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『エクソシスト ビギニング』

『エクソシスト ビギニング』レニー・ハーリン
“Exorcist: The Beginning” Renny Harlin

 う〜ん、そこそこ楽しめるんだが、これが「エクソシスト」というシリーズの一本だと思うと、どうしても点数は辛くなってしまうなぁ。
 というのも私にとっては、フリードキンの一作目はもちろんのこと、ブアマンの『2』やブラッディの『3』も、同じ設定を使いながら、それぞれ異なるテイスト・異なる考察・異なるヴィジョンを見せてくれた(しかも圧倒的なパワフルさで)、いずれ劣らぬ魅力のある力作揃いだったからだ。

 この『ビギニング』も、一つ一つの発想自体は、決して悪くないと思う。「アフリカ奥地で、キリスト教がまだ到達していなかったはずの時代に建てられた、土に埋もれた謎の教会が見つかった」なんて設定は、なかなかゾクゾクさせられるし、「ナチスによるホロコーストで、一度は信仰を棄ててしまった神父が、いかにして再び信仰を取り戻すか」なんて話も、深く突っ込んでいけば幾らでも面白くなりそう。「この中で悪魔に憑かれているのは誰か?」なんていう、ミステリー的な要素もあるし、冒頭で提示される、聖ペテロ風の逆さ磔の大群のヴィジョンも悪くないし、大量に並ぶ墓の謎なんてのも、イメージとしてもネタとしても美味しい。

 でも残年ながら、それらがことごとく中途半端のまま終わってしまうんだよなぁ。
 教会の発掘作業と並行して怪奇な事件が起きるのに、では完全に掘り起こされたときに何が起きるのかといった要素がないし(つまり発掘途中である意味がない)、信仰を棄てたはずのメリン神父が、再び神の存在を信じるに至るターニング・ポイントも不明だし(これがないと、クライマックスの悪魔祓いが盛り上がらないでしょ)、手のひらサイズのパズズの頭像を探すのが話のツカミなのに、身の丈よりも大きいパズズの全身像なんてのをデ〜ンと出しちゃうのもどうかと思うし(その後で小さな頭像が意味ありげに出てきても、もうインパクト負けでしょ)、謎の墓を暴くのと村の娘の出産を並行して描きながら、それらに因果関係がないってのも……ねぇ??

 つまり「これがこのままいくと、トンデモナイことになっちゃうんじゃないか?」とゆーよーな、伏線の要素が決定的に欠けているので、イベントごとの不気味なムードは盛り上がっても、サスペンスが盛り上がらないのだ。絵作りはなかなか重厚だし(光と影の使い方は良かったなぁ)、役者さんたちもけっこう魅力的だし(メイン・キャスト以外でも、割と最近『炎のランナー』を再見したばっかだったので、ベン・クロスを見て「アラ、お久しぶり」とか思っちゃいました)、一つ一つのイベントの見せ方も悪くないのに(教会の内部に降りていくくだりとか、女医さんを巡るアレコレとか、単体ではけっこう好きなシーン多し)、それらが一本のモノガタリに収束していくというカタルシスがないのだ。エピソードをモノガタリたらしめる軸がない。

 監督交代劇が話題になってたけど、このバラけ具合は、やはりそれが祟ってのことなのかなぁ。となると、NGくらったポール・シュレイダー版ってのが気になってくるけど、私はこの監督は『キャット・ピープル』と『Mishima』を見た限りでは、「意余って力及ばず」なお方だという印象があるんで、どうにも微妙なトコロ(笑)。
 でもまあ、私とは逆に「『2』とか『3』なんてクソつまんねーよ!」ってな方だったら、この『ビギニング』こそ「これぞ元祖『エクソシスト』の純粋な続編だ!」ってカンジかも。一作目の前日譚としての工夫は、私は気付かなかった部分を含めて、何だかイロイロありそうだし。あと、前述したような隙間だらけのオハナシなんで、設定的な思い入れがある方なら、あちこち深読みする楽しみもありそうです。

 あと、蛇足ですが、メリン神父役のステラン・スカルスガルドさん。
 顔も身体もガッチリしてるし、ファッションのせいもあって、何だかインディ・ジョーンズみたいで、まあそれはそれでステキなんですけど、でもどう見たって、年老いてもマックス・フォン・シドーにはなりそうにないな〜(笑)。

