たり前だし、左右も切れちゃっていますが、マッチョの責め場好きには、けっこうお得感アリですよ、この “Mole Men Against the Son of Hercules”。
“Hercules + Mole Men Against the Son of Hercules” DVD (amazon.com)
 因みに、つい先日紹介した “Warriors 50 Movie Pack” にも入っています。画質は似たようなもんですが、エンコードの品質のせいか、今回のDVDの方がちょっとだけマシかなぁ。まあ、あくまでも「ちょっとだけ」ですけど(笑)。

『ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説』

ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説 [DVD] 『ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説』(2004)ロジャー・ヤング
“Hercules” (2004) Roger Young

 前にここで「日活さんあたりが、ちゃんとノーカット版のDVDを出してくれることを願います」と書いた、ホールマーク製のTV版ヘラクレス、願い通り、日活さんからノーカットDVDが発売。いやぁ、割と最近も『NERO ザ・ダーク・エンペラー』ってのを見たら、またもや80分ほどカットされた短縮版でウンザリしていたところなので、全長版で見られるだけでもありがたい(笑)。

 内容は、ホールマークだからファミリー向けのファンタジー・アドベンチャー路線だろうと思っていたら、意外と硬派でした。
 ヘラクレスものの映画って、エピソードの幾つかに伝説からの引用を絡ませたりはするものの、基本的には「ヘラクレス」というキャラクターを借りただけの、完全オリジナルストーリーが多い印象なんですが(スティーヴ・リーヴスの『ヘラクレス』も、この例外ではない)、今回の『ヘラクレス 選ばれし勇者の伝説』は、それらと比較すると、物語自体はかなりギリシャ神話に近付けています。
 もちろん、アレンジは大幅になされてはいるんですが、基本的にギリシャ神話のヘラクレス伝説に則って、その上で「アレとアレの順番を入れ替える」とか「アレとアレをくっつける」といった具合に、エピソードを組み立てている。ギリシャ神話のアレンジ具合を楽しむという点では、過去の類作と比べると、かなりポイントは高い。
 以下、ちょっと具体例が多くなるので、ネタバレが嫌な方は、次の段は飛ばしてください。
 例えば、エリュマントスの大猪やヒュドラのエピソードを「十二の功業」以前に持ってくるとか、臨終の火葬壇のエピソードをメガラとの間の子殺しにくっつけて、それを前半部のクライマックスにしたりしてます。そういった諸々は、なかなか上手いと感じたものもあり、ちと無理矢理といった感じのものもあり。ディオメデスの人食い馬とアマゾンの女王ヒッポリュテをくっつけたあたりは前者、ステュムパロスの怪鳥とヘラの乳房をくっつけたあたりは後者でしょうか(笑)。
 また、個人的に一番興味深く感じたのは、背景にあるゼウスとヘラの諍いを、実際の神々は出さずに、それぞれの神々を信仰している人々の間でのパワーゲームとして処理しているところ。
 更にその背景には、ヘラを「嫉妬深い結婚の女神」ではなく「男権社会によって抑圧された地母神」として位置付けるなど、男権制と女権制の争いといったニュアンスも感じられて、文化人類学的な臭いもするところも面白い。ここいらへん、ちょっと興味を持って調べてみたら、バーバラ・ウォーカーという人の『神話・伝承辞典−失われた女神たちの復権』なんていう、なかなか面白そうな本がヒットしました。意外とこれが元ネタだったりして(笑)。
 で、そういった構造に基づいて、「ゼウス/父・夫・男」であるアムピトリュオンやヘラクレスと、「ヘラ/母・妻・女・母の庇護下にある子の」アルクメネやメガラやイピクレスといったキャラクターが拮抗していく。デルポイの巫女の代わりに、「ヘラ(の代理であるアルクメネ)によって盲目にされた両性具有の預言者ティレシアス」を配するあたりも興味深い。
 更に、モノガタリ全体の裏の軸に「男ではあるが地母神の息子(この場合はヘラの信奉者)」のアンタイオスを置き、それがゼウスの化身と勘違いされるエピソード(つまり、アンタイオスがヘラクレスの本当の父親というわけ)を配し、物語の要所要所に絡めながら、最終的に、男権と女権の争いの不毛さや信仰の本質への問いかけへと繋げていく。
