『闘将スパルタカス』

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『闘将スパルタカス』(1963)セルジオ・コルブッチ
“El Hijo De Espartaco” (1963) Sergio Corbucci

 スティーヴ・リーヴス主演のソード&サンダル映画、スペイン盤DVD。伊語原題 “Il Figlio di Spartacus”、英題 “The Slave” a.k.a. “Son of Spartacus”。

 リーヴス演じるローマ軍人ランダスは、隣国の提督のもとに間諜として派遣されるが、船旅の途中で海に落ちてしまう。何とか岸までは泳ぎついたものの、今度はそこで奴隷商人に出くわして、捕らわれて奴隷にされてしまう。ほどなくランダスは、奴隷仲間と共に脱出し、目的地であった提督の館に着くが、そこでは民人が虐げられていた。そしてランダスは、奴隷仲間の一人の導きによって、自分がスパルタカスの遺児であると知り、以来、黒い鎧兜で正体を隠した姿で、民衆のために戦う義賊となる……ってのが、大筋。
 この内容で『闘将スパルタカス』っつー邦題は、一種の詐欺ですな(笑)。

 全体のノリは、史劇やスペクタクルというよりは、西洋チャンバラ映画に近く、「弱きを助け強きを挫く」系の、痛快娯楽作。
 じっさい、正体を隠したランダスが立ち去った後には、壁に「S」の文字が残されている……といった、まんま「怪傑ゾロやん!」みたいなネタも(笑)。ただまあ、ローマ時代ということもあって、中世ものみたいな華麗な剣戟シーンとかはないですけど。
 有名人のご落胤ネタというのも定番ですが、同じソード&サンダル映画だと、マーク・ダモン主演の “Son of Cleopatra” なんかと同系統ですな。そういや、どっちもロケ地がエジプトで、ピラミッドやスフィンクスがデ〜ンと出てくるのも同じだ(笑)。
 監督は、前に紹介した『逆襲!大平原』と同じセルジオ・コルブッチ。画面にはスケール感があり、アクション・シーンのキレも良く、手堅くしっかり見せてくれます。
 音楽がピエロ・ピッチオーニ、仇役がジャック・セルナスってのも、『逆襲!大平原』と同じ。
 更に、またまたジョヴァンニ・チアンフリグリア君もチラッと出てくるんですが、今回の役どころはというと、港でオンナノコを鞭打っているところをリーヴスに止められる……って、これまた『逆襲!大平原』とおんなじなのが可笑しい(笑)。
 全体的には『逆襲!大平原』よりは軽いノリなので、大作感はない反面、娯楽アクション作品としての面白さはタップリ。ただ、惜しむらくはクライマックスが、まず仇敵の提督&ジャック・セルナスと対決して、その後は反逆者としてローマと対峙するという、二段構えになっているせいもあって、カタルシスが分散してしまった感はあり。
 ちょっと面白かったのは、悪役の倒し方が、悪人の集めた黄金を鍋に入れて、それを熱して溶かしたものを顔面に浴びせる……っていう、比較的エグめの方法だったこと。ソード&サンダル映画では、意外とこういう残酷趣味のようなものにはお目にかからないので、これまた “The Pirates of the Seven Seas” のときに書いたのと同じく、史劇映画からマカロニ・ウェスタン映画への過渡期を感じさせる要素でした。

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 今回のリーヴスは、ヒゲがないからちょっと寂しくはありますが、正体を隠した義賊スタイルの時は、なかなかカッコいいです。上半身裸の剣闘士スタイルで、顔は兜で見えないんですが、兜の色が黒いせいもあって、ブラック・レザーやメタルのような、ちょいとハード系のフェティッシュな魅力がある。
 DVDのジャケットになっているステキシーンですが、これは前半でリーヴスが奴隷商人に捕らわれたときの姿。でも、残念ながら映画本編では、上半身裸ではなくチュニック・スタイルなんだよな。首枷のまま鎖に繋がれて連行されたりはしてくれるんですが、肌は出し惜しみしていて、馬に引きずられて服が破けても、乳首も見えない程度の破れかたなので、物足りないのと同時に、なんか「……だまされた」感が(笑)。
 他には、後半で再度捕まって、木の檻に入れられるシーンとかもあります。ここは、檻の横木に両手も括り付けられるので、けっこうそそられはするんですが、太い木格子に邪魔されて身体が良く見えないのが残念。
 この前段でも、地下牢で追いつめられて捉えられるときは、前述した上半身裸の剣闘士スタイルなのに、牢屋に入れられた後は、なんでわざわざマントなんか着せるかなぁ(笑)。裸で鎖に繋いどきゃいいじゃん(笑)。
 あと、クライマックスで磔にされかけたりもしますが、残念ながら未遂。
 そんなこんなで、責め場はそこそこあるんだけど、そこで肉体美を出し惜しみしちゃってるあたりが、かえってすっげ〜残念で欲求不満が溜まります(笑)。
 リーヴス以外では、まず冒頭で奴隷の磔刑がありますが、それよりも中盤に出てくる、奴隷だか反逆者だかを十人くらい堀の中の柱に縛り付けて、そこに水を入れて水責めにするシーンの方が見応えあります。ここはけっこう悪くない。あと、宴席の真ん中に半透明のテントを設えて、そこに人を入れて煙でいぶし殺して余興にする……ってシーンもありますが、アイデアほどには見た目は面白くない。
 DVDはスペイン盤なのでPAL。ビスタ、非スクィーズのレターボックス。リージョン・コードは2。音声はスペイン語とイタリア語。字幕なし。
 画質は、ちょっと経年劣化による色調の変化が気になるし、いささかボケ気味ではあるものの、まあ佳良な部類。少なくとも米版VHSよりは遙かにきれい。ただ、ワイド画面のわりには、左右が切れている感じがするので、一度スタンダードにトリミングされたものを、更に上下を切ったという可能性あり。

【追記】アメリカ盤DVD-R出ました。画質良好。
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“Malpertuis”

