買っちまいました、MIDIキーボード。
お値段的にお手頃だった「M-Audio Keystation 49e」ってヤツ。
ガキの頃、7歳までピアノは習っていたんですが(ブルグミューラーやツェルニーのアタマくらいまで……って言えば、ピアノを習ったことのある人だったらお判りかと)、鍵盤をいじるのはそれ以来なんで、何と34年のブランク(笑)。
当然、指はぜんぜん動かない。にも関わらず、当時発表会で弾いた曲なんかは、最初の方だけなら身体が勝手に覚えていたりするんで、ビックリです(笑)。
んでまあ、仕事の合間に息抜きを兼ねて、つらつら音楽なんぞを作ってみたりしてたら、いやぁ、楽しい楽しい。
それにしても、ちょっとロック・ミュージシャンに憧れてた(笑)中学時代に、「ミュージック・ライフ」や「音楽専科」といった音楽雑誌に載ってた広告で、ミニ・モーグ(当時は「ムーグ」って言ってましたけど)だのポリ・モーグだのアープ・オデッセイだのメロトロンだの(プログレ小僧だったせいもあり、憧れはシンセ系に偏っております)を、値段の高さに仰天しつつ指をくわえて眺めていた頃からすると、パソコンについてたオマケのソフト+1万そこそこのキーボードで音楽制作を楽しめるなんて、うむむむ、まさに隔世の感。
って、ババくさい感想だなぁ、我ながら(笑)。
まあ、指は動かなくても、タイミング補正してくれるクォンタイズっつー強い味方もあるし(笑)、ミスタッチも後でエディター使って修正できるし(笑)、もう、書道で言うところの「ちょうちん」しまくりではあるものの、テキトーに音楽作っては遊んでいます。
で、どんなジャンルかといいますと、これが日頃の雑食性が反映されたようなとりとめのなさでして。
最初に出来たのは「スーダン歌謡風」だし、次は「スメタナ風」だし、この間なんて「ブラスがガンガン効いたカッコいいハウスを作ってみよう!」と意気込んでトライしたものの、出来上がったものはなぜか「いなたいドドンパ」にしか聞こえなかった(笑)。
とゆーわけで、とっても楽しいんですが、困ったことに、今度はGarageBandからLogicにアップグレードしたくなってきちまいまして(笑)。
いや、だってホラ、こーなると今度はソフトシンセとかさぁ、使ってみたくなっちゃって。それこそモーグやメロトロンのエミュレーター(……でいいのかな?)なんかもあるし。
でもな〜、LogicだとMac miniじゃツラそうだしな〜。
む〜ん、泥縄。ああ、困った(笑)。
ソード&サンダル映画ドイツ盤DVDボックス(2)
以前ここで紹介した、ドイツe-m-s社のクラシック・ソード&サンダル映画DVDボックス、”Cinema Colossal”シリーズの”4 – Eros”が届いたので、一つ前の”3 – Saga”とまとめて、とりあえず一緒にご紹介。既に見たことがあるものに関してのみ、簡単な備考を併記しました。
なお、ボックス一つに三作品(DVD三枚)収録というパターンは同じですが、3からそれと一緒に、「コレクターズ・カード」と銘打った葉書サイズのカードが、それぞれ6枚ずつ封入されています。

“Cinema Colossal 3 – Saga”
1)カーク・ダグラス主演『ユリシーズ』”Die Fahrten Des Odesseus”(1954)
伊語原題”Ulisse”、英題”Ullyses”。
ディノ・デ・ラウレンティスとカルロ・ポンティという大物二人が、共同プロデュースでホメロスの『オデュッセイア』を映画化した大作。
共演はシルヴァーナ・マンガーノ、ロッサナ・ポデスタ、アンソニー・クインなど。
まあ、マッスル・ムービー的な見所はあまりなく、カーク・ダグラスの半裸と、レスリング・シーンくらいでしょうか。あと、サイレンのエピソードの際のボンデージ(笑)姿。
でも、真っ当な意味での見所は、なかなか盛り沢山。宮殿や船のスケール感とか、ちょっと独特で美しい衣装とか、シルヴァーナ・マンガーノの美しさ(ペネロペとキルケーの一人二役というのが面白い)とロッサナ・ポデスタの可愛さ(ナウシカ役です)とか、一つ目巨人サイクロプスの特撮映画的な楽しさとか、キルケーのエピソードの夢幻的な雰囲気とか。ただ、スペクタクル的な見せ場や盛り上がりという点には、いささか欠ける感もあり。
DVDは米盤や伊盤もあり。米盤の画質もそれほど悪くはないんですが、伊盤やこの独盤と比べると、やはり見劣りすることは否めませんな。
2)ロジャー・ムーア主演『サビーヌの掠奪』”Der Raub Der Sabinerinnen”(1961)
伊語原題”Il Ratto Delle Sabine”、英題”Romulus And The Sabines”。
後のジェームズ・ボンド役者主演による史劇。共演はミレーヌ・ドモンジョ。
3)カーク・モリス主演”Kampf Um Atlantis”(1965)
伊語原題”Il Conquistatore Di Atlantide”、英題”Conqueror Of Atlantis”。
ソード&サンダル+Sci-Fiもの。裏ジャケに載っている、怪しげなメカやらチューブやら、青い全身タイツ姿の怪人軍団なんかを見るだけで、B級好きなら血が騒ぐはず(笑)。
米盤DVDは、Something Wired社から発売されているマーク・フォレスト主演”Goliath and the Dragon”(豪勇ゴライアス)に、オマケとして収録されています。(Bayside Entertainment Distribution社から出ている廉価盤ではないので要注意)

“Cinema Colossal 4 – Eros”
1)ロリー・カルホーン主演『ロード島の要塞』”Der Koloss Von Rhodos”(1960)
伊語原題”Il Colossi Di Rodi”、英題”The Colossus Of Rhodes”。
非マッスル・ムービー。何故か邦題は「要塞」となっていますが、要するに世界七不思議の一つ「ロードス島の巨像」が見せ場のスペクタクル史劇。
監督はセルジオ・レオーネ。共演はジョルジュ・マルシャル。マッスル系の脇役でちょくちょくお見かけするミンモ・パルマーラも出演してます。
メイン・キャストにあまり魅力がないのが難点ではあるんですが、セットのスケール感はあるし、巨像が実は巨大な秘密兵器で、手に持った器から火を落として航行する船を焼き尽くしたり、頭がパックリ割れて炎を射出したりといったアイデアもあるし、クライマックスは大地震と嵐で、巨像は倒壊し町も破壊されるという一大スペクタクルだし、見せ場はタップリあります。
また、責め場系もなかなか充実。
まず、半裸のマッチョが何人も縛られたり吊されたりしているダンジョン。ここでジョルジュ・マルシャルは、鞭痕も鮮やかな半裸で、柱で後ろ手に縛られている。で、その上から巨大な釣り鐘のようなものをかぶせられ、それを棍棒でガンガン打ち鳴らす「音責め」を受けるんですが、責めが終わって釣り鐘が持ち上げられると、マルシャルは失神しており、更には鼓膜が破れたのか耳の穴から鮮血が……なんていう嬉しい(笑)ディテールが。
