エロの考古学 in 伏見憲明Blog

 伏見憲明さんのBlogで御自身が所有しているヴィンテージ・ゲイ・エロティック・アートを、「エロの考古学」というタイトルで幾つか展示してくださいました。
 絵も写真もあるのですが、その中でも2点ある「髷もの写真」に、希少性・作品としての力強さ・時代背景といった点で、特に目を奪われました。
 興味深いのは、この写真はメイクアップなどから推察すると、時代劇全般を指す「髷もの」の中でも、特に大衆演劇へのフェティシズムに依るものではないかと思われることです。
 時代ものに対するファンタジーは、数こそ少なくなったものの、それでも現代でも僅かながら見ることができます。しかし、こうした大衆演劇に対するファンタジーは、ほとんど全くといっていいほどお目にかかれません。
 ところが、実は昭和30年代の『風俗奇譚』などを読んでいると、大衆演劇に関して、自分の性の芽生えはそれであるといった手記や、どういった性的刺激を受けたかという話、フェティッシュな思い入れを綴った手記、自らそういった扮装をして楽しんでいるという話などが、少なからずあるんですよ。
 そこで、改めて分析的に考えてみると、実のところ大衆演劇の中には、ゲイたちを惹きつけてしかるべき、いくつかの特徴があるように思われます。
 一つに、立ち回りの際にちらりと除く褌や、啖呵をきる際の諸肌脱ぎといった、純粋に視覚的な性的刺激。
 二つめに、渡世や義兄弟といったものが内包している、ホモソーシャルなファンタジー。
 三つめに、女形のようなトランスベスタイト、トランスジェンダー的なファンタジー。
 これは更に「女形=実際は男性」なので、「舞台の上の男女=実際は男同士」となり、「芝居の上では男女の性愛=現実に見ているのは男同士の性愛」という具合に、ちょっとメタフィクションめいた構造を経て、結果として、そこでは男同士の性愛が「正当化」されているような、そんなイメージを併せもっていた可能性もあります。
 四つめに、捕り物などにおける、サディスティック/マゾヒスティックな刺激。
 五つめに、実はこれはかなり大きい要素ではないかと個人的には推察しているのですが、上に挙げたような諸々のことが、最終的には芝居という「美しい」ものとして提示されるということ。
 この「美しさ」は、当時の多くのゲイたちが抱えていた、ホモフォビアとセックスフォビアが合体してしまった深い自己嫌悪、すなわち「同性に欲情する自分=変態=きたならしい存在」という悩みを、ある程度は解消してくれた可能性があります。
 こういった形による自己受容、つまり、現実の自分そのものを受け入れるというよりは、自分をフィクションに仮託する、自分自身をフィクション化することで自己受容するというのは、なにもこの大衆演劇フェチに限ってことではありません。
 例えば、古代ギリシャや江戸時代以前の日本に例を求めて歴史的な安心感を得たり、世紀末ヨーロッパ文化などの「異端の美学」に範をとったり、欧米のオーバーグラウンド化した「かっこいい」ゲイ・カルチャーを求めたり、こういったことは手を変え品を変えして、綿々とゲイの中で繰り返されているように思えます。
 つまり、それだけゲイは、己の存在の正当性へのエクスキューズを求めてきたということであり、大衆演劇にもそれを満たす側面があるということが、前述した「大きな要素」という推察につながります。
 以上のような前提を踏まえ、当時の人々にとっての娯楽としての大衆演劇の身近さや、更に範囲を髷もの全般に拡げて、小説、挿絵、映画などで時代物に触れる頻度なども併せて考えると、ひょっとすると、この頃のゲイたちの中では、髷ものフェチ全般はもちろんのこと、大衆演劇フェチもそれほど珍しいものではなかったのかも知れません。
 だとすれば、この二葉の写真は、現代では絶滅してしまった、過去のフェティシズムの遺産なわけです。これこそまさに考古学。
 まあ、そういったことを抜きにしても、この写真は実に素晴らしいです。
 ここには、最良のエロティック・アートならではの、個々のテイストを突き抜けた普遍性がある。例え自分自身はチンピクしなくても、脳髄はしっかり勃起させられます。
 この純粋さと力強さ。一種の畏怖のような感動を覚えます。
 伏見さん、自分は飽きっぽいなんて言わないで、ぜひこれからも続けてください。

エロの考古学 in 伏見憲明Blog」への2件のフィードバック

  1. 伏見憲明 BLOG

    エロの考古学blog 10

    作者不明 年代不明
    男絵の御大、田亀源五郎先生にトラックバックをいただいて気をよくしたので、久しぶりに考古学シリーズです。
    田亀先生がご自身のblogで…

  2. 玉野シンジケート

    日本女装映画の嚆矢〜『雪之丞変化』の変化

    田亀源五郎さんが、伏見憲明さんの「エロの考古学シリーズ」の「髷もの」を批評して次のように書いておられます。
     女形のようなトランスベスタイト、トランスジ…

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