メリー・クリスマス

 クリスマス・イブだけど、仕事してます。
 現在描いているマンガの主人公は、こんな男。
draft_2009xmas
 これだけだと、あまりにクリスマス気分と関係がなさすぎるので(笑)、ゲイ・アーティスト仲間から貰ったクリスマス・カードも、一緒にご紹介。

 アメリカのアーティスト、Rob Clarkeから貰ったヤツ。
 相変わらずクィアなネタ(笑)。GIFアニメで動きます。
lottaballs_Gengoroh

 イタリアの二人組アーティスト、Franze & Andärleから貰ったヤツ。
 フランスのH&OやドイツのBruno Gmunderから、海賊が主人公のゲイマンガ”Black Wade (Jimbo)”が発売中。
xmascard2009

 それでは皆様、良いクリスマスを。

 一つ追加。
 ロシアの二人組アーティスト、Alexey & Alexeyからもグリーティングが届きました。
 ダイレクトなブツだったので、申し訳ないけれど、ちょいと修正いれてのアップです。
xmas_alexey

『レッド・ウォリアー』

レッド・ウォリアー [DVD] 『レッド・ウォリアー 』(2005)セルゲイ・ボドロフ/アイヴァン・パッサー
“Nomad” (2005) Sergei Bodrov / Ivan Passer

 例によって酷い邦題ですが、原題は「遊牧民」の意で、18世紀のカザフスタンを舞台にしたエピック・ドラマ。
 制作国はカザフスタンとフランスですが、制作途中で資金切れとなり、ハリウッド資本(ワインスタイン兄弟)に引き継がれたらしいです。というわけで、米国公開バージョンなのかセリフは全て英語、メインの俳優陣も、アメリカ/イギリス映画で見かける面々。

 ストーリーは、18世紀のカザフスタン、複数の氏族が割拠して統一国家としては成り立っていなかったカザフ人のもとに、モンゴル系のジュンガル人が来襲して危機に陥っていたところ、予言された英雄が現れ、民族を統一してカザフスタンの危機を救う……といった内容。
 ここいらへんの歴史は全く知らなかったので、それだけで興味深く見られましたが、映画の感触としては、歴史劇というよりエピック・アクション劇といった感じで、往年のソード&サンダル映画なんかに近い、肩の凝らない娯楽作でした。
 救世主出現の予言、親を殺された赤子、主人公を導くオブザーバー的な役割の師、幼なじみの戦友、ヒロインを巡る三角関係……といった具合に、エピソード自体はエピックもののクリシェのオンパレードといった感じで、ストーリー的な新味は、あまりありません。
 実は、セルゲイ・ボドロフの単独監督作品だと思っていたので、けっこう期待していたんですが、その期待は、正直外れてしまいました。
 というのも、再生してみたら、監督がボドロフとアイヴァン・パッサーの二名になっていて、「ん?」と思ったんですけど、後からIMDbで調べてみたら、そもそもはパッサーが監督していたところ、前述の資金難で新しいプロデューサーが入り、その時点で監督もボドロフに交代したらようです。
 そのせいもあってか、ボドロフ監督の2007年作品『モンゴル』には、いたく感銘を受けたんですけど、この『レッド・ウォリアー』には、『モンゴル』の美点は殆ど感じられず。あの、神話的なまでの力強さを期待してしまうと、完全に裏切られてしまうのでご注意あれ。

 逆に、『モンゴル』がイマイチだった人には、こっちは軽い娯楽作品として退屈せずに楽しく見られるので、オススメかも。私自身、前述の期待値をさっ引いて考えれば、けっこう楽しめました。いちおう歴史に題材を採ってはいますが、モノガタリの構造としては、中央アジアの遊牧民というエキゾチックな舞台で繰り広げられるヒロイック・ファンタジー(ただし魔法と筋肉は抜き)みたいな感じなので。
 中央アジアの草原がメインなので、風景なんかは実に雄大で良し。騎馬の群れや軍団なんかの、物量感も佳良。
 町並みや城塞なんかも、国は違いますが、サマルカンドやタシケントなんかを思わせるペルシャの影響が色濃い様式で、そんな城塞を舞台にした攻城戦とかは、あまり他では見られませんし、見ていて楽しいです。
 アクション面では、いかにも遊牧の騎馬民族といった感じの、アクロバティックな乗馬技術を生かしたシーンなんかに、目を惹かれます。左右に居並ぶ矢衾の間を、サーカス芸のように馬を乗りこなし、飛んでくる矢を交わしながら駆け抜けるシーンとか、かなり見応えがありました。
 風俗描写やお祭りの情景なんかが見られるといった、観光映画的な楽しさもあり。
 ああ、あとラストカットが美しかったなぁ。ここはすごく印象に残りました。