マルシャル君の受難はこれだけではなく、後にも再度捕らえられ、仲間と一緒に大観衆の待つ闘技場に引き出される。で、両手首を縄で縛られ、そのままチャリオットで引きずり回し。チャリオットの車輪には回転する刃が付いており、二人の囚人を引きずったまま、鎖に繋がれた囚人たちの列の間を走り抜ける。反対側には炎が焚かれているので、囚人たちはよけることができず、必死にジャンプして迫り来る刃を跳び越える。その間にも、傍らではミンモ・パルマーラが横柱から両手吊りにされていて、その下にはライオンが待ち構える縦穴が。それを兵士達が弓矢で狙い、縄を切って囚人を穴に落とそうとする……ってな具合の盛り沢山さ。
DVDは仏盤もあり。この独盤も、ノートリミングのスクィーズ収録ですし、多少の退色や傷は目立つにせよ、まあ良好と言って良い画質なんですが、仏盤の画質はそれを凌ぐ美麗さで、メジャーそこのけのハイ・クオリティ。伊語音声も収録されているので、どれか一枚なら仏盤をオススメ。
2)ブラッド・ハリス主演”Der Kampf Der Makkabaer”(1962)
伊語原題”Il Vecchio Testamento”。
まだ未見ですが、シリアの圧政に立ち向かう、イスラエルのユダヤ人……といった話みたい。
3)ダン・ヴァディス主演”Die Siegreichen Zehn”(1964)
伊語原題”Il Trionfo Dei Dieci Gladiatori”、英題”Triumph Of The Ten Gladiators”。
てっきり”Spartacus And The Ten Gladiators (Gli Invincibili Dieci Gladiatori)”の独盤かと思っていたところ、再生してみたら別の映画でした。まだちゃんと見てはいないんですが、こっちの方がユーモア描写も多い軽い娯楽作っぽいのかな。
どーでもいいけど、ダン・ヴァディスって、顔はともかく(笑)身体は好き。
……とまあ、ボックスの紹介は以上なんですが、実は他にも、ここんところこのテのDVDのリリースが続いておりまして。
米盤だとレグ・パークの”Hercules The Avenger”とアラン・スティールの”Hercules And The Black Pirates”の2in1や、スティーヴ・リーヴスの『マラソンの戦い』と”The Avenger”の2in1、ジョルジュ・マルシャルの”Ulysses Against the Son of Hercules”、独盤もスティーヴ・リーヴスの『大城砦』、ダン・ヴァディスの”Spartacus & Die Zehn Gladiatoren”(こっちが前述の”Spartacus And The Ten Gladiators”の独盤でした)、リチャード・ハリソンの”Titan Der Gladiatoren”なんてのが出てるんですが、なかなかちゃんと見る暇がないのが困りモン(笑)。
林月光(石原豪人)氏の原画展
本家サイトの方にも書いたんですが、ここでも再度ご案内。
明日23日から、中野ブロードウェイ内の書店「タコシェ」にて、林月光こと石原豪人の原画展が始まります。
石原豪人といえば、妖美かつ精緻な画風で、少年誌から少女誌、文芸誌からSM誌、はたまた劇画や絵物語まで手掛けた、その圧倒的な画業の数々を指して「昭和の画狂人」と呼ぶ方もおられるほどの、戦後の大衆文化における一大絵師のお一人であります。
そんな『石原豪人』が、ゲイ雑誌およびノンケ向けSM雑誌に作品を発表なさる際のペンネーム、つまりエロティック・アートを手掛ける際の筆名が『林月光』です。
『石原豪人』の画業に関しては、昨年、弥生美術館で展覧会が開催されたり、また河出書房新社から画集が発売されたことが記憶に新しいですが、残念ながらどちらも『林月光』に関しては、キャリアの一つとして軽く触れられただけに留まり、その作品や芸術については、全くと言っていいほど取り上げられていませんでした。
今回の展示は、その『林月光』の画業にフォーカスを絞ったものであり、展示される作品もエロティック・アート、すなわち「さぶ」に発表された男絵や、ノンケ向けSM雑誌用に描かれた美女の責め絵などに絞り込まれています。
卓越した技術で描かれる、夢見るような瞳の美青年。肌を艶やかに光らせて、しなやかに伸びる裸身。耽美と怪奇とユーモアが混在する、独特にして濃密なエロティシズム。まるで、キャムプやクィアといった感覚を先取りしていたかのような、時としてキッチュなまでに飛躍するアイデア。
そんな貴重かつ美麗な原画を見ることができる、またとないチャンスです。
「さぶ」や初期の「バディ」で月光先生のファンだった方や、「June」で豪人先生のファンだった方はもちろんのこと、エロティック・アートを愛される方であれば、老若男女セクシュアリティを問わず、ぜひお出かけくださいませ。
展示に併せて制作された、図録の販売もあるそうです(因みに、私もちょっぴり寄稿させていただいております)。
また、この原画展に併せて、5月11日には高円寺の『円盤』にて「月光夜話」と題されたトーク・イベントも開催されます。これまた私、ちょっとしたお土産を持って参加させていただく予定です。
こちらの方も、興味とお時間のおありの方は、ぜひ足をお運びくださいませ。
以上二つ、期間・場所・時間等の詳しい情報は、主催の「タコシェ」のサイトへどうぞ。
最近買ったCDあれこれ

World’s End Girlfriend “The Lies Lay Land”
日本発。
エレクトロニカやポストロックや現代音楽といったジャンルを越境した、驚異のミクスチャー音楽の旗手、待望の新作。
過去の作品全てが傑作という、とんでもないアーティストなのだが、今回もまたまた期待に違わぬ大傑作。もう、どこまでいっちゃうんだろう。本気で目が離せない。
今回は、ソリッドでエッジの効いた部分が若干後退し、反面、オーガニックでカオティック部分が前に出てきた感じ。エレクトロニカ的な要素よりも、ポストロックや音響系っぽい要素が目立つというか。音の構成(ギター、ノイズ、ストリングス、ピアノ、ドラムス、サックスなどなど)のせいもあって、God Speed You Black EmperorやSilver Mt Zionなんかとの相似性も感じたり。
しかし、繊細な叙情性と暴力的な攻撃性が混在し、見事なまでの緊張感と構成力で渾然一体となって襲いかかってくる、名状しがたい「美」は相変わらず。もう、聴いてると胸が掻きむしられるような感動が。今年のベスト・ワンは、早くもこれで決まりかも。
名前を挙げたジャンルやアーティストを好きな方は勿論のこと、ジャンルを問わず、いや、ジャンルに拘らずに音楽を愛する方なら、ぜひご一聴を。

Hector Zazou “L’absence”
フランス発。
この人も越境系ですな。ZNRの頃は室内楽的、Zazou Bikayeではエレクトロ・アフロ・ダンス。ワールド・ミュージック系のアーティストのプロデュースも多い。
