『セデック・バレ(賽德克·巴萊 / Seediq Bale)』

Blu-ray_SeediqBale
『セデック・バレ(賽德克·巴萊)』(2011)ウェイ・ダーション(魏徳聖)
(台湾盤Blu-rayで鑑賞、YesAsiaで購入可能→YesAsia.com

 昭和初期、日本統治下の台湾における先住民セデック族が抗日蜂起した《霧社事件》を描いた台湾映画。2012年の第7回大阪アジアン映画祭で上映、コンペティション部門で観客賞を受賞。
 Blu-rayボックスは、ディスク1に『第一部 太陽旗』『第二部 虹の橋』のフルバージョン4時間強、ディスク2にボーナス・マテリアル、ディスク3には全二部を一本に纏めた2時間半の短縮版『インターナショナル版』をそれぞれ収録。

『セデック・バレ 第一部  太陽旗(賽德克・巴萊 太陽旗)』
 ストーリー等はググれば出てくるので割愛しますが、期待通り重量級の見応え。
 抗日運動を題材にしているとはいえ、視点は極めてニュートラルな印象。もちろん台湾統治下における日本人から蕃社(先住民)に対する差別が鍵とはなっているのだが、それがイコール「野蛮とは何か」という問いかけとしても機能している印象。
 つまり、民族のアイデンティティや誇りといったテーマを扱いつつも、同時にそれが文明と野蛮の衝突にもなっているあたりがミソで、じっさい第一部の終盤では、救出された娘が父に「首狩りをやめられないの?」と問うたりします。
 絶対悪としての抑圧者と正義の非抑圧者という安直な構図にはせず、文化的な衝突やディスコミュニケーションを踏まえ、《野蛮》或いは《原始》という、現代人とは異なる価値観をしっかり描いているのには大いに好感。
 ただその反面、価値観を共有できないが故の感情移入が難しくなるという難点もあり。特に《首狩り》という《儀式的殺人》に関しては、まずその描写が直裁的であり、加えてハリウッド映画のような「子供が殺されるシーンは描かない」といった《逃げ》もないので、正直どうしても見ていて辛いものがある。
 そういった、安直な善悪に落とし込まない公平さは、イコール作品世界全体を俯瞰する視点の高さにも繋がり、エモーショナルな部分が揺すぶられにくい(ただし情緒的な部分を除く)ところがあります。
 作劇も、堂々とした風格がある反面、いささか中だるみを感じなくもないんですが、それでも力強くグイグイと引っ張っていくので、二時間半の長尺も全く気にならず、このパワフルさは素晴らしい。
 映像は美麗でスケール感もたっぷり。スケール感が過ぎて、CG使用部分に関しては、場面によってはファンタジー映画に見えてしまうほど。歌舞要素があったのも個人的にはツボ。
 多少の思うところはあるものの、とにかく堂々たる大作史劇であり、力作であることは間違いなし。

『セデック・バレ 第二部 虹の橋(賽德克・巴萊 彩虹橋)』
 実は、第二部になるとひょっとしてテンションとか出来映えとかが下がるのでは…とかも想像していたんですが(良くあるパターンなので)、それは全くの杞憂でした。
 極めてパワフルな作品で、これまた二時間強を一気に見せる。いや、スゴい。
 内容的には、何しろほぼ全編戦闘&殺し合いの連続だし、それ以外のエピソードもアレコレ辛い内容ばかりなので、見ていてかなりキツいのは事実。ただ、見せ方が娯楽映画的にスペクタキュラーなせいもあり、見ていて必ずしも暗澹とした気持ちになるというわけでもないのが特徴かも。
 文化のコンフリクトや、文明と野蛮といった要素に関しては、キャラクター単位で事象として提示されているものの、そこからもう一歩踏み込んだ考察にまでは至らないのは、良くもあり悪くもあり。個人的にはそこいらへんを、セリフや単独エピソードだけではなく、もう少しドラマ的に描いて欲しいという気もしました。
 また、史実に沿ったという側面もあるんでしょうが、結末をこういった形に持って行くのならば、もう少しモーナ・ルダオという人物の内面に踏み込むか、或いは対峙するキャラクターを立てて、それとの拮抗という要素を入れた方が良いような気もしますが、まぁそこいらへんは無いものねだりかなぁ……。
 とはいえ、とにかく見応えはタップリ。
 正直、エンディング場面に代表されるようなロマンティシズムと、全体を見渡す視点の高さには、乖離が生じてしまっているとは思うし、善悪を挟まずに《出来事》のみを描く視点と、全体を貫くスペクタクル・アクション娯楽映画的な手法も、ちょっと相反する気はするんですが、そういった対峙するアレコレが混然となったパワフルさも、また作品の魅力の一つであることも確か。
 というわけで、まず見て損はない一本なので、一般公開希望!