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“Malpertuis” (1971) Harry Kumel
 このタイトルにピンときた貴方、ひょっとして幻想文学好きですね? 国書刊行会とか創土社とか月刊ペン社とかの本が、本棚に並んでいませんか?
 というわけでこれは、今から二十五年ほど前、月刊ペン社の「妖精文庫」第二期配本として邦訳も出た、ベルギーの作家ジャン・レーの長編小説『マルペルチュイ』の映画化です。いや、つい最近この映画のことを知って、もうビックリしてDVDを個人輸入した次第。
 まず、この原作の『マルペルチュイ』がどういう話かと言うと……これがけっこう説明しづらい。私自身、高校生のときに夢中になって読んだわりには、ノーミソの経年劣化か内容はうろ覚えだし、覚えていることを書こうとすると、今度はネタバレになっちゃうし……。
 いい機会だから再読しようと思って、本を探してみたんですが、何故か見つからない。実家に置いてきたのかなぁ、それとも引っ越しのときに処分しちゃったのかなぁ。なくしちゃってたとしたら、かなり悲しい(泣)。
 そんなわけなので原作の解説はあきらめて、映画の解説を。邦訳本が見つからないので、キャラクター名の表記は原文ママでいきます。

 主人公の水夫Janが、しばらくぶりに故郷に帰ってみると、自分の生家には別の一家が住んでおり、しかもJan自身は気付いていないが、彼の身辺には様子を探るような奇怪な人影がつきまとう。やがてJanは、妹のNancyに似た人影を追いかけてキャバレーに迷い込み、そこで喧嘩沙汰に巻き込まれて昏倒する。
 Janが目覚めると、そこは彼の叔父Cassaviusが住むマルペルチュイの館で、傍らにはNancyがいた。Cassaviusは臨終の床にあり、館には他にも、港でJanの様子を伺っていた男とその妻や、狂人のように襤褸を纏って身体に鎖を巻き付けた男、神父、剥製師、黒衣に身を包んだ三姉妹といったJanの一族が住まっていたが、いずれも風体も言動も怪しげな者ばかり。
 彼らは皆、この陰鬱な館とCassaviusの支配を嫌っており、彼の死後、遺産を相続して館を出ることを楽しみにしていた。しかし、Cassaviusの残した遺言は、彼の死後も一族はこのままマルペルチュイの館に住み続けなければならず、そうやって最後に残った男女に遺産を与えるというものだった。
 一族と共に館に残ったJanは、臨終のCassaviusに謎めいた美女Euryaleと引き合わされ、恋に落ちる。謎めいているのは館も同様で、暗い回廊には開かずの扉があり、屋根裏に仕掛けたネズミ取りには、ネズミではない「怖ろしいもの」がかかる。そしてついに、Nancyの恋人であり、一緒に館を出ようとしていた青年Mathiasが、額を壁に釘で打ち付けられて宙吊りになった、無惨な姿の死体となって発見される。
 そして実は、マルペルチュイの館とそこに住む人々には、太古より連なる壮大な秘密が隠されていたのだ……! ってな感じでしょうか。

 私の記憶だと原作の小説は、もっと曖昧模糊と混沌としていたように思いますが、それに比べると映画の方は、モノガタリそのものはけっこうロジカルだし、筋運びもスッキリとまとまっている反面、いささか明晰に過ぎる感はあり。モノガタリの最後には、「夢」や「幻想」を絡めた二重のオチが用意されているんですが、これもまあ、ありがちといえばありがち(原作では、このオチはなかったと思うなぁ)。
 とはいえ、ミステリー仕立てのホラーかダーク・ファンタジーとしては、決して悪くはないと思います。見ていて面白いし、飽きさせない。前述したように、原作をあまり良く覚えていないので断言はできかねますが、娯楽性とは無縁の幻想小説を、商業映画というメディアに変換するトリートメントとしては、けっこう上手くやっているのでは?
 また、マルペルチュイの館そのものが、いわばモノガタリの主人公でもあるわけですが、この館の美術がなかなか良い。不安感を煽る回廊、無限の上昇と下降を連想させる螺旋階段、シンメトリカルなCassaviusの寝室など、印象的な絵も多々あって雰囲気も上々。DVDのオマケのメイキングを見ると、これらはセットではなくロケらしいので、それでこれだけの雰囲気を出しているのは、コーディネートも含めて、美術関係はかなり健闘していると言えそう。また、館や街並みのゴシック・ロマン的な雰囲気に対して、キャバレーのシーンなどは、いかにもこの映画が制作された70年代初頭の前衛っぽい、ちょいとキッチュでとんがった雰囲気があり、そういったコントラストも面白い。
 カメラワークや演出は、ほどほどにハッタリやケレン味が効いていて、斬新でビックリするまではいかないものの、でもちょっとハッとさせられるような、そんなセンス。何となく、ケン・ラッセルを薄味にして、ハマー・ホラーを撮らせたようだとか思ったり、ニコラス・ローグが撮影をした、ロジャー・コーマンの『赤死病の仮面』とかを思い出したり。乱暴に言うと、カルト的に愛される要素がある……って感じでしょうか。

 役者の方は、主人公のJan役にマチュー・カリエール。『エゴン・シーレ/愛欲と陶酔の日々』で、タイトル・ロールのシーレを演じていた人ですな。この映画では、二枚目ながらちょっと神経症的でヌメッと気味悪い雰囲気もあって、なかなか悪くない。あ、でも、ヌメッと気味悪いってのは、あくまでも私の感覚。一昔前のゲイが好んだ「耽美的でヌメヌメした美青年」のニオイがするので(笑)、これを見て純粋に「美しい!」ってお感じになる方も、いらっしゃりそうではあります。
 Cassavius役は、オーソン・ウェルズ。登場シーンはモノガタリ前半のみで、しかもずっとベッドに横になっているという役柄ながら(メイキングを見ると、撮影も二日かそこらでさっさかすませちゃったらしいです)、やはり存在感はバツグンで、死後もなお一族を支配し続けるカリスマ的キャラクターという点で、実に適役。
 特筆したいのは、Nancy、Euryale、Alice、Charlotteと、一人四役をこなしている、スーザン・ハンプシャーという女優さん。これがまあ、実に見事にそれぞれを演じ分けていて拍手モンでした。特に、伏し目がちで謎めいた微笑みを浮かべている、Euryaleの美しさといったら!
 他には、私が名前を知っているところでは、ミシェル・ブーケとかジャン=ピエール・カッセルなども出演。あと、ゲスト出演的な使われ方ですが、キャバレーの歌手役に、古い洋楽ファンには「アイドルを探せ」のヒットでお馴染みであり、バルタン星人の語源でもある(笑)シルヴィ・バルタン。

 DVDはベルギー盤で、当然PAL。リージョン・コードはフリー。
 ディスクは二枚組。本編は、119分の全長版とカンヌ出品用の107分の短縮版の二種類を収録。監督のコメンタリー付き。収録は16:9スクィーズ。字幕は、英・仏・蘭の三種類。
 オマケは、メイキングとか、監督がロケ地を再訪するドキュメンタリーとか、オーソン・ウェルズやスーザン・ハンプシャーや原作者のジャン・レーといった人々のインタビューやドキュメンタリー、更に同じ監督が撮ったカフカ原作のテレビ映画(35分)や、やはり同監督の短編映画(7分)など。