 モノガタリのクライマックスも、ヘラクレス自身の言によって、神話時代の運命論から人文主義への転換がもたらされ、拮抗していた二つの勢力も、ヒュロスとイオレの結婚によって和合するといった具合に、全体の構造はなかなか凝っています。
 ただその反面、これらは神話への考察による神話世界の解体でもあるので、モノガタリの着地点は、ギリシャ神話ともヘラクレス伝説とも程遠い、今どきの人間が喜んで受け入れそうなハッピーエンド(笑)。ここは、好き嫌いが別れそうではあります。私個人の好みで言えば、やはり伝説的な英雄譚は悲劇で幕を降ろして欲しいんですが(笑)。
 さて、こいうった具合にモノガタリの構造はなかなか凝っていて面白いんですが、残念ながら表現がそれと相反している。
 それなりに金もかかっていそうだし、セットや衣装も決して安っぽくはないんですが、それらのデザインの基本にあるのが、いかにもファンタジー、それもぶっちゃけ『ロード・オブ・ザ・リング』の影響が顕著な「それっぽい要素をコラージュしたもの」なので、ギリシャ的な雰囲気は極めて希薄。同時に、『ロード・オブ・ザ・リング』ほど堅牢な世界の作り込みもないので、歴史物っぽい雰囲気もない。
 じっさい、ロケ地がニュージーランドらしく、雪渓を望む雄大な背景に、山の尾根を歩くヘラクレスを空撮、しかもお供は狂言廻し的な役割のショーン・アスティン……なんてシーンを見せられると「……パロディですか?」なんて気もしてしまったのが正直なところ(笑)。流れるBGMも「それっぽい」感じだったし(笑)。
 あと、モノガタリの基本が神話世界の文化人類学的な解体・再構成だから、神様は出てこないのに、でもファンタジー系のクリーチャーは出てくるってのは、そりゃちょっと矛盾してるっしょ(笑)。まあ、マーケティング的に必要だってのは判るんだけどね、それにしても、ステュムパロスの怪鳥とハルピュイアをくっつけてたり、ネメアのライオンをスピンクスにしちゃったりとか、ちょいとやり過ぎの感あり。
 あ、この間の『ナルニア』とは違い、ケンタウロスの顔が人間のそれだったのは、ちょっと嬉しかった。でも、ヘレニズム的ではなく、おそらくネイティブ・アメリカンをイメージしたっぽい感じだったけど(笑)。
 つまり、ファンタジー・アドベンチャー的には、映像的にはさほどけなすような出来ではなく、逆にTVものにしては健闘している部類だとは思うんですが、物語的な面白さが、ファンタジー・アドベンチャー的なそれではなく、前述したような構造に基づいて繰り広げられる、愛憎絡み合うドロドロの陰謀劇風なので、そこいらへんが水と油な感じ。
 もし『ロード・オブ・ザ・リング』っぽくではなく『トロイ』っぽく、ファンタジー的なクリーチャーはなし、衣装や美術は自由度を生かしつつも、古代幻想的な質感を重視する、といった作り方をしていたら、かなり見応えのある良作になっていた可能性もあり。
 けっしてつまらなくはないんだけど、ネタに対して調理法が間違っている感が、どうしても拭えないのが残念でした。
 役者さんは、まずヘラクレス役のポール・テルファーですが……いかんせん顔がねぇ(笑)。良く言えばワイルドな風貌だけど、ウィレム・デフォーみたいなカエル口だしねぇ(笑)。でも、身体はいいですよ。一緒に見ていた相棒も「うん、この身体は『買い』だね!」と言ってました(笑)。神話上の英雄的な風格は微塵も感じられませんが、これはまあ役柄がそういうキャラなんだから仕方なし。
 アムピトリュオン役のティモシー・ダルトンは、「血は繋がっていないけれども、良い父親」という美味しい役どころなので、なかなか魅力的。だいぶ老けたけど、いい感じに年を重ねておられる感じ。
 ヘラクレスの音楽の師匠リノス役に、ショーン・アスティン。リノスが実は生きていて、以後狂言廻しにってのは、悪くないアイデアだとは思うんですが、それにしてはアスティン演じるキャラは、ちょいと軽やかさに欠ける感じ。もっと三の線で良かったのでは?
 お目当てのタイラー・メインはアンタイオス役。モノガタリの裏の要なだけに、力持ちの大男なだけではダメなんだけど、正直言って力不足かなぁ。
 女優陣は、情念ドロドロ系のエリザベス・パーキンス(アルクメネ)とリアンナ・ワルスマン(メガラ)は、いずれも佳良。リーリー・ソビエスキー(デイアネイラ)は、もうちょっと神秘性か野性味か、どっちかが欲しかった。
 ああ、そういや裸の青年二人がベッドインしている、ホモセクシュアル絡みのシーンもチラッとありました。油断していたからビックリした(笑)。ことさらに強調もされず、さらっとした扱いだったのは、いかにも古代ギリシャ世界らしく好印象。
 責め場? ありません(笑)。