“Samson”

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“Samson” (1961) Gianfranco Parolini
またまた輸入DVDのご紹介。ブラッド・ハリス主演のソード&サンダル映画です。
ヤヤコシイことにIMDBを見ると、この”Samson”(伊語原題”Sansone”)の他に、制作年も監督もキャストも全く同じ”The Fury of Hercules”(伊語原題”La Furia di Ercole”)という映画が、別々の作品としてクレジットされている。後者は『ヘラクレスの怒り』というタイトルで日本公開もされているっぽいんですが、果たしてこの二本は同じ映画なのか。配役表を見ると、同じ役者でも役名がそれぞれ違う。ハリスの役名は、前者はサムソンで後者はヘラクレス。共演のやはりマッチョ俳優であるアラン・スティール(珍作だけど責め場はなかなか良い”Hercules Against the Moon Men”の人です)の役名も、前者はマシーニョで後者はカルドス。さらにヤヤコシイことに、前者の仏語版”Samson contre Hercule”では、スティールの役名は更にエルキュール(つまりヘラクレスですな)に変わってたりするんで、あーもうヤヤコシイ(笑)。多分、それぞれ固有名詞を変えているだけで、話や画像自体は同じ作品だと思うんですけど。
話の内容は、とある国(祀っている神がヴォータンだったりするので、イメージとしては北方系? でもヴィジュアルはギリシャ・ローマってカンジだけど)で、悪の女王と腹心の宰相が、本物の女王を地下牢に監禁して、国を乗っ取って支配していると、そこにサムソン(念のため、こーゆー映画の常ですが、旧約聖書のアレとはまったく関係ありません。単に怪力の英雄の名前ってことで。このサムソン君は「ゼウスよ!」なんて言ったりするんで、おそらくギリシャ系なんでしょう)がやってきて、国を本来の女王の手に取り戻す……ってなもの。で、実は悪の女王はサムソンと昔恋仲だったり、侍女は本当は正統の女王の忠臣で、しかもサムソンが偶然出会ったもう一人の怪力男(これがアラン・スティール)の妹だったり……ってなドラマが絡みます。
まあ話自体は、ありきたりとは言えそんなにつまらなくはないんですが、いかんせん演出が悪いんで、どうも全体的にノンベンダラリとした印象。殴り合いのケンカやら、レスリングやら、拷問やら、闘技大会やら、それなりに盛り沢山ではあるんですが、どれもこれも演出にタメがないので緊迫感がない、ワザとらしいコメディー・リリーフのヤセとデブ二人組による、下手なユーモア描写もマイナス要因にしかなってないし、スケール感も乏しく、セット共々このテの映画ではありがちな安さが漂う……ってなわけで、どうにもこれといった見所に乏しい。
ただ、一つヘンな見所(?)はありまして、悪の女王の宰相を演じているのが、何と若かりし頃のセルジュ・ゲーンズブル(!)なのだ。真っ赤なヒラヒラのチュニック着て、鞭を片手にヘンタイっぽい演技。アンタ、こんな仕事やってたのかい(笑)。
ブラッド・ハリスは、ガタイはいいですね〜。筋肉モリモリだし、固そうだし、切れもいい。顔は、まあそんなに好きなタイプじゃないけど、今回はフルフェイスのヒゲが似合ってるのでOK。そういや、ナチ女囚拷問映画『獣人地獄!ナチ女収容所』(トンデモナイ映画なんだけど、実はけっこう好き)で、やはりフルフェイスのおヒゲで神父さん役をやってたときも、けっこうイケたっけ。でも、ヒゲを剃ったら絶対イケないタイプだろうなぁ(笑)。同じ女囚モノの『(秘)ナチス残酷物語/アフリカ拷問収容所』(ホンットーにショーもない映画だけど、実はブラッド・ハリス以外にも、『七人のあばれ者』のリチャード・ハリソンとか、これまた果てしなく安い珍作なんだけど責め場だけはけっこう良い”Giant of Metropolis”のゴードン・ミッチェルといった、往年のマッスル・スターが揃い踏みだったりする)とか、『超人ハルク』で有名なルー・フェリグノの『超人ヘラクレス』(これもアホな映画だけど、実はけっこう好き。DVD化を切に希望)なんかにも出てたみたいだけど、そっちはちっとも記憶にないや。
ハリスとタイマンはるアラン・スティールも、肉体の重量感はバッチリ。ただ、ハリスの筋肉がなんとなく岩っぽいゴツさなのに対して、スティールの筋肉はちょっとお饅頭っぽい丸さ。マーク・フォレストなんかも、このお饅頭系ですな。アタクシはゴツい方が好きなので、ハリスの身体の方が好みでございます。スティールの顔は、何だかジャガイモみたいで可愛いんですが、今回はヒゲがないからな〜……ヒゲフェチの私としては、ちと物足りない。
さて、お楽しみの「責め場」でございます。
まず、サムソンが石牢に閉じこめられ、ハンドルが廻されると、別室の部下二人が手首を鎖で吊り上げられ、同時にサムソンにも鉄のスパイクの生えた石壁が迫ってくる……というシーン。アイデアは悪くないんですが、前述した演出の悪さで緊迫感ゼロ。手首吊りはちっとも辛そうに見えないし、石壁も怪力であっさりクリア。む〜ん、こんなんじゃ物足りんわい。
次に、馬裂きにされそうになる侍女の救出シーン。サムソンが現場に駆けつけ、侍女の手首の縄を握って耐える……と思ったのもつかの間、これもあっさりクリア。物足りなさ×2。
クライマックスの闘技場のシーン、その1。燃える炎を挟んで、サムソンが多勢を相手に鎖で綱引き。じりじり引きずられて、肌が炎に炙られそうになる……なんてオイシイ描写もなく、またまたあっさりクリア。物足りなさ×3。
闘技場、その2。サムソンが目隠しをされて、丸木橋の上に乗せられ、剣で闘わされる。丸木橋の下は、一面の鉄のスパイク。しかも闘う相手は、アラン・スティール演じる朋友! 彼もまた目隠しをされていて、互いに相手が誰だか判らない。闇雲に振り回す二人の剣が触れ合い、丸木橋から落ちそうになり……なんてスリルもそこそこに、相手が「かかってこい!」ってな一声。サムソンは目隠しを外して「お前かぁ!」相手も目隠し外して「サムソン!」あとは二人で力を合わせて悪人退治。ここらへんで、物足りなさは既に臨界点に。
まったくもー、どれもこれも演出が悪すぎ!
ただまあ、「責め場」以外の「肉体の見せ場」は、こちらはそれなりに充実しております。
開始早々、偶然であった半裸のマッチョ二人は、狩りの獲物のイノシシ巡って殴り合い。ガツンと殴られると、相手の強さに感心して「はっはっはっ」と笑い、殴り返す。で、取っ組み合って、投げ合って、ケンカの最中にリンゴ囓って、また殴り合い。う〜ん、体育会系(笑)。重量級二人の筋肉のぶつかり合いを、タップリ堪能できます。
それからも、サムソンが宮殿でレスリングの御前試合したり、酒蔵で再会した怪力男二人が、またまた殴り合ったり、二人で力を合わせて、寺院の石柱を引き倒したり(ここは演出のマズさ=タメがないので、イマイチですが)、まあマッチョ一人より二人の方が二度オイシイってなわけで、肉体美そのものはタップリ拝ませていただけます。
DVDのリージョンはフリー、画像サイズはトリミングされたTVサイズ。字幕・特典共に無し。
画質はかなりボケていて、しかも退色も激しく、全般に赤茶けちゃってます。中の下。
“Samson” DVD (amazon.com)