 ただ、役者さんにちょいと難ありで、別に演技とかは問題ないんですが、問題はルックス。
 いや、美形だのブスだのといったことでもなくて、主役のクノ・ベッカーという人(未見ですが、『GOAL! ゴール!』シリーズの主演男優さんだそうです)、この人はメキシコ人らしいんですけど、正直、お顔が白人白人しすぎていて、あんまり中央アジアの人には見えないんですよ。
 サブ・キャラクターのジェイ・ヘルナンデス(『ホステル』の主役の人)も、いかにもラティーノといった顔なので、同様の違和感があるし、悪役のマーク・ダカスコスも、この人はハワイ系らしいですが、やっぱりしっくり来ない。
 まあ、民族や文化が交錯している中央アジアだし、バタくさい顔でも不思議はないのかも知れませんが、それでも周囲の人々がモンゴロイド系の顔なだけに、やっぱちょっとヘンな感じがします。特に主役のベッカーは、どう見ても父親役の人と同じ人種には見えないし。
 というわけで、メインのキャラクターが、それらしく見えないというのが、どうも全体の説得力の足を引っ張っている感が否めません。今どきの映画で、これはちょっと辛いかなぁ。
 ただ、オブザーバー役のジェイソン・スコット・リーや、ヒロインのオンナノコ(ちょい、眉毛描いている珍獣ハンターの人に似ている気が)や、敵の王様なんかは、違和感もないしいい味を出しています。

 そんなこんなで、まあ全体的に「そこそこ」ではありますが、中央アジアの風物史が好きとか、馬が好きとか、エキゾなエピックが好きとか、絵面としての歴史劇を楽しみたいとか、そういった好きポイントが合致する人ならば、珍しいネタでもありますし、一見の価値は充分にあると思います。
 シルクロード好きなら、要チェックですね。

『クズが世界を豊かにする』

クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論 『クズが世界を豊かにする─YouTubeから見るインターネット論』松沢呉一

 仕事の息抜きにちょっと……とか思って読み始めたら、もうそのまま止まらなくなって最後まで突っ走り、結果、仕事に大支障をきたしてしまった……とゆーくらい、とにかく内容が面白い!
 まず最初に、それを強調しておきたいと思います。
 具体的にどういった内容の本かと言いますと、副題にもあるように、YouTubeで見られる種々雑多な映像の紹介を通じて、では、そういったものから何が見えるか、ということを著者が思索探求していき、それがインターネット時代におけるメディア論や、日本と欧米の比較文化論、アートやパフォーマンスの表現論、などなど、様々かつ刺激的な論考が述べられる本です。
 で、それがめっぽう面白い。
 基本的に語り口調のせいもあって、ミクロから始まりマクロへと至る著者の論考が、その移行プロセスそのままに、まるで共通体験をしているようにダイレクトに頭に入ってくる。しかも、ちっとも堅苦しくないどころか、逆にユーモア満載、しかも思考の展開プロセスはスリリングですらある(だって耳クソの話がメディア論に繋がったりするんだもの!)ので、読んでいてホント、面白くて、途中でヤメられなくなっちゃう。
 そんな具合で、著者の人並み外れた好奇心と探求心もあって、本の内容も実に多層的です。
 前述したような、メディア論や比較文化論といった要素もあるんですが、例えば、インターネット時代に対応した思考方法の転換を説く指南書的な側面もありますし、或いは、インターネット時代のメディアに適合した情報発信方法のHOW TO書的な側面もある。ビジネス書的に読んでも、おそらくヒントがいっぱいあるんじゃないだろうか?
 より有効に楽しくインターネットと付き合う方法も学べますし、特に、受動的にそれらを消費するだけではなく、ホームページやブログ等を使って情報や表現を発信したい人なら、この本から得るものは沢山あると思います。あと、作家さんや編集者さんだったら「判断の主体」の章は必読!
 私自身、これまで考えてきたこととか、これからやりたいと思っていることについての、方法論や思考法的な意味での解答やヒントがいっぱい得られました。
 そんなこんなで、お世辞抜きで激オススメの一冊。
 いや〜、思考する楽しさを満喫しました!
 松沢さん、スゴい!
 出版社による本の紹介ページはこちら
 松沢呉一さんのブログはこちら

『映画秘宝』とか

映画秘宝 2010年 02月号 [雑誌] 映画秘宝 2010年 02月号

 現在発売中の雑誌『映画秘宝』2月号で、特集「ゼロ年代ベストテン!!」に、アンケートおよびコメントが掲載されております。
 どーゆー特集かというと、2000年から2009年までの、いわゆる「ゼロ年代」に制作・公開された映画のなかから、個人的なベストテン作品と、ベストワン男優、ベストワン女優、ベストワン監督、ベストワンシーンなどを選出し、その理由などのコメントを添えるというものです。
 評論家、ライター、タレント、漫画家、小説家、映画監督……などなど、カルトでゴージャスな皆様に混じって、私のベスト&コメントも載っておりますので、よろしかったらぜひお読みくださいませ。