“Warriors 50 Movie Pack”

warriors
“Warriors 50 Movie Pack”
 米Mill Creek Entertainmentから出た、ソード&サンダル映画50本セットDVDのご紹介。
 これはいわば激安モノで、簡素なペーパー・スリーヴに入った、表裏合わせて映画を4本ずつ収録した両面ディスク×13枚が、やっぱり簡素な紙箱に入ってます。で、値段は$29.98っつー安さなんですが、Video Universeとかだと更に値引きで、$17.95とかで売られています。
 実は同社の同シリーズでは、”Sci-Fi Classics 50 Movie Pack”という商品に、60年代のB級SFや日本のガメラ映画なんかに混じって、ソード&サンダル映画も何本か収録されていたり、また、ソード&サンダル映画+ターザン映画の”Adventure 10 Movie Pack”なんて商品があり、そのうち紹介しようかなぁなんて思っていたんですが、こんなもんが出ちゃあ、もう意味なしですな(笑)。ソード&サンダル映画だけに関して言えば、真打ち登場ってとこでしょうか。

 まあ、このシリーズは安いだけあって、画質や音質などは決して褒められるシロモノじゃありません。フィルムのキズ、ボケ、退色、音声の歪みなんかは、あって当たり前の世界。パッケージも極めてチープ。
 ただ、アメリカで販売されているソード&サンダル映画のDVDは、ごく一部の例外を除くと、フィルムの状態はズタボロなものばかりなので、それらも画質的には、この”Warriors 50 Movie Pack”とどっこいどっこい。あと、流石に50本もあると、単品ではDVD化されていない(であろう)作品も多いので、まあ値段を考えても、このテのものが好きだったら、けっこうお買い得だと思いますよ。
 中身のレビューは、とてもじゃないけど50本全部見るのは時間もかかるんで、それは後の機会に譲るとして、今回はとりあえずご参考までに、収録先品のリストをば。

スティーヴ・リーヴス主演作
“Hercules Unchained”「ヘラクレスの逆襲」
“The Giant of Marathon”「マラソンの戦い」
“The White Wattior”「怪傑白魔」
“Sandokan, Pirate of Malaysia”

レジ・パーク主演作
“Hercules and the Haunted World”「ヘラクレス 魔界の死闘」
“Hercules and the Captive Women”「アトランティス征服」
“Maciste in King Solomon’s Mine”

ゴードン・スコット主演作
“Samson and the Seven Miracles of the World”
“Hercules and the Princess of Troy”
“Hero of Rome”
“Gradiators of Rome”