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で、実はこの映画、PAL版のDVDも出てまして、それがこちらの”Samson contre Hercule”。
フランス盤です。そのせいか、ジャケットにハリスやスティールの名前はなくても、ゲーンズブールの名前だけはしっかり入ってる(笑)。
こちらの画質は、アメリカ盤に比べるとかなり良好。多少はボケてますが、それでもディテールの再現性はアメリカ盤を遙かに凌ぐし、加えて色もビックリするほどキレイで鮮やか。
リージョン・コードは2。画像サイズはノートリミングで、スクィーズなしのレターボックス収録。トリミング版だと避けられない、ワイド画面の構図の狂いがないのは、やっぱ良い。音声は仏語吹き替えのみ。字幕無し。特典は、予告編(ただしオリジナルではなく、同じ会社が発売しているソード&サンダル関係のソフトの画像を、独自に編集したもの)、ハリス、ゲーンズブール、監督のフィルモグラフィー(仏語ですけど)、フォトギャラリー(のふりして、実はスチルではなく、単にビデオのキャプチャー画像を並べただけというインチキもの)。
まあ、とにかく画質で言うなら、こっちの方が断然「勝ち」なので、PALの再生環境をお持ちの方なら、フランス盤の方がオススメです。
あ、でもジャケはちょっといただけないけど(笑)。