『スタフ王の野蛮な狩り』

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『スタフ王の野蛮な狩り』(1979)ワレーリー・ルビンチク
 出た出た出たよ〜、『スタフ王の野蛮な狩り』のDVDが! もう待望! ああ嬉しい。
 とはいえ、これは日本盤じゃなくてロシア盤。これを出したRUSCICOは、以前はロシア盤でも日本語字幕付きの親切設計だったんだけど、最近は付かなくなっちゃいました。『スタフ王…』も例外ではなく、残念ではあるんですが、まあ英語字幕が付いているだけでもありがたいと思おう。
 この『スタフ王の野蛮な狩り』は、旧ソ連映画。でもひょっとしたら、正確にはベラルーシ(昔はベロルシアとか白ロシアとかいってましたね)映画なのかな?

 舞台は19世紀末のベラルーシの寒村。ペテルスブルグから民話・伝説の蒐集に来た青年学生が、雨に降られて、とある古城に宿を頼む。城のあるじは美しい女性ですが、神経症的に何かに脅えている様子だし、その執事も怪しげな雰囲気が。
 この地方には昔、裏切りによって謀殺されたスタフ王という人物がいた。スタフ王は、自分を殺した相手とその一族に、二十世代(……だったかな?)に渡る呪いをかけ、以来一族の者は次々と怪死をとげてきた。そして城の主の女性は、その一族の最後の一人だったのだ。
 青年の身の回りでは、次々と怪しい出来事が起きる。全裸で羽毛にうずもれて、老婆の祈祷を受ける女主人。城の周りを駆け回る、亡霊たちの騎馬の音。ガラス窓に映る、侏儒の影。鶏を抱いて馬車に乗る、気がふれているような黒衣の寡婦。そして、殺人。青年は、それらの謎を解こうと奔走するが、いっこうに埒があかないまま、ついに、スタフ王とその部下たちの亡霊による、野蛮な狩りの季節がやってくる……とまあこんな感じ。

 モノガタリの内容自体は、道具立ても筋立ても典型的なゴシック・ロマンのそれで、特に独自性があるわけではないです。そのまま映画化したら「ハマー・ホラーの出来がいいヤツ」になりそう(ただし、スタフ王は農奴解放を訴えた「農民王」らしいし、舞台も世紀と世紀の転換期に設定されているので、ひょっとしたらモノガタリの裏には、もっと社会的な何かが含められているのかもしれないけど、今回の英語字幕での鑑賞では、私はそこまでは汲み取れませんでした)。しかしこの映画の場合、モノガタリの内容云々よりも、それを取り囲む雰囲気が、もうとにかく素晴らしいのだ。
 まず、美術が良い。メインの舞台となる古城、古い肖像画、贈られた豪奢なドレス、水に浸った地下室、絵付きの古文書、錆びたオルゴール、蔦の絡むドールハウス、旅役者のグランギニョール的な人形芝居……等々、とにかく全てが魅力的な造形だし、ムードも満点。
 そしてそれらを捉える、彩度を抑えた映像の美しさ。霧の立ちこめる沼地、ぽつんと立つ石の塔、荒野を駆ける幻のような騎馬の群れ、雪を滑る橇とクリスマス・ツリーの飾り付け……どの場面も幻想的なまでに静かで美しく、警察官が怪死の現場検証をするシーンですら、夢のような詩情を湛えている。
 こういった諸々が、オーソドックスなゴシック・ロマンに、芸術的な香気漂う独特の幻想美を与えている。この世ならざるモノが顕現しても不思議はないような、私的に言うと「あっち側」を感じさせてくれるような、そんな雰囲気。かつて私が一度見て、以来もう一度見たいと熱望していたのも、そんな絵作りとムードにすっかり惹かれたから。
 再見するまでは、ひょっとして記憶の美化作用があったり、あるいはマイナーな映画ゆえの判官贔屓的な気持もあるのかな、なんて不安もありましたが、いざ見てみると、それは全くの杞憂でした。記憶通りの素晴らしさで、夢幻の怪奇幻想美に酔いしれながら見て、寂寥感と清涼感の入り交じったエンディングでは、思わず「ほぅ」と満足の溜息が。

 DVDはNTSC盤とPAL盤と両方あり、私が購入したのはNTSC盤。リージョン・コードはフリー。スタンダード・サイズ。音声はオリジナルの露語の他に、英語と仏語の吹き替えあり。字幕は露、英、仏、独、伊、西の六種類。オマケはルビンチク監督のインタビュー映像など。
 さて、日本盤も出るといいんだがなぁ……。

Tanit Jitnukul監督、追補

 先日の“Bang Rajan”が良かったので、同じ監督のホラー映画『アート・オブ・デビル』(2005)を見てみました。
 ……やっぱダメかも、この監督(笑)。
 冒頭のツカミにショッキングなシーンを持ってきて、その後、いっけん何の関係もなさそうなモノガタリが始まり、それがいかにして冒頭のシーンにつながるか……という持っていき方なんですが、それが馬鹿正直に時系列どおりズラズラ見せるだけで、芸もへったくれもない。
 その結果、身辺で奇怪な現象が続発するホラーであるにも関わらず、「何(誰)が元凶(犯人)か」、「その現象がどうやって起きているか」「これからどうなるか」ってな要素が、見ているこっちには全て事前に丸判り……って、いくら何でもこの構成はねーだろう(笑)!
 現代の都会の中にも、土俗的で泥臭い「呪い」が……っつーネタそのものは悪くないけど、せめて「誰が何のために呪いをかけているのか?」ってのくらいは、伏せて話を進めろよ!
 で、観客にとっての「謎」の要素が全くない以上、残る期待は唯一、恐怖感の描出やショックシーンの見せ方になるんですが、これがまた、どーしちゃったのってくらい、演出力がない。オマケに、呪いなら呪いだけに徹すりゃまだしも、下手に色気出して幽霊とかも絡めるもんだから、余計に収拾がつかなくなっている。
 え〜、何とか、どっか面白いところも思い出してみると……うん、仏様のお供えを食べちゃってバチが当たるあたりは、いかにも敬虔な仏教とが多いタイらしいな〜とか、『ラスト・ウォリアー』同様に胎児をミイラにして呪術に使うんですが、これはタイでは伝統的なネタなのかな〜とか、床屋と呪い屋が兼業ってのは、呪術に毛髪を使うという点では、理に適ってると言えなくもないかな〜とか、ま、そんなトコでしょうか(笑)。
 ってなわけで、結論。
 Tanit Jitnukul監督、四本見させていただきましたが、どうやら”Bang Rajan”はフロックだった、ってことで(笑)。