マーク・フォレスト主演作
“Son of Samson”「マチステ」
“Goliath and the Dragon”「豪勇ゴライアス」
“Goliath and the Sins of Babylon”「鉄腕マチステ」
“Hercules Against the Barbarians”「ヘラクレス/闘神伝説(ヘラクレス対バーバリアン)」
“Hercules Against the Mongols”「ヘラクレス/モンゴル帝国の逆襲」
“Kindar the Invulnerable”
“The Lion of Thebe”
“Mole Men Against the Son of Hercules”

カーク・モリス主演作
“Colossus and the Headhunters”
“Devil of the Desert Against the Son of Hercules”
“Triumph of the Son of Hercules”

ゴードン・ミッチェル主演作
“Atlas in the Land of Cyclops”「片目の巨人」
“Fury of Achilles”
“Ali Baba and the Seven Saracens”

アラン・スティール主演作
“Hercules Against the Moon Men”
“Hercules and the Masked Rider”

キャメロン・ミッチェル主演作
“The Last of the Vikings”「海賊王バイキング」
“Caesar the Conqueror”

ダン・ヴァディス主演作
“The Son of Hercules in the Land of Darkness”
“The Ten Gladiators”

エド・フューリー主演作
“Ursus in the Valley of the Lions”「獅子王の逆襲」
“Ursus in the Land of Fire”

リチャード・ハリソン主演作
“Gradiators Seven”「七人のあばれ者」
“Two Gladiators”

ブラッド・ハリス主演作
“Fury of Hercules”「ヘラクレスの怒り」

サムソン・バーク主演作
“Vegeance of Ursus”

レグ・ルイス主演作
“Fire Monsters Against the Son of Hercules”

ジョー・ロビンソン主演作
“Thor and the Amazon Women”

リチャード・ロイド主演作
“Vulcan, Son of Jupiter”

ジョルジュ・マルシャル主演作
“Ulyssess Against the son of Hercules”

ピーター・ラパス(ロック・スティーヴンス)主演作
“Hercules and the Tylants of Babylon”

ロッド・テイラー主演作
“Colossus and the Amazon Queen”「アマゾンの女王」

ローランド・キャレイ主演作
“The Giants of Thessaly”

リク・バッタリア主演作
“The Conqueror of the Orient”

ガイ・ウィリアムス主演作
“Damon and Pythias”

アラン・ラッド主演作
“Duel of Champions”

エドマンド・パードム主演作
“Herod the Great”「エロデ大王」

ロジャー・ムーア主演作
“Romulus and the Sabines”「サビーヌの掠奪」

デブラ・パジェット主演作
“Cleopatra’s Daughter”

 ……ってな具合で、リスト後半はマッスル・ムービーじゃないのも混じってますけど、全体的にはなかなか充実しているかと。
 個人的には、高画質な独盤や仏盤は持っているもののセリフが判らないのが残念だったヤツの、英語バージョンが幾つかゲットできたとか、映画自体は珍作の類だけど、責め場がなかなか良いレジ・パークの”Maciste in King Solomon’s Mine”を、DVDで入手できたとか、「ヘラクレスの逆襲」のオンファーレ役でお気に入りだったシルヴィア・ロペスが出ているので気になっていた「エロデ大王」が入っていたりとか、嬉しいポイントはけっこう多々ありでした(笑)。
 あ、因みに、パッケージには”Spartacus and the Ten Gladiators”と表記されているのに、実際に収録されているのは、同じダン・ヴァディス主演でも”The Son of Hercules in the Land of Darkness”だった、なんてミスも発見。まだ中身を全部確認したわけではないので、このテのミスはまだあるかも。
“Warriors 50 Movie Pack Collection” DVD (amazon.com)

GarageBand Jam Pack World Musicとか

 前にここで「もう絶対に買っちゃうもんね」と書いたGarageBand Jam Pack World Music、だいぶ使い慣れてきたんで、使用感のレポなんぞを書いてみませう。
 まず、収録音源のリスト。

