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“Dictionnaire de l’amour et du plaisir au Japon”

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 フランスから、アニエス・ジアール(Agnès Giard)の新著、”Dictionnaire de l’amour et du plaisir au Japon”が届きました。昨年暮れには出ていた本なんですが、いろいろトラブルがあったらしく、約一ヶ月半遅れで到着。
 前にここで紹介した、同著者による”L’imaginaire érotique au Japon”の、姉妹編といった感じの分厚い大判本で、内容は、日本のエロティック文化の様々な事象を、テキストと新旧織り交ぜた豊富な図版で紹介していく、いわば「日本エロ文化エンサイクロペディア」といった趣。
 図版を提供している作家は、北斎や国芳の浮世絵や、責め絵の大家・伊藤晴雨、昭和30年代の風俗雑誌の大物・喜多玲子(別名・須磨利之、美濃村晃)を始めとして、順不同でざっと列記しますと、沙村宏明、根本敬、福満しげゆき、花くまゆうさく、早見純、大越孝太郎、平口広美、金子國義、西牧徹、天野喜孝、奥津直道、宇野亜喜良 、太田蛍一、水野純子、市場大介、荒木元太郎、渡邊安治、エトセトラ、エトセトラ。
 で、私も図版を数点提供しているんですけど、どんな風かというと、こんな感じで載っています。
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 因みにこれは、昨年のフランスで開催した個展に出品した『七人の侍〜侍之参・水』なんですが、べつに「カッパ」という項目ではなく(笑)、「フィストファック」という項目の図版です。例によってフランス語はサッパリ判らないんですが、本文中に私の名前が出ているのを見ると、前にここでちらっと紹介した、この作品に添えた自作解説が参照されているのかも知れません。

 というわけで、フルカラーだし、1ページ大、見開き大の図版がバンバン入ってるし、本文を読めなくても画集的にたっぷり楽しめる本なので(個人的には、奥津直道さんの作品の中でも特に好きな、蜘蛛のヤツと鯉のヤツが、1ページ大でデカデカと楽しめるのが嬉しい!)、興味のある方は、amazon.fr.で注文なさるのもヨロシイかと。

ちょっと宣伝、『父子地獄』第四話です

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 2月21日発売「バディ」4月号に、『父子(おやこ)地獄』第四話掲載です。
 まあ、ご覧のように「王道」な展開(笑)。王道がコレだってのも、どうかとは思いますけど、まあそれが作家性というヤツなんでしょう、きっと(笑)。
 ちょうど今、フランスで個展をやったギャラリー、”ArtMenParis”のオーナー、オリヴィエ・セリが日本に来てまして、一昨日ウチに招いたときに、「最新作だよ」と『父子地獄』の生原を見せて、「こっちが父親で、これはその息子なの」と説明したら、「鬼畜!」と言われました(笑)。
 というわけで、フランス人もビックリの鬼畜な本編を、掲載誌でお楽しみください。
Badi (バディ) 2009年 04月号(amazon.co.jp)
 さて、全4〜5話を予定していた、この『父子地獄』ですが、ちょっとエンディング近辺がキツキツになりそうで、まあ入りきらないことはないんですけど、そうするとちょいエロ部分が犠牲になりそうで、どうしたもんかと編集さんに相談したところ、一回延びて全6話ということになりました。
 というわけで、残すところ後2回。エンジン全開で気張らねば。

ちょっと宣伝、和モノ(法師×鬼×獣×触手)マンガ描きました

Amefuri 昨日発売の『肉体派 VOL.12 複数プレイ漢全攻略』に、読み切りマンガ描きました。タイトルは『雨降りお月さん』。
 お題が「複数プレイ」だったんですが、ちょいと変化球で、画像をご覧いただければお判りのように、高野聖っぽい若めの法師と、鬼やらサルやらヤマイヌやらを絡ませてみました。あ、あと触手も出てきます。
 鬼とイヌと触手は、前にもマンガで描いたことがあるけれど、サルは今回が初めて。で、作画にあたって、手元の「動物の描き方」系の本を見たところ、チンパンジーとゴリラの描き方は載ってたんだけど、残念ながらニホンザルはなかった(笑)。で、急遽、写真を見て練習したり(笑)。
 とまあ、けっこうマニアックなネタで、エロ描写もしっかりアレなんですけど、実は全体の雰囲気は、意外と「ほのぼの系」だったりします(笑)。
 良くわかんないでしょうけど、あとは実際に読んで確かめてみてください(笑)。
肉体派 VOL.12 複数プレイ漢全攻略 (amazon.co.jp)
 さて、タイトルの元ネタは、自分の好きな童謡からの引用です。でも、こんな古い唱歌(大正14年)、私のようなオッサンはともかく、イマドキの若人にはあんまり馴染みがないかも知れませんね。
 というわけで、どんな曲か聴いてみたい方はこちらをお試しあれ。以前、自分でアレンジして作ったもので、ちょいアンビエントでクラシカルなインスト版です。因みに、原曲は既にパブリック・ドメインになっています。
 歌詞の方は、Wikipediaでどうぞ。