アート・オブ・デビル [DVD] アート・オブ・デビル [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2005-09-02

“Bang Rajan”

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"Bang Rajan" (2000) Tanit Jitnukul

 タイの史劇映画です。
 興味を持ったきっかけは、何かで目にしたスチル写真が、えらく気に入りまして。口ヒゲ&強面で上半身裸のマッチョたちが、ずらりと並んでこっちを睨み付けている白黒写真で、えらくカッコよくってねぇ(笑)。で、調べてみたら「タイ映画の歴代観客動員数の記録を塗り替えた!」とか「オリバー・ストーンが惚れ込んで配給権を獲得!」みたいな、にぎにぎしい惹句が出てきたもんだから、えいやと思い切ってアメリカ盤DVDを購入してみました。

 タイの史劇映画というと、私は日本盤が出ているもので、『ラスト・ウォリアー』ってのと『セマ・ザ・ウォリアー』ってのを見ています。
 クレジットでは『ラスト…』の監督はタニット・チッタヌクン、『セマ…』の監督はサニット・ジトヌクル、となっている。ところが、今回IMDBで調べて見たら、これ、どっちも同じ人で、この"Bang Rajan"の監督の Tanit Jitnukul なんですね。表記の揺れってのは難しい問題だけど、多少強引でもいいから統一してくれないと、余計な混乱を招きますなぁ。

 で、正直なところ『ラスト…』は、ちょっとウムムな出来でした(笑)。歴史モノかと思っていたら途中から伝奇モノになって、まあそれはそれで構わないんですが、主人公があまりにもトンデモナイ男でして(笑)。まったく、自分を慕う娘を抱いて、妊娠すると腹を裂いて胎児を取り出し、それをミイラにして式神にする……なんて男の、いったいどこに感情移入せいっちゅーんじゃ(笑)。そんなこんなで、先の予測のつかない展開と、行動原理が理解できないキャラクターたちに振り回されて、半ばボーゼンと見ていると「え〜っ、ここで終わりかよ〜っ!」ってな驚愕のエンディングという、かな〜りスットコドッコイな映画(笑)。ま、そのぶんヘンな面白さはあるんで、キワモノ好きの方だったら一見をオススメしますが(笑)。
 それに比べると、『セマ…』の方はだいぶマトモで、農民が兵士になって、紆余曲折がありながらも頭角を現していく様子と、お偉いさんの娘との身分違いの恋とか、恋敵との確執なんかを絡めた、それほどビックリもしない内容。ただ、キャラクターの内面描写がイマイチだったり、エピソードのつなぎがぎこちなかったり、その時代のタイの人々の価値観に馴染めなかったりとかあって、もうひとつモノガタリには乗り切れない。 
 で、この"Bang Raljan"、DVDが届いてから同じ監督だと気付いて、「うわ、失敗した!」とか思ったんですが、ところがどっこい、いざ見てみると、『ラスト…』や『セマ…』とは桁違いに出来が良かった!

 物語の舞台は、18世紀中頃、ビルマ(現ミャンマー)の侵攻に押されている、シャム(現タイ)のアユタヤ王朝末期で、国境近くの村々は、ビルマ軍による掠奪や虐殺の憂き目に晒されている。
 それでも何とか生き延びた村人たちは、タイトルにもなっているバング・ラジャンという村に集結する。村人たちは、王都アユタヤに使者を送って、ビルマ軍に対抗する大砲をくれと頼むが、その願いは聞き入れられない。
 敵の猛攻に晒されながらも、母国からは見捨てられた村人たちは、バング・ラジャンの砦に立て籠もり、自分たちの手でゼロから大砲を鋳造し、数でも力でも圧倒的に勝るビルマ軍に、絶望的な戦いを挑む……ってな具合で、コレ系が好きな人だったら、この筋立てだけで、もうグッとくるのでは。

 映画の構成は、ビルマ軍との戦いという見せ場を作りながら、その合間合間に村人たちの日常の描写を挟み、登場人物のキャラクターを立てていき、枝葉を入れたり寄り道することもなく、クライマックスの大戦闘シーンに繋いでいく。
 基本的には群像劇で、戦いで負傷した村の長、その後を継がせるべく新たに迎え入れた戦士、妻思いの弓の名手と夫に気遣う妻、ちょっと三の線の若造と村娘の恋模様、いつも酔っぱらっているが腕は立つ過去に謎のある戦斧の使い手、村人たちの精神的な中核となっている僧侶……といった多彩なキャラクターが、それぞれ日常的なちょっとしたエピソードを得て、生き生きと動く。神話的な英雄や伝説的な勇者を出すわけではなく、あくまでも、農村の村人たちが生きるために力の限り戦うという軸は外さない。
 戦闘シーンの迫力はかなりのもので、モブやセットのスケール感や戦いの臨場感も充分。流血描写も容赦なしで、切ったり刺されたりの描写はかなり「痛い」し、突く刺すだけでなく「寄ってたかって殴り殺す」なんてシーンなんかは、見ていて「ひぃ〜、この殺され方だけはイヤ〜ッ!」って感じ。虐殺された村人たちの死体の山の描写なんかも、けっこう生々しくてショッキング。
 とはいえ、それらの描写は決してスプラッター趣味や露悪趣味には走らず、リアリズムの重さという範疇にきちんと収まっている。これは、リドリー・スコットの『グラディエーター』などと同様の、おそらくはプライベート・ライアン・シンドロームとでも言うべき現象の一環なんでしょうが、オリバー・ストーンが惚れ込んだというのも納得で、彼の『アレキサンダー』の戦闘描写は、けっこうこの"Bang Rajan"に影響されているような気も。
 そんなこんなで、キャラクターのドラマのような「静」の部分と、アクションやスペクタクルといった「動」の部分のバランスは極めて良く、しかもモノガタリ全体は、娯楽映画的なツボをしっかりと押さえて過不足のない堂々たる筋運び。ただ、仏教的な死生観が濃厚なので、そこを把握しておかないと、ちょっとモヤモヤが残る可能性はあり。
 あと、情緒面の描写が過剰に過ぎるきらいはあって、おかげでせっかくの感動シーンも、心が揺さぶられる前に鼻白んでしまう感がなきにしもあらずではあります。でもまあそれは、くさいと感じてしまった自分の心が汚れていると思うか、民族性の違いだと思って、ガマンしましょう(笑)。
 また、ちょっと全体的に色調補正がキツ過ぎて、シャドウ部がベッタリ潰れてしまっていたり、色カブリを起こして黒が黒じゃなくなっていたりするのは気になりました。監督やカメラの意図と言えばそれまでなんですが、これが気にならないのは、正直いささか無神経な気はします。