特にテーマを絞ったコンセプト・アルバムには傑作が多く、極北の海をテーマにした”Songs From The Cold Seas”(Bjork、Suzanne Vega、Jane Siberry、Varttina、加藤登紀子なんつー面々が参加)、ケルト音楽をテーマにした”Lights In The Dark”(Mark Isham、Peter gabriel、坂本龍一、元Dead Can DanceのBrendan Perryなんて面々が参加)、アルチュール・ランボーの生涯をモチーフにした”Sahara Blue”(これまた坂本龍一、David Sylvian、John Cale、Sussan Deihim、Bill Laswell、Khaled、Brendan Perryに今度はLisa Gerrardも、あとジェラール・ドパルデューまで参加)など、どれも愛聴盤。特に”Sahara Blue”は傑作ですぞ。
今回は、クロスオーバー感やミクスチャー具合は、わりと控えめ。クールで硬質な電子音を基調に、浮遊感のあるノイズや女声ヴォーカルが被さるような、ちょっと前のトリップホップみたいな感じ。新鮮味はあまりありませんが、フワフワしていて、ちょっとダークで、とってもキレイ。あんまり重くはありません。Massive AttackやPortisheadあたりの音がお好きな方にオススメ。あと、LambとかNicoletteとかが好きだった方も気に入るかも。ドラムン・ベースっぽい要素はありませんが、全体の空気感とかが似てます。
個人的には、ゲストにアーシア・アルジェントの名前があってビックリ(笑)。歌ってんのかと期待したら(女優の歌モノって好きなのよ)、喋りだけだったので、ちとガッカリ。

Riccardo Tesi & Banditaliana “Lune”
イタリア発。
フォーク/トラッド系のアコーディオン(イタリアだとメロディオンとゆーらしいですが)奏者が、以前のソロ・アルバムのタイトルを、そのままバンド名にして新作を発表。
同じアコーディオン系でも、ミュゼットやバンドネオンみたいな哀調はあまりなく、泣き節でもどっかノホホンとした陽気な雰囲気があるのが、イタリアっぽいような(ホントかよ)。曲調も、目まぐるしいソロを聴かせるタイプではなく、バンド・アンサンブルをじっくり聴かせる感じ。
インストと男声ヴォーカル曲が半々。ヴォーカルはクセがない美声。歌い方はしっかり朗々としているけど、力みすぎず歌い上げすぎずなのは高ポイント。演奏はメロディオンにサックスやベースが重なり、アレンジもトラッドよりだったり、ちょっとアーバンな雰囲気を加えたり、メロウだったりハッピーだったり、ヴァリエーション豊かで飽きさせません。
あと、曲によってはサズ(トルコの弦楽器)やタブラなんかも入っているので、ちょっと汎地中海音楽的な雰囲気もあり。Fabrizio De Andreが好きな方、一度お試しになってみては。
オマケにリミックスが二曲入っていたけど、う〜ん、これは蛇足かも(笑)。

Wim Mertens “Shot And Echo / A Sence Of Place”
ベルギー発。
ミニマル音楽のWim Mertensの旧譜”Shot And Echo”が、同時期に発表されたミニ・アルバム”A Sence Of Place”と未発表トラック等を加えて、二枚組で再発売。
Mertensの作風は、ピアノ・ソロ+ヴォイスによる叙情的でセンチメンタルな作風や、様々な楽器のアンサンブルによるミニマル寄りでタイトかつドラマチックな作風や、一つの楽器をほぼ単音で奏でる更にミニマルかつストイックな作風などがあります。で、それらの作風を一つのアルバムに混在させるのではなく、アルバムごとにタイプをはっきりと分けて、代わる代わに発表しています。
最初の”Shot And Echo”は、アンサンブルによるミニマル路線でありつつ、そういった構築的な魅力に、どこか古楽を思わせるような牧歌性や、ちょっと感傷的で湿った叙情性も加わった、これぞMertens音楽の魅力本領発揮といった感じの傑作。
もう一枚の”A Sence Of Place”は、これは今回初めて聴いたんですけど、アンサンブルを使わないストイック路線のミニマルでした。とはいえこちらも、ゴリゴリにストイックなのではなく、モチーフが”Shot And Echo”と同じだというせいもあり、他の同路線のアルバムと比較すると叙情寄りな感触。あと、メロウな旋律が短音で静かに繰り返される様は、何だかポリフォニー以前の古楽のようでもあり、なかなか魅力的でした。
というわけでこの再発盤、どちらかオリジナルをお持ちの方でも再購入の価値は大。あと、前述したように傑作でありながら、長らく廃盤でもあったので、買うなら今がチャンスかも。
あとMertens入門用にも好盤……だとは思うんですが、実はこの方、アルバムの数がもンのすご〜く多いし、しかも二枚組やら三枚組を一度に四種類発売とかしやがるとゆー、けっこうハマると泥沼の、ファン泣かせの人ではあります(笑)。
城卓矢『なつめろ全曲集』
日本発。
何だかいきなりなラインナップですが(笑)、前々から欲しかったところ、ぐーぜん店頭で見つけたもんで。
で、何で欲しかったかと言うと、実は私、この人の歌は「骨まで愛して」しか知らなかったんですが、ちょっと前にテレビで「骨まで愛して」を久々に聴いたら、そのサビ、「♪骨まで〜骨まで〜骨まで愛して欲しいのよ〜」の、二回目の「骨まで」の「ほ」の声のひっくり返り具合に、一発で惚れちゃいまして。……って、どんな理由だ(笑)。
んで、目当ての「骨まで愛して」は、もちろん満喫したんですが、今回他の曲も聴いたところ、いやビックリ。
上手い人だという記憶はあったんですが、加えて表現力がスゴい。
タイトルからしてビックリの「なぐりとばして別れよか」とか、民謡+リズム歌謡でゴキゲンな「スタコイ東京」「ダッキャダッキャ節」、極めつけはサンバ+ヨーデルとゆーコンセプトからして理解不能な「トンバで行こう」、などなど、けっこうトンデモナイ曲が多いんだけど(笑)、どれもこれも見事に歌いこなしてます。特に民謡系(っつーか「ユーモラスな田舎者系」)の歌なんて、私はこのテは、千昌夫にしろ吉幾三にしろ、正直かなり苦手なんですけど、この人が歌うと全く気にならない……っつーか、逆に好き。全力投球のトゥー・マッチさも含めて、マジかっこいい。これは、しっかりした歌唱力と、それでもそこはかとなく香る泥臭さが魅力のキモなのかなぁ。
ああ、もちろん「風の慕情」とか「ああふるさと」とか、普通にいい曲もあります。やはりどこか泥臭さがあるんですが、それも何だか色っぽい。何だか、ヴィンテージ・ゲイ小説の名手・楯四郎や、昔の『さぶ』の小説読んでるみたいな魅力が(褒めてんのよ)。そーゆー野郎系やレトロな男の色気が好きな人には、「さすらい東京」「男無情」「忘れるものか」なんて曲もオススメ(笑)。
まあともかく、早逝してしまったのが、ホントに惜しいと思います。
あとね、実は私、子供の頃からこの方の顔が好きでして(笑)。長じてからも、中古レコード屋とか巡っちゃあ、この人のシングルやアルバムが出てくると、ジャケ見ては「いい男だな〜」なんて思ったりして。……って、その割りには、今まで買ったことなかったんですけど(笑)。そういう意味では、このCDのジャケットは、ちょっとアウト。あんまりいい写真じゃない。
もひとつ不満。今どき、15曲入り(+カラオケ一曲)で3100円のCDって……高価すぎないか?