“Samson and the Seven Miracles of the World”

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“Samson and the Seven Miracles of the World” (1961) Riccardo Freda
新着輸入DVDのご紹介。ゴードン・スコット主演のソード&サンダル映画です。
タイトルを直訳すると『サムソンと世界の七不思議』だけど、映画のストーリーとはな〜んも関係なし(笑)。舞台はモンゴル民族に征服されていた頃の中国で、圧政に苦しむ人民と、反乱軍と、それを後押ししている僧院、そして中国の正統のプリンセス(ヨーコ・タニ)を、いずこからか遣わされた半裸のマッスル・ヒーローが救う……って、どこが世界の七不思議だ(笑)。
監督は、ジャケではリッカルド・パロティーニとなっていますが、IMDBで調べると、リッカルド・フレーダとクレジットされてます。マッスル系やソード&サンダル系だと、スティーブ・リーブスの『怪傑白魔』や、カーク・モリスの”The Witch’s Curse”、スパルタカスものの”Sins of Rome”、アルゴナウティカものの”The Giants of Thessaly”なんてのを撮った監督さんですな。
で、今回の”Samson and the Seven Miracles of the World”ですが、まあお約束通りの展開とはいえ、途中で飽きさせたり萎えさせたりすることもないし、ロケやセットのスケール感もあるし、全体的にはなかなか堅実な仕上がり。特筆すべきは、ヒーローがチャリオット相手に大立ち回りを演じるアクション・シーン。ここはかなりの迫力で見せます。クライマックスの王宮の崩壊シーンも悪くない。
音楽は、エキゾ系・ラウンジ系で有名なレス・バクスター。いかにもスペクタクル映画然とした音楽に加え、今回は中国が舞台ということもあり、お得意のエキゾものっぽい要素も聞かせてくれて、これはなかなか良いです。

ゴードン・スコットは、こういった神話的なヒーローものを演じるには、正直顔も身体もイマイチ押しが弱いんだけど(美形というよりは人好きのする好青年どまりだし、バルクもさほどない)、ただ、そこいらへんのフツーっぽさに、個人的には何となく色気を感じるので、けっこう好きな役者さんです。言うなれば、ナチュラル・マッチョってカンジでしょうか。
このスコット君、映画の中ではジャケ写のような、徹頭徹尾腰布一丁のお姿なんですが、他の登場人物は、中華ものというせいもあって、皆さんフツーに長袖長ズボンの衣類を着ておられる。で、この着衣の集団の中で、一人だけ半裸ってのが、何だか羞恥プレイみたいで変に面白い。奇妙に歪んだエロスを感じてしまいました(笑)。
ヒロインのヨーコ・タニは、あたしゃこの映画で初めて知りましたが、古い映画ファンなら名前を記憶している、海外で活躍した日本人俳優の草分け的存在らしいです。他にも、悪の一味なんだけどヒーローに心動かされるヴァンプ系美女とか、幼いけど勇気はある王子様など、脇キャラにもけっこう魅力的な顔ぶれ多し。
さて、このテの映画のお約束ア〜ンド個人的なお楽しみの一つ、「ヒーローの責め場」に関してですが、今回スコット君が受ける責めは、壁に開いた細長い穴(棺桶くらいのサイズ)の中に横たえられ、手足を鎖で繋がれて、そのまま蓋をされて生き埋めにされる……ってな、比較的地味なもの。
心理的な圧迫感を考えると、それなりに良いカンジの責めではあるんですが、こーゆーのって、小説ならともかく(バローズのペルシダー・シリーズのどっかで、主人公が真っ暗な穴に監禁されて、精神に異常をきたしていく……ってなシーンがあり、けっこうコーフンした記憶があります。しかもそこに大蛇が入ってきて、裸の肌にウロコが触れ合い……ってな展開もエロかった)、ヴィジュアル的には動きもインパクトもないので、映像としてそれほど面白くはないのは残念。
ただ、その他大勢への責め場も含めると、中華風の板の首枷をはめられて連行されたり、首から上だけ残して身体を土の中に埋められて、チャリオットに付いた刃で首を刈り取られる……なんつーシーンがあります。あと、美女が鞭で打たれるシーンなんてのもございますが、残念ながらアタクシは、そんなもの見ても面白くもなんともございません(笑)。まあ、鞭打った傷を、塩水に浸した羽でなぞって更に苦しめるなんてのは、ネタとしてはよろしゅうございましたが。
DVDのリージョンはフリー。画像サイズはノートリミングで、スクイーズなしのレターボックス。字幕無し。映像特典として予告編を収録。
画質の方は、かなりボケ気味だし、暗部もつぶれちゃってますが、とりあえず色が残っているだけマシ。こういった海外のB級もののソフトとしては、中の上ってトコでしょうか。ヒドいのはホントにヒドい画質ですから。まあ、そもそも定価7ドルもしない廉価盤ですからね。けっこう良い方だと思います。
あ、でも間違っても、日本でフツーに売られているDVDとかと比較しちゃいけません。「なんじゃこの劣悪画質は!」ってコトになります(笑)。
“Samson and the Seven Miracles of the World” DVD (amazon.com)