 俳優さんたちは、まあとにかく皆さんカッコいいわ(笑)。
 徹頭徹尾腰布一丁の半裸で、ヒゲや刺青もあって、しかもマッチョ揃いとくれば、もう私のツボは押されまくりではあるんですが(特にメインの二人は、もう惚れ惚れ)、それを抜きにしても、皆さん精悍で、実にいい目をしている。強さも弱さもあるキャラクター描写とか、それを堂々と演じている俳優の佇まいとか、戦いの際の剣さばきのケレン味とか、男のカッコ良さは存分に堪能できます。
 まあ良かったら、Bang RajanでGoogleのイメージ検索でもしてみてください。このBlogにアップしたアメリカ盤DVDのジャケ写は、正直あんまり良くないんで。他のスチルを見れば、私がカッコいいカッコいいと連呼しているわけが、もう一目瞭然でしょうから(笑)。
 野郎どもの濃いキャラに押されて影が薄くなりがちではありますが、女優さんたち(目立つのは二人だけだけど)も佳良です。

 というわけで、これが未公開でビデオスルーですらないってのは、何とも惜しい気がします。『ラスト…』と『セマ…』が出ていて、この"Bang Rajan"が出ていないってのは、監督さんにとっても気の毒だと思うんで。
 ただ、この三本では"Bang Rajan"が一番古いってのは、監督の作家性としては、ちょいと問題アリって気もしますけど(笑)。
 米盤DVDはリージョン1、収録はスクィーズ。音声はタイ語で英語字幕付き(字幕のON/OFFはできず出っぱなし)。映像特典等は何もなし。
 ストーリーがシンプルで真っ直ぐなせいもあり、内容把握の難易度も低めなので、よろしかったらぜひご覧あれ。オススメです。

 最後に残酷ネタ。
 え〜、惨殺されるマッチョを見るのが好き、とゆー私の魂の同志諸君。見どころタップリですぞ、この映画(笑)。

“Bang Rajan” DVD (amazon.com)

 YouTubeに米国版予告編があったので、貼っ付けておきます。

ラスト・ウォリアー [DVD]
価格:¥ 3,990(税込)
発売日:2005-06-03
セマ・ザ・ウォリアー [DVD] セマ・ザ・ウォリアー [DVD]
価格:¥ 5,040(税込)
発売日:2006-03-03

画集『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』、ようやく完成

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 2003年12月に第一巻を発売して以来、長らくお待たせしていましたが、ようやくこの8月21日に、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』が発売されます。
 実のところ、二巻を発売できるかどうかは一巻の成績次第だったのですが、無事2004年の9月にゴーサインが出ました。で、さっそく動き始めたんですが、収録を予定していた作品の収集に、思いのほか手間取ってしまい、更に予期せぬトラブルも幾つか起き、結局このように、およそ二年遅れの発売となってしまいました。

 今回の収録作家は、長谷川サダオ(さぶ・アドン・ムルム・薔薇族)、木村べん(薔薇族・さぶ・アラン)、児夢/GYM(さぶ)、林月光/石原豪人(さぶ・ジュネ)、遠山実(薔薇族・さぶ)、倉本彪(アドン)、天堂寺慎(風俗奇譚?)という顔ぶれになっています。
 ゲイ雑誌の大御所であった長谷川サダオや木村べん、ゲイ・アートのみならず昭和を代表する挿絵画家としても名高い林月光/石原豪人に加え、児夢/GYM、遠山実、倉本彪といった、知る人ぞ知る「幻の作家」の作品も多く収録でき、一巻に負けず劣らず充実した内容の画集であり、同時に日本のゲイ文化史を振りかえる上での貴重な資料になったのではないかと思います。
 本の総ページ数は220ページ強で、構成は一巻同様に、160点以上の図版(カラー88ページ)に加え、可能な限り調べた結果による各作家のバイオグラフィーや、時代によるゲイ文化史の変遷や作品論といったテキストを、併せて収録しています。

 で、実はこのBlogを始めたきっかけは、この本でして。
 というのも、一巻のテキストを執筆しているとき、慣れないせいもあってひどく手こずり、加えて不眠症になってしまったんですよ。論文とか、生まれてこのかた書いたこともなかったから、書き方そのものからして良く判らなくて(笑)。
 で、少し文章を書くトレーニングをしておいた方がいいな、なんて思っていた矢先に、プロバイダさんからBlogの案内が来たので、ちょうどいいやと乗っかってみた次第でして。
 そんなトレーニングの甲斐あってか、二巻の執筆は、一巻のときよりはスムーズにこなせたような。

 発売は21日ですが、既に版元のポット出版さんのサイトやamazon.co.jpでは、もう予約を受け付けています。
 あと、この本に絡めて、評論家の伏見憲明さん(序文をお願いしました)と私との対談が、既に発売中の雑誌『QJr クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』に掲載されてますので、よろしかったら是非そちらもどうぞ。たまに「顔が見たい」なんてリクエストいただくことがあるんですが、ははは、この『QJr』の対談ページに、恥ずかしげもなくイッパイ載ってます、私の顔写真(笑)。

ポット出版のサイト
『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』(amazon.co.jp)
『クィア・ジャパン・リターンズ vol.2』(amazon.co.jp)