Poser 5とかVue 5 Espritとか(続き)
引き続きPoser 5とVue 5 Espritにハマっております(だから世の中はもうPoser 6なんだってば)。
とりあえず、今回はVueのアニメーション機能にチャレンジ。Mover 5を入れていないのでPoserのアニメーション情報はインポートできないけど、とりあえずVueでカメラや大気だけでも動かしてみようかと。
こーゆー気持ちになったのも、Vueのレンダリング速度がけっこう速かったから。Bryceだと、とてもじゃないけど動画にチャレンジしようという気持ちは起こらなかったからなぁ(笑)。
フィギュアやシーンは、前回作ったヤツの流用。
テストだから、データが重くなりそうな植生モデルを外して、あとは引きの構図用に遠景を足しただけ。
で、Vueのアニメーション・ウィザードを立ち上げて、ガイダンス通りにてきとーにやってみる。プレビューしてみると、たったそれだけでもいちおう何だかそれらしげなモノができたもんで、その手軽さにビックリ。
雛型はこれでできたので、あとはカメラの位置やアングルやタイミングをちょこまか修正。ま、こんなもんかなってのができたたら、解像度をVCDくらいにして、秒15フレームで本番用にレンダリング。
できあがったファイルをQuicktime Playerで再生してみると……おお、ちゃんと動いている、感動(笑)。
想像していた以上に簡単だったので、調子にのってもう1パターン作ってみたりして。
で、できあがった動画をi Movieに持ち込んで、トランジションやGarage bandでテキトーに作ったBGMなんかを追加。i Movieって初めて使ったけど(今までのサイトに上げていた動画は、Quicktime Playerのコピペだけで作ってたのだ)、けっこう使えそうであります。
そんなこんなで、完成したのがコレ。マイ・ファーストVueムービー(笑)。

画像クリックで動画がスタート(要Real Player)。約24秒、1MB。
この程度なら、音入れ等の編集作業も含めて、半日でできちゃいました。こりゃあ手軽で楽しい。
しかし、こーなるとますますフィギュアもVue上で動かしてみたくなるなぁ。
いやぁ、もう我慢できません。Mover 5購入決定! でゴザイマス(笑)。
Mac miniとかPoser 5とかVue 5 Espritとか
Mac miniを買いました。……いや、物欲に負けまして(笑)。
CPUは1.42GHz+メモリ1GB。メモリを増設した分、値段は高めになっちゃいましたが、どーせ買うなら仕事でもそれなりに使えるようにしたいし、備えあれば憂いなしだし。
でもって、以前に購入したままノータッチだったPoser 5をさっそくインストール。で、立ち上げて動かしてみたら……
……軽い。前の環境とは比較にならないくらい、動作が速い。
考えてみりゃあ、そりゃそうだよなぁ。何てったって前は、Power Mac G4 350MHz+メモリ832MBだし。しかし、Poser 4+旧マシンよりも、Poser 5+新マシンの方が速いとは嬉しい驚き。きっと同じくらいの重さだと想像してたんで。
って、実はつい先日、Poser 6のリリースが発表されたばかりだというのに、今頃Poser 5ではしゃいでいる自分もどーかと思うけど(笑)。
ともあれ、Poser 5で最初に試したかったのは、布のシミュレーションをするダイナミック・クロス機能。以前はフィギュアの衣装で、何かと苦労したし。
ざっとマニュアルを読んだところ、例えば「貫頭衣」みたいな、構造的にシンプルな衣装なら簡単そう。で、さっそく六角大王を立ち上げて、古代風のチュニックとか、アラブ民族衣装のガラベーヤとか、シンプルな構造の服をさくっとモデリング。
それをPoser 5に読み込んで、愛用モデルGoro君(Michael 2を自分の絵のモデルに合うようにカスタマイズしたもの)に着せて、シミュレーション開始。
重いだろうなとは思っていたものの、想像していたほどの激重でもない。簡単な静止ポーズにフィッティングさせる分には、ほとんどストレスなし。おまけに仕上がりも、けっこうリアル。基本的なシワの寄りかたとかを見るぶんには、充分に使えそう。
で、新マシンでPoser 5が充分に使えそうだったので、そうなると以前から気になっていた、もう一つのソフトにも手が出したくなる。
景観作成ソフトのVue d’Espritシリーズです。Poserとの親和性も高いってゆーし、海外のPoseコミュニティーの作品を見ていても、Vueの絵作りには惹かれるものがあったし。
で、思いきってVue 5 Espritを購入。インストールして動かしてみたら……
……使いやすい。
同様の景観作成ソフトのBryceを使った人だったら、最初にFLASHで出てくる簡単なチュートリアルを見るだけで基本的な操作は理解できるはず。大気やマテリアルのプリセットも、Bryce同様に豊富にあるし。
レンダリング・スピードは、Bryceには圧勝。っつーか、Bryce遅すぎ(笑)。でも、ラジオシティやグローバル・イルミネーションを使うと、やっぱりそれなりに時間がかかる。ここいらへんは、Carraraの方が速いかも。
ただVueだと、簡単なレイ・トレーシングでも、環境光やボリュメトリックをうまく使えば、BryceやCarraraと比べて「自然っぽい」絵は作りやすい気が。昼光の屋外には、かなり威力を発揮しそうです。
さて、気になるPoserとの連携。
Vue 5 EspritではPoserのpz3ファイルを、モーションなしならそのまま読み込めるらしい。今までPoserと他ソフトを連携させるには、Poserからobjでエクスポートして、それを他ソフトでインポートしてたんですが、その際に透明度の情報などをインポート先で再度指定し直さなければならなかった。これがけっこう手間でねぇ(笑)。
で、試しにPoser 5でフィギュアにテキトーなポーズをとらせて、それをセーブしたものを、そのままVue 5 Espritで読み込んでみたら……
……何の手間もいらずに、すんなりそのままインポート。すっげー楽チン。
いろいろと試していたら、たまにモデルは読み込むんだけどテクスチャが抜け落ちちゃうとか、「読み込みません」とか言われちゃうトラブルも出たけど、最終的にはいずれも解決。厳密に検証したわけではないのでエラーの特定はできませんが、どうもライブラリ名やファイルを置くディレクトリ名に日本語を使うとNGってことなのかなぁ。
とゆーわけで、まずPoser 5で手元のフィギュアにダイナミック・クロスを着用させたデータを作り、それをそのままVue 5 Espritで読み込み、テキトーにプリセットを組み合わせただけの絵を一枚作ってみました。
それがこれ。大きい画像を見たい方はクリック。