『シュマリ』のホモソーシャル性とホモセクシュアル性

シュマリ 1 (手塚治虫文庫全集 BT 25)シュマリ 2 (手塚治虫文庫全集 BT 26)
 手塚治虫文庫全集で『シュマリ』が出ていたので、久々に読みたくなって購入。例によって、私の持っていた本(小学館文庫版)は、実家に置いてあって手元にはないもんで。
 で、およそ20年ぶりくらいに再読したら、中盤で描かれるシュマリと人斬り十兵衛の関係性に、やけにドキドキしちゃったりして。
 というのも、基本的にこの二人の関係は、あくまでも「男同士の固い友情」、つまりホモソーシャル的なものなんですが、今回再読したら、そこに、ホモソーシャルからホモセクシュアルへと揺らぐ、微妙な「危うさ」のようなものを感じてしまっだのだ。
 加えてこの十兵衛というキャラが、ヒゲ面の中年男だし、腕や足にはしっかり毛も生えているし……まあこれは手塚マンガの常で、コマによってあったりなかったりするんですけど(笑)、内面的にも、過去を捨てた寡黙で一本気な男、しかもめっぽう腕も立つ、という、ツボのド真ん中を付いてくるタイプで、オマケにしょっちゅう、褌一本の裸になるもんだから、なおさらドキドキしたりニヤニヤしたり(笑)。

 具体的に、どーゆートコロにドキドキしたかというと、シュマリと十兵衛は、札幌の集治監(監獄)で出会うんですが、最初はフツーに、互いにタダモノならぬ気配を感じて牽制し合うような、いかにも「男と男」の関係なんですな。
 ところが、とある事件をきっかけに、十兵衛はシュマリに一目置く……というか、その男気に惚れて、シュマリが炭坑に移送されると、自分も一緒についていくことを望む。
 で、いざ炭坑に移ると、二人は起居を共にするようになるんですが、ここでの十兵衛は、シュマリのためにたすき掛けで料理は作るわ、針仕事はするわ、弁当のオカズに気を配るわ、あまつさえ、食卓で物価の高さに愚痴をこぼしたり、厨房で後かたづけをしながら情歌めいた都々逸を口ずさんだり……と、まるでシュマリの女房のように振る舞うわけですよ。
 はぐれ者のいかつい野郎どもが、こうして二人身を寄せ合って暮らすというのは、それだけでも私的には、かなり「萌え」なシチュエーションなわけで(笑)。
 では、どこが前述の「危うさ」に通じるかというと、基本的に、「男が男に(精神的に)惚れる」という、ホモソーシャル的なリレーションシップとは、これは、二者が互いに相手を「オス同士」だと、認め合っていることが前提となるわけですよ。
 ところが、この場合の十兵衛は、シュマリの中に、自分の「オスらしさ」を越える「男性性」を見て、共に生きたいと願った結果、自らシュマリの女房役を買ってでている。つまり、「対等のオス同士」だという関係は、この段階で既に崩れているんですな。

 そこでちょっと、十兵衛がシュマリの男気に惚れた「事件」を、改めて振り返ってみると、未読の方のお楽しみを削がないように詳細は省きますが、実はこの事件は、「男根の切断」で始まり「睾丸の粉砕」で終わっている。
 となると、いささか強引ではありますが、この一連の流れを構造的に整理して考えると、以下のような構造が浮かびあがってくる。
 まず、オスだけの社会で、あるオスAが自分の強さを誇示するために、他の弱いオスを力によって去勢する。
 そこに、もっと強いオスBが現れて、オスAはオスBに負けて去勢されてしまう。
 それを見ていたオスCが、オスBの中に自分を越えるオスらしさを認め、そこに惚れ込む。
 そして、オスBが群れを離れる際、行動を共にすることを望んだオスCは、自らに状況的な去勢を施す……つまりジェンダー・ロール上でフェミナイズすることによって、オスBと「つがい」の関係になろうとする。
 どうです、こう書くと、かなり「危うい」感じでしょう(笑)。

 まあ、深読みのし過ぎだと思われるのは、重々承知のうえではあります。
 しかし、実際に十兵衛が、炭坑に移送されるシュマリについていきたいと望む場面では、彼は「道行き」なんていう、男女の駆け落ちや心中行の意味がある言葉を使っていたりするんで、こりゃ深読みもしたくなるってもんです。
 そして、もっと後になって、十兵衛の昔馴染みだったらしい「なつめ」という女が出てくると、こういった「危うさ」が、もっと深まってくるんですな。
 なつめは、十兵衛を慕って追ってきたんですが、それを十兵衛は「そんな女は知らない」と突っぱねる。そんな十兵衛に対して、シュマリはそれとなく「その女と一緒に行け」、つまり、自分ではなくその女と「つがい」になれと勧める。すると十兵衛は、こう答える。