『ヘラクレス/ヘラクレスの逆襲』オリジナル・サウンドトラック

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“Le Fatiche di Ercole / Ercole e la Reggina di Lidia (O.S.T.)” by Enzo Masetti
 マカロニ・ウェスタンやジャーロ映画のサントラ復刻でお馴染みのDigitmoviesから、スティーヴ・リーヴスの『ヘラクレス/ヘラクレスの逆襲』のサントラが、二枚組CDで発売。いや〜、まさかまさかの復刻なので、実に嬉しい。
 音楽はエンツォ・マゼッティ。この二本以外は良く知らない人なので、ちょっと調べてみたところ、イタリア映画音楽の先駆者として尊敬されている人物、とのことで、何と生年は1893年、19世紀生まれの方でした。『ヘラクレスの逆襲』が最後の仕事で、2年後の1961年には既に亡くなっている。う〜ん、これだけキャリアの古い方だと、馴染みがなくても当たり前かも。
『ヘラクレス』も『ヘラクレスの逆襲』も、スペクタクル映画とはいえ、ハリウッド製の本格史劇とは異なり、どこか軽い楽しさや陽性な明るさがあるのが魅力的な作品ですが(キリスト教絡みではないので、辛気くささや説教くささも皆無だしね)、劇判の方も同様で、重厚さや大仰さよりは、親しみやすいポップな楽しさや、ロマンティックさが印象に残ります。
 特にロマンティックさの方は、流麗なストリングスや美しいコーラスの効果も相まって、ラウンジ系のムード・ミュージックにも似た、実にデリシャス・ゴージャスな味わい。中でも二作通じての「愛のテーマ」とでも言えそうな”Con te per l’eternita”(というタイトルだと、今回初めて知りました)は、なかなかの名曲。
 CDの作りは、復刻盤として丁寧に作られています。
 オーケストラ・スコアが収録されたオリジナル・マスターを基に、映画の時系列に併せて再構成されたものらしく、モノラルながら音質的には問題なし。もちろん過去には未発表だった音源も多々あり、珍しいところでは、ミックス違いやデモ音源なども、ボーナス・トラックとして収録。
 一つ残念だったのは、『逆襲』のイオレの歌(演じていたのはシルヴァ・コシナですが、歌は吹き替えで、実際に歌っているのはのMarisa Del Frateという人だそうな)が、権利の関係か収録されていなかったこと。ライナーを読むと、過去にこの二作のサントラ盤は、ナレーションやダイアローグ付きのバージョンとか、Marisa Del Frateの歌が収録されたバージョンが、アナログで出ていたらしいので、どうせならそれも併せて復刻できていれば、もうパーフェクトだったんですけどね。
 あ、でも『ヘラクレス』のアルゴ船の乗組員たちが歌う船乗りの歌が、ちゃんと入ってたのは嬉しかったなぁ。この歌、映画で見るとちょっと唐突でビックリしちゃうんですけど、個人的にはけっこう好きなもので(笑)。
 音以外のジャケット等に関しては、パッケージ自体は何の変哲もない二枚組用のジュエルケースですが、12ページあるブックレットは、なかなか佳良。
 もちろんサイズはCDサイズと小さいんですが、両映画の各国版ポスターやロビーカードの画像が、フルカラーで掲載されています。CDの盤面も、これらの図柄を使ったピクチャー・ディスク仕様で、なかなか美しい。
 白黒のスチル写真も何点か掲載されており、プロモーション用のスチルもあるんですが、多くは舞台裏の楽屋写真なのが、何だか楽しくてヨロシイ。ヘラクレスの扮装のまま、カチンコ持ってふざけているリーヴスとか、撮影担当だったマリオ・バーヴァと談笑しているリーヴスとか、スクリーン上の凛々しさとは異なるくだけた笑顔が実にカワイイ。無防備に大股開きで椅子に座ってるもんだから、パンチラどころかパンモロだし(笑)。
 さて、気になるのがこのCD、”The Italian Peplum Original Soundtracks Anthology Vol.1″ と銘打たれているんですな。で、この「イタリア製ピラピラ映画」って、おそらくはソード&サンダルと同義だと思うんで、するってーと、今後の発売も楽しみに。
 何が出るのかな〜、ワクワク(笑)。
『ヘラクレス』『ヘラクレスの逆襲』サントラCD輸入盤(amazon.co.jp)

明日から渋谷で稲垣征次さんの個展が開催

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 明日8月5日から15日まで、渋谷の画廊「美蕾樹」で、画家の稲垣征次さんの個展『少年艶姿』が開催されます。
 稲垣さんは、精緻極まる鉛筆画で、幻想的でエロティックな少年の絵を描き続けていらっしゃる画家。雑誌「薔薇族」をご覧になっていた方なら、その美しくも時に妖しい素晴らしい作品は、もうお馴染みのはず。
 雑誌ではモノクロがメインでしたが、今回の個展は色鉛筆によるカラー作品がメイン。昨年の個展でも、やはり色鉛筆や油絵によるカラーの作品を出展しておられましたが、モノクロ画のあの精緻さはそのままに、色とりどりの宝石を散りばめたような、色彩のあでやかさ。おもわず息をのむほどでした。今回もおそらく、その絢爛たる幻想美を、再び披露してくださることでしょう。
 作品には、描写の緻密さと完成度の高さもあいまって、エロティック・アートとしての魅力と同時に、例えて言えば石版画によるアンティークな博物画のような、硬質で凛とした工芸品的な美しさもあります。エロティック・アートのみに限らず、幻想美術全般がお好きな方、また、澁澤龍彦の『フローラ逍遙』とかエルンスト・ヘッケルの博物画とかがお好きな方にも、ぜひ一度ご覧いただきたい。
 画廊の場所や開館時間、休日等の情報は、伊藤文學さんのブログに詳細があります。
 現役の日本のゲイ・エロティック・アーティストの中では、間違いなくトップクラスの作家の個展、お見逃しのなきよう!