Bass〜ラテン・ベイビー・ベース/ギタロン/バラライカ
Choir〜南アフリカのクワイア/南アフリカのクワイア(ヴォイス・エフェクト)
Guitar〜月琴/ウクレレ/ブズーキ/中世のリュート/フラメンコ・ギター/ウード/サズ
Mallet〜カリンバ/アフリカン・マリンバ/ガムラン/チベットのシンギング・ボウル
Piano & Keyboard〜アフロ・キューバン・アップライト・ピアノ/ポルカ・アコーディオン/タンゴ・アコーディオン
Strings〜ハンマー・ダルシマー/ケルティック・ハープ/二胡/古箏/シタール/フィドル/琴/サントゥール
Woodwinds〜ティン・ホイッスル/笛子/洞簫/バグパイプ/バンスリ/シャナイ/尺八/中世のリコーダー/ネイティブ・アメリカン・フルート/パンフルート
Drum〜アフリカン・キット/アジアン・キット/ヨーロピアン・フォーク・キット/インディアン&ミドル・イースタン・キット/ラテン・キット

 ……とまあ、これだけの音源がマルチサンプルで収録(つまり、好きなように演奏できるってことね)されていて、加えてループも3000以上入っていて、それで\10,800というのは、いつものことながらコストパフォーマンスは良いのでは。
 それぞれの音源は、ベロシティの強弱やモジレーションで奏法が変化するものが多いです。
 自分がよく使う楽器を例にとると、バンスリはモジュレーションでビブラートの有無、スライドアップ、フラッター・タンギングといった奏法が制御でき、シャナイはモジュレーションで音の長短、ベロシティで音の揺れやトリルなどが変化する……といった感じ。ここいらへん、上手く使うとけっこう生っぽい「味」になるので、ソフト同梱のPDFマニュアルは目を通しておいた方がいいでしょう。
 ドラム・キットはそれぞれパーカッションもセットなので、例えばアフリカン・キットにはジェンベやトーキング・ドラム、インディアン&ミドル・イースタン・キットにはタブラやドゥンベック(ダルブッカ)などが、キーの違いや奏法のバリエーションも含めて、キーにマッピングされています。
 音色はさほど押しが強くなく、存在感はいささか控えめではありますが、逆に極端に浮くこともないので、アンサンブルとしては使いやすいです。ただ、強烈なリードとして欲しい場合は、ちょっと物足りない場合も。
 また、Jam Packシリーズは一様にそうですが、本来の楽器の出せる音域を越えて、低音から高音までくまなく音が入っています。楽器本来の音域を意識して使わないと、音が不自然になってしまう場合もありますが、それを逆手にとって、現実にはありえない楽器として使うのも面白いかも。例えば、ウードをうんと高音にしてみたら、エキゾチックなギターともハープともつかない音になって面白かった。
 楽器によっては、キーの高低で音色そのものが異なってマッピングされているものもあります。例えば、南アフリカのクワイアでは、高域は女声、低域は男声に振り分けられていますし、ガムランでは高域はガンサ、低域はレヨンゴングになっています。
 というわけで、全体的には「安価・使える・いじれる」と、三拍子揃った好印象。
 ループも、リアル音源に加えてソフト音源も多く、後者はピアノロールや楽譜表示を見れば、どういう楽器がどのような使われ方をして「それっぽさ」を出しているのか、目で確認することができるので、なかなか楽しいし参考にもなる。もちろん、違う楽器に演奏させることも可能。
 まあ、それでもぜいたくを言い出せばきりがないもので、例えばフィドルの音は、ちょいと擦弦感というかギコギコ感に乏しいのが物足りないし、ガムランもこれだと必要最低限でしかなく、例えばゴン・クビャールとドゥグンとグンデル・ワヤンとかの違いは出せない。
 楽器の種類も、これだけあってもまだまだ欲しいものはあるのが人の性で、例えば笛ものだと、アラブのナイやアルメニアのドゥドゥクやインドネシアのスリン、弦ものだとアラブのカーヌーンやミャンマーのサウンなんかが欲しい。アンクルンやジョゲッ・ブンブンやジェゴグやパッタラーといった、竹素材のマレットものも、何か一つ欲しかった。あと、日本の笙かタイのケーンも。
 まあ、そんな無い物ねだりはともかく、GarageBandやLogicのユーザーで、ワールド・ミュージック系のインストゥルメンツのコレクションを何か一つというんだったら、充分元を取れておつりもくる内容ですから、最初の購入物としてオススメです。
 で、せっかくなので、自分の手による使用例も一つ。
“Steppe” (MP3 file / 4.4MB)
 この曲で、Jam Pack World Music収録の音源のうち、パーカションのアフリカン・キット、アフリカン・マリンバ、ウード、チベットのシンギング・ボウル、カリンバ、ケルティック・ハープ、ティン・ホイッスル(登場順)を使っています。
 お暇とご興味がおありの方、よろしかったらお聴きください。