ソード&サンダル映画で「ありがち」なワン・シーン(笑)。ホントはもっとエロエロなのも作ったんですが、いちおうこのBlogでは「どエロ」はやめようと思っているんで、まあこの程度で。……とはいえ、パンチラならぬチンチラしちゃってますが(笑)。
この程度なら、何の手間もなくさくっとできちゃいます。こりゃあ、これからいろいろと使えそうだぁ。
さて、話はPoser 5のダイナミック・クロスに戻りますが、フィギュアにリアルな布を着せたら、今度は動かしてみたくなるのが人の性。
で、これまたPoserプリセットのモーション・ファイルを使って、Goro君に腰布巻いて走らせてみました。

動画を見たい方は画像をクリック。サイズは128KB、たった3秒(笑)。(rmファイルなので、動画を見るにはReal Playerがインストールされている必要あり)
……腰布がずり落ちそうで、何だかスリリング(笑)。
布が小さいせいもあって、ダイナミック・クロスの計算時間は早かった。ムービーの作成時間も、プレビュー画像モードだから激速。そのかわり、布の裏面とかはレンダリングされてないけど。
ついでにもひとつ、アラブ人に扮してガラベーヤ姿で歩いて貰いました。

サイズは136KB、同じくたった3秒(笑)。
……何だか酔っぱらいのようです(笑)。ちょっとひっつれた感じなのは、Poserのせいなのか、はたまた私の縫製(モデリングだろ)が悪いせいか(笑)。股間がモッコリしてますが、じっさいエジプトあたりではこーゆーお方を良く見かけます(笑)。
こっちは布の分量や、布が衝突するフィギュアのパーツが多いせいか、さっきの腰布より計算は時間がかかりました。
しかし、こーやって動かしてみると、困ったことに、今度はVue 5上でも動かしてアニメーションを作ってみたくなる。Mover 5というプラグインを買うか、Vue 5を上位バージョンにグレードアップすれば可能なんだが、肝心要の作る時間が……むむむ。
『ファイアー・アンド・ソード』のサントラ、他、最近買ったCD

“Ogniem i mieczem (OST)” Krzesimir Debski
前にここで「もしサントラ盤があったら、絶対に欲しい。……なさそうだけど(笑)」と書いた『ファイアー・アンド・ソード』のサントラですが、探したら……ありました(笑)。う〜ん、ネットは広大だわ(笑)。
もう大喜びで注文し、首尾良く届いてからは聞きまくり。やっぱ、すっげー良いです。
えー、どーゆー感じかともうしますと、まずロシア民謡とかの哀感のあるメロディーを思い浮かべてくださいまし。で、それを流麗かつ分厚いストリングスで味付けする。メロウな曲調の場合は、ソプラノやコーラスで哀愁をプラス。戦闘やコサック騎兵の進軍といったアップテンポの場合は、哀愁を帯びた陽気さをプラスしつつ、ブラスやティンパニでガンガン盛り上げる。エピック的な壮大な雰囲気や、人の世の無常さを描く場合は、もう重厚なオーケストラと混声合唱で、ひたすら朗々と歌い上げる。で、その合間合間に、シンプルな民謡なんかもちょっと挟まったりして。
ってな感じで、史劇系のサントラ好きだったら、満足すること間違いなしの一枚。これがもしメジャーな映画のサントラだったら、『その時歴史が動いた』とかのBGMに使われてそうです(笑)。
でもって、作曲者のクジェシミール・デブスキという人について検索してみたら、かのホセ・クーラがエヴァ・マラス・ゴドレフスカという人(私は寡聞にして知りませんでしたが、ポーランドの国民的ソプラノ歌手だそうです)とデュエットした『ソング・オブ・ラヴ』というアルバムが引っかかった。これに件のクジェシミール・デブスキが何曲か提供しており、指揮もしている。オマケに他の収録曲の中には、ここで触れたヴォイチェフ・キラールの名前も。っつーわけで、これも即注文(笑)。届くのが楽しみ〜。
で、この『ファイアー・アンド・ソード』のサントラを購入したサイト(イタリアのサイトでした)、何だか他であまり見かけないサントラがありまして、ついつい嬉しくなって一緒に幾つか購入してしまいました(笑)。何を買ったかというと、以下の通り。






順番に『ポンペイ最後の日』『ユリシーズ』『ソロモンとシバの女王』『シンドバッド黄金の航海』『ニコライとアレクサンドラ』『美しき冒険旅行』。ちょいと史劇系に偏ってますが、実はちょうど今、そのテのコスチュームもののマンガを描いている最中なので、仕事のBGMにはうってつけかも(笑)。
『キング・フォー・バーニング』
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『キング・フォー・バーニング』(1994)トム・トエレ “Konig der letzten Tage” (1993) Tom Toelle |
16世紀中頃、宗教改革時代のヨーロッパを舞台に、ドイツの都市ミュンスターに立てこもり、千年王国を築こうとした再洗礼派の悲劇を描いた、ドイツのテレビ映画。
主人公は、信徒のリーダーであり自称預言者であるヤン・ボケルソン。再洗礼派の力を危険視したカソリックは、軍を派遣してミュンスターを包囲する。城壁に閉ざされた世界の中、やがてボケルソンの力は市長をも凌ぎ、自ら王として君臨する。彼は一夫多妻制を認め、反抗する者は処刑という恐怖政治を施行するが、同時に包囲された市内では食料が不足して飢餓が襲いかかる。そしてついに軍隊が突入し、血みどろの悲劇の幕が……ってのが、大まかなあらすじ。
画面は極めて重厚。いわゆるテレビドラマ的な画面の狭さをほとんど感じさせない、たっぷり引きのある構図。時代の雰囲気や内容に良く合った、程良く沈んだ色調。衣装や美術も凝っていて、いかにも中世ヨーロッパらしい「不潔感のある豪奢さ」が良く出ています。絵的に時代物の雰囲気を楽しむという点では、ほぼ満点の出来映え。
ただ惨劇の描写は、これはテレビものの限界か、近年の映画と比べるとかなり大人しいです。虐殺にしろ処刑にしろ、目を背けたくなるような無惨さや力強さはなく、あくまでも「こういうことがありました」という説明以上にはなっていない。まあこの間の『パッション』みたいなのは例外としても、例えば『薔薇の名前』や、あるいは『1492・コロンブス』あたりと比べても、ぜんぜんソフトなので、そういうのが苦手な方には良いでしょうが、個人的には、この題材だったらもうちょっと「禍々しさ」を感じさせて欲しかったかな。
物語も面白いし、しかもこれが史実となるとますます興味深いんですが、どうも全体に駆け足で、説明不足の感が残るのは残念。
特に、キャラクターの描写にそれが顕著で、例えば主人公は、それが狂信者にせよ誇大妄想狂にせよ、あるいは単なる権力欲に満ちた人物にせよ、かなり複雑で面白いキャラクターのはずなんですが、どうも内面描写が不足しているせいで、あまり説得力がないし感情移入もしにくい。彼がなぜ再洗礼派に入信したかということすら、良く説明されないし。これは他の登場人物、例えば物語のオブザーバー的な役割である主人公の級友や、主人公以前に再洗礼派のカリスマであった預言者や、その妻といったキャラクターも同様。役者さん自体は、それぞれ雰囲気に合っていてイイ感じなので、何とももったいない感じです。