『聖女の臀堂』春川ナミオ

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 中野タコシェさんから、春川ナミオさんの図録『聖女の臀堂』が発売されました。
 春川ナミオさんといえば、エロティック・アートに興味のある方、特にノンケSMの男マゾ系ジャンルでは、もう知らない人はいないだろうというくらい有名な画家。
 一貫して描かれる、「巨女のお尻に小柄な男が下敷きにされている」という緻密で繊細な鉛筆画は、他に類を見ない個性といい、絵画的な完成度の高さによる美麗さといい、日本のエロティック・アート界が誇る至高の存在の一人、と言いたくなってしまうほど、本当に素晴らしい。
 かく言う私もずっとファンでして、今回の図録の解説で、自分が入手しそびれている画集が三冊もあると知り、悔しさに歯噛みをしているところです(笑)。
 じっさい、SM好きではあってもゲイである私には、氏の描かれるような、巨女への屈服といったファンタジーはありません。しかし氏の作品には、そんなセクシュアリティの差異を越えて、私を圧倒する完成度とパワーがあります。
 ちょうど、つい先日発売されたばかりの雑誌『QJr』の対談で、私は自分の感じるところのエロティック・アートの魅力を、「作者のファンタジーのみを母体として生まれ、それを突き詰めれば突き詰めるほど、ユニークで濃くなっていく、自己表現としての『純粋さ』や『アーティスティック』さ」といったニュアンスで喋っているんですが、春川ナミオさんの作品は、まさにこれにドンピシャ。
 かつて世間一般では、マイナーなセクシュアリティに対して、良く「歪んだ欲望」とか表現されたもんですが、馬鹿言っちゃいけません。表現としてこんなに「真っ直ぐ」なものは、アート全般を見渡しても、そうそうあるものではなく、だからこそ春川ナミオさんの作品は、こんなにも清々しく力強く美しい。
 もちろんテクニックや表現力といった、タブローとしての完成度の高さも、その美しさには一役買っております。紙の目を生かしながら柔らかく重ねられた、鉛筆の粉が描き出す陰影の美しさ。それによって描き出された艶やかに漲る臀部は、作者からの崇拝という無償の愛があってこその所産なのだ。
 そういった意味でエロティック・アートとは、それが生み出されるに至る原動力に、宗教芸術と似た構造を持っている……というのは、かねてからの自分の持論。
 アートついでにもうちょっと脱線すると、例えば春川ナミオ作品で描かれる、主観的なデフォルメと客観的なリアリズムが混淆した尻や太腿のフォルムを見ていると、私はどこかしらピエール・モリニエの作品との共通点を感じます。更に言えば、林良文は春川ナミオに大きく影響を受けたのではないかと、ひっそり考えていたりもします。
 もっと脱線すると、春川ナミオと同傾向のセクシュアリティを伺わせるマンガ家である、たつみひろしの絵を見ていると、ダイナミックなパースで描かれた圧倒的な肉の量感や、よりエスカレートしたスカトロジーやバイオレンスやファルスの描写などから、今度はシビル・ルペルトを連想します。
 こういった具合に、作品が表現として純化していくと共に、ポルノグラフィやイラストレーションといったジャンルや枠を跳び越えて、作者の思惑を離れたところで、純粋に作品の持つ力によって、モダン・アートの世界にも接近していく、というのも、私の感じるところの優れたエロティック・アートの魅力の一つ。
 そんなこんなもあって、やはり春川ナミオさんの作品は、圧倒的なまでに素晴らしい。
 今回の図録は2001年以降の作品を収録とのことですが、描かれている世界はいつもと変わらず、福々しくも凛とした顔立ちの美女たちの巨大な臀球に顔を埋める、小さく哀れな裸のマゾ男たち。
 でも、ぱっと見て「全部同じじゃん」と思うのは、それは観察眼が足りません。
 よくご覧あれ。巨尻による顔面騎乗という行為こそ同じでも、その置かれているシチュエーションは、男にまだ人格が残っているセクシャルなプレイの一環であったり、人格も喪って人間椅子のような器具化されていたり、男が己の意志で奴隷として美神に屈服する図であったり、逆に女が力によって男を征服するアマゾネスであったりと、実は千差万別なのだ。
 サド・マゾヒズムを扱ったエロティック・アートは、こういったディテール、すなわち一枚の絵から導き出される数多のモノガタリ性を、じっくりタップリねぶるように味わってこそ、その醍醐味を充分に堪能できるんです。パラ見は禁物、絵を能動的に「読みながら」鑑賞しましょう。因みに、私の一番のお気に入りは、4ページ目の「二人向かい合わせに縛られて、人間椅子にされている」やつ。
 ただ、妄想が奇想にまでエスカレートしている系の作品、例えば『巨女渇愛 vol.2』の「幻の女権帝国」に見られたような、人間椅子レベルの器具化も越えて、アクセサリーのように「女の尻から尻尾のようにぶら下がっている男」系の作品が収録されていないのが、個人的にはちょっと残念ではあります。あの、まるでチョウチンアンコウの男女関係(笑)みたいな姿は、視覚的にかなりインパクト大だったので……。
 図録はタコシェさんで、税込み1000円で発売中。
 ぜひお手にとって、じっくりとご鑑賞あれ。

