『羯諦 山中学 写真』

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『羯諦 山中学 写真』山中学(ポット出版)
 写真集のご紹介。まずは、出版社による紹介文からどうぞ。

内容紹介
貧困、老い、病、死……。
人が忌避するものの中にある「仏性」を写す。
海外で高い評価を受ける山中学初の商業写真集。
25年にわたって取り続けた6シリーズ108点を収録します。
※全文、日英対訳付き
著者について
1959年生まれ。広告写真家の助手を4年余務める。その後独立、23歳で上京。
コマーシャル写真家の道を歩み始めるが、広告写真と自分の追求したい写真の温度差を感じ、自らの世界を極めたいと思い、作品の制作を始める。
──私の生まれ育った大阪近郊の尼崎の町は町工場労働者たちの多く住む場所で、
昔から仏教が深く根付き、仏教にまつわるお祭りが多く、住民たちの信仰も厚く浸透していた。
私が小さい頃、交通事故に遭い病院に運ばれ、10日間も意識不明で生死をさまよった事があり、幸いにも私はこの世に戻ることができ、その身代わりに可愛がっていた犬が死んでしまった出来事があった。
この奇妙な霊験や奇跡的な生還から、生と死、仏教に関心を持つようになった。
作品を通して仏教の真意を視覚的に伝えたいと思っている──
1989年、東京で初めての個展“阿羅漢”を開く。現在は、東京に住みながら、ニューヨークのギャラリーを通して作品を発信し続けている。

 引用ここまで。

 力強くて清浄だな、というのが、私の印象。
 被写体そのものは、乞食であったり、動物の死骸であったり、全裸の老婆であったり、奇形であったり、胎児であったり……と、ある意味でグロテスクであったり、エクストリームであったりするものなんですが、被写体以外の余分はいっさい切り捨てられ、シンプルに研ぎ澄まされた作品になっています。
 ほぼ全くの白バックの中に、対象物のみを正面から捉えた作品群を見ていると、さながら写真家が被写体と向き合うように、自分もまた、それらと直に対峙しているように思えてきて、膝をただして身が引き締まる思いがしてくる。
 その、ミニマリズム的な引き算ゆえに、情緒やモノガタリ性が介在する余地は全くありません。ただ何を撮りたかったか、それのみが、虚空に凛と屹立しているみたい。一般的なタブー感に対しての、露悪趣味的な逃げ道が許されていないので、その本質が剥きだしになった作品が、見ている自分の本質も剥きだしにする。
 素晴らしい。
 見栄も、華飾も、言い訳もなく、本質のみが存在するアート。
 う〜ん、これは私にとって、一つの理想のあり方だ。
 しかし、私ごときが、いくら文章で説明しても、それは詮ないこと。言語という論理は、絵画や写真といった視覚芸術を、ある程度まで解析したり、或いは、その存在価値を補強することはできても、本質的な核の部分までは決して解体できない……というのが、私のフィロソフィーなので。
 というわけで、興味を惹かれた方は、とにかく山中学氏のサイトへ行って、実際の作品画像を見て下さい。
 ともあれ、私はものすごく感銘を受けました。

 写真集の方は、作品のテーマごとに章立てされ、それが年代順に並べられています。さながら、アーティストの回顧展を見ているよう。
 装丁もお見事。上の書影をご覧いただければお判りのように、真っ白でマットな外函に、スミ一色のテキストが最小限の大きさで配されています。
 函から本体を出すと、やはり真っ白な和紙のような風合いの紙に、「羯諦」の二文字だけがポツンと書かれた表紙が。見返しは、やはり白ながら、今度は絹目の風合いのある紙。
 作品同様に、余分なものが全くない、清浄な美しさのある本になっています。その清浄さゆえに、汚損を恐れて、思わず扱う手つきも慎重になってしまいますが、この粛然とした感覚も、いかにも中身の作品に相応しい感じ。
 オブジェ的にも、美しい本だと思います。
 版元による本の紹介ページはこちら。直接購入可能。サイン本も若干数あるそうです。
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