しかし、ひょっとしたらこれは、『ファイアー・アンド・ソード』の時に書いたのと同様に、このDVDは短縮バージョンなのかも知れません。IMDbで調べても、残念ながらランニング・タイムが明記されていないのではっきりとは判らないのですが、テレビのミニシリーズだとは書かれているので、その可能性は大かも。もし完全版があれば見てみたいなぁ。
あと、特筆すべきは音楽。暗い翳りや哀感を帯びたドラマチックで重厚なストリングス、教会音楽を思わせるゴシックな雰囲気のコーラス(ゴシック期の音楽という意味ではなく、あくまでも雰囲気として「ゴシックっぽい」ってこと)、どこか恐ろしげにズンズン響く打楽器などなど、たっぷり楽しませてくれます。
スコアを書いたのは、コッポラの『ドラキュラ』やポランスキーの『ナインスゲート』と同じ、ポーランド人作曲家ヴォイチェフ・キラール。これらのスコアが好きな人だったら、ぜったいこの『キング・フォー・バーニング』の音楽も気に入るはず。
で、サントラがあったら欲しいな〜、なんて諦め半分で探してたら、純正のサントラじゃないけど見つかっちゃった(笑)。これに関しては、後ほど詳述。
というわけで、全体的には多少の不満はありつつも、美術や音楽の素晴らしさ、題材の興味深さなどを併せると相殺される感強しなので、こういった内容の映画に興味のある方でしたら、見て決して損はないと思います。
余談ですが、『刑事ジョン・ブック 目撃者』で描かれていたアメリカのアーミッシュも、確か再洗礼派の流れを汲む一派だったと思うので、同じ宗教コミューンの行き着く先の違いなどを考えると、またいろいろと感慨深いものがあります。
では、恒例の「責め場」紹介。例によって、嫌な人はこの段は飛ばしてください(笑)。
この映画では「焼けたヤットコで肉を引きちぎっていく」処刑が見れます。
まあ前述したように過激さはなく、肌を挟むヤットコ、苦悶する顔のアップ、火傷痕のメイク……といった、あくまでも昔の映画に良くある「そのものズバリは映さない」タイプの表現。今どきの映画風の、CGや特殊メイクでスゴイものを見せてくれる……なんてことはない。でも個人的には、受刑者がヒゲ面&腰布一丁というダブルコンボだし、公開処刑だし、あんまり映画で見たことのないシーンだし、けっこう嬉しい儲けもの(笑)。
もう一つ、鉄檻に入れての晒し刑なんてものもあるんですが、これは動物園みたいにフツーの檻の中に、完全着衣のまま入れられているだけなので、あまり興趣はかき立てられなかったなぁ。人型のカゴに入れて城壁から吊しでもしてくれれば、もっと良かったんだけど(笑)。
さて、前述の音楽ですが、サントラ盤は見つからなかったものの、代わりにコレを見つけました。

ヴォイチェフ・キラールの映画音楽を、ポーランド国立ラジオ交響楽団が演奏しているアルバムです。指揮はアントニー・ウィット。……知らないけど(笑)。
これに『キング・フォー・バーニング』こと “Konig der letzten Tage” からのスコアが、5曲入っていました。映画を見て心に残った曲は全部入っていて、私的には大満足。改めて聞いても、う〜ん、やっぱり良いわぁ。映画のタイトルバックでかかる “Intrada” なんてホントいい曲。ゴシック・ホラー好きには、コーラス入りの “Sanctus” とか “Mizerere” の暗黒っぷりなんかタマンナイし。
他に収録されているのは、前述のコッポラの『ドラキュラ』から6曲、ポランスキーの『死と処女(おとめ)』から3曲、どうやら日本未公開らしいポーランド映画 “The Beads of One Rosary” と “Pearl in the Crown” から、それぞれ1曲と2曲。いずれも劣らぬ良い曲揃いなので、興味のある方にはぜひオススメ。
レーベルはクラシックの廉価版で有名なNAXOS。タイトルは”Bram Stoker’s Dracula and Other Film Music by Wojciech Kilar”、カタログ・ナンバーは8.557703。
NAXOS JAPANのサイトでは見つからなかったので、国内盤(ってもここのはいつも、輸入盤に解説付きの帯を付けたものですけど)は出ていないのかもしれませんが、輸入盤ならamazon.co.jpで「クラシック」で検索すると簡単に見つかります。
『オペラ座の怪人』
『オペラ座の怪人』(2004)ジョエル・シューマカー
“The Phantom of the Opera” (2004) Joel Schumacher
手堅く楽しませていただきました。絢爛豪華な衣装や美術、大盤振る舞いの歌、ケレンとハッタリが程々に効いた演出、映画代金分はタップリ楽しませて貰えた感じ。
ただ、それらが全て常識的な範疇におさまる類のものなので、そういったものを突き抜けるパワーには乏しい。まあ、これだけ見せてくれれば文句を言う筋合いはないんだけど、個人的な好みで言うならば、もうちょっと美的な力強さか、あるいは歪んだ魅力といった要素が欲しかったところ。
じっさいオペラ座という「表(地上)」の光景は、贅を尽くしてふんだんに描かれているんだけど、実はその「裏(地下)」に、日常と隔絶した闇の別世界が拡がっている……というゴシック・ロマン的なニュアンスは、スケール的にも美学的にも物足りない印象で、ちょっと「ゾクゾク感」には欠けるかな。
キャラクターの造形がツッコミ不足だったり、物語の流れがちょっとギクシャクしているのは、まあミュージカルだとある程度は仕方がないでしょう。
そもそもが非日常的なミュージカルの世界では、語られる物語がシリアスであればあるほど、歌舞シーンとの乖離が激しくなってしまうのは必然でもある。更に極端なことを言えば、メインはあくまでも歌や踊りであって、物語なんて必要最低限の添え物でも構わないわけだし。
そういう意味ではこの映画、物語的な部分とショー的な要素の両立という点では、まずまずの健闘と言って良いのでは。少なくとも、バランスは良く取れていたと思います。
怪人がえらくカッコいいのは、魅力でもあり、同時に弱点でもあり。
というのも、このセクシーさとカッコよさでは、いくら仮面で顔を半分隠していても、どうしても「才色兼備の自信たっぷりの男」に見えてしまうのだ。そうなると、本来あるべきはずのはみだしてしまった者の悲哀とか、誰にも受け入れてもらえない怪物の哀しみとかが、あまり説得力がなくなってきてしまう。この怪人の造形は、モンスター的というよりもピカレスク・ロマンのヒーロー的なんですな。