オーストラリアの企画展、続報

 先日ここでお伝えしました、今月24日からオーストラリアはシドニーで始まる企画展”Boys Life by 30 Japanese Artists”ですが、オープニング・パーティーで、シドニーのニューサウスウェールズ大学のドクターで、私の作品を良く知っているという方が、スピーチをしてくださることになった……と、主催者から連絡がありました。
 で、ちょっとビックリ。
 というのも、だいぶ前に、同大学の言語学部で日本学を教えているというドクターから、サイト宛てにメールを貰ったことがあったんです。
 どういうメールだったかというと、私の作品についての論文を書いているのだが、そこで使用する図版について、正式に私の許諾を得たい、といった内容でした。確か、もう二年くらい前のことです。
 そしてつい先日、ようやく研究が完成したとのことで、まだドラフトの状態でしたが、その論文(ちなみに、「田亀源五郎のエロSMマンガにおける男らしさの表現」とゆータイトルでした)の第一稿を送ってくれました。
 というわけで、おそらく同じ方なんじゃないかと、主催者に問い合わせてみたところ、やっぱりそうでした。
 まあ、どちらも同じシドニーなので、ひょっとしたら企画展を見に行ってくれるかな、なんて、仄かに期待はしていたんですけどね。こうやって、まったく別のルートで進めていた話が、偶然なのか一つに重なったりすると、海の向こうのことだけに、何だか感慨深いものがありますね。
 オーストラリアというと、以前にもパースのマードック大学で、アジアにおけるジェンダーと歴史と文化の交錯という括りの中で、拙著『日本のゲイ・エロティック・アート vol.1 ゲイ雑誌創生期の作家たち』についての論文が発表されたことがありました。
 自分のやってきた仕事に対して、こういった学究方面からの論文が、同じオーストラリアで二つ出たのは、何だか不思議な気がします。日本を含めた他の国では、まだそういった例は聞いたことがないので。
 さて、前述した私のマンガについての論文ですが、流石に私は英語の論文をスラスラ読めるスキルはないし、それどころか、辞書を引き引き読んだって、正確な文意は掴みきれない部分も多々あるんですけど、いちおう読める部分だけ、ざっと目を通してみました。
 で、またビックリ。
 読み込みがものすごく細かく、かつ正確。私が作品中に配置した、目立たないながらも意味は持たせているといった、半ば自己満足的なディテールについても、しっかりと指摘し、かつ正確に分析されている。それについて、今まで誰からも指摘されたことがなかったことも含まれていたので、ちょっと感激しちゃいました。
 この論文が完成したら、何とかパブリックな場でも公開されるといいな、と、願っております。
 一つ、余談。
 この論文中でも幾度も出てきたんですが、最近、マッチョ系のゲイ文化の周辺で、良くhyper masculineという言葉を目にする。で、これってどう日本語に訳せばいいんだろう、なんて、論文を読みながら、ちょっと考え込んじゃいました。
 とりあえず「超男性性」なんて言葉を思いつくんですけど、どうもこれが、何となく落ち着かない感じがする。
 まず、そもそもの「男性性」という言葉自体に、何となく違和感があるんですよ。いや、意味性とかそういう問題じゃなく、単純に見た目の話で、「性性」という、同じ漢字が二つ続いた字面が、何だか変。かといって、「重々」とか「軽々」みたいに「男性々」と書くと、もっと変な感じがするし。
 次に、hyperが「超」でいいのか、ということ。何となくのイメージですが、hyperにはもっと「過剰な」といったようなニュアンスがあるように感じるんですよね。対して、superが「超越した」って感じ。だから「超」だと、superであってhyperではないような気がする。ま、私の勘違いか、思い過ごしのせいかも知れませんけど(笑)。
 あ、でも「チョー気持ちいい」とか「チョーかわいい」なんていう、口語的な「超」には、「過剰」というニュアンスも含まれるような気もするなぁ。
 あと、もう一つ。これはまあ、連想ゲーム的というか、些末なことでしかないですけど、「超男性性」という言葉を見ると、反射的にアルフレッド・ジャリを連想しちゃって(笑)。で、あれとはちょっと違うだろう、と(笑)。ま、これは私個人の勝手な思いこみですが(笑)。
 まあ、仮にmasculineを「男らしさ」だとすると、この「男らしさ」という言葉からして、そもそも「過剰」に「男」である、といった感じがある。で、それが更に「過剰」になったのが、hyper masculineという言葉だとすると、そんな過剰に過剰を重ねたトンデモナサを、上手く表現するのには、いったい何て言葉が相応しいのかなぁ……なんて、つい延々と考えこんじゃった(笑)。
 まあ、べつに私は翻訳家じゃないから、ドーデモイイっちゃあドーデモイイんですけどね(笑)。