見損なっちゃ
いけねえ
おれはおまえと
死ぬまで離れんと
決めたんだ
おれにとっちゃ
おまえさんしか
頭にないんだよ

 という感じで、こうなるともう、恋愛感情による三角関係の様相と、構造的には同じなわけです。
 もちろん全体を通じて、あくまでも「男と男のあつい友情」という枠は、外見的には崩れてはいないんですけれど、どうも私には、このシーンが「ホモソーシャルという分厚い楯の隙間から、一瞬、秘められたホモセクシュアル的な情念が噴出した瞬間」のように見えてしまう。

 こんな感じで読み解いて(或いは意図的に誤読して)いくと、まだまだ他にも気になる要素が出てくる。
 例えば、なつめというキャラは、初登場時に「男装」しているんですな。
 まあ、こういった異性装というのは、手塚作品では定番のネタなので、それほど特別視することではないんですが、しかし、十兵衛が以前関係を持っていた「女」が、こういった「男装」が可能な、つまり、性差にアンドロギュヌス的な「曖昧さ」を持つキャラクターだということは確かなわけで。
 また、この場にはもう一人、オス的な獣欲の塊のような、弥十という男(これ、音が「野獣」と同じなあたりが、いかにも手塚作品っぽい)が居合わせている。
 弥十は、なつめが女であることに気付き、オスとしての欲望の手を伸ばす。それを感じたなつめは、十兵衛に庇護を求める眼差しを向けるんですが、十兵衛は全くそれに気付かない。この場面のみならず、十兵衛が女に対して、何らかのオス的な興味を示すシーンは、全体を通して皆無なんですな。
 更にもっと言うと、十兵衛が捨てた過去の中にも、男色や衆道といったものに結びつけることが可能な要素があったりする。
 とはいえ、この件に関しては、読者の知識次第で、そういう深読みも可能になるというだけで、マンガの中でそういった部分に関する言及があるわけではないですし、前述した知識というのも、一般的というよりは、かなり偏向したものだとは思いますが。
 まあ、こんなことを考えていると、どんどん「ゲイ的な興味」から「やおい的な妄想」になってしまいそうなので、ここいらへんでヤメにしておきましょう(笑)。

 そんなこんなで、もともと『シュマリ』という作品は好きだったし、十兵衛だけではなく、お峯さんとかポン・ションとか、好きキャラもいっぱいいたんですけど、今回の久々の再読では、やっぱりこの十兵衛が絡む第11章から第23章までが、特に印象に残りました。
 でも不思議なことに、最初に読んだときも……これは確か高校生の頃だから、ひゃ〜30年前だ(笑)、それから何度か再読したときも、十兵衛とシュマリの関係性にジーンときたり感動した記憶はあるけれど、こういう感じでドキドキしたっつー記憶は、全くなかったりします。
 ひょっとしたら、歳くってプラトニック・ラブに憧れるようになったのかしらん(笑)。それとも、やおい脳が進化しちゃったのかも(笑)。

『提督の戦艦』

提督の戦艦 [DVD] 『提督の戦艦』(2008)アンドレイ・クラフチューク
“Адмиралъ” (2008) Andrei Kravchuk

 第一次世界大戦からロシア革命の激動の時代を舞台に、ロシア帝国海軍の提督から白軍の司令官となったアレクサンドル・コルチャークの後半生を描いた映画。
 DVDパッケージの煽り文句は、スペクタクル戦争アクションという感じなんですけど、実際に中身を見てみると、ストーリー的な軸は、コルチャーク提督と部下の妻の不倫劇で、その合間合間に、歴史的叙事や大規模な戦闘シーンが描かれるという内容。いわば、スペクタクル・メロドラマって感じ。

 で、スペクタクル系のヴィジュアル面は、実に充実しております。戦闘シーンは、物量もスケール感もあれば、迫力やエグ味もタップリ。広大なロシアの風景も雰囲気抜群。
 また、歴史劇としてのヴィジュアルも、美術や衣装は文句なしの出来映えだし、舞踏会とかは実に華麗でゴージャス。絵巻物的に存分に楽しめるので、そういう面の満足度はかなり高し。
 ただ、内容の方は……まあ悪いとは言わないけど、いささか単純に過ぎるかなぁ。
 メロドラマ部分は、視点が完全にヒーローとヒロインに寄り添っているパターンなので、主人公カップルに感情移入して見ないと、ちとキツい。主役二人以外のキャラクターに関して、ほとんど掘り下げがないので、人間ドラマ的な深みという点では、正直かなり物足りない。
 ただ、ヘンに判りやすい悪役然とした恋敵がいるとか、そういったキャラクター造形的な安っぽさがないのは好印象かな。二組の夫婦による四角関係のわりには、あんまりドロドロしないので、前述したような物足りなさがある反面、スッキリとした清々しさのようなものはあります。