『ヴァン・ヘルシング』

『ヴァン・ヘルシング』スティーヴン・ソマーズ
“Van Helsing” Stephen Sommers
 ユニバーサルのロゴがモノクロになって燃え出し、そのままジェームズ・ホエールの『フランケンシュタイン』のラストシーンへのオマージュへと続く冒頭(ただしフランケンシュタインの怪物の造形は、メル・ブルックスの『ヤング・フランケンシュタイン』に似ていますが)から、もう、飛ばす飛ばす。
 アクションとCGIの派手派手な見せ所でテンコモリ、空いた隙間もコテコテのギャグと小ネタで埋め尽くす、ツッコミどころもまた楽しという、快作『ハムナプトラ』(もっとも『ミイラ再生』のリメイクを期待した方は激怒したとおもうけど)の監督ならではの作風は健在でした。当然、テンコモリすぎていささか胸ヤケを起こすところもおんなじ(笑)。
 ただ『ハムナプトラ』がそういった作風と、登場人物たちの底抜けの脳天気さが見事に噛み合って、すンげー爽快感になっていたのと比べると、この『ヴァン・ヘルシング』は、主人公が影を引きずっていたり謎を帯びているせいか、派手派手演出がいささか空回りしている感もあり。やはり多少なりともシリアスな面も描くのならば、演出にももうちょっと抑制が必要ということか。
 また、こーゆーモンスター・ムービーのファンというのは、基本的に退治する人間より退治されるモンスターに感情移入しちゃうもんなので、主人公のヴァン・ヘルシングの御披露目が、あーゆーハイド氏退治(しかもどういう「悪事」を働いたかは明示されない状態の)で始まると、モンスター好きとしてはどうもハンター側に感情移入しにくい。これだったらパリとバチカンはすっ飛ばして、トランシルバニアの兄妹から話を始めて、打ちひしがれた妹の村に謎のモンスター・ハンターがやってくる導入にしたほうが、感情移入もしやすいんじゃないか……なんて考えたりして。
 でもまあ、ハンター役のヒュー・ジャックマン、馬を駆るときとかに流れる、重厚なストリングスにロマ風のギターがかぶるテーマ曲(?)はエラいカッチョイイし、ちゃ〜んとマッチョなヌードも見せてくれるし、まあ良しとしましょう。クライマックスで服がビリビリに破れて「腰布一丁」みたいな姿になったのを見たときゃ、腰布フェチのあっしとしては「ヒュー・ジャックマン主演でターザン映画を撮ってくれ〜っ!!」と、切に切に思いましたもん(笑)。
 ヒロインのケイト・ベッキンセールも、このまえの『アンダーワールド』に引き続きの美麗っぷり。クルクル巻き毛に赤いコルセットに黒いパンツという姿が、バッチリ決まっておりました。
 デヴィッド「ファラミア」ウェンハムちゃんは、『指輪』のときとの違いにはビックリギョーテンですが(笑)、コメディ・リリーフならもうちょっとはっちゃっけても良かったかも。
 物語的には、ドラキュラとフランケンシュタインを「命」というテーマで括るという視点は、なかなか面白いと思います。ドラキュラと狼男(余談だが、なぜ werewolf に「ウルフマン」なんつー訳を当てはめたのかは理解に苦しむ。フツーに「狼男」や「人狼」でいーじゃん。どこぞのDJじゃあるまいし……)というコンビの関係性への考察があるのも、これまた『アンダーワールド』同様に好印象。また、ドラキュラと400年間闘ってきた一族なんつーネタも、なかなかオイシイ。
 惜しむらくは、ただでさえネタとして過剰気味なところに加えて、それらと話のある意味でのキモでもある、ミルトン的なネタの部分が、完全にミスマッチなところ。物語の背景に壮大な仕掛けがあるというのは好きだけど、この作品に関しては上手くいっているとはちと言い難い。
 物語も演出も共々、「足すばっかりじゃなくて、たまには引くこともしましょーよ」ってなカンジ。
 でもまあ、総合的にはとっても楽しく見れました。
 美術や衣装は凝ってるし、ドラキュラ三人娘の「ヌードに翼→ドレス」のメタモルフォーゼは実に美しかったし、狼男はマッチョでカッコイイし(ちょっとだけ寝てみたい)、フランケンシュタインの怪物はちゃんと火を怖がるし、「フレンド」もあったし、実験室は吹き抜けで被験者も屋上に出てるし(凧があがっていなかったのは、ちと残念)、ドラキュラがオウチではマジモンの蝙蝠よろしく天井からぶら下がってるのにはウケたし、繭からアレが出たときはマジで椅子から飛び上がりそうになったし、「ありえね〜!」アクション・シーンには口元もほころぶし、「縛られた裸の男が悶え苦しむ」シーンもあるし(笑)、二時間ちょい、休む間もなく、でもあくまでもお気楽〜に愉しませていただきました。
 