オーストラリアの企画展に作品を出品します

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 今月末からオーストラリアのシドニーで開催される、日本人ゲイ・アーティスト30人を集めた企画展、”Boys Life by 30 Japanese Artists”に、原画数点と限定プリント一点を出品します。
 これは、オーストラリアのメルボルンに拠を置く会社Mayumi Internationalが企画したもので、毎年シドニーで開かれる、世界最大のLGBTフェスティバル、マルディ・グラの一環として開催される企画展です。
 会場は、シドニー市内にあるTap Gallery、会期は2月24日から3月8日まで。開場時間は12:00〜18:00、無休。オープニング・パーティーは2月25日の18:00〜20:00。
 プレスリリースは、こちら(英文)。
 マルディ・グラのサイト内での紹介ページは、こちら
 参加アーティストのリストは、こちらで確認できます。
 残念ながら、私自身はスケジュールの関係もあって現地には行かれませんが、マルディ・グラ見物にシドニーに行かれるという方は、ぜひ足をお運びになってください。

仏語版単行本”Goku”第一巻、発売されました

Goku01『君よ知るや南の獄』のフランス語版単行本、”Goku – L’ile Aux Prisonniers (volume 1)”が、当初の予定より一ヶ月遅れて、今月24日にフランスで発売されました。
 本日、コピーが数部届いたんですけれど、ご覧のような装丁になっています。
 中身の方は、基本的に日本語版と同じですが、仏語版にはこんな感じで、巻頭にキャラクターの紹介ページが入ってます。けっこういい感じで、お気に入り(笑)。
 裏表紙の絵は、雑誌口絵「淫画」シリーズで描いたうちの一点を、トリミングで使用。先方からは「このマンガのカラー・イラストはないか?」と聞かれたんですけど、残念ながらそういうものはなかったので、自分が過去に描いたPOWネタのカラー・イラストを数点渡して、「好きなものを好きに使っていいから」とお任せしました。
 この本は、版元のH&Oにとっても、長編マンガを分冊刊行するのは初めての試みなので、何とか成功して欲しいもんですが、ネットで見られるあちらのゲイショップの売れ行きベストには、早々とランクインしていたので、まずは一安心(笑)。
 さて、タイトルの”Goku”ですが、これは先方から「本のタイトルを、これまでの”Gunji”や”Arena”に併せて、単語一つにしたい。それも、日本語の音読にしたいので、何か作品内容に合ったものを考えてくれないか?」というリクエストがあったので、”Tsubaki”と”Goku”の二つを提案したところ、フランス語的な音の響きという点で、後者が選ばれたという次第です。
 タイトルが外国語の音読ってのは、果たしてどんなものだろうかと、ちょいと不安めいた気持ちもあったんですが、考えてみると、確か映画『戦場のメリークリスマス』の仏題が”Furyo(俘虜)”だったりするし、あちらでは割とスタンダードな発想なのかも知れませんね。
 まあ、タイトルの翻訳という意味では、そもそも原題の『君よ知るや南の獄』というのは、ゲーテの詩、およびそれによるトマの歌曲『君よ知るや南の国』のパロディなわけです。
 で、このタイトルには、実は狙いがある。
 元ネタの詩、「ミニヨンの歌」についての知識がある方ならば、オリジナルは憧れを謳った内容であるはずなのに、その憧れの対象が「獄」というネガティブなものになっているというアンビバレントを感じられるはずです。また、歌曲の方が、かつて日本では叙情歌としてポピュラーなものであったことを知っている方なら、ノスタルジックなニュアンスの中に、禍々しい単語が混在しているという奇妙さを、やはり感じられるはず。
 この矛盾が、作品のストーリー、およびテーマと呼応しあっている。ここいらへんの詳細は、日本語版単行本のあとがきで私が書いている、ポルノグラフィにおけるユートピア性とディストピア性についての件をお読みいただければ、お判りになられると思います。
 そういう狙いのあるタイトルだったわけですが、そういったニュアンスを外国語にそのまま置き換えるのは、おそらく不可能でしょう。翻訳出版の話が出たときに改めて調べてみたら、どうも、この有名な「君よ知るや南の国」というフレーズ自体が、かなり意訳されたものだったようですし。
 だから、今回の仏版タイトルに関しては、いちおうこちらの意図と、最終ページの引用との関連は説明しましたが、基本的には先方に丸投げでお任せしました。