 歴史劇としては、時事を綴った絵巻物的には面白いんですけど、それ以上でも以下でもなし。
 エピソードや見せ場は盛り沢山で、見ていて飽きることも全くないんですけど、反面、歴史観がシンプルすぎて、善悪がはっきりとした紋切り型であるという感は否めない。
 あと、やはりキャラクター描写が主人公カップルに偏り過ぎているので、それ以外に色々とドラマチックなことが起こっても、叙事的な群像劇としての魅力がイマイチで、もう一つエモーショナルな盛り上がりに繋がらないのは残念。
 そんなこんなで、ある意味単純極まりない内容を、豪華絢爛でスペクタキュラーな映像で彩るという、いわば『タイタニック』のロシア版みたいな感じです。じっさい構成とか見ると、かなり同作を意識しているっぽいし。
 個人的な好みだけで言うと、こっちのヒーロー(『ナイトウォッチ』の主演男優)の方がディカプリオよりもタイプだし、ヒロインもこっちの方が美人に感じたので、『タイタニック』よりは感情移入しやすかったかな(笑)。
 まあ、ボンダルチュクの『戦争と平和』や、リーンの『ドクトル・ジバゴ』なんかと比べてしまうと、率直に言って、それらには遥かに及ばない出来ではありますが、シンプルゆえの気楽な面白さはあるし、画面自体は前述したように見応えタップリなので、歴史モノが好きだったら見て損はないと思います。

 最後に一つ、興味深かったのは、イデオロギー的な立ち位置。
 この映画では、完全に、ロシア革命や赤軍を「悪」、主人公側の白軍を「善」とする立場で描いています。
 ナチスよろしく、暴虐的な集団として描かれるボリシェヴィキを見て、つい相棒と「ソビエト時代だったら、ぜったいに作れなかったよね〜、こんな映画」なんて言い合ってしまったくらいで。
 しかし、社会のパラダイム・シフトによる価値観の逆転が、かくも極端に出ているのをオンタイムで見ると、ちょいと空恐ろしい感じはします。二次大戦前後の日本も、こんな感じだったのかしらん。

“GOKU vol.3″、続報

h&o_site_goku
 マンガ『君よ知るや南の獄』フランス語版”GOKU”の最終巻ですが、版元であるH&Oのサイトに情報がアップされました。
 それに伴いサイトのトップ絵も、ご覧のように三上くんになってます。
 ……うん、我ながら凛々しく描けてるぞ(笑)。
 例のコフレ(ボックス入り三巻セット)の画像も、サイト内にアップされているので、興味のある方はどうぞ。大仰な化粧箱とかではなくて、カジュアルな感じです。あっちの本屋で、クリスマス・プレゼント用とかに買ってもらえるといいな(笑)。
 あとは、現物が届くのを待つばかりですが、この出版社はいつも対応がしっかりしているので、まず大丈夫でしょう。

『戦場でワルツを』

『戦場でワルツを』(2008)アリ・フォルマン
“Vals Im Bashir” (2008) Ari Folman

 1982年、イスラエルのレバノン侵攻に従軍しながら、その当時の記憶がない主人公(監督自身)が、その記憶を取り戻すために、当時を知る様々な人々にインタビューしていくというドキュメンタリーを、実写ではなくアニメーションという手法を使って描いた作品。
 公式サイトはこちら