 さぁて、とりあえずサントラを買いに行くか!

『LOVERS』

『LOVERS』チャン・イーモウ
「十面埋伏」張藝謀
 前作『HERO』は、かなり好きです。で、この『LOVERS』、その二番煎じだったらヤだな、なんて思ってたんですが、見てビックリ。これは似た素材を使いつつ、二番煎じどころか正反対の内容を見せるという、表裏一体の二本じゃないですか。うふふ、こういう仕掛けって大好きです、私。
 例えば『HERO』では、実と思っていたものが次々とひっくり返って虚となり、登場人物に対する思い入れは次々と裏切られ、物語のエモーションは喪われていき、最終的に、個を凌ぐ大義が浮かび上がるという壮大な仕掛けがありました。
 対して『LOVERS』は、人々の関係は最初から偽りに満ちた、相手を騙す物語としてスタートする。そして騙し、騙されの虚々実々の駆け引きが繰り広げられていくうちに、それぞれの登場人物の個性が浮かび上がってきて、それに惹かれる形でエモーションもかき立てられ、最終的に、膨大な偽りの中から一つの真実が浮かび上がる。大義に屈し得なかった、個々の愛という形で。
 いやあ、これには一本取られました。
 こういった対比は、物語以外の要素においても至るところに仕掛けられています。
 例えば美術。同じ美しい画面づくりをしながらも、『HERO』のそれは、色相の統一というアンナチュラルな色彩設計による、異様なまでの人工美。対して『LOVERS』では、計算された配色と自然の色彩を強調することによる、いわば真っ当な美しさ。
 アクションもそうです。同じアクロバティックなワイヤー・アクションでも、『HERO』のそれは、アクションというよりは超現実絵的な舞踏を思わせるものでしたが、『LOVERS』では、まあ超現実的ではあるんですが、それでもあくまでもアクションであり続ける。物語前半で、チャン・ツィイーが舞踏を踊りながら、それがやがて対決としてのアクションへと転化していく様は、『HERO』における、戦いの場として対峙しながらも、それが美しい所作や流麗な動きゆえに、まるで舞踏のように見えてくるのと、実に好対照であるように思います。
 これらの差異によって、『HERO』の持つ観念的でシステマティックな世界と、『LOVERS』の持つ情緒的でオーガニックな世界の違いが、よりくっきりと浮かび上がってくる。これはホント「お見事!」と言うしかありません。
 他にも「男性的と女性的」なんて対比もできそうですが、いちおうジェンダー論議に無縁ではない身なので、安易にそーゆー言葉は使わない方がいいかも(笑)。
 こういった相似形の中での明確な差異というのは、『初恋のきた道』と『あの子を探して』でも同様のことを感じたました。その作風の美しさから、叙情的だったり情緒に訴えかける側面がクローズアップされがちなチャン・イーモウ監督ですが、実のところはかなり理知的な計算に長けた作風の作家だ、なんて今回あらためて思ったりして。
 こういった具合で、この『LOVERS』と『HERO』は、両方を見ることで、それぞれの本質が互いに響き会うような形で、より明瞭に浮かび上がってきます。
 おそらく『HERO』がイマイチだと思った人は、『LOVERS』の方が面白いと思うでしょう。逆に『HERO』が大好きだと、『LOVERS』はイマイチに感じるかも知れません。が、とにかく両方ご覧なさい。これは併せてみる価値のある、いや、併せて見てこそより面白くなる映画ですから。そういう意味では、『キル・ビル』と『キル・ビル vol.2』の関係にも似ているかも。
 まあ、もちろん「どっちも大好き!」って人も、「どっちもつまんねーよ!」って人もいるとは思いますけど(笑)。
 で、私個人の好みはどうかというと、ここは『HERO』を推したいですね。私にとって、あの圧倒的な「虚ろな美」の力は、やはり何にも増して代え難いものなので。
 もちろん、この『LOVERS』も好きです。ただ、私本来のテイストが『HERO』の方に近いということと、『LOVERS』は幕切れのクドさにちょいと閉口しちまいまして、そこで気持ちがサーッと醒めちゃったせいもあります。おかげで、エンディングのキャスリーン・バトルの歌声も、必要以上にクドく感じちゃったりして(笑)。

