“Propaganda”

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“Propaganda” (1999) Sinan Çetin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで購入可能→amazon.com

 1999年製作のトルコ映画。Sinan Çetin監督作品。
 第二次世界大戦後のトルコ東部、長閑な田舎村が新たに決まった国境線によって、トルコとシリア二つの国に分断されてしまい……という、実話に基づく内容を、ユーモラスかつ感動的に描いた作品。

 第二次世界大戦終結後の1948年、アンカラで出世して役人になったメイディが、大勢の部下と共に故郷の村に帰還する。彼の幼馴染みで独立戦争では共に闘った医者のラヒム始め、村人たちは故郷に錦を飾った彼を大歓迎する。
 しかし彼の乗ってきた汽車には、大量の有刺鉄線が積まれていた。実はメイディは中央から、この地に国境を作り、その税関吏となる命を受けていたのだ。
 やがて国境に添って鉄条網が張り巡らされ、出入国ゲートも完成し、村人たちはそれを華々しく祝うが、実際のところはそれが何を意味するのか、何も判っていなかった。夜も更けて宴会も終わり、ラヒム一家はいつものように自分の家に戻るが、それは新しくできたゲートの向こう側だった。
 翌朝、教師をしているラヒムの上の娘が学校に行こうとするが、ゲートを通して貰えない。驚いたラヒムがゲートに行くと、そこにはメイディがいて、これからは国境を越えて勝手に行き来はできず、ゲートを通るにはパスポートが必要だと告げられる。
 こうして、何人もの村人が行き来を止められるが、素朴な彼らはパスポートというものが何であるかも判らないし、実のところ税関吏のメイディ自身、パスポートというのがどんなものなのか、まだ見たことすらなかったのだ。
 メイディの息子とラヒムの下の娘は愛し合っており、近く結婚を控えた許嫁の間柄で、実は既に婚前交渉もしていて娘は妊娠していたのだが、その二人の逢瀬も、この新しい国境によって引き裂かれてしまう。
 そんな中、ゲートを守る兵士たちをからかった、ひょうきん者の太鼓叩きに対して、メイディは部下に唆されて、ついに発砲命令を下してしまう。ラヒムはそんなメイディに怒り、彼を侮辱し挑発するために、自分の娘は別の男の嫁にすると言ってしまう。それを知ったラヒムの娘は、夜こっそりと国境を越えて、メイディの息子の元に忍んでいくが、メイディの部下でゴリゴリの官僚主義の男に知られて、捕まって投獄されてしまう。
 メイディの妻も、頭の固い夫に嫌気がさして家を出て、国境の向こう側に行ってしまい、息子も「僕はお父さんを愛していない」と言い放つ。自分から離れていく息子を止めるため、メイディはついに我が子に銃口を向けてしまう。
 果たしてこの国境は、このまま人々の心も家族の絆も、全て引き裂いてしまうのか? ……といった内容。

 いやぁ、面白かった。
 汽車の到着から始まる出だしは、音楽(セゼン・アクス。アルバム”Işık Doğudan Yükselir”のタイトル曲)の効果も相まって、実に重厚な味わい。そして、国境ができた晩、何も知らないラヒム一家が帰宅するのを、唯一訳知りのメイディがゲート越しに見送る場面なんか、スローモーションを上手く使って実にエモーショナルに盛り上げてくれるので、いったいこの先どんなシビアな展開に……とドキドキ&ビクビクものなんですが……。
 実はその後の展開は、確かに状況はシビアなんですけど、そんな中でもけっこう逞しく適応していく村人の姿がユーモラスに描かれたりして、決して重い暗い系にはいかないのが逆に新鮮。鉄条網を挟んで学校の授業が行われ、鉄条網越しに割礼の儀式が行われ、恋人たちは鉄条網に刺されながらのラブシーンを演じ……と、なかなか楽しい(笑)。
 で、そんな笑わせる系の展開の中に、引き裂かれた絆といったエモーショナルな展開がドカンと挟まり、更にその上にしっかりと、国家とは国境とは何かといった風刺や、人間性を無視した官僚主義の愚かしさや、人々の生活を置き去りにする政治への批判といった要素が、テーマとして浮かびあがってくる仕掛け。

 笑いも涙も感動もテンコモリという、インド映画なんかと同様の娯楽的な作りなんですが、バランスと後味が良いので消化不良みたいな感じにはならないし、作劇的にも、最後の最後まで「いったいどうなるんだろう」という、不安と期待で引っ張り、でもしっかり感動させてくれて、しかも後味も良い……という、満足の一本でした。