新宿でミニトークショーやります

 今週の水曜日(1/28)、新宿のバー「メゾフォルテ」内のイベント「エフメゾ」で、伏見憲明さんと一緒にミニトークショーやります。
 ちょっと解説しますと、エフメゾってのは、メゾフォルテというバーの休店日を借りて、伏見さんがママとなって、毎週水曜日に営業しているお店のことです。因みに、場所は新宿二丁目ですけれど、お客さんは性別不問、男子でも女子でもOKのMIXとのこと。
 でまあ、そこで伏見さんが色々とイベントを企画しながら営業なさっているんですが、今度の水曜日、その一環として私もご一緒して、酒の肴にミニトークショーをすることと相成りました。
 イベントの詳細は伏見さんのホームページで、メゾフォルテの場所等はお店のホームページで、それぞれ確認できます。
 お暇でしたら、ぜひ遊びに来てくださいな。

ちょっと宣伝、『父子地獄』第三話掲載です

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 一ヶ月のお待たせでした。
 短期連載『父子(おやこ)地獄』第三話掲載のバディ3月号、明後日21日発売(ゲイショップでは、きっともう店頭に並んでいると思いますけど)です。
 左のサンプル画像を見ていただければお判りのように、鬼畜路線がますますエスカレートしております(笑)。いやぁ、我がキャラながら、この官兵衛・弥三郎親子を嬲るのは、もう楽しい楽しい(笑)。
 父子責めは、長年描きたくても描けなかったネタだったので、その鬱憤が噴出しているのか、ついつい、あれもこれもと盛り込みたくなって、もうページ内に納めるのが一苦労。やっぱSMは、設定がアモラルな方が「萌え」ますね(笑)。
 というわけで、第一話第二話と併せて、ぜひご覧くださいませ。
Badi (バディ) 2009年 03月号 [雑誌] (amazon.co.jp)

“AHMET YILDIZ is my family”というキャンペーン

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 前に「トルコ初の『ゲイの名誉殺人』の犠牲者」のエントリーでお伝えしたように、2008年7月19日、トルコの青年アーメット・イルディス(26才)が、実の家族の手で殺害されました。
 アーメットは、自身がゲイであることを隠さず、トルコ国内やアメリカのゲイの人権運動に参加していました。
 しかし彼の家族は、彼が一族の名誉を汚していると考え、身内に同性愛者がいるという「汚点」を消し去りました。
 つまり、彼は一族の名誉を挽回させるという目的で、実の家族の手によって「処刑」されたのです。

参考1:イギリスのニュースサイト”Independent”の記事
参考2:トルコのベア系ネットゲイマガジン”BEaRGi”の特集号

 この事件は、彼と直接関わりがあったヨーロッパのベア・コミュニティに、大きな衝撃を与えました。
 そして、その中の有志が、彼の死を追悼すると共に、それを通じて、ホモフォビアやヘイトクライムの阻止を、LGBTコミュニティから全世界に向けて訴えかけようという、キャンペーンを始めました。
 それが、記事のタイトルにも書いた、”AHMET YILDIZ is my family(アーメット・イルディスは私の家族です)”というキャンペーンです。
“AHMET YILDIZ is my family”キャンペーンのサイト
ビデオ”Ahmet is my Family (Gay honour killing victim)”