“Melpomen” by Conrad Steinmann

melpomen
 先日の『ポンペイの輝き』展にて、ミュージアム・ショップで購入。古代ギリシャの復元音楽です。いちおう展覧会の関連商品っぽい陳列の中にあったんですが、ポンペイでもローマでもなくてギリシャもの(笑)。
 古代ギリシャの復元音楽というと、このCDと同じハルモニア・ムンディ・レーベルから出ている、グレゴリオ・パニアグア(Gregorio Paniagua)の『古代ギリシャの音楽(Musique de la Grece Antique)』という名高い名盤があります。私も、古楽や民族音楽を聴き始めた頃に出会い、ドップリはまって愛聴していました。amazon.co.jpを見ると、日本盤は既に廃盤みたいですが、輸入盤だと今は900円そこそこで買えるんですな、あの名盤が。ビックリ(笑)。
 さてこの”Melpomen”、内容はというと、4人編成の小規模のアンサンブルで、アウロイという縦笛、バルビトスという竪琴、パーカッション類などの古代の復元楽器によるシンプルな演奏にのせて、アナクレオンやサッフォーといった古代ギリシャの詩人の詩を、澄んだ穏やかなソプラノで詠唱のように歌うというものです。一曲当たり1〜3分程度で、全21曲。
 歌も演奏も、たっぷりと間合いをとった隙間のあるもので、全体的な印象は極めて優雅。メロディーは概して憂いを帯びたような、少しもの悲しさが漂うものが多く、縦笛がペンタトニックのフレーズを素早く奏でる様などは、どこか邦楽にも通じる味わいがあります。パゾリーニが『王女メディア』で劇判に邦楽を使っており、それがミョーにはまっていたということがありましたが、ちょいとそれを思い出しました。
 古代ギリシャの音楽は現存しているものが極めて少ないらしく、前述のパニアグアのアルバムは、復元と同時に多くを新たに作曲したものでしたが、今回のコンラッド・ステインマンも同様らしく、リコンストラクションとコンポーズが共にクレジットされています。パニアグアのアルバムは、イントロからしてハッタリが効いており、全体的にもかなりムード演出が過剰になされていて、それがまたかっこよかったりしたんですが、このステインマンのアルバムは、それと比べるとだいぶ大人しめ。作家性や芸術性よりも、学究性が優先されているような、そんな印象。ケレン味はあまりありません。
 とはいえ、この大人しさも、これはこれでまた良きかな。古代というには、少し質感が滑らかすぎて荒い力強さには欠けますが、前述したように極めて優雅で美しいので、流しながらボーッと聴いていると、個人的にはかなり和めます。エキゾチックな味もあるので、例えば後期のDead Can Danceとか好きな人とかにもオススメできそう。
 40ページ近いブックレットが付いた、紙のアウターケース入り。解説は、仏語・英語・独語併記。歌詞は更にギリシャ語も併記されています。
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[amazonjs asin=”B00004TVG7″ locale=”JP” title=”Musique de la Grece Antique”]

