ベーゼとファック

 前回のエントリーで、今度出る予定のフランス語版マンガ単行本の、カバーイラストについて書きましたが、表紙廻りのレイアウト・チェックも無事に済み、数日前に、本文の校正用PDFデータが送られてきました。
 まあ校正ったって、こちとらフランス語はさっぱりなので、文字校をするわけじゃなく、作業としてはレイアウトの確認程度なんですが、それでもいちおう、読めないながらも全ページ目は通すわけです。

 そうしたら、気付いたことが一つ。
 このマンガでは、主人公が素っ裸で四つん這いになり、尻を振りながら繰り返し「ファック・ミー、サー!」と言わされる……ってなシーンがあるんですけど(これで、ファンの方ならどのマンガの仏語版が出るのか、お判りですね?)、このセリフがフランス語版だと、「ベーゼ・モア、シェフ!」になっている。
baisez-moi
 ……あれ? ベーゼ(baisez)って「キス」のことでしょ? 「熱きベーゼを云々」とか言うし(ま、ホントに言うかどうかは別として)。
 で、試しにbaisez-moiを、オンラインの仏英翻訳(因みにBabel Fishを使いました)にかけてみた。するとやっぱり、kiss meと出てくる。
 むむむ、こりゃちゃんと確認せにゃならんぞ……と思い、フランスに「ねえ、ひょっとしてXXページの『ファック・ミー、サー!』を『キス・ミー、サー!』に変えた? もしそうなら、どうして変えたの?」と、メールを出しました。

 すると、こんな返事が。
「あははは、それってフランス語を勉強している外国人が、よくやっちゃう間違いなんだよ。
 ”baiser”にはね、『キスする』って意味(すごく時代遅れな言い方だけどね)と、『ファックする』って意味の両方があって、文脈によって変わってくるんだ。
 僕たちは普通『キスする』ってときには、”embrasser”か”donner un baiser”を使う。
 で、”baiser”を単独で、しかも動詞として使うと、それはもっぱら『ファックする』って意味になるんだ。
 もちろん『ファックする』は、他にも色々な言い方があるけどね!;)」

 ひえ〜、ベーゼって、そーゆー意味だったんですか! もう、ビックラギョーテンでゴザイマス(笑)。
 しかし、使い方一つで、同じ単語がキスからファックに、意味が変わっちゃうなんて……フランス語、おそろしい子!(ベーゼつながりで、少女マンガ風に)
 というわけで、フランス人に「ねえ……キスしてよ」とねだるつもりで、うっかり「ベーゼ・モア!」とか言っちゃうと、キスをすっ飛ばされてファックされちゃうようなので、フランスにお出かけの皆様は、充分お気をつけあそばせ。
 ……ま、その方が手間が省けていい、なんて方もいらっしゃるかも知れませんけど(笑)。

写真撮影と『アイアンマン』とLarkin Grimmと『ラビナス』

 先日、イタリアの出版社の人と会って、自宅近郊のカフェでインタビューを受けました。日本語ペラペラの方なので、インタビュー自体は苦もなく終わったんですけど、問題は、その後の写真撮影。
 撮影の場所が、そのカフェの入っているビル内や、近くの路上だったんですが、人通りが多い場所の上に、カメラマンがガイジンさんだってのも悪目立ちするのか、道行く人にジロジロ見られる。
 いや、もともと写真を撮られるのには慣れていないけど(いつもシャッター降りる直前に、自分の軀が緊張でブルブル震えるのが判るんですよ)、地元で写真を撮られるのが、こんなに恥ずかしいとは……(笑)。
 この写真やインタビューは、来年イタリアで刊行される予定の、私のマンガ単行本と出版社のウェブサイトなんかに掲載される予定ですが、まぁ、過去の経験から言って、海外での出版は予定が遅れて当たり前なので、果たして日の目を浴びるのはいつになりますやら(笑)。

 海外出版の刊行の遅れというと、一昨年だったかに契約書にサインした、次のフランス語版単行本なんか、諸般のトラブルで遅れに遅れまして、もう半分諦めかけてたくらいなんですが、先日ようやく、翻訳が完了したので出版準備に入りたいという連絡がありました。
 で、急遽カバー画なんかを描くことになったんですが、この単行本の表紙廻りの打ち合わせをしたのは、もう去年の夏のこと。もともと整理整頓が苦手な私なので、ラフ画がファイルの奥底に埋もれてしまっていて、それを発掘するだけで一苦労(笑)。
 しかも、いざ発掘したら、それはラフではなく下絵段階まで進めていたものだった。というわけで、一年以上前に描いた下描きにペン入れをするという、前代未聞の体験をすることに(笑)。

 さて、件のイタリア人との打ち合わせの翌々日、今度は日本の一般誌の取材を受けました。
 で、またまた写真撮影があって、これまた場所が路上(笑)。まあ、今度は幸い人通りがあまりなかったし、シューティングの時間も短かったので、地元でもないので、前回ほどは恥ずかしくもなかった(笑)。
 こちらは、確か来月発売と伺ったので、また発売日前後になりましたら、改めてお知らせします。

 さて、そんなこんなで外出ついでに、映画『アイアンマン』を見ました。
 なかなか楽しい映画ではあったんですけど、それでも野暮を承知で、「そもそも『正義』とか『悪人』って、何よ?」とか、「自分が過去、無責任に製造販売していた兵器を叩き潰すといっても、そのためのアーマーを作る金が、そもそも軍需産業で儲けた金だってのがなぁ……」とか、どうしてもチラチラと頭をよぎってしまったなぁ。
 でも、ストーリーの進行と共に話のスケールがどんどん小さくなってってるのに、テンションはそれに反比例してグイグイあがっていくのは、何とも愉快で痛快でした。
 あと、思いのほかロバート・ダウニー・Jrがカッコよくて、「アンタ、ヒゲと筋肉がありゃ、何でもオッケーなのかい!」と、我ながら自分の節操のなさが可笑しくなったり(笑)。それと、ジェフ・ブリッジスとニック・ノルティとカート・ラッセルとパトリック・スウェイジが、皆さん歳をとったら見分けがつかなくなってきた……とか(笑)。

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 映画の後でレコ屋に寄ったところ、店内で流れていたCDが気に入ったので、購入しました。
 Larkin Grimmという女性の“Parplar”というアルバムで、昔のアシッド・フォークみたいな、サイケ寄りのトラッド・フォークみたいな、ちょっと不思議なねじれ感のある、アコースティックな歌ものです。
 家に帰ってから、ちょっと検索してみたら、最近は「フリー・フォーク」なんてゆージャンルがあるんですな。ぜんぜん知らんかった。ここんところPops & Rock関係には、すっかり疎くなっちゃってます。
 個人的には、ちょっとアメリカ南部のルーツ音楽っぽかったり、東欧っぽかったりするチューンが、特にお気に入り。声色を使い分けながら、エキセントリックになる直前で寸止めしてるみたいな、ヴォーカルのバランス感覚の良さも好みです。あと、ジャケットやブックレットに使われている、Lauren Beckという人の絵も、かなり好き。

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 そんなこんなで、これを聞いていたら、そのルーツ音楽がコンテンポラリー的にねじれているような感覚に、ジャンルはぜんぜん違うんだけど、Michael NymanとDamon Albarnがやった、映画『ラビナス』のサントラ
を思い出しました。
 いや〜、これ、大好きでしてね、一時期狂ったように聴きまくってました(笑)。
 因みに映画本編も、実は個人的に偏愛対象でして、観るといつも泣きそうになる。それも、満身創痍のガイ・ピアースが、穴から這いだして雪の中を彷徨うシーンと、ラストシーンの二回。
 ただし、これで泣くってのは、自分でもかなりヘンなツボを押されているせいだという自覚はありまして、間違っても「泣けるよ」とか「感動するよ」と、他人様にオススメはいたしません。ウチの相棒に言わせると「泣けるどころか、ぜんぜん面白くない映画」だそうだし。
 因みに、映画のテーマはカニバリズム。なのに、描き方とかは、カニバリズムに珍奇設定が加わって、まるで吸血鬼映画みたいなノリ。
 ……ま、有り体に言って「ヘンな映画」ではあります(笑)。でも、大好き。

“Pathfinder”