 いやぁ、スゴかった……。
 あちこちで話題になっていた作品でもあるし、私自身、町山智浩さんが紹介していたのを聞いて以来、期待もしていたし、あれこそれ想像も巡らせていたんですが、それらを遥かに上回る内容でした。
 基本的にこの映画は、パーソナル・ヒストリーを描いたドキュメンタリーです。
 邦題に「戦場」とあるように、確かに戦争という状況下の出来事を描いたものではありますが、監督の視線は、戦争というシステム自体の様相を描くのではなく、あくまでもそれを、その中に組み込まれていた個としての目線で見ている。
 この軸は、一貫してぶれることはなく、よって、戦争および戦場のあらましを含めた全てのエピソードは、徹底的に主観として描かれています。
 一例を挙げると、取材対象であるインタビューイたちの映像は、アニメーション的な自由さとは全く無縁の、実写的で地味な映像(しかし同時に、対象との心理的な距離感に応じて、映像的な「色気」も変化するという細やかさ)で描かれます。
 対して、彼らの語りから呼び起こされた記憶や、その語りによって聞き手(主人公である監督)の脳内に再生された光景は、例えそれが現実に起こった出来事であるとは言え、表現としては、いかにも映像作家らしい奔放な、時として華麗なまでのイマジネーションを伴って描かれる。
 そして、こういった徹底した主観表現によって、描き出されたものは、逆に個を越えた普遍的なものへと到達し、しかも最後には、それらが主観から客観へと、鮮やかに転じる。
 これはつまり、個人の内面を掘り進めた結果が、より汎的かつ普遍的な価値観へとつながり、同時にそれが、社会的な意義にも繋がっているというわけで、いわば芸術作品として超一級の出来映えと言える内容。
 にも関わらず、晦渋さや自己満足的な閉塞感は全くない。それどころか、ミステリー的な構造や、前述したような映像表現、そして、巧みな音楽の使い方などによって、娯楽作品的な要素も兼ね備えている。加えて、絵とは何か、実写とアニメーションの違いとは何か、といったメディア特性をしっかりと把握しながら、同時にそれを完全に生かし切っている。
 いや、お見事、素晴らしい!

 作品制作のスタンスが、前述したようなパーソナル・レベルに基づくものなので、レバノン侵攻自体が何であったのかとか、その是非や功罪を検証したいといったような、政治的な興味が主で見てしまうと、ちょっと物足りなかったり、不満な部分もあるかもしれません。
 しかし、そういったことを期待するのなら、それこそ本の一冊でも読むか、あるいはテレビのドキュメンタリー番組を見たほうが良いでしょう。前述したように、この映画の本質は、地域や社会を限定した特定の戦争自体を描くことではないのだから。
 この映画で真に刮目すべき点は、特定の戦争を個の視点のみで描きつつも、いつの時代どこの場所の戦争でも変わらない普遍性を獲得し得ているということ、そしてそれを、優れた映像芸術として表現し得たこと、この二点に尽きます。
 ただ、鑑賞にあたっては、多少なりともレバノン内戦に関する知識がないと、判りづらい部分があるかも。
 最小限、そもそもレバノンはキリスト教徒とイスラム教徒が共存してバランスを保っていた国家だということと、そこにパレスチナ難民が流入したことでパワー・バランスが崩れ、内戦状態に突入したということ、主人公の属するイスラエル軍は、キリスト教徒側の支援のために内戦に介入したということ、くらいは知っておいた方がよろしいかと。
 でも、さほど難しく構えなくても大丈夫。
 タイトルにもなっているバシール(原題は『バシールとワルツを』)という人は、レバノン国内のキリスト教徒側勢力、ファランヘ党の若きカリスマ指導者で、イスラエルのバックアップによって、レバノン大統領に就任した人物らしいですが、私自身、このバシール・ジェマイエルという人に関する知識はなかったけど、そこいらへんのあらましは、映画を見ているだけでも見当がつきましたから。
 まあ、それでもこういう内容の映画は、背景の理解度が深ければ深いほど、映画の理解度は深まりそうではあります。
 因みに私個人は、一昨年にドキュメンタリー映画『愛しきベイルート/アラブの歌姫』を見て、「ひゃ〜、レバノン内戦って、こんなヤヤコシイことだったのか」なんて感じたことが、状況を理解するための助けになった部分があったので、興味のある方はご覧になってもよろしいかも。DVDも出てますんで。

 でも、背景説明ではなく、映画の内容自体に関しては、これは絶対に余分な知識はない方がいいと思います。
 ストーリーとかに関しては、下調べしたりせず、できるだけフラットな状態で見るのがオススメ。
 いやはや、それにしても、今年も暮れになってスゴいのを見ちゃったなぁ……って気分。
 まだちょっと、打ちのめされてる感じだなぁ。
 自分にとって、今年のベストワンはこれかも。

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つれづれ

 フランスの出版社H&Oから、「GOKU(『君よ知るや南の獄』の仏題)の3巻を、今月18日に出すよ」と連絡あり。
 この本は、翻訳段階で大きく躓いてしまい、発行が遅れに遅れてしまったんですが(最初の翻訳者が仕事を途中で放り投げて失踪してしまったのだ)、今年の1月は1巻が無事発売されてからは、こうして残りも順調なペースで進んでくれて、とりあえずはホッと一安心です。
 この3巻の発売と同時に、全3冊を収納できるボックスも出る予定。彼らは「コフレ」と言っていましたが、仏話辞典にある「化粧品や宝石を入れる小箱」って説明とは、だいぶイメージが違う(笑)。だって、カネボウの化粧品で「コフレドール」ってのがありますが、あの「コフレ」と同じ「コフレ」だし(笑)。
 本の詳細等は、手元に本が届くなり、H&Oのサイトに動きがあるなりした時点で、また改めてお知らせします。
 また、これと並行してH&Oとは、次の仏訳版マンガや新しい画集の話なんかも進行中なので、こちらも具体化したら改めて。まぁ、いつになるかは判りませんけど(笑)。