展覧会『ポンペイの輝き』

 渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催されている『ポンペイの輝き』展に行って参りました。
 とにかく、キュレーションが興味深かった。
 展示内容を種類別に分けるのではなく、それが出土したエリア(建物)ごとに分けている。そして、そこから出土した品物や、型どりされた犠牲者の姿を展示すると同時に、解説文で、その地域(建物)がどういうもので、どんな人々が居住しており、どんな風に災害に巻き込まれて亡くなったのかを説明するという構成です。
 普通の美術展やコレクションの展覧会だと、主役は「芸術的あるいは考古学的に価値の高い」美術品や出土品になることが多いと思いますが、この展覧会の場合はこの構成法によって、「人々の生活そのもの」を展覧会の主役として見せることに成功しています。
 それは、例えば宝石細工師であったり、船倉庫で働く労働者であったり、裕福な解放奴隷であったり、幸せであったであろう一家であったり、つまり、歴史の表舞台に出るわけではないが、それでも確実にその時代に生きていた「市井の人々」です。そして、彼らが日常的に使っていた品物(装身具であるとか家具であるとか台所用品であるとか)を見ることによって、どういった暮らしをしていたかということに思いを馳せ、同時に災害時の状況の解説を読むことや、その遺体の型どりを見ることで、その死の様子にも触れることができる。
 つまり、会場を巡って展示品を見るという行為が、すなわち「そこにどういう人々が暮らし、いかに生き、そして、いかに死んだか」ということに触れるということになり、例えて言うならば、体感するドキュメンタリー番組といった味わいです。
 展示されている日用品の、現代のそれと変わりのない構造を見ると、同じ人間がそこに生活していたんだなと尚更に感じますし、壁画等で建物の一部を再現しているコーナーでは、本来であれば現地を訪れなければ触れることができない、その生活空間そのものの一端も垣間見ることができる。
 それと同時に、美しい細工の宝飾品に感嘆したり、大理石の彫像や色鮮やかな壁画といった、美術鑑賞的な面白さもあります。
 個人的には、ヘレニズム調ではないアルカイック調の彫像というのが、興味深かったですね。ああ、レトロブームみたいな流行って、2000年前にもあったのか、なんて面白く思ったり。あと、自分はここんところコンピュータ作画ばかりなので、2000年前に描かれた壁画の生々しい筆のタッチを見て、ああ、久しぶりにアナログで大きい絵も描いてみたいな、なんて思ったり。あ、あと、居酒屋の壁画というのも面白かった。二人の客が「俺の方が先に注文したんだ」と争っている続き絵で、まるで4コママンガみたい(笑)。そうそう、剣闘士の兜とか肩当て、脛当てなんかを見られたのも嬉しかった。
 ってなわけで、展示内容は見応えがあります。ただ、前述したように主役はあくまでも「人々」の方なので、それを意識せずに漫然と見てしまうと、似たような品々がエリアごとに繰り返し出てくることに退屈するかも。鑑賞者にも、受動的であるだけではなく能動的な想像力を要求する展示法ですが、ハマればすごく面白いはずです。
 そんなこんなで、かなり満足して会場を後にし、出口でカタログを購入。展示品には小さくてディテールが良く判らないものもあるし(ところどころにルーペは備えられているんですが、それでも限界あり)、テキストの重要性もあるので、後々にもじっくり楽しむためにも、私的には「買い」でした。
 展示品のレプリカを使った、キーホルダーやらマグネットといった小物などもあり、その中からデザインが気に入った「ブッラ」を模したキーホルダーを購入。あとは金貨のレプリカとか、定番の絵葉書や一筆箋、オリジナルのチョコレート、Tシャツ、スカーフなんかも売られていました。最近の展覧会は、昔と比べるとこういったオリジナル・グッズが充実してきているのは、何かと楽しいですね。
 隣のミュージアム・ショップでは、関連したポンペイやイタリア関係の書籍なんかも平積みになっていました。ただ、ポンペイ関係だけでは足りなかったのか、ギリシャものもけっこうあったけど(笑)。
 展覧会の後は、隣のカフェでお茶。ポンペイ展に併せたオリジナル・ケーキが二種類あったので、ケーキセットを注文。このセット、展覧会の半券があれば割引になりますので、喰ってみたいという方はなくさないように(笑)。