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“Pathfinder” (2007) Marcus Nispel
 アメリカ大陸に取り残されたバイキングの少年が、ネイティブ・アメリカンによって育てられ、やがて成長して侵略者であるバイキングと戦う……といった内容の、アクション・アドベンチャー映画。
 監督は『テキサス・チェーンソー』のマーカス・ニスペル、主演は『ロード・オブ・ザ・リング』でエオメルを演じていたカール・アーバン。
 元ネタは1987年のノルウェー映画『ホワイトウイザード』で、これはそのリメイク(とはいえ、舞台を変えているので翻案なのかな?)なんだそうですが、寡聞にしてオリジナルについては何も知らず。
 ただ、その年のアカデミー賞の外国語映画賞にノミネートされているし、IMDbや米アマゾンのレビューでも、概して評判はいいですね。

 コロンブスより600年前、バイキングは既にアメリカ大陸に到達していた。彼らは自分たちが入植するために、原住民であるネイティブ・アメリカンの皆殺しを企てたが、一人のバイキングの少年が、その残虐行為に絶えられず、罰を与えられた後、独り置き去りにされてしまう。
 少年は、ネイティブ・アメリカンの女性に保護され、彼女の息子として育てられ、やがて逞しい青年に成長した。しかし彼は、その皆とは異なる外見や出自によってゴーストと呼ばれ、部族と完全に同化することもできずにいた。
 そんなある日、再びバイキングの船がやってきた。ゴーストのの部族は皆殺しにされてしまう。辛うじて生き延びたゴーストは、交易相手だった隣村に辿り着くが、侵略者の魔の手はそこにも伸びようとしていた。
 そして、襲い来るバイキングの軍団対ゴーストの戦いが始まる……ってな内容です。

 発想としては、なかなか面白い。
 ただし、作品の作りとしては、あくまでもモノガタリの舞台背景に、歴史的なニュアンスを持ってきたというだけで、全体のノリは完全にヒロイック・ファンタジー。全体設定から歴史モノを期待してしまうと、まったく期待はずれに終わるので要注意。
 ヒロイック・ファンタジーとしては、ヴィジュアルがかなりいい線をいっているので、それだけでも充分楽しめます。DVDのジャケットからもお判りのように、完全に「実写版フランク・フラゼッタ」の趣。公式サイトを見ると、もっと良く判るかも。
 特に前半部、ゴーストとバイキングが森の中や水辺で戦うシーンなんて、絵面が見事なまでにフラゼッタフラゼッタしてます。フラゼッタ風という点では、シュワルツェネッガーの『コナン』はもとより、監督から「フラゼッタを意識した」との発言があった『300』よりも、更には本家の『ファイヤー・アンド・アイス』よりも、フラゼッタっぽい(笑)。

 ストーリーとしては、色々と伏線も使って、手堅くまとまってはいるんですが、ただ、設定の旨味は生かし切れていない。
 二つの文化的背景を持つ主人公が、自分のアイデンティティを確立していくというネタの方は、けっこうちゃんと描かれているんですが、異文化同士の衝突という点では、残念ながら完全に掘り下げ不足。ネイティブ・アメリカンは、無辜で無力で善良な民でしかないし、敵役のバイキングも、単純で記号的な純粋悪でしかない。別に、歴史的背景を使わなくても描けるじゃん、ってな内容ではあります。
 戦いとかも、盛りだくさんではあるんですが、設定から期待されるような「バイキング vs ネイティブ・アメリカン」といった集団戦は出てこない。ネイティブ・アメリカン側のほとんどは、もっぱら虐殺されて逃げ出すだけ。バイキングと戦うのは、主人公プラス数人だけなので、エピック的なスケール感はなく、あくまでも、アクション主体の内容。
 アクションものとしては、手を変え品を変え様々なアイデアが繰り出されるし、テンポも悪くないし、監督が監督なので残酷描写も手加減なしだし……と、けっこう楽しめる内容です。

 まあ、主人公が悩み多きキャラクターで、しかもさほど強者というわけでもないせいもあって、シンプルな爽快感には欠けるとか、その分、頭脳戦っぽい要素が入るんですが、これも、引っかかる方がマヌケっぽい感じだとか、悪役として魅力的なキャラクターがいないとか、ストーリー的なツッコミどころも色々あるとか、贅沢を言い出せばきりはないけど、世の中にはもっとヒドい映画が幾らでもあるし(笑)。
 映像的には、極端に彩度を落とした色調とか、黒みが多く深い陰影とか、多用されるスローモーションとか、ヴィジュアルにはこだわりを持って作られています。鎧兜のデザインなんかも、なかなかカッコいい。
 ただ、ムードはあるけれどケレン味はなく、様式美的な要素もさほどないので、個人的な趣味から言うと、もうちょいプラスアルファが欲しい感じ。
 また、監督のマーカス・ニスペルは、前に『デュカリオン』を見たときにも感じたんですけど、画面のムードはいいんだけど、演出がそれに流れすぎの感があり。『テキサス・チェーンソー』のときは、もうちょっとタイトだったような気がするんだけどな。

 主演のカール・アーバンは、フラゼッタの絵と比べると筋量は少ないですけど(笑)、それでもなかなか立派な裸身を、ふんだんに見せてくれます。基本的には、さほど好きな顔じゃないけれど、ヒゲ+長髪+ヨゴレ+腰布……といったトッピングの良さもあり、個人的には充分佳良。
 ヒロイン役のムーン・ブラッドグッドは、角度によっては、ちょっと青木さやかに見えたりもしましたが(笑)、スッキリとした凛々しさがあり、役柄にも合っていて佳良。
 他には、キャラクター的なものもあって、先導者(pathfinder)役のオジサン、主人公と行動を共にする笛吹きの男、主人公のライバル的な男なんかが印象に残ります。
 バイキングの方は、兜で顔の判別がほとんどつかないことや、キャラクターが立っていないこともあり、役者さんの印象は、ほぼゼロ。エンド・クレジットを見て、初めてTV版コナン役者のボディービルダー男優、ラルフ・モーラーが出ていたと知ったんですが、未だにどのバイキングだったのか判らない(笑)。

 DVDはアメリカ盤、リージョン1、スクィーズのワイド、音声は英語とスペイン語とフランス語、字幕は英語とスペイン語。
 オマケは、監督のオーディオ・コメンタリー、削除シーン、メイキング・クリップ数種、予告編数種。
 前回に引き続き、これも何だかそのうちDVDスルーで、日本盤が出そうですな。
 最後に、責め場情報。
 主人公のライバルのネイティブ・アメリカン戦士が、バイキングに捕らえられ、上半身裸の後ろ手縛りで、焚き火の上に逆さまに吊られて火あぶりにされるシーンあり。ここはけっこうヨロシイので、火あぶりフェチ(そんなヤツはいねぇよ、と思われるかもしれないけれど、いるんですよ、そういう人も!)なら、見て損はなし。
 もう一つ、長老が二本の立木の間に大の字に吊されて、馬裂きにかけられるシーンもありますが、着衣だし、決定的瞬間はフレームアウトしちゃうので、それほど面白みはなし。
 あと、映画のそこかしこで虐殺シーンがある内容なので、半裸の男が殺されたり、死体が吊されたりといったシーンは、ふんだんにあります。残酷ものオッケーだったら、そこいらへんは見応えがあるかも。

 おっと忘れてた、追記追記。
 少年が背中を鞭打たれるシーンもありました。裸の背中にCGIで鞭痕が刻まれていきますが、ミミズ腫れなんて生易しいもんじゃなく、まるで切り傷のような痕で、けっこう迫力あり。
“Pathfinder (Unrated Edition)” DVD (amazon.com)
【追記】『レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者』の邦題で日本盤DVD出ました。

レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者 [DVD] レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者 [DVD]
価格:¥ 1,490(税込)
発売日:2010-06-25
レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者 [Blu-ray] レジェンド・オブ・ウォーリアー 反逆の勇者 [Blu-ray]
価格:¥ 2,500(税込)
発売日:2010-07-02

“The Last Legion”

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“The Last Legion” (2007) Doug Lefler

 ここで書いたアイシュワリヤ・ラーイつながりで、こんな映画を。
 西ローマ帝国最後の少年皇帝ロムルス・アウグストゥスと、その護衛アウレリウスを主人公に、かつてユリウス・カエサルがローマに持ち帰ったとされる伝説の剣を巡って、大胆な発想で繰り広げられるスペクタクル・アドベンチャー。
 原作はヴァレリオ・マンフレディの『カエサルの魔剣』(未読)。