 これとは別件で、やはりフランス相手の打ち合わせが一つ。日本のマンガの研究書シリーズを出している小さな出版社で、そのエディターが来日したので、近所の茶店でミーティング。
 ここの出しているマンガ研究書シリーズは、第1弾のテーマが「BL」(このときちょっとお手伝いしました)、第2弾が「手塚治虫」(パリで本を貰ったんですけど「手塚治虫のカーマスートラ」なんつー思っくそ面白そうな章もあるのに、フランス語だから読めないのがチョー残念)でした。今回の話は、次はマイナー系だかアングラ系だかという括りで本を出すので、またそれに協力して欲しいという内容。
 まあ、発行予定はまだまだ先のことのようで、無事に出るのかどうかも判りませんが、自分に出来ることなら協力はしますよ、と、お返事。
 このエディターさんが、今年の5月にもパリで会った人なんですが、日本語ペラペラ読み書きもOK。メールも会話も全て日本語なので、コミュニケーションが楽チン(笑)。ついつい話も弾んで、フランスでの日本のマンガの出版事情とか、BLがどう受け止められているかとか、いろいろ面白い話も聞けました。

 今日見たDVDは、これ。

今日も僕は殺される デラックス版 [DVD] 『今日も僕は殺される』(2007)ダリオ・ピアーナ
“The Deaths of Ian Stone” (2007) Dario Piana

「今日、僕は殺された。そして、明日も殺される…。 目が覚めるたびに始まる何事もない一日。しかし、その結末には必ず無残な「死」が待っている。 覚えているのは、殺された時の絶望的な恐怖感だけ。僕は殺されるために生かされているのか? ループする「死日常」の果てに訪れる闇の真実とは…?」なんて惹句から、ホラーかミステリーかサスペンスか、はたまた不条理系かと思ったんですが、蓋を開けてみたら、どっちかというとダーク・ファンタジー系+モンスターものといった感じの内容でした。
 しかも、モンスターものしても、かなり古典的なスタンス。ドラキュラのバリエーションと言っても良いくらいで、結末(というか解決法)も今どき珍しいくらいの直球勝負。オチに驚くんじゃなくて、ヒネリのなさにビックリしちゃったくらい(笑)。
 正直、シチュエーションの面白さのわりに、ストーリーはそれを生かし切れていない感が強いんですけど、テンポは良いし、演出自体も佳良なので、ダレたり飽き足りすることもなく、楽しく一気に見られました。全体のムードも、奇妙な物語系の不穏な空気に、モダン・ホラー的なソリッドさを上手く混ぜた感じで、なかなかヨロシイです。

 でまあ、私の一番のお目当ては、主演がマイク・ヴォーゲルだってことなんですけど、相変わらず、いまいちアクに欠けるハンサム君のせいか、アイスホッケーのエースプレイヤーだったりビジネスマンだったり、すっきり清潔でキレイなシチュエーションだと、さほどいいとも思えないんですけど、寝不足のタクシー運転手やジャンキーの帰還兵とかいう、ちょいと薄汚れたシチュのときは、やっぱなかなかセクシーでカワイイ(笑)。もうちょい歳くって男臭さが身に付いたら、上手くいけば、今のポール・ウォーカーみたいな、個人的なご贔屓男優になってくれるかも。
 で、そんなマイク・ヴォーゲル君が、手を替え品を替えして、あれやこれやとブチ殺されてくれるので、そこは無条件で嬉しかった(ヘンタイ)。ただ、残酷描写としては、今どきの映画としては比較的大人しめ。
 殺しじゃない責め場としては、病院のベッドに頭と手足を枷で拘束されて、上半身裸でアレコレ拷問されるシーンがあるので、医療器具系SM好きにはちょっとオススメ。ジャケ写にもなっている頭を固定する器具とか、今度自分のマンガでもこーゆーの使ってみたい(笑)。

『サン・ルイ・レイの橋』

サン・ルイ・レイの橋 [DVD] 『サン・ルイ・レイの橋』(2004)マリー・マクガキン
“The Bridge of San Luis Rey” (2004) Mary McGuckian

 スペイン統治下にあった18世紀のペルー、サン・ルイ・レイの吊り橋が落ち、5人の男女が死んだ。その場に居合わせ、それを目撃した修道士は、5人の死には神の摂理に基づく理由があるのではないかと思い、亡くなった人々の私生活について、数年に渡る綿密な調査を行い、それを一冊の本にして出版するが、それがカソリック教会から異端の疑いをかけられ、審問にかけられてしまう……という内容。
 原作は、ソーントン・ワイルダーの『サン・ルイス・レイ橋』という、ピューリッツァー賞を受賞した小説だそうな。ちょっと読んでみようかと思ったものの、残念ながら絶版の模様。