で、ついつい「ひゃ〜、カッコいい〜!」「いよっ、成駒屋!」「アタシを攫って〜!」なんて気分で見ていると(ホント、もし私がヒロインだったら、あんな華のない青年貴族なんかはさっさと袖にして、怪人相手にあっさり股を開いちゃうぞ)、クライマックスになって、おっとビックリ、そうそう、この怪人は醜さの余り誰にも受け入れて貰えなかったっつー設定だった……なんて、ようやく思い出したりして(笑)。
しかしまあ、これは私がもともとこの怪人役のジェラルド・バトラーを好きなせいもあるのかも。この人主演のテレビ映画で、”Attila” (2001) という史劇もの(日本では劇場未公開&国内盤DVDも未発売。でもWOWOWだかCSだかでは放送があったらしい)がありましてね、あたしゃ輸入盤で見たんですが、そんときのヒゲ面&腰布(どっちも個人的にフェチ心を擽られるアイテム)姿が実にステキでねぇ。そのあと急いで『ドラキュリア』(2000)を借りに行ったくらいで(笑)。
というわけで、そんな私にとっては、この怪人の造形も「これはこれでオッケー!」だし、ものすご〜くカッコいいんだけど、それでも哀切さとかいった点では、元ネタを同じくする映画同士で比べると、ブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)や、クロード・レインズ主演の『オペラの怪人』(1943)の方が、胸に迫るものがありましたな。
有名なロン・チェイニーのは、浅学にして未見。ダリオ・アルジェントのは……あれはけっこうトンデモ映画だったからなぁ(笑)、嫌いじゃないけど(笑)。
因みに一番好きなシーンはというと、怪人から手紙を受け取った人々が次々に集まって、主演を降りそうになるカルロッタを宥めて……という一連の重唱。ここは「お見事!」って感じで、かなりの満足感がありました。
あと、このシークエンスの中でカルロッタが衣装を装着するところは、サンダーバードの発進かパイルダー・オンかって感じで、あのトンデモナイかつら共々お気に入り(笑)。
『アレキサンダー』
『アレキサンダー』(2004)オリバー・ストーン
“Alexander” (2004) Oliver Stone
正直なところ出だしからしばらくは、見ていてかなりイライラさせられた。
いきなり世界の七不思議の一つアレクサンドリアの大灯台が出たときには、思わず嬉しくなっちゃったものの、その後は、まるでドラマへのスムーズな導入をあえて拒むかのように、説明的なモノローグが延々と続く。そして、壮麗さもなければ原初的な荒々しさもない、美的にはほとんど魅力が感じられないマケドニアの衣装やセット。グラグラとドキュメンタリー調に揺れ、人物ばかりを追って世界を捉えないカメラ。ひたすら下卑たいがみあいを続ける、人物的にはおよそ魅力的ではない王や王妃、親族たち。幼年期の主人公のエピソードのとりとめのなさ。成長した主人公の、まるで何か悪い冗談のようなコスチュームの似合わなさ。
それでもやっと、母からの自立や父子のすれ違いなどを経て、こちらがドラマに乗りかけてきたかと思えば、その矢先に、見せなければいけない(と思われた)シーンはナレーションであっさり流され、いきなり次はガウガメラの戦い。
正直なトコロ、ここいらへんでいいかげんにもう限界。「いやぁ、こりゃあハズれだったかなぁ……」なんて諦め気分に。
ところが、やけに埃っぽい臨場感のある戦闘シーンを見ているうちに、だんだん気分がのってきた。
特に戦闘後の、どう見てもベトナム戦争か何かの野戦病院にしか見えないシーン。ここまで来て、ああ、神話伝説の類から虚飾やロマンを剥ぎ取り、リアリズム的にそれらを再構築しようというのが監督の意図ならば、それはそれで面白いよな、なんて感じたりして。
そして、バビロン入城(ここで、またもや世界七不思議の一つバビロンの空中庭園と、崩壊しているバベルの塔が、同一フレームに収まっているなんていう、何とも贅沢な画面が見られて、これまた嬉しくなっちゃった)あたりから、決定的に風向きが変わる。
例えば、前半のギリシャ文化圏の美術の貧相さは、中盤以降のアジア圏の美術の豊かさと対比されて、それまで主人公たちが信じてきた「文化的なギリシャと野蛮な他国」という対比が、実は全く逆であったということを、登場人物たちと同時に私にも知らしめる意義へと転じた。
そして、更に遠征が進むにつれて、私が当初期待していたような英雄やカリスマとしての主人公ではなく、幼少期からの根強いトラウマとコンプレックスを抱え、ひたすら自分の存在意義と自分を受け入れてくれる居場所を探し続けた、寄る辺ない不幸な青年像が露わになっていく。
これならば、マケドニア王としてのコスチュームが似合わず、薄汚れてボロボロになればなるほどしっくりしてくるのも合点だ。見ていて嫌ンなっちゃうような両親も、そりゃあトラウマもコンプレックスも根深くなるわと納得。幼児期のエピソードも、ちゃんと伏線として回収されるし、焦点が写実的リアリズムや人物の内面にあるのならば、カメラだってこれが妥当なのだろう。作劇上は見せなければいけないはずなのに省略されていた部分も、後半になって、物語の実像を掴み始めたタイミングを見計らって、ちゃんと好位置に挿入されるし。
理解者と理想を求めて突き進むが、突き進めば突き進むほど孤独になり、トラウマにもコンプレックスにも押し潰され、最後まで己の居場所を見つけられずに死んだ一青年の悲劇。自らを重ね合わせていた「己の影に脅えていた」愛馬は、伝説としてしかるべき時と場所で息絶えたのに、主人公にはそれすらも与えられない。母によって自分のアイデンティティーを否定された息子は、熱望した父には受け入れて貰えず、最終的には母の嘘(と、ここでは言い切ってしまうが)に縋らざるをえない。不在の父親は母の語るゼウスに置き換わり、自らをヘラクレスに模しながら(ヘラクレスの父親はゼウスであり、その装束はライオンの毛皮である)、自分を迎えにくる鷲の幻影(鷲はゼウスの象徴だ)を見ながら息絶える。
う〜む、これはかなり悲しいぞ。
ただ、こういったことは、いわば現実的な視点による伝説の解体であり、それは単なる伝説の矮小化となる危険も秘めている。
しかし、それも巧みなバランス配分によって回避される。
例えば、主人公の卑近で人間的な物語と同時に、そこにギリシャ悲劇との重なり合いが提示される。最も露骨なのは主人公のエディプス・コンプレックスの語源である「オイディプス王」だが、それ以外にもメディア、ヘラクレス、プロメテウスといった、必然的にソフォクレス、エウリピデス、アイスキュロスの三大悲劇詩人を連想させるキーワードが配されている。これによって、一見解体されて矮小化したような物語も、しかしそれもまた伝説の持つ普遍性の一つであることが示されている。