 五世紀後半、既に弱体化していた西ローマ帝国は、ついにゴート族によって滅ぼされてしまった。即位したばかりの少年皇帝ロムルスは、両親を殺され、家庭教師のアンブロシヌスと共に、カプリ島の城塞に幽閉される。
 ロムルスの護衛アウレリウスは、腹心の部下や、東ローマ帝国大使の護衛をしていた女剣士らと共に、少年皇帝の救出に向かう。一方、ロムルスとアンブロシヌスは、幽閉されている城塞の地下で、長らく行方不明だったカエサルの剣を見つける。
 救出作戦は無事成功するが、その時には事態が一変していた。西ローマ帝国の元老院はゴート族の征服者オドアケルに従い、東ローマ帝国の皇帝もロムルスを庇護しようとはしなかった。
 帰る国を喪ったロムルスとアウレリウス一行は、ブリタニア(イギリス)に残った最後のローマ軍団(last legion)を頼り、アルプスを越え海を渡る。そこは、家庭教師アンブロシヌスの故国でもあった。
 しかしブリタニアは、既にサクソン人の王ヴォルティガンの支配下にあり、更にロムルスの両親を殺したゴート族の戦士ウルフィラも、一行を追ってブリタニアに上陸する。
 果たして、少年皇帝ロムルスと、その仲間の運命は……? ってなお話しです。

 これは、いわば歴史の”if”を扱った内容で、発想はなかなか面白いです。
 ただ、DVDのパッケージに印刷されているキャッチコピーが、ヒントっつーか、もう、ほとんどネタバレに近い内容なので(笑)、かなり早い時点で結末の予想がついてしまい、驚きはなかったのが残念。作劇的にも、ちょいとミスリードに乏しくて、モノガタリが直線的すぎるきらいはあり。
 画面的には、制作がイタリアのディノ・デ・ラウレンティス・カンパニー(いつまでたっても元気ですねぇ)のせいもあってか、イタリアのシーンは佳良。ローマ市内には、まだかつての大帝国の残照が見られるけれど、郊外に出ると、滅びかけた斜陽の帝国のうら寂しさがあるとか、そういった対比は、時代の雰囲気を良く醸し出しています。
 ただ、舞台がブリタニアに移ってからは、セット等がいささか安っぽい。美術やCGI、物量や全体のスケール感も、昨今の劇場公開された大作史劇と比較すると、正直かなり見劣りがします。それでも、比較対象をTV映画やB級映画にすれば、まあ上出来だと思いますけど。

 全体の演出は、テンポは良いんですが、溜めや味わいには乏しい。けっこう盛りだくさんな内容のわりには、尺が一時間半強とコンパクトなので、話がぱっぱかぱっぱか進みすぎるという気も。アイデアが面白い分、もう少しじっくり腰を据えて見せて欲しかった。
 キャラクターは、けっこう良く立っているし、役者さんもいいところを揃えているんですが、ちょいと類型的過ぎるので、内面のドラマにまでは至らないのは残念。クライマックスの攻城戦も、展開は面白いはずなのに、心情的にもアクション的にも盛り上がりに乏しいのが残念。
 というわけで、演出の凡庸さを、ストーリー自体の面白さ(おそらく原作の力なんでしょうけど)で、ギリギリ持ちこたえている、という印象。まあ、重厚なエピックとかではなく、気軽に軽く見られるアクション・アドベンチャーとしては、そこそこ楽しめるんだけど、このネタだったら、もっといくらでも面白くも、感動的にも作れるだろうに、何だか勿体ない感じはします。
 そんなこんなで、全体の感触としては、かつてのイタリア製ソード&サンダル映画に近い味わいもありました。こうなると、裸のマッチョが出てこないのが残念だなぁ(笑)。

 役者は、護衛兵アウレリウス役に、コリン・ファース。個人的に、いつも印象が薄いお方なんですが、今回もしかり。別に悪くはないんですけど、こういう役だったら、もっと愚直で硬派な男の色気が欲しい。
 少年皇帝ロムルスに、トーマス・サングスター。どっかで見た顔だと思ったら、『ナニー・マクフィーの魔法のステッキ』の少年だった。『トリスタンとイゾルデ』にも出てたんですな。これまた、可もなく不可もなし。
 紅一点の女剣士ミラに、天下の美女アイシュワリヤ・ラーイ。インド映画以外で彼女を見るのは、これで二作目。カット割りに助けられてか、アクション・シーンは”Jodhaa Akbar”のときよりも良かったけど、お尻が大きいせいもあって、動きがが重く見える。美貌以外の美点はほとんど出ておらず、正直、別に彼女じゃなくてもいい役だった(笑)。
 物語の鍵を握る老家庭教師アンブロシヌスに、ベン・キングズレー。髪型や衣装に加えて、杖を振るってのアクション・シーンもあるので、『ロード・オブ・ザ・リング』のイアン・マッケランにそっくり(笑)。
 他には、敵役のゴート族の戦士に、『ROME』や『キングダム・オブ・ヘブン』のケヴィン・マクキッド、同じくゴート族の戦士に、『トロイ』や『仮面の真実』でステキなオジイチャンぶりを見せてくれて、個人的にホの字になったジェームズ・コスモ、東ローマ帝国大使に、『キングダム・オブ・ヘブン』や『ガーディアン ハンニバル戦記』のアレクサンダー・シディグ、西ローマ帝国の元老院議員に、『ハムナプトラ』シリーズのジョン・ハナー……などなど、脇役は、最近のコスチュームものの映画で、けっこう印象深かった面子が揃っており、個人的にはお得感アリ。
 残念だったのは、怪力の黒人とお調子者の青年という、アウレリウスの部下コンビで、それぞれノンソー・アノジーとルパート・フレンドという人が演じているんですが、キャラクター的な立ち位置はオイシイのに、描写が浅く、役者も造形的な意味で余り印象に残らないところ。ここいらへんで「んっ?」と気になるような肉体派男優を出してくれれば、偏愛度がもっとアップするのに(笑)。

 DVDはアメリカ盤、リージョン1。スクィーズのワイド。音声は英語、字幕は英語とスペイン語。
 オマケは、監督のオーディオ・コメンタリー、削除シーン、メイキング、スタントマンたちによる殺陣の振り付け風景、ストーリーボードと完成画面の比較、予告編。
 ま、これはそのうちDVDスルーで、日本でも出そうな気はします。
 いちおう、責め場関係の情報も(笑)。
 処刑されたローマ人兵士が、城壁に吊されている場面と、ベン・キングズレーが両手縛りで断崖絶壁の上に吊されるシーンあり。どっちもわざわざ、それ目当てに見るほどのもんじゃないです(笑)。
“The Last Legion” DVD (amazon.com)

ちょっと宣伝、『ポチ(後編)』掲載です

Pochi02 スーツ系マンガ『ポチ(後編)』、21日発売の「バディ」12月号に掲載です。ページ数は前編と同じく16ページ。
 前編はアフターファイブのカラオケボックスの中での出来事でしたが、後編はいよいよ勤務時間中のオフィスでのプレイ。
 プレイと書いたように、後編は、SM度がアップ。とはいえ、縛りや責めではなく、羞恥アンド命令系。「年下に命令されるたり、格下扱いされるのが好き!」というM傾向の方には、特にオススメかも(笑)。
 さて、とりあえず『ポチ』は、今回でおしまいですが、ページ数の関係で入りきらなかったネタや展開があるので、もうちょっと描いてみたい感じもします。とりあえず。「バディ」来月号からは、予定通り『童地獄(わっぱじごく)』続編の『父子地獄(おやこじごく)』をスタートさせますが、ひょっとしたら『ポチ』の続編も、いつか描くこともあるかも?
 というわけで、よろしかったらお読みくださいませ。
 Badi (バディ) 2008年 12月号 [雑誌](amazon.co.jp)

“Jodhaa Akbar”

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“Jodhaa Akbar” (2008) Ashutosh Gowariker

 またまたインド映画です。
 16世紀のムガール帝国の第三代皇帝、ジャラールッディーン・ムハンマド・アクバルの、若き日の愛と戦いを描いた一大スペクタクル史劇。監督は、『ラガーン』のアシュトーシュ・ゴーワリケール。

 若くして即位したジャラールッディーンは、重臣の傀儡的な存在として周囲の王国を征服していくが、やがて長じて実権を取り戻し、政略結婚としてラージプートの王族の姫、ジョダーを娶ることになる。
 しかし、ムスリム(イスラム教徒)のジャラールッディーンに対して、ヒンドゥー教徒ジョダーは、婚姻にあたって、「改宗を要求しないこと」と「王宮内にヒンドゥー教の祭壇を作ること」という、二つの条件を出す。ジョダーの父王を含めて、周囲はその条件に動揺するが、ジャラールッディーンはそれを受け入れる。
 こうしてジョダーは、王妃としてアーグラー・フォートの王宮に入るが、夫となったジャラールッディーンには、まだ心を開いていなかった。また王宮には、ヒンドゥー教の王妃を快く思わない勢力や、税金を横領する悪徳一味などもいた。
 やがて、ジャラールッディーンとジョダーは、次第に互いに心を開いていくが、ジャラールッディーンの乳母は、王を息子のように愛するあまり、その間に入り込んだ王妃を快く思わず、何とか二人の仲を裂いて王妃を追放しようと画策する。いっぽう砦の外では、ジャラールッディーンの義弟が兄の地位を狙い、ジョダーの幼なじみの従兄も巻き込んで謀略を巡らす。
 果たして、ジャラールッディーンとジョダーの運命やいかに?