 まず、とにかくキャストが豪華です。
 パッケージには、ロバート・デ・ニーロ、キャシー・ベイツ、ハーヴェイ・カイテル、ガブリエル・バーン、F・マーレイ・エイブラハム、ジェラルディン・チャップリン……なんて名前がずらずら並び、加えて重要な役で『女王ファナ』のピラール・ロペス・デ・アジャラ、チョイ役だけどジュネ&キャロ映画の常連ドミニク・ピノンなんかも出てたり。
 これだけの面子が出るコスチューム・プレイとなれば、もうそれだけでも見たくなっちゃいます(笑)。
 ただ、DVDのパッケージには、エピック・サスペンスだの歴史ミステリーだのと書いてありますが、正直言ってそういう要素は希薄……つーか、ほぼゼロ。
 ミステリー……と言えなくはない要素はあるけれど、解決や結論が明示されないという点で、やはりこれをミステリーとは呼べないだろうし、エピックやサスペンスの要素に至っては、もう皆無と言っていい。
 宣伝文句に準じた期待を持って見ると、ことごとく裏切られてしまうので、ご用心あれ。

 映画は、異端審問にかけられている修道士の口を通して、5人およびその周囲の人々のことが語られるという構成になっていて、ドラマとしても、軸が2つに分かれています。
 まず、事故を調査した修道士を軸とした、神の摂理の有無と異端審問の結末を見せるパート。
 それと、修道士の語る話に出てくる様々な人々が、事故に至るまでにどのような人生を歩んだかを描くパート。
 まず後者の、事故に関わった人々の様々な人生模様ですが、こちらは大いに見応えあり。
 演出自体は、可も無し不可も無しといった感じですが、親子、兄弟、恋人、師弟といった、人々の絆から生まれる感情のドラマが、地味ながらもじっくりとと描かれています。
 加えて、登場人物の中で、誰と誰が事故で死んでしまう5人なのかは、見ているこちらには判らない。消去法的に絞り込むことはできても、最後の最後までミスリードがあったりして、そういった作劇的な要素にも惹き込まれます。
 そんな中で、愛するがゆえの辛さ、愛されたいという切実さ、喪失の悲しみ……といった、何ともやるせない思いの数々が、人々のドラマを複雑に織り上げていくので、見ていてかなり感情を揺さぶられました。
 役者さんたちの演技は、いずれも説得力があるし、キャラも良く立っているので、悲劇の結末が近づけば近づくほど、何とも痛ましい気持ちになってくる。
 映画の大部分を占めるこちらのパートで、モノガタリの焦点は、エピック劇のような歴史叙事ではなく、「昔も今も変わらぬ人の世の営み」であり、視点も完全に「個」に寄り添ったものなので、内容的には、史劇好きにオススメする系統とは、ちょっと違う感じではあります。
 でも、衣装や美術などは文句なしの出来映えだし、ロケも効果的だし、画面の重厚感もある。内容の好き嫌いは別として、ヒストリカルな絵を楽しむという点では、充分以上に目の御馳走でしょう。
 音楽も、クラシック的な要素にフラメンコやフォルクローレっぽい要素も交えたもので、実にいい感じ。で、それがラロ・シフリンだったからビックリ。いや、なんかジャズとか都会的とか、そんなイメージを抱いていたもので(笑)。

 では前者の、修道士と異端審問に関するパートはというと、正直これは全くピンとこない。
 簡単に言うと、このパートの核となる、神の摂理云々を始めとする要素の数々が、余りにもキリスト教世界限定の要素でしかないからです。純粋なクリスチャンならともかく、そうでない人間にとっては、はっきり言って「よくワカラン」か「判るけどドーデモイイ」内容。
 ならば、宗教観や世界観に見るべきものがあるかというと、これまたテーマが「個」から「世界」に拡がりっているにも関わらず、視点が宗教という枠内に留まったままなので、その枠に属さない人間からすると、いかにも狭隘に感じられてしまう。
 もっと言えば、モノガタリの舞台が南米であるがゆえに、そこで、非キリスト教世界を完全にオミットした、キリスト教的宇宙にのみに基づいた形而上の考察を繰り広げるなんて内容には、ちょっと不快感すらおぼえたり。
 ここいらへんの不満点は、原作小説と比較してみたい感じ。
 そんなこんなで、煽り文句に騙されず、クリスチャンじゃない人は宗教要素はガン無視して、普遍的な身の丈サイズの人間ドラマをじっくり見る、という心構えでいれば、役者は粒ぞろいだし見応えもあり……って感じです。