『セデック・バレ インターナショナル版(Seediq Bale)』
 さて、オリジナル全二部4時間半強を、2時間半に編集した短縮版も見たんですが、うーん、これは……ひょっとしたら、純粋に作品的完成度のみを見た場合は、こちらの短縮版の方が高いかも。もちろん喪われたものは多いのだが、その分全体がスッキリとしたことは否めない感じ。
 その大きな要因として、まず一つ、オリジナル版第一部クライマックスの《血の禊ぎ》から、最も神経を逆撫でされる(であろう)シークエンスが丸々カットされていること。「うわぁ、これを描くか!」と驚嘆したシーンではあるのだが、それがないことによって、セデック族への感情移入が比較的容易になっていることは確か。
 もう一つは、ラストの大幅な変更。ドラマ的なクライマックスをはっきりと一カ所に定め、以降の史実に沿わせたアレコレがバッサリとカットされており、これが逆に、モーナ・ルダオというキャラクターの掘り下げ不足ではなく、ヒロイックに補完してくれるような印象に繋がっている。
 結果、全体の印象がロマンティシズム主導に近い形になり、ある意味で枝葉もなくスッキリとまとまっていると言えそう。
 しかしその反面、当然の如く文化的なコンフリクトや、野蛮とはいったい何であるかといった要素は、エピソード的には残っているものの、映画全体の印象からはかなり薄味な感じになっているのも確か。
 そういう意味では、大きな魅力の一つであったカオティックなまでのパワフルさは、インターナショナル版ではかなり喪われてしまっているものの、しかし娯楽主体のまとまりとしては、この短縮版(というより再編集版といった印象)も充分「あり」という印象。
 作品の自己矛盾も含めたパワーや見応えをとるか、それとも多少単純化されていたり薄味になっていてもいいから、スッキリとしたまとまりをとるか……これはもうお好み次第という感じ。
 どちらにせよ、両バージョン共に見て損はない作品であるのは確か。

『セデック・バレ』予告編(第一部&第二部込み)

『セデック・バレ』第二部(及びインターナショナル版)のエンド・クレジットで流れる歌。前半は普通に良くあるバラード系のアジアン・ポップという感じですが、5分頃〜終曲部分の民族音楽風のコーラスのリフレインが感動的で好き。

 さて、ここから後はネタバレも含む、『完全版』と『インターナショナル版』の比較なんぞを少々。お嫌な方は、以降は読まれませんように!

 この二つの印象の違いとしては、やはりまず完全版では第一部のクライマックスとなる、セデック族による霧社襲撃〜虐殺場面での、描写の違いが大きい。
 完全版では、襲撃に加わったセデック族の少年が仲間を率いて、自分を差別した学校の教師、同級生、その母親などを襲撃し、殺害するシーンがあるんですが、インターナショナル版では、このシークエンスはすっぽり省かれています。
 この場合の殺人は、あくまでも儀式的な側面があるので、単純に報復云々ではないのですが、それにしてもやはり年端もいかない子供が、己の行為の正当性を信じて堂々と殺人を犯す場面を見せられるのは、なかなか辛いものがあります。
 そしてこの少年は、完全版では第二部、インターナショナル版では後半でも、重要なキャラとして登場し続けるんですが、先述のシークエンスを見てしまうと、完全版ではどうしてもキャラクター的に感情移入がしにくい部分がある。また同時に、子供がそうなったことへの責任といった意味で、その保護者にあたるセデック族の大人たちへの感情移入も、同様にしにくい結果に。
 対して、件のシークエンスがないインターナショナル版では、そこいらへんの抵抗感が払拭……というか隠匿されているので、完全版を見ているときのような、どこかモヤモヤしたものがなく、割と普通に感情移入しながら、セデック族側の立場から物事を見られるんですな。
 つまり、完全版ではある種の《きれい事》が作用しているが故に、エグ味が抜けて薄味にあっている分、娯楽映画的には破綻を免れているという側面がある。