 ってのが、おおまかな内容です。
 いちおう歴史劇の形をとっていますが、監督のインタビューなどを聞いていると、実のところはフィクションの要素も多いようです。特に、王妃ジョダーに関しては、映画に描かれている姿は、かなり民間伝承的なものらしい。
 また、叙事のスタイルも、歴史を俯瞰するタイプではなく、メインのフォーカスはジャラールッディーンとジョダーのロマンスに置かれている。そういう意味では、ハリウッド史劇で例えると、ジョセフ・L・マンキウィッツの『クレオパトラ』とか、キング・ヴィダーの『ソロモンとシバの女王』なんかに感触が近い。
 ただ、それら二つがいずれも、ロマンスの部分と歴史的叙事の部分に乖離を見せていたのに対して、この”Jodhaa Akbar”では、ヒーローとヒロインの関係性の変化が、そのまま政治的なパワーゲームに反映されていくという構造なので、作劇としてはより自然で楽しめるものになっています。
 まあ、モノガタリとしては、すこぶるつきで面白い。ジョダーと従兄の仄かな恋とか、ジャラールッディーンの人知れぬ悩みとか、乳母の盲愛とか、権力欲と金銭欲に駆られた悪役どもとか、様々な要素と様々なキャラクターが絡み合い、一度見始めたら先が気になって止まらない系の大河ドラマになっています。
 エピソードや見せ場も、一大戦闘シーンもあれば決闘もあり、華麗な歌舞もあればドロドロした女の戦いもあり、スペクタクル史劇とミュージカル映画とロマンス映画と昼メロがゴチャマゼになったような、インド映画ならではのテンコモリの娯楽要素が、めいっぱい楽しめます。
 加えて、テーマとなっている宗教の違いを超えた人々の和合というものは、インド国内の問題はもちろんのこと、今日の世界全体が抱えている命題の一つでもあるので、そういった同時代性のある制作姿勢にも好感度は大。

 画面の物量とスケール感は、とにかく圧倒されるの一言。
 出てくる宮殿や砦の数々、モブシーンの人の多さ、衣装やインテリアで見られる極彩色の色彩美、何から何まで、ひたすらゴージャスで贅沢。まあ、どのくらいスゴいかというのは、例によって公式サイトをご覧あれ(笑)。
 中でも特筆したいのは、ジャラールッディーンがそれまでの征服者としてだけではなく、統治者としても民衆から受け入れられ、「アクバル(偉大なる)」の尊称を送られ、人々から讃えられる、”Azeem-O-Shaan Shahenshah”という超弩級の一大群舞。ここは本当にスゴい! イマドキのハリウッド映画では全く見られなくなった、ハレの祝祭空間としての一大スペクタクルが、8分以上に渡って、これでもかこれでもかと繰り広げられます。
 いや〜、前に『ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女』のときにも書きましたが、今回のこれは、マンキウィッツ版『クレオパトラ』のローマ入場シーン以来の満足感。見ていて、感激で涙が出ちゃいました(笑)。自宅のテレビで見てこれなんだから、もし劇場で見ていたら失禁していたかも(笑)。
 ロマンティックなシーンも、総じて良い出来。ウットリさせるという点では、文句なしの美しさ。例によって、キスシーンすらないんですが、二人が初めて真の夫婦となった場面での、詩的な歌詞のミュージカル・シーンなんか、下手なベッドシーンなんかよりよっぽどステキです。
 一方、戦闘シーンなんかは、正直あまり良い出来ではないです。
 物量は充分だし、CGIもそこそここなれているんですが、演出が近年のハリウッド製スペクタクル的な類型でしかなく、しかも決して上手くはない。一対一の剣戟も、殺陣が悪いのかカット割りが悪いのか、迫力にも緊張感にも欠けて、どうにもさまにならない。
 風景のスケール感とか、たっぷり引きのある構図を埋め尽くすモブとか、戦象の大群とか、鎧兜の美しいデザインとか、魅力的な要素はテンコモリなのに、この演出の締まらなさは、何とも惜しい限り。ただ、戦闘シーンで「大砲に装填された砲弾の一人称カメラ」ってのが出てきまして、ここだけは往年のダリオ・アルジェントの発想みたいで、ちょっと愉快でした(笑)。

 役者は、ジャラールッディーン王役にリティック・ローシャン。我が家では、先日『アルターフ 復讐の名のもとに』を見て以来、「鼻」というニックネームで親しまれていますが(笑)、今回は口ヒゲ付きということもあって、私としては充分にカッコよく感じられました(笑)。
 演技の方も、大帝国の皇帝らしい力強い威厳と、恋する青年的なナイーブな側面を、共に良く好演していて二重丸。エピックのヒーローとしては、文句なしのキャラクターを見せてくれます。身体一つで象と闘うシーンでは、ノリが完全にソード&サンダル映画と同じだったのも、個人的には嬉しかった(笑)。
 あと、この方、かなりのマッチョなんですが、今回は心を開かない妻の気を惹くために、わざわざ妻の部屋の前で上半身裸になって剣技(……なんですけど、やってることはボディービルのポージングみたいなもん)をするという、男心が可愛らしいシーンがあります(笑)。ここは、男の肉体美の見せ場として、マッチョ好きなら見て損はなし。もう一人、ジャラールッディーンの義弟役の男優さんも、かなりのマッチョ。入浴シーンで、目が釘付けになりました(笑)。
 ヒロインのジョダーは、アイシュワリヤ・ラーイ。”Devdas”で、その美貌の虜になって以来、私も相棒も大ファンの女優さん。相変わらずお美しいけれど、ちょっとお腹のあたりに、お肉がついたかな?
 演技的には、美しさ以外の見所は、あまりなかったような。剣戟もあるんだけれど、前述したように、この映画のアクション・シーンは、全般的にあまり良くないので……。ただ、キャラクターとしては良く立っていて、王様との恋路を応援して、幸せになって欲しいと願う気持ちには、充分させてくれます。
 クレジットでアイシュワリヤ・ラーイ・バッチャンとなっていたので、「おや、結婚したの?」とビックリしたんですが、調べてみたらアミターブ・バッチャンの息子と結婚したんですね。
 アイシュワリヤ・ラーイといえば、去年フランスに行ったとき、飛行機の中で彼女が主演している”The Mistress of Spices”という、ラッセ・ハルストレムの『ショコラ』のスパイス版みたいな映画を見まして、これは英米合作映画だし、ひょっとしたら単館上映とかがあるかも……と、期待してたんですけど、けっきょく公開もソフト化もされずじまいみたい。残念!
 音楽は、A・R・ラフマーン。前述の”Azeem-O-Shaan Shahenshah”を筆頭に、歌曲では相変わらず良い仕事をしています。変わったところでは、カッワーリのヒンディー・ポップ版といった趣の曲(映像では旋回舞踏も出てきます)なんかもあり。
 劇伴の方は、壮大なストリングスや混声コーラスに、ブラスや打楽器のアクセントといった、ハリウッド史劇のパターンと同じタイプで、民族性は意外なほど薄い。まあ、可もなく不可もなしといったところですが、ハリウッド製の方がよほどエキゾチックだというのは、ちょっと面白いですな。

 DVDはNTSC、リージョン・コードはフリー。本編ディスク2枚と特典ディスク1枚の3枚組。
 特典の内容は、監督やスタッフ、キャストなどのインタビュー、削除シーン、予告編、PR映像各種、テキストによる時代背景の解説など。削除シーンで見られる、野に住む賢者のエピソードが、いかにも民間伝承っぽくて面白かった。これ、インド人にはお馴染みの話なのかな?
 ただ、ソフトとしては大きな難点が、一つあります。パッケージはとっても豪華でキレイなんだけど、肝心の中身が……。新作映画のソフトで、シネスコ画面をいまどき非スクィーズで収録って……。画質そのものは決して悪くはないんだけど、解像度が足りないのは何ともしがたい。
 ま、インド映画のDVDでは、こーゆー難点は今に始まったことじゃないけど(笑)。