PoserとかCarrara 5とか

 久々にCarraraをバージョンアップしてみました。Carrara Studio 2からCarrara 5へ。
 私の場合Carraraは、スプライン・モデラーかPoserのレンダラー用途がメインでして、今まで使っていたCarrara Studio 2では、データのインポートはWavefront OBJファイル経由でした。
 しかし、マテリアル設定をCarrara上でやり直さなければいけないのと、にも関わらず透明マップ関係が、設定をどういじっても不要なシャドウが出てしまったりエッジにフリンジのようなものが出てしまったりと、どうしても上手くいかないので、絵を描く際のシミュレーション以外の用途では、あまり使っていませんでした。
 後にCarraraのバージョンが上がり、加えてTransPoserという、Poserデータをそのままインポートできるプラグインも発売されました。これにはかなり食指が動いたんですが、OSのバージョンとCPUパワーの兼ね合いで、今度はCarraraそのもののバージョンアップを断念。で、今日に至ります。
 今回は、幸いにしてOSもマシンも新しいから(……っても、OSはPantherだし、ハードもMac mini 1.42GHz+メモリ1GBですから、既に古いスペックですけど)、新しいCarraraも問題なく動きそうなので、思い切ってバージョンアップ。
 Carrara 5はネイティブでもPoserデータのインポートは出来るらしいですが、ダイナミック・クロスを使うには、やはりTransPoserプラグインが必要。Carraraは廉価の機能限定版にして、TransPoserはバージョンアップを待って別購入、という手も考えたんですが、プラグイン関係のバージョンアップやリリース情報がどこにもなかったので、ここは思い切って最初からTransPoserがバンドルされているCarrara 5 Proに。……と思ったら、早々とTransPoserもバージョンアップしやがりました。クソ(笑)。
 使用感は、何しろ2バージョンとばしなのでウラシマタロウではありますが、うん、使いやすくなってます。
 重さに関しては、環境自体が違うので何とも言えませんが、以前のPower Mac G4 350Mhz + Carrara Studio 2のときは、なにをするにもモッタリモッタリしてストレス溜まりまくりでしたが、今回はサクサク……とまではいかないものの、まあ重い軽いという点では、Vueとさほど変わらぬ操作感。
 2と比べると、ブラウザのレイアウトが大幅に変わっていますが、これはかなり機能的で使いやすくなった。オブジェクトの移動・拡大縮小・回転といった操作も、2のときはコツを掴みにくくて失敗もままあったんですが、今回はポインタの場所でカーソルの形が変わってくれるので無問題。ホットポイントをいじるにはCapsLockをオンにするとか、ちょいと馴染みがなく直感的ではないようにも感じますが、まあこれも慣れの問題でしょう。右クリックで出すゴーストメニューとかも同様。
 あ、一つバグみたいなものも発見。Carraraではカメラビューとレンダリング画像枠がイコールではないので、最終的なレンダリング画像の構図を決めるには、カメラビューの中に「制作フレーム」という別フレームを表示する必要がある。ところが、これがマニュアル通りに「表示メニュー>制作フレームを表示」としても、何だかメッセージが出てきて、それにOKしてもしなくても、カメラビューに変化はなく制作フレームは表示されない。これは困りモンではありますが、とりあえずショートカットのCommand + Option +Fを試してみたら、今度は無事に表示できたのでホッとひと息。
 モデラーに関しては、スプラインはともかく、正直ポリゴン・モデラーの方は、やっぱどうもよーワカラン(笑)。頑張ってマスターすればいいんだろうけど、ついつい面倒くさくて、使い慣れた六角大王を立ち上げちゃう(笑)。
 しばらくご無沙汰していた間に、Carraraでは風景関係や植生関係の機能がアップしたらしいので、試しにサンプル・ファイルをレンダリングしてみる。
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 ……うわ、けっこうリアル。
 植生関係はともかく、地形や空はかなりいい感じ。空と雲は、マンガの背景用にも使えそう。でも、リアルな風景は、やっぱレンダリングにも時間がかかるのね(笑)。アニメーションに使ったら、大変なことになりそうだ(笑)。
 プリセットに月や太陽系の惑星といったオブジェクトやシーンもあったので、そっちもレンダリングしてみる。……うん、使える。特に月が嬉しいなぁ。過去に何度か、天文写真的な月の画像が欲しいと思ったことがあるんだけど、使えるものを探すのにけっこう苦労したので。でもCarraraを使えば、プリセットのシーンをちょちょいといじるだけで、ほらこの通り(笑)。
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 プリセットにはそれ以外にも、ロゴだの商品写真だの室内風景といった、デザイナーさんにとっての実戦向けなシーンもあり。カンプとかに便利かも。
 さて、ようやくお目当てのTransPoserを使ってみると……うわ、すっげー便利!(笑)
 マテリアル等、何のプラスアルファの必要もなく、そのままスムーズにインポート。マテリアルの再現性もPoser上のイメージと近いので、BryceやVueでレンダリングするときのような、レンダリングするアプリに合ったマテリアル設定を、あらかじめPoser上でしておくといった手間もいらず。
 Poserからはライティングもインポートできるので、「別アプリでレンダリングすると、Poserで見ていたときとフィギュアのイメージが違う」なんてお悩みをお持ちの方にも親切設計です。
 インポートにあたって、PoserとCarraraのサイズ換算を指定できるのもグー。つまり、別々のファイルで用意した複数のフィギュアを、Carraraで一つのシーンに読み込みたい、なんてときも、このサイズ換算を合わせておけば、Cararra上で大きさ合わせをする必要は一切ない。BryceやVueだと、これは手動で直感的にやるか、もしくはサイズの大きい別オブジェクトをテンプレートとするといった裏技を使う必要があったので、これも便利。
 インポート時に元のPoserのシーンファイルとリンクしておけば、修正をしたくなった場合も、Poserのオリジナル・ファイルに手をいれれば、それが自動的にCarraraのシーンにも反映されるのも便利。(ただ、制限はあって、Poser上で新たにオブジェクトを追加とかしても、それは反映されない)
 そんなこんなで、Poserとの連携という点では、正直Vue + Moverを上回ってますな、Carrara + TransPoserは。(Shadeは持ってないんで、よーワカラン)
 実は、TransPoserを使わなくても、CarraraにはネイティブでPoserファイルをインポートできる機能がありまして、これだとダイナミック・クロスやダイナミック・ヘアーは使えませんが、そのかわりボーンやモーフの情報をインポートできるので、仮にPoserアプリ自体を持っていなくても、PoserフィギュアをCarrara上で編集・アニメート等することが可能です。
 ただ、これでインポートすると、めちゃめちゃ重い(笑)。試しに10秒程度のアニメーション付きデータを、このPoserネイティブインポートで読み込んでみたら……フリーズしやがりました(笑)。アニメーション情報を持ち込まないなら、それほど重くはならないのかなぁ。
 あと、この方法だと、例えばPoserのテクスチャがRuntimeの中の複数フォルダに分散している、とかいう場合、テクスチャの場所がどこかとか聞いてくるので、いちいち手動で指定しなきゃならない。これが、思っくそ面倒(笑)。TransPoserでは、こーゆー手間もいっさいなしなので、Poserとの連携を考えている方は、やはりプラグインの使用をオススメしたいかな。
 さて、Carraraの魅力と言えば、価格のわりに機能が豊富だということと、レンダリングが早いということ。
 これを生かして、Poser + Carraraでアニメーションも作ってみたい、というのが今回の購入動機の一つ。Carraraの炎オブジェクトを使えば、Vueではちょっと難しそうな「火あぶり」とかも簡単にできそうだし(笑)、パーティクルを使えば「放尿」なんてのも作れるかもしれないし(笑)。
 でまあ、ぼちぼち作ってみると、うん、やっぱレンダリングは早いですね、Carrara。というわけで、ちょいとムービーのワンフレームを、原寸でご紹介。ヤバい部分はマスキング(笑)。
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 ピクセル比は、DVのワイド画像。レイトレーシングで、パラメーター設定はだいたいデフォルトですが、オブジェクトの精度を1px、アンチエイリアス品質を中に変更。動画なら、この程度で充分キレイだと判断。で、レンダリング所要時間は、1フレームあたり40秒足らずと、かなりストレスなくサクサクいけちゃいます。
 まあ、地形のような大量のポリゴンは使っていないし、大気設定もなしなので、Vueとの単純比較はできません。でも、例えば画面左側のスポットライトで使っている、3Dシャドウ付きのボリュームライト。Vueでこれをやると、いきなり処理が重くなって、レンダリングも桁違いに遅くなってしまう。また、Vueのレンダリングは透明マップがあると、これまた劇的に速度が遅くなる。
 しかし、Carraraだとそこまでの変化はなく、この程度のシンプルなボリュームライトだったら、レンダリング速度の変化も殆ど気にならないし、透明マップ関係(このシーンだと、左の男の髪、眼球、ヒゲ、あと隠しちゃったけど陰毛など)も、Vueほど極端に遅くなったりはしない感じ。
 今後ムービーを作る際は、室内シーンはCarrara、屋外はVueという使い分けになりそう。
 そんなこんなで今回のCarrara 5、かな〜り気に入ったので、今後出番が増えそうであります。
Carrara日本語版公式Webサイト。