 キャンペーンでは「ホームページやブログにビデオを貼り付ける、友人や恋人に話す、ポスター(キャンペーン・サイトからダウンロード可能)を貼る、メール、SNS、SMSなどに書く、歌を作る……」等々、「何をしても、どう感じても構わないけれど、それを人々に知らせよう。それが、貴方個人のアーメットへのオマージュになる」と、呼びかけています。
 日本にいると、こういった国境や国籍、あるいは人種を越えた、LGBTコミュニティの横の繋がりや、それを通じて生まれるムーブメントといったことについては、正直あまりピンとこないかもしれません。
 国同士が陸続きのヨーロッパや、様々なルーツを持つ人々が共に生活するアメリカとは異なり、日本では、「人種や国籍、文化背景は違うけど、でもゲイってことは同じだね」といった人間関係を、実生活における実感として覚えることも、そうそうないでしょう。
 じっさい私自身も、そういうことを「体感」といえるほど感じられるのは、かつてアメリカのゲイパレードに参加して歩いたときや、ネットを通じて海外の作家仲間やファンの方々と知り合ったときや、個展や海外出版といった作家活動を通じて、様々な人と交流するときといった、比較的特殊といえそうな状況下の場合が殆どです。
 ですから、このキャンペーンの話をフランス人の友人から聞き、中軸となるスペイン人のスタッフを紹介されて、その人から作品制作を打診されたときには、正直なところ、少し戸惑いもありました。
 しかし、それはそれとして、もっと単純に、ゲイである、ただそれだけのために、自分自身の家族に殺されてしまった一人の青年に向かって、彼を「断罪」した実の家族ではなく、彼と同じゲイである自分こそが、彼の本当の家族なんだ、と名乗りを上げたいという心情は、とても良く判ります。
 また、前述した以前のエントリーでも書きましたが、自分より18才年下の青年が貫き通した、最後まで自分自身に正直であり続けた勇気ある生き様に、大いに尊敬の念を覚えたことも事実です。
 それをモチベーションとして、私はこのキャンペーンに、無償の作品提供という形で参加しています。
 具体的には、ポスターやプロモーションビデオで使用するための、アーメットの肖像画を描きました。私自身はアーメットと面識がないので、スタッフが提供してくれたスナップ写真(撮影/Caner Alper氏)を元に、ドローイングを描き起こしました。
 通常の自分の作品とは異なり、自分のセクシュアリティ的な原動力に基を置いたものではなく、かといってイラストレーション的な仕事として描いた作品でもありません。いわば、自分個人が持っている、ゲイ文化に対するパトリオティズム的な心情と、それを踏まえた上でのアナーキズム的な意志が、制作動機となっています。
 これが、このキャンペーンに対する、私自身のオピニオンです。
 というわけで、このキャンペーンに何らかの興味を覚えられた方がいらっしゃいましたら、どうぞブログ等で取り上げてください。
 もちろん、ビデオを貼るとか、賛同するとかだけではなく、興味がないとか、批判意見を述べるとかでも結構でしょう。
 たとえどんな感想や意見であっても、それらは全て「アーメットの悲劇を、世界中の人々に知らせる」ことに繋がるのですから。
 私の参加が、それに少しでも役立つことができれば、と、願っています。
 アーメットは、私の家族です。

NETYさんの年賀状展

2009_new_year 上野NETYさんで2009年1月2日〜30日開催の「貴方だけの年賀状展」に、オリジナル年賀状を一点出展します。
 今年はシンプルなポートレイトがいいかな、なんて考えてあれこれ描いていたら、何故かできあがったものは「プリズン・ブレイクのアニメ版スチル(そんなもの実在しないけど)」みたいになりました(笑)。仕事ではあまり使ったことがないスタイルなので、ちょっと新鮮かも。
 他にもいろいろな作家さんが出展しておられますし、ギャラリー・スペースは入場無料のはずなので、よろしかったらお立ち寄りくださいませ。会場でアンケートに答えると、期間終了後に展示作品が当たるプレゼントもあるそうです。
 それでは皆様、良いお年を。