【追記】後に出たBlu-rayは、前述のDVDに対する不満も全くなく、文句なしの高画質でした。

“Saawariya”

saawariya_dvd
“Saawariya” (2007) Sanjay Leela Bhansali

 前回に引き続き、今回もインド映画です。
 2002年の”Devdas”で度肝を抜かれ、後追いで99年の『ミモラ 心のままに』を見て、「うむ、これもなかなか……」と感心させられた後、以来、個人的に「注目すべき映画監督の一人」として、頭に名前がインプットされた、サンジャイ・リーラ・バンサーリーの待望の新作。
 モノガタリのベースになっているのは、ドフトエフスキーの『白夜』。
 未読だし、57年のルキノ・ヴィスコンティ版や71年のロベール・ブレッソン版も未見なんですが、いい機会なので、小説は今回読んでみました。そこいらへんに絡めた感想は、最後にまとめて後述します。

【追記】後にヴィスコンティ版を鑑賞したところ、そこからの引用があることが判明。

 舞台は、いつともいずことも知れぬ、時代も場所も定かではない、幻想的な夜の街。
 この架空の街には、ヴェネツィアのようなゴンドラが浮かぶ運河が流れ、モスク、巨大な仏頭、ロンドンのビッグ・ベンのような時計塔、パリにあるような凱旋門、電飾を施されたナイトクラブなどが立ち並び、遠くには煙を噴き上げて蒸気機関車が走る。看板や壁のラクガキに書かれているのは、ヒンディー(デーヴァナガリー文字)だったり、ウルドゥー(アラビア文字)だったり、英語(アルファベット)だったり。
 主人公の青年ラジは、ナイトクラブの歌手として働くために、この街へやってきた異邦人で、未来を信じる無邪気さと、天使のような善良さを持った好青年。その性格は、街頭に立つ娼婦たちの心を捕らえ、孤独な人間嫌いの老婆の心も解きほぐす。
 そんなラジは、雨でもないのに雨傘をさして橋の上に佇む、サキーナという美しい娘と出会う。ラジはサキーナに恋をし、サキーナもラジを友人として受け入れるのだが、実は彼女にはイマーンという恋人がいた。イマーンは、今はこの街を離れているが、サキーナは橋の上でその帰りを待ち続けていたのだ。
 サキーナを諦めきれないラジは、彼女に、イマーンのことはもう忘れて、彼を待つのをやめて自分と一緒になろう、と迫るのだが……。

 ってなストーリーが、幻想的な極上の映像美で綴られていきます。
 まあ、とにかく、その映像美が素晴らしい!
 ロケはいっさいなく、全てがセット撮影で、しかも全てが夜のシーンなんですが、青を基調としたその映像は、最初から最後までひたすら美しいの一言!
 バンサーリー監督は、既に”Devdas”で、トラディショナルなインド文化の美を、この上もなく豪奢で華麗にして、その美しさの極限のような映像美を見せてくれています。次の”Black”(2005)では、”Devdas”とはうって変わって、イギリスを舞台にした、クラシカルではあるもののシンプルでヨーロッパ的なものを、光と影やシンメトリカルな構図を使って、やはり極めて美しく描き出していました。
 そして、今回の”Saawariya”では、今度は自然主義に背を向けて、徹底的な人工美の世界を見せてくれるます。
 まあ、論より証拠、公式サイトで予告編を見てください。見りゃ判りますから(笑)。ホント目の御馳走、美のシャワーを浴びながらの、目眩く2時間22分。
 美術だけではなく、その演出にも目を奪われます。特に、カメラワークの素晴らしさ! ハッタリやインパクトのためではなく、しっかりとした目的を持って滑らかに、しかも美しく動き回るカメラからは、この監督の映像表現における手腕の確かさが、改めて感じられました。
 エモーションの描出などに関しては、これは”Black”のときもそうでしたが、いささか感傷的でベタな部分があります。個人的には、この監督のそれは、マイナス点ではなくオーセンティックな美点だと思っていますが、嫌いな人は嫌いでしょうね。

 ストーリーの方は、原案となっているドフトエフスキーの小説と、基本的な流れは一緒で、結末もテーマも同じです。
 モノガタリの表層だけを見れば、失恋を描いた一種のメロドラマのようなものなんですが、そこで扱われているテーマは、そういったジャンル・フィクションから予想されるような、予定調和的なものではない。恋愛をテーマにしながらも、その主眼となるのは、喜びや涙といった感情のドラマや、成就や破局といった結果のカタルシスではなく、それらの中から浮かびあがる「本質」について、受け手に向けて問いかけることにあります。
 バンサーリ監督は、『ミモラ』でも”Devdas”でも”Black”でも、同様に複雑な愛の諸相を描き、愛の本質に迫ろうとしていましたが、”Saawariya”も基本的には同様です。ただし、『ミモラ』で描かれた愛ゆえの葛藤劇や、”Devdas”の古典的な悲劇、”Black”のプラトニックな絆としての愛と比べると、”Saawariya”の瞬間的な法悦としての愛(詳しくはネタバレになるので、後ほど原作との比較を交えて詳述します)は、いささか共感や理解が難しい側面があります。
 舞台やモノガタリの背景から、現実感を完全に排除していることは、根本となる観念的なテーマを、より普遍的な寓意に昇華している効果がありますが、そのことによって、逆にリアリティを感じることができず、感情的な共感はしにくくなるというマイナス面もあります。個人的には、手法とテーマの見事な合致だと感銘を受けましたが、逆に苦手な方もいらっしゃりそうではあります。

 映画”Saawariya”は、決して難解というわけではないのですが、かといって、万人受けする娯楽作品でもありません。インド国内では興行的に失敗したらしいですが、インドの大衆娯楽映画の特徴である、予定調和的なカタルシスとは全く無縁の作品ですから、これは無理もないでしょう。
 バンサーリ監督は、前作”Black”で、歌と踊りというインド映画的なスタイルを完全に排除して、インド映画という枠組みそのものを越境しようとする姿を見せました。今回の”Saawariya”は、再び歌と踊りを交えて、様式としては再度インド映画に回帰しているように見えます。
 しかし、”Black”のストーリーやテーマは、『奇跡の人』で知られるヘレン・ケラーの物語をベースに、それを膨らませたエモーショナルな感動ドラマと言えるものだったのに対して、”Saawariya”の観念的テーマやモチーフは、実は”Black”以上に非インド映画的だとも言えます。
 こういったことから、”Saawariya”は、バンサーリ監督がインド映画にこだわりつつ、同時にそれを越境しようとた野心作と言って良いでしょう。同時に、過去の作品と共通するテーマ性や、確固たる映像スタイルなどからは、はっきりとした作家性も伺われる。インド映画ファンのみならず、広く映画好きには注目されてしかるべき才能を持った監督です。
 こうして、私にとってバンサーリ監督は、今後ますます目を離せない監督になりました。インド国内での”Saawariya”の興行的失敗が、その作家性をスポイルしてしまわないことを、切に願います。
 同時に、その作品が日本でも、公開やソフト化されますように! 普通に見られるのが『ミモラ』一本だけという、余りに残念な現状なので……。

 役者さんに関しては、まず主演のランビール・カプールですが、決して好きな顔立ちではないですけれど、天使的な側面を持ち合わせた無邪気でナイーブな青年を、好演しています。因みに顔は、相棒との間では、髪型などのせいもあり、「(ポール・マッカートニー+ジョン・レノン)÷2+ガラムマサラ」ということで一致しました(笑)。
 また、引き締まったダンサー体型を、惜しげもなく露わにして、全裸にバスタオル一枚で歌い踊る姿(メイキングを見ると、実はちゃんとパンツをはいているですけど、画面上では完全に素っ裸に見えます)は、メイル・エロティシズム的にも見逃せません。実に美しかった(笑)。
 ヒロインのソナム・カプールは、とにかく大きな目が印象的。演技的には、インド映画の女優の定型的なそれを、きちんとこなしているだけといった感じで、それ以上は何とも言えない感じではあるんですけれど、美しさと存在感は充分で、初々しい魅力もあります。
 娼婦役のラーニー・ムケルジー、イマーン役のサルマン・カーンは、いわば大物俳優のゲスト出演といったところで、少ない出番ながらも存在感は充分。個人的にラーニー・ムケルジーは、”Nayak”と”Black”で好印象だったので、この出演は嬉しい限り。サルマン・カーンは……「インド映画の二枚目の顔は苦手」という、私の法則通りなんで……(笑)。身体はけっこう好きだけど、今回は脱がないし(笑)。
 印象深いのは、老女リリアン役のゾーラー・セヘガル。95歳の現役女優というだけでビックリなんですが、ラジにリリポップと呼ばれてから後の愛らしさが、もう実にステキでした。オバアチャン好きなら必見。

