ユルマズ・ギュネイ監督の《アナトリアン・ウェスタン》3作

 1985年に日本公開もされた映画『路』(1982)でカンヌのパルム・ドールも受賞した、トルコの伝説的な映画監督ユルマズ・ギュネイ監督/主演による、俗に「アナトリア・ウェスタン」とも呼ばれる初期作品3作の感想。
 鑑賞は全て英語字幕付きトルコ盤DVDにて。

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“Aç Kurtlar” (1969) Yılmaz Güney

 山賊のせいで妻を喪い、官憲に追われながらも山賊狩りをする《雀のメフメット》と呼ばれるアウトローと、雪深い寒村を苦しめている山賊たちや、彼を追う官憲との戦いを描いた、ウェスタン調のドラマ。
 タイトルの意味は「飢えた狼たち」らしい。

 マカロニ・ウェスタンならぬアナトリア・ウェスタンという世評の通り、確かにそういった雰囲気が濃厚。「誰だ!」と問われた主人公が、「俺はアズラエル(死の天使)だ!」と答え、ババッと早撃ちで敵を皆殺しにするとか、モグラのように雪にトンネルを掘って敵を奇襲するとか、そういった感じのケレン味ある描写がそこかしこに。
 それと並行して、凌辱された女性が死を選ばされる不条理への怒りであるとか、アウトローであるヒーローに社会正義を托して、見ているこちらとしては心情的に、体制側が完全に悪として感じられるように描いているあたりは、いかにも反社会的として何度も投獄された、反骨の作家らしいところ。
 表現面は、正直まだかなり荒いという印象。編集がぎこちなく、繋がりがギクシャクしている部分が散見されるし、音楽の使い方とかも、ちょっと笑っちゃうようなところ(例えば、山賊に掠われた娘さんがあわや強姦…というシーンで、大音量でリヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはかく語りき』が鳴り響くとか)があったり。
 とはいえ、モノクロ映像の一面の雪景色の中に、人影がシルエットのように浮かびあがる構図のキレとか、無言の顔のアップによって、情感が言葉より雄弁に伝わってくるカットとか、やはりタダモノではないと感じさせられるシーンも多々あって、荒削りながらも、あちこちキラキラと輝いている感じは受けました。

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『エレジー』(1972)ユルマズ・ギュネイ
“Ağıt” (1972) Yılmaz Güney

 主人公率いる山岳民族出の密輸団が、裏切りや国家憲兵からの追撃や内紛などを経て、一人また一人と滅んでいく様を描いた、アナトリアン・ウェスタンもの。

 ストーリーとしてはシンプルで、いわゆるアウトローの悲劇を描いたもので、作劇的にもあちこち荒さが散見されますが、とにかく映像のパワーがハンパない。
 特にクライマックス、マジモンの巨岩がゴロゴロ崩れ落ちる中での銃撃戦は、その映画製作に賭ける本気度に、狂気すら感じられるほど。もう、このクライマックスだけでも一見の価値あり。なんかすげぇもの見ちゃった感。
 他にも、麻酔なしで手術を受ける主人公の姿と、激しい落石と、生まれたばかりの鳥の雛が大口を開けて騒いでいる映像のモンタージュとか、そんな激しいシーンの合間合間に見られる、静謐で叙情的な描写とか、暗い室内に潜む敵を、鏡の反射光で照らしながら探す場面の緊張感とか、あちこち映像的な見応えがバッチリです。

 クライマックスのGIF動画。音がないので判りにくいかもだけど、こんな感じで延々と続くので、その迫力に圧倒されます。
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“Seyyit Han” (1968) Yılmaz Güney

 主人公セイットは7年振りに故郷の村へ戻ってくる。村には彼と将来を約束した娘ケジェがいたが、セイットは既に死んだという噂があったため、ケジェの兄は妹を村の有力者に嫁がせることを決めており、セイットが帰還したのは、まさにその結婚式の日だった。
 セイットの帰還を聞き、ケジェは彼の元に走ることを望むが、一族の名誉に傷が付き兄の身にも危険が及ぶことを思い、その本心とは裏腹にセイットに別れを告げる。セイットもまた、自分の愛した全ては喪われ、過去のものになってしまったのだと諦め、村を去ろうとする。
 しかしケジェの結婚相手の有力者は、新婦が未だセイットのことを愛していることを知り、妻の裏切りへの制裁として、セイット自身の手でケジェを殺させ、それをケジェの兄に教えてセイットを殺させるという奸計を企み……といった内容。

 前の”Aç Kurtlar”と同様、ふらりと酒場に入ってくる腕の立つ流れ者という導入、巨悪や社会的因習に蹂躙された主人公の復讐劇というプロット、数で勝る敵に主人公が単身殴り込みに行くクライマックス……と、ストーリーの骨子自体はマカロニ・ウェスタンや東映ヤクザ映画風です。
 しかし最大の見所は、途中延々とセリフなしで描かれる、結婚式のシーン。
 賑々しい婚礼の音楽、打ち鳴らされる空砲、婚礼の行列を遠くから眺める主人公、鳥や蛙がつがいになっているインサートカット、ヴェール越しの花嫁の涙、葦笛を作り奏でる主人公……といった数々が、何とも素晴らしい効果。この一連のシークエンスの素晴らしさは、後にパルム・ドールを受賞する監督の面目躍如といった感じ。
 アナトリア地方の風俗をふんだんに取り入れた(のであろう)面白さや、水平に拡がりのある風景を生かした構図の数々など、この場面だけでも一見の価値はあり。
 反面、ガンアクションなどの娯楽映画的要素は、一面の雪原での撃ち合いをケレン味たっぷりに見せる”Aç Kurtlar”や、岩石がゴロゴロ崩れ落ちる中での銃撃戦がド迫力だった『エレジー (Ağıt)』と比べると、さほどこれといった見せ所はない感じ。
 とはいえ、いわば名誉殺人的な思想を背景とした、敵が主人公自らの手で彼の恋人を殺させようと企み、それがそのままクライマックスへと続くあたりのエモーショナルな盛り上がりは上々。

 7年前に主人公が何故村を出たか〜帰還した恋人のもとに向かうヒロインという場面のクリップ。さほど魅力的なシークエンスではありませんが、中間部の長回しは、前述した水平構図云々の雰囲気が掴めるかと。