 もう一つの大きな差異は、ちらっと前述したようなエンディングの違い。
 Wikipediaによると、

11月初めにはモーナ・ルダオ(筆者注:セデック族の反乱を率いた中心人物で、映画の主人公)が失踪し、日本側は親日派セデック族を動員し、11月4日までに暴徒側部族の村落を制圧した。モーナの失踪後は長男のタダオ・モーナが蜂起勢の戦闘を指揮したが、12月8日にタダオも自殺した。
とあるんですが、完全版は基本的にこの事実に即して描かれます。
 完全版の最終部分の流れを大まかに追うと、以下のようになります。
 日本軍との最後の大規模な白兵戦があり、セデック族が橋を渡りかけたところを爆破というシークエンスの後、空から赤い花弁が降り注ぎ(しかし実際は花弁ではなく投降勧告のビラ)、モーナ・ルダオは妻たちと幼い子供たちを殺し、独り山中深くに姿を消し、以来消息が知れなくなる。
 残された年長の息子たちは、山中に籠もって抵抗を続け、里の家族たちからの支援なども受けつつ、それでも破れて最終的には自害する。反乱が全て収まった後、日本軍の将校たちは咲き誇る真紅の桜に驚きつつ、セデック族の勇猛さに喪われた武士道を見る。
 そして残ったセデック族の強制移住が描かれ、更に四年後、モーナ・ルダオの遺骨の発見が描かれ、続けてテロップによって、台湾大学での保存〜霧社への返還などが説明される。
 映画のラストは、遺骨を発見した若者が、山頂で空に掛かる虹を見上げる中、モーナ・ルダオ以下、亡くなったセデック族の人々が雲海の上、晴れやかな顔で民謡を歌いながら、父祖の住まう世界に向かって《虹の橋》を渡っていく姿が描かれ、その後、お伽噺のような情景の中、セデック族の由来を語る神話が語られてエンド・クレジット。
 対してインターナショナル版は、白兵戦〜橋の爆破から、空から赤い花弁が降り注ぐところまでは同じなんですが、それが投降勧告のビラだったという部分はなく、代わりにここでセデック族由来神話が語られます。そしてそこからダイレクトに、日本軍将校たちが真紅の桜と共に武士道を思うシーンへと続く。
 その後はテロップによる事件の顛末の説明や、強制移住の場面などが描かれますが、完全版にあった、モーナ・ルダオによる妻子の殺害〜失踪、残った若者たちの抵抗〜里の家族との交流〜自害といったエピソードは一切割愛されています。
 エンディングも異なっており、完全版でモーナ・ルダオの遺骨を見つけた青年は、インターナショナル版でも同じく山中に踏み入っていきますが、遺骨の発見シーンはなし。当然その顛末のテロップもなく、青年はそのまま山頂に登り、天空の虹を見る。そして、セデック族の魂が《虹の橋》を渡っていくシーンはなく、そのままエンド・クレジットへ。

 つまりこうして二つを比較してみると、完全版は、細部に渡って出来事を描いてくれる反面、ドラマ的なダイナミズムは犠牲になっている感があり、対してインターナショナル版は、エピソード的な欠落はあるものの、クライマックスからエンディングへの流れはスムーズ。
 また、モーナ・ルダオによる妻子の殺害〜失踪というエピソードに関しても、前者はその行動をもたらす要因が、現代社会の価値観とは全く異なる異文化的な道であるのが、やはり感情移入を阻害してしまうし、後者に関しては説明不足な感が残る。
 対して、それらを割愛したインターナショナルでは、そういったモヤモヤ感がなく、顛末が曖昧に暈かされているのも(橋の爆破の後、赤い花弁を見上げるモーナ・ルダオたちのカットが入りますが、そこに被さる由来神話の語りの効果も加わり、彼らは既に爆破で亡くなっていて、それは彼岸の光景であるかのように見えます)、現実の事件から伝説へと繋がる効果になっている。
 完全版のラストにある、セデック族の魂が《虹の橋》を渡っていくシーンは、イメージ的には美しいし、歌われる民謡も大いに効果的なんですが、残念ながらヴィジュアルとしての完成度がちょっと低いのと、それまでの極めてニュートラルで現実的な視点に対して、いささかロマンティシズムやファンタジー性に過ぎるという印象もあったので、そういった直裁的な描写をカットして、虹を見上げる青年の姿だけに留めたインターナショナル版の方が、全体の纏まりという点では評価できる部分も。
 というわけで、確かにインターナショナル版は短縮版ではあるんですが、単に完全版を短く切り詰めたというものでは決してなく、間口の広さや娯楽映画的な纏まりの良さを主眼に再構成しているというのが、私の印象。
 機会があれば、是非お見比べあれ。

【追記】その後めでたく一般公開&日本盤ソフト発売。

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