 ミュージカル・シーンに関しては、これは意外なほど印象に薄い。
 もちろん、前編に渡って美麗な映画なので、ミュージカル・シーンも当然美麗なんですが、「これぞ!」というポイントには乏しい感じ。というか、何でもないフツーのシーンまでが実に美しいので、ミュージカル・シーンの印象が、その中に埋もれてしまうといった感じ。
 とりあえず、前述したメイル・ヌードのエロティシズムもあって、”Jab Se Tere Naina”はお気に入り。群舞好きの私としては、モスクで踊る”Yoon Shabnami”も好きではあるんですが、見ているだけで至高の多幸感に満たされた”Devdas”の”Dola Re Dola”(音楽と映像の融合という意味で、個人的に映画史に残ると思っているシーンです)には、正直遥かに及ばないのは残念でした。
 音楽のみに限って言えば、主題歌の”Saawariya”は、コブシまわし意外にはインドらしさはほとんどない、フォーク・ロック調の曲なんですが、ポップでキャッチーなメロディーの佳曲。歌以外の劇伴も、画面同様に極めて美しく、ロマンティックかつ幻想的で素晴らしい。
 ただ、これはDVDソフトとしてのマイナス・ポイントなんですが、歌詞の英語字幕が、最初の”Saawariya”以外は、いっさい出ないんですな。歌詞にもしっかりと意味があるインド映画で、これは欠陥としか言いようがない。

【追記】後にBlu-rayで再購入したところ、こちらはちゃんと歌詞の英語字幕が出たので一安心。

 購入したDVDはPAL、リージョンコードは5。スクィーズのワイド収録。
 インド映画のDVDって、正規盤でもジャケットだけが豪華で、肝心の本編は画質が悪いことも多いんですけど、これは流石にSony/Columbia映画だけあって、DVDもSONY Pictures Entertainment India盤なので、画質は極めて美麗。Blu-rayディスクも発売されただけのことはあります。
 オマケはメイキング、プレミア・ナイトの映像、未使用シーン、予告編。

 では、最後にまとめて、ドフトエフスキーの『白夜』との比較も交えた、ヤヤコシイ感想をあれこれ。
 ネタバレも含みますので、お嫌な方は読まれないように。

 映画”Saawariya”でも小説『白夜』でも、最終的に主人公の恋は破れます。主人公は、モノガタリの終盤になって、ようやくヒロインの心を自分に向けさせることに成功し、ヒロインも帰らぬ恋人を待つことはやめ、主人公と一緒になろうと決心するんですが。その刹那、恋人の帰還によって、一瞬だけ成就した恋は、脆くも崩れ去る。
 しかし、モノガタリの本質、その着地点は、壊れた恋による「涙」や、喪失の切なさといった、感傷的なロマンティシズムではない。小説『白夜』(小沼文彦・訳、角川文庫版)は、下記のエピグラフで始まり、下記の独白で締めくくられます。

「それとも彼は、たとえ一瞬なりともそなたの胸に寄り添うために、この世に送られた人なのであろうか?」 トゥルゲーネフ

ああ! 至上の法悦の完全なひととき! 人間の長い一生にくらべてすら、それは決して不足のない一瞬ではないか?

 ここで見られる、たとえ最終的には破れた恋(或いは愛)ではあっても、ほんのひとときでもそれが成就した瞬間があったのなら、それは至福ではないかと問いかけが、映画”Saawariya”のテーマでもあります。
 だからこそ主人公ラジは、サキーナが去った後、映画の前半でラジがサキーナに、「『アンハッピー』と戦って打ち負かせ」と言って、ボクシングの真似をして見せたのと同じ場所で、ひとりボクシングのポーズをとって、微笑みを浮かべて去っていく。そしてラジ自身も、前述した『白夜』の巻頭言のように、天使的な存在として世界(=この架空の街)に出現し、映画オリジナルの登場人物である、老婆リリポップや娼婦たちに、ひとときの至福の瞬間を与えていく。
 この様に同じテーマを扱いつつも、それと同時に、小説から映画へのトリートメントとして、必要とされるであろう様々な変更も、そこかしこできちんと見られます。
 例えば、メイン・キャラクターの性格は、『白夜』(「私」とナースチェンカ)ではかなり特異なもので、小説世界ならいいんですが、現実に身近にいたら、イタい人認定されて周囲から引かれまくること間違いなしなんですが(笑)、”Saawariya”のラジとサキーナは、そこまでエキセントリックではない。二人の関係が近付いていく様子も、『白夜』よりは自然なプロセスを踏んで描かれます。
 また、ヒロインが、最終的に主人公ではなく、戻ってきた恋人を選ぶ場面でも、『白夜』では言葉もなく去ってしまい、その後、ナースチェンカから届いた手紙を読む「私」の場面で締めくくられますが、”Saawariya”では、別れの場面に延々と葛藤のシーンを挿入することで、エモーショナルなクライマックスを描出し、手紙云々のくだりは省かれる。
 映像言語的にも、『白夜』のナースチェンカには、彼女を溺愛する盲目の祖母がいて、その祖母は、孫娘が勝手にどこかにいってしまわないよう、自分の衣と孫娘の衣をピンで止めているという、印象深いエピソードがありますが、”Saawariya”では、同じエピソードを用いつつ、更にそれを、サキーナとイマーンの間の恋愛感情の芽生えと発展を示す、図像的な表現へと展開して見せる。
 あるいは、もっと些末なことで、『白夜』ではオペラだった要素を、”Saawariya”ではクラシック・インド映画に、それぞれ「歌(と音楽)」という共通要素を介して置き換えている。つまり、原作における文化的背景を、監督自身の属する文化のそれに、きちんとアダプテーションして描いているわけです。
 映画と小説という二つのメディアの、マーケットや特性の違いという点でも、また、この監督が『白夜』を元にした映画を作るにあたって、原典の精神を生かすと同時に、いかに自分自身の作家性を盛り込んだかという点でも、文芸小説の映画化として、実に見事な成果と言って良いと思います。

“The Legend of Bhagat Singh”