また、アレキサンダー大王を主体としたドラマをメインとしつつ、その外側にそれを後になってから俯瞰的に回想するプトレマイオスの語りを配置するという、物語の枠を二重にして対比させている手法も同様だ。このことによって、物語の最終的な全体像は、さらに外側にいる観客(つまり私だ)それぞれの判断に委ねられる。こうして、幻想を剥ぎ取られて解体された伝説が、現代人である私の内に再構築されたとすれば、そこには新たな普遍性が生まれる。
ここいらへんも、なかなか面白い。
観客への問いかけという点では、その姿勢が挑発的なのも面白い。
主人公はたびたび、異なる文化を受け入れようとしない、理解しようとしない人々に苛立ちを見せる。これは同時に、観客に向けられた試金石でもある。
映画で語られる同性愛の要素(厳密に言うと、この時代における男同士の交わりというものは、現代における同性愛とイコールではないのだが、そこいらへんは煩雑になるし、同様の問題については以前に自著で詳しく触れているので割愛します)は、そこには物語的な必然性はない。同性愛的な描写は、この時代には同性愛がタブーではなかったということを描くためにしても、テーマの一つに同性愛を盛り込むためにしても、いずれにしても中途半端だ。変に執拗なわりには、深く突っ込まれることがない。
ところが、仮に、歴史上の偉人が同性愛者であったということを描くのが、その偉人を貶めていると怒るとすれば、それはそう怒る人々が、同性愛を劣った忌むべきものだという、差別的な考えを持っているということを露呈することになる。また、必然性がない同性愛的要素の描写に疑問を唱えるとすれば、それはすなわちそういう疑問を抱く人々が、一見理知的に同性愛を受容しているように見えながら、実のところは彼らが同性愛に対して「必然がなければ表に出てはいけないもの」と、無意識のうちにやはり差別的に捉えていることを示してしまう。
実のところ、この映画のアレキサンダーとヘファイスティオンの関係は、もしそれが男女のものであったのならば、観客は何の違和感もなく自然に見るだろう。そかしそれが同性愛であるというだけで、こういった「なぜ同性愛者にするのか」「なぜ同性愛を描く必要があるのか」といった疑問が噴出する。
かつて映画においてゲイはタブーであり、『ベン・ハー』や『スパルタカス』でも同性愛的な要素は巧みに隠匿されていた。現在ではゲイを描いた映画は、珍しくも何ともなくなった。しかし実は、それはあくまでも映画の主眼が同性愛の特殊性に搾られた場合か、あるいは同性愛者に特定の役割を担わせる場合にのみ通用しているだけであり、ごく当たり前に同性愛者が登場することについては未だに否定的だということを、この映画を巡る論議は露呈する。
つまり、この映画における同性愛的な要素を、「なぜ」を抱かずにそのまま受容することができなければ、その観客はアレキサンダーが劇中で非難している、「他文化を受け入れようとしない人々」と同じになってしまうのだ。
これはかなり挑発的であり、問題提起の手法としては興味深い。
こんな具合に、この映画は最初の印象とは裏腹に、最終的にはある意味で面白く見られた。
とはいえ、そういった「面白さ」が全て成功していたか、あるいは、映画作品として素晴らしかったかといえば、残念ながら必ずしもイエスとは言えない。
歴史上未曾有のことを成し遂げた主人公について、「なぜそれをしたか」という部分に関してはある程度の説明があるし、「どういう人物だったか」という考察としても興味深いものの、では「なぜそれができたか」という説得力には乏しい。主人公の成育史など「理」に訴えかけてくる部分は多いが、「感覚」に訴えかけてくる部分が乏しく、結果としてエモーションはさほど揺さぶられないからだ。
また、登場人物が多いわりには語られるのは主人公のことばかりで、群衆劇的な魅力にはおよそ欠けている。少なくとも私は、脇を固める人々のうち、だれ一人としてそこに「生きた魅力」を感じることはできなかった。
前述したエモーションの欠如の理由の一つには、映像と音楽のミスマッチもあるかもしれない。音楽担当のヴァンゲリスは、ギリシャ出身であると同時に、かつて”Spiral”や”China”といったアルバムで東洋思想への接近を見せたこともあるので、理屈から言えば適材であるとも言える。また、ヴァンゲリスの楽曲自体を、劇伴であることを離れた独立した作品として聞いてみると、近年の”El Greco”や”Mythodia”以降の路線の延長線上にあるなかなかの好作だ。しかし、基本的に「ロマン」を謳う彼の作風と、古代憧憬的なロマンを次々と解体していくこの映画の内容は、やはり何ともちぐはぐで、どうも水と油のような印象を受けてしまった(もちろん上手く合致していた部分もありましたが、総合的に見ると、ということです)。
もしヴァンゲリスが、Aphrodite’s Child時代の”666″や、Vangelis O. Papathanassiou名義の”Earth”の頃のように、ロマンチシズムと同時に土俗的な荒々しさやロック的なアナーキーさを持ちあわせていた頃の作風であったのなら、もうちょっと上手く映像と合致したかもしれない……なんて、つい埒もないことを考えてしまうのは、ただのファン心理か(笑)。
というわけで、考えながら見る分には、単に自分の深読みに過ぎないかもしれない部分も含めて、なかなか面白く見られたのだが、私は基本的に、表現の本質とは、理屈や知識とは無縁のところにあると思っているので、そういう面白さだけでは物足りない……というのが総合的な印象。
しかし、退屈はしなかったし、趣味の相違を除けば、作家性がハッキリしているという点は興味深いし、意欲的だし、志も感じられる作品ではある。内容的な如何ではなく、アクの強さと言ったベクトルで見れば、こういったパワフルな作風は好みでもある。
というわけで、いろいろと微妙ではあるものの、好きか嫌いかと聞かれたら「好き」ですね、この映画。
あ、でも、私個人のゲイ的な興趣を擽られる部分は、皆無でした(笑)。
ただし、アレキサンダーとヘファイスティオンが、裏でやることやっているのではなく、本当にセックスはおろかキスもしていなかった……と解釈するならば、そーゆープラトニック・ラブとしての同性愛に憧れる方だったら、それなりにオススメできるかも。見ようによってはこの二人の関係は、アレキサンダーがちゃんと男とセックスもしたがっているマジモンのゲイで、しかしヘファイスティオンはあくまでもプラトン的な理想としての同性愛を希求しているだけなので、アレキサンダーはどうしてもヘファイスティオンにセックスを迫ることができず、代わりにセックスはペルシャ人のダンサーと……なんて風にも受け取れる。だとしたら、実はヘファイスティオンすら真の理解者ではなくなるわけで、これはえらい悲しいことです。
ただまあ、私個人としては、そんなセックスフォビックなロマンチシズムは好きじゃないけど。
責め場的な見所? ……まあ、死体や血はいっぱい出てきますよ。
それだけ(笑)。
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