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“The Legend of Bhagat Singh” (2002) Rajkumar Santoshi
 20世紀初頭、インド独立運動のために戦った伝説的な闘士、バガット・シンの生涯を描いたインド映画です。
 この、バガット・シンという人物、米Wikipediaによれば、インド独立運動にあたって最も重要な役割を果たした人物の一人とのことですが、正直私は、この映画を見るまで、その名前を聞いたことすらありませんでした。1907年生まれ、1931年没で、アナーキズムと社会主義思想の元に、独立のため武力闘争を繰り広げた人物らしいです。
 映画は、バガット・シンが少年時代に英国軍による暴虐を目にしたことや、大学の学友との交流を通じて、次第にインドの独立運動に身を投じていく様子が描かれます。
 その合間合間に、いかにもインドの娯楽映画らしく、家族愛や婚約者とのロマンスなども描かれますが、基本的には、硬派な社会派歴史映画といった感じ。
 バガット・シンは、独立のためには武力も辞さないという思想の持ち主なので、当然のように非暴力を唱え続けたマハトマ・ガンジーとは相剋もあり、映画ではそういった要素も描かれます。
 その中には、英雄視されているバガット・シンが捕らえられ、最終的に処刑される際に、ガンジーなら止めることができたはずなのに、そうしなかったと非難するような描写もあり、これは、ガンジーといえば民衆からは聖人のように受け止められているとばかり思っていた自分には、けっこう新鮮な驚きでした。
 映画の内容が内容のため、英語字幕の鑑賞だと内容把握のハードルも高く、自分でもかなり情報を掴み損ねているとは思うんですが、全体的にバガット・シンは、あくまでも悲劇の英雄として描かれ、その武力行使の是非について問うような要素は、あまり見られなかったように思えます。
 映画から受けるバガット・シンのイメージは、何となくマイケル・コリンズと通じるものがあり、映画全体のイメージも、ニール・ジョーダン監督の『マイケル・コリンズ』を、パワーゲームの要素や善悪の観点を、もうちょっと大衆娯楽的にシンプルにしたような感じがしました。
 特に、善悪の描写に関しては、イギリス側の暴虐などが、誤解を恐れずに言えば「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」的な、いわゆる絵に描いたような絶対悪なので、ここはいささかシンプルに過ぎるような気はしました。講談小説とかならともかく、20世紀以降を舞台にした歴史映画としては、ちょいと視点が偏りすぎのきらいがあります。
 ただ、大河ドラマ的な見所としては、ストーリー的な面白さも、物量的なスケール感もたっぷりあり、大いに楽しめる出来映えです。
 インド映画につきもののミュージカル・シーンも、それが劇中劇だったり抵抗運動歌として処理していたりと、話のシリアスさから浮きすぎないように(とはいえ、ヒーローとヒロインが風光明媚でロマンチックな場所で、互いに愛を歌いあい踊りあうといった、インド映画的な「お約束」シーンも、もちろんあるんですけどね)、上手い具合に配慮されている。今や大御所の感のある、A・R・ラフマーンの音楽も、いつもながら民族的な土臭さとキャッチーなポップさが上手く同居していて、聴きごたえあり。
 主演は、アジャイ・デーヴガン。
 前回の記事で、インド映画の主演男優の顔は、どうにも苦手なタイプが多いといったことを書きましたが、この人も例外にあらず(笑)。
 ただ、『ミモラ 心のままに』の時と比べると、今回はシーク教徒の役なので、つまりヒゲがある(笑)。特に前半は、フルフェイスのモジャモジャ。後半は口ヒゲだけになっちゃいますけど、個人的にヒゲは、フルフェイスで30点、ムスタッシュで10点アップという感じなので(笑)、割とカッコ良くは見えました(笑)。
 演技の方も、静かで内向的な役だった『ミモラ』のときとはうって変わって、思想的にも肉体的にもパワフルな悲劇のヒーロー像を、実に力強く演じていて、大いに説得力あり。
 ヒロインは、これまたインド映画の例に漏れず、実に美人なんですけど、役柄的な重要度が低いせいもあって、あまり印象には残らず。
 さて、実はこの映画、私的にはもう一つ、大いに見所がありまして。
 ま、ぶっちゃけ、毎度おなじみの「責め場」なんですけどね(笑)、その責め場が、質も量も実に充実している(笑)。
Bhagatsingh_01 まず、最初の見所は、少年時代のバガット・シンが、イギリス軍による民衆への暴虐を目撃するシーン。
 これ、パブリックな場でのフロッギングなんですな。村の広場で、幾人ものインド人男性が、かたやウィッピング・ポストに縛られ、かたや地面を這わされながら、ビシバシ鞭打たれている。
 縛られている方は、上半身裸で尻も丸出し、這わされている方も、上半身裸で足蹴にされながら鞭に追い立てられ、そして周囲にも、刑を受けた後の被虐者たちが重なり合っている……ってな場面を、いかにもインド映画らしく、往年のスペクタクル映画を想わせるスケールで見せてくれます。
 同様の見所は後半にもあり、今度は捕らえられた活動家たちが、イギリス軍の拷問部屋で責められるシーン。
 上半身裸の男たちが、天井から逆さ吊りにされ、壁に磔吊りにされ、殴られ、鞭打たれ、それを他の被虐者たちが、怯えて見守る。で、これまたスケール感たっぷりのセットで見せてくれる。
 更に、加虐者たちが、前述したように絵に描いたような悪役的に描かれるので、それが災い転じて福となり(……って、そうなのか?)、拷問シーンの残虐さにもいっそう拍車がかかる。
 というわけで、拷問マニアだったら、この二つのシーンは、ちょっと見逃せないですぞ(笑)。
Bhagatsingh_02 主人公バガット・シン自身が責められる場もあり、まずは前半、警察に捕らえられて、両手を鎖で吊られ、首と脚にも鉄枷を嵌められた状態で、警棒でタコ殴り。
 残念ながら、このシーンは着衣ですけど、いちおうそのすぐ後に、釈放されて家に帰った主人公が服を着替えると、その裸身に殴打の痕が残っているのを、主人公の母親が目撃する、ってな場面があります。アジャイ・デーヴガンは、けっしてマッチョってわけじゃないですけど、肉付きはなかなか良くて、けっこうそそられる裸身です(笑)。
 次に後半、捕らえられ、獄中でハンストをする主人公に、よってたかって無理矢理ミルクを飲ませようとする、ってな、ちょっと変わったシーンがあります。
 ここも着衣なのは残念ですが、絵的には完全に「水責め」と同じですし、主人公が頑なに口を閉じていると、加虐者が「え〜い、鼻から飲ませろ、鼻にホースを突っ込め!」なんて怒鳴ったりするのが、ちょっと嬉しい(笑)。
 この「ミルク責め」は、もうちょっと後になってから、今度は仲間たちも一緒に、集団でやられるシーンもあります。
 そしてもう一つ、両手両脚と首にも鎖をかけられ、大の字に腹這いにされての鞭打ちシーン。
 嬉しいことに、ここでようやく上半身裸に。しかも面白いのは、これ、氷の板の上に腹這いにさせられてるんです。で、その背中を鞭打つ。氷の冷たさを表現するために、加虐者が部屋の隅にある火鉢で手を温める、なんてディテールも描いてくれるのが、また嬉しい(笑)。
 というわけで、責め場的にも、実に見所の多い、ア〜ンド、見応えのある映画でした(笑)。
 私が所持しているDVDはアメリカ盤。リージョン・コードはフリー。ワイド画面のスクィーズ収録。前述したように、英語字幕付き。
 ジャケットが違うから、同じ品物じゃないみたいだけど、珍しく日本のアマゾンでも輸入DVDを扱っていたので、ご参考までに下にリンクを貼っておきます。
“The Legend of Bhagat Singh”(amazon.co.jp)

つれづれ

 会社員時代の友人夫妻二組と連れだって、リンゼイ・ケンプ・カンパニーの公演『エリザベス1世〜ラストダンス〜』を見物。生のリンゼイ・ケンプを見るのは、これが初めて。
 思いの外、ダンスよりも演劇的要素の比重が高かったのと、演出自体も比較的オーソドックスだったことに、ちょっと肩すかし感もありましたが、とにかくケンプ老の存在感が圧倒的。他のパフォーマーとレベルが違いすぎると感じてしまうほどで、なるほど、こりゃ唯一無二の人なんだな、と実感。
 そして、カーテンコール。
 パフォーマンス中の重々しい所作とは、うって変わった軽やかな足どりで、白いローブを翻しながら颯爽と会釈するケンプ老。その姿は神々しいほどに輝いており、思わず拍手にも力が入ってしまいました。
 いや〜、ご健在なうちに生のパフォーマンスが見られて、ホント良かった。

 その数日後、家の近所で大学時代の友人二人とランチ。
 互いの近況や共通の知人の情報などで、話に花を咲かせていると、誰それのご母堂が亡くなられたとか、誰それが糖尿病になってしまったとか、以前と比べて健康絡みの話題が多くなってきて、「お互いに歳をとったんだね〜」なんて笑い合ったり。
 ただ、二人とも子持ちの既婚女性なので、話題が子育てとかPTAとかになると、私は完全に置いてきぼり状態(笑)。

 家では、相変わらずDVDで映画鑑賞三昧。
 で、ここんところ数日連チャンで、『木靴の樹』『シベリアーダ』『ペレ』と続けて見ていたら、相棒から「ヨーロッパの貧しい農村の映画は、ここいらへんでやめにして、そろそろ豪華で派手なヤツが見たい!」とクレームが(笑)。
 そんじゃあ、歌と踊りとアクションがあるインド映画にしようと、『アルターフ 復讐の名のもとに』を鑑賞。社会派なテーマを、見事に大衆的な娯楽作に昇華していてお見事。
 相棒も、おおむね満足はしてくれたものの、主演のリティック・ローシャンの顔を、「目はいいんだけど、この鼻と鼻の穴はありえない。クリスチャン・ベール(どうやら、今現在これが相棒にとって「変な鼻の男優」の代名詞らしい)もビックリ」と、手厳しい評価(笑)。
 ただまあ、相棒がインド映画の二枚目男優に手厳しいのは、今に始まったことではなく、サルマーン・カーンのことは「ヒキガエルみたいな目」とか言っていたし、シャー・ルク・カーンに至っては「余りにもイヤな顔だから、顔は見ないようにしている」などと、インド映画ファンが聞いたら殴り殺されそうな暴言を吐いております(笑)。
 まあ、確かにインド映画の男優って、正直私も「う〜ん、これのどこが二枚目なんだ……」とか思うことが多いですけどね(笑)。好きな顔の男優って、アニール・カプールくらいしか思いつかないし(笑)。

 そして『アルターフ』の翌日は、何だかアジアな気分が続いていたので、タイ映画『わすれな歌』を鑑賞。で、見てから気が付いた。ヨーロッパからアジアに変わっただけで、また「貧しい農村」に戻っちゃってました(笑)。
 そうそう、その『わすれな歌』の中に、主人公の男が芸能界デビューの代償として、エロ社長に言われるままにヌード写真を撮られたあげく、男色関係を強要されそうになるシーンがあるんですけど(因みに、主人公は脱走兵という設定もあって、なかなか良い身体をしています)、その写真撮影のシーンが、履いているカラフルなビキニといい、腰に手を当てたり腕を伸ばしたりする、ミョ〜に気取ったヘンなポーズといい、相棒と二人で「まるで昔の『薔薇族』や『さぶ』のグラビアみたい!」と大ウケ(笑)。ホント、懐かしの岩上大悟先生の写真みたいな雰囲気でした。

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nihonkacchushi01
 本は、大日本絵画・刊の『日本甲冑史 上巻』を購入。弥生時代から室町時代までの日本の甲冑や武具を、少年雑誌で活躍した挿絵画家、中西立太(小林源文のお師匠さんなんだそうです)がカラーとモノクロのイラストで、詳細に図解している好著。
 甲冑の全体像から細かな構造、更には、その着用手順から下に着る衣のことまで、実に見やすく図解されているので、これは今後、時代物を描く際には手放せない資料になりそう。
 因みに、同じ出版社と著者による、『日本の軍装 幕末から日露戦争』『日本の軍装 1930~1945』の二冊は、以前から自分が軍人ものを描く際に、いつも手元に用意する本だったりします。
 この手の本は、図解だったり写真だったり、他にも色々と出ておりますが、このシリーズは、内容・使い勝手・値段など、様々な点からオススメです。写真ものだと、質感や雰囲気は掴めるけれど、構造とかが判りにくいことがままあるんですが、このシリーズは、カラー・イラストで全体像を見せて、細部の構造や階級章の色々など、データ的な部分はモノクロの図解で説明してくれるので、作画資料としては本当に使いやすい。

 音楽は、特に目新しいものは聴いてないですね〜。
 ここんとろ、ちょっとザラついた音が欲しい気分が続いているので、HangedupとかSilver Mt. Zionとか、それ系のポスト・ロックの旧譜を、引っ張り出してきて良く聴いています。
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 あとはまあ、サンマが安くて美味しいので、そればっか喰ってます(笑)。
 そんなこんなが、最近のワタクシ(笑)。

『怪傑白魔』フランス盤DVD

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『怪傑白魔』(1959)リッカルド・フレーダ
“Agi Murad il diavolo bianco” (1959) Riccardo Freda
 前にここで書いた、スティーヴ・リーヴス主演の『怪傑白魔』(米題”White Warrior”、仏題”La Charge des Cosaques”)のフランス盤DVDが届いたので、レポートしてみませう。
 とりあえず、映画の内容から。
 帝政ロシア時代のコーカサス地方を舞台に、白装束に身を包んだヒーローが活躍する、アクション・スペクタクル。原作はトルストイの『ハジ・ムラート』(未読)なんだそうですが、内容はかなり大幅に変更されているみたい。
 スティーブ・リーブスは、もちろん主役の怪傑白魔ことハジ・ムラート役。白馬に跨り、白いマントをなびかせて、ロシア軍の砦を陥落させたり、長老の娘と恋仲になったりと大活躍。ところがある日、屋外デートの最中にロシア軍に襲われ、負傷して捕虜になってしまう。
 捕らえられたハジ・ムラートは、ロシア軍から「降伏して、こっちの味方になれ」と拷問を受けるが、果敢にそれに耐え抜く。そんな姿を見ていて、ロシア軍側のお姫様は、捕虜に仄かな恋心を。
 いっぽう抵抗軍側では、かねてからハジ・ムラートを妬んでいた男が、長老を暗殺して、その娘でハジ・ムラートの婚約者でもある美女を我がものにし、自分が首魁に収まろうと奸計を巡らす。
 さて、囚われのハジ・ムラートの運命は、そして恋の行方は……? ってな感じの、肩の凝らない痛快アクション娯楽作。
 ストーリー的には、後半、ヒーローがずっと囚われの身になってしまうので、アクション・スペクタクル的な動きがなくなってしまうし、ドラマのクライマックスが、ロシア軍との戦いではなく、味方の中の裏切り者との戦いなので、ちょいと盛り上がりに欠ける上に、モノガタリ全体のスケールも小さく縮んでしまうといった物足りなさはあります。
 それでも前半の砦の攻防戦とかは、けっこう見応えがありますし、撮影がマリオ・バーヴァだということもあり、ロマンチックで静かな見せ場でも、ちゃんとこっちをウットリさせてくれます。登場人物も、皆さんクリシェのカタマリのような人物造形ではありますが、このテの娯楽作的には、キャラクターも良く立っていて魅力的。ヒーローものと割り切って見れば、充分以上に楽しめる佳品といったところでしょうか。
 主演のリーブスは、ヒゲもエキゾなコスチュームも良く似合っていて、いつもながらの美丈夫ぶり。基本的には着衣主体の映画ですけれど、前半の宴会でのレスリング・シーンと、後述するボンデージ&責め場シーンで、しっかり自慢の肉体美も披露してくれます。
 ヒロインの方も、素朴で心の強い村娘といった風情ジョルジア・モル、ゴージャスな貴族風のシーラ・ガベル、共になかなか美しく、役割分担の持ち味を良く出していて好演。
 悪役のレナート・バルディーニとジェラード・ハーターは、まあ、可もなく不可もなく、といったところ。
Whitewarrior01 で、まあ、私がこの映画を、その本来の出来映え以上に愛している理由として、スティーヴ・リーヴスの責め場、ってのがあるんですが(笑)、そのご紹介をば。
 まず、これは責め場ではなく、単なるボンデージなんですけど、傷ついて捕らえられたリーヴスは、上半身裸に包帯を巻かれて、ベッドで医師の手当てを受けた後、隙をついて脱走を試みる。しかし失敗して、再度ベッドに寝かされると、今度は脱走防止に、両手をベッドに縛られる……ってな塩梅。これ、両手を挙げたバンザイ・スタイルってのが、実にヨロシイ(笑)。
 そして、傷が癒えた後は、まず、鞭打ち。
 上半身裸でY字刑架に縛られて、ヒゲ熊獄吏に背中を鞭打たれます。背中にはちゃんと鞭痕が走っているし、打たれた直後、身体をのけ反らして苦悶する横顔もちゃんと見せるあたり、実に神経が行き届いた演出(そうなのか?)。
 因みにこのシーン、前にここで紹介した洋書”Lash!”でも、「映画で見るステキ鞭打ちシーン100」の中の一つにリストアップされてます(笑)。
Whitewarrior02 それから、今度は身体の前後を逆にして縛られて、焼きゴテ責め。
 このシーン、尺は短いし、焼きゴテが当てられる部位はフレームアウトして見られないんですけど、華やかなパーティーシーンを挟んで見せられるので、残酷度や無惨度は高い。
 因みに、これより前段では、別の捕虜(細身だけど、いちおうヒゲモジャで上半身裸)が同様の責めにかけられるシーンがあります。で、この捕虜は拷問された後、リーヴスを屈服させるための道具として、その眼前で処刑されてしまう。
 という具合に、拷問されるスティーヴ・リーヴスを愛でるという点(笑)では、『鉄腕ゴライアス 蛮族の恐怖』と『逆襲!大平原』と、この『怪傑白魔』が、私にとっての三冠王(笑)。
Whitewarrior_gashitsu 仏盤DVDの品質は、シネスコのスクィーズ収録、画質良好、退色も傷もほぼ見あたらずの高品質。
 DVDは過去にアメリカ盤やスペイン盤が発売されていますが、それらと比較しても、画質はずっと良いです。もちろん、色はおろか人物まで画面外に切れちゃってるアメリカのトリミング盤と比べると、雲泥の差。
 アメリカのノートリミング盤(スペイン盤も、おそらく同一マスター)と比較しても、ここでアップしたキャプチャ画像は、縮小しているので判りにくいと思いますが、まず、ディテールの再現度がぜんぜん違う。それと責め場とか、画面が暗めだったり、コントラストがキツめになっても、シャドウ部の潰れがないのが良い。
 ただし音声はフランス語とイタリア語のみ、字幕はフランス語のみなのが残念。
 カップリングされている”Catherine de Russie”は、まだ未見。