『デビルズ・バックボーン』

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『デビルズ・バックボーン』ギレルモ・デル・トロ
“El Espinazo Del Diablo” Guillermo Del Toro

 私、この監督かなり好きなんです。少なくとも『クロノス』と『ミミック』は、どっちも「大」が付くくらい好き。『ブレイド2』は、ちょっと乗れない部分もあったんですが(「世界を見せる」とか「怪獣怪物大暴れ」系の特撮モノは大好きなんだけど、実はアクション映画はちょい苦手。肉弾戦にしろ、ガン・アクションにしろ、カンフーにしろ、カー・チェイスにしろ、何か退屈しちゃうんですよ。で、『ブレイド2』はこのアクション比率が高めだったんで……)、でもラストのロマンチックな表現なんかは好きだった。
 で、この映画はそんなデル・トロ監督がスペインで撮った、ちょいアートの香りがするホラーだっつーじゃないですか。かなり期待マンマンで観に行きました。

 内線時代のスペイン、荒野の真ん中に立つ俗界から隔絶された孤児院に、孤児となった少年がやってくる。
 冒頭では幽霊についてのナレーションが語られ、孤児院の中庭には巨大な不発弾が不気味に突き立ち、地下には濁った水をたたえた貯水槽が。片足が義足の初老の女性院長と、医師らしき白髪白髯の老紳士。先輩孤児からの少年へのいじめ。ラム酒に漬けられた奇形児の標本。自分の名を呼ぶ姿なき声。
 そして少年は、自分と同じ歳くらいの少年の幽霊を目撃する。幽霊は、やがて起きるであろう大惨劇を予告する。そして、ついにその日が訪れるが、それはまだ真のクライマックスではなく、その後に予想だにしなかった展開が……!
 とまあ、大筋はこういったところです。面白そうでしょ?

 じっさい物語は、すこぶるつきで面白いです。幽霊話に終始するのではなく、それと並行して、子供たちの間のパワーゲームや、大人たちの野心や愛欲、内戦というバックグラウンドでこの孤児院が抱えている実情、隠された金塊などといった要素が絡み合い、その展開は予断を許しません。
 加えてキャラクター描写が丁寧なので、登場人物それぞれが実に生き生きしている。ある人物には心底憎しみを感じるし、他の人物には同情してホロリとなるし、はたまた複雑な内面に唸ったり。こういった、キャラクターの心理描写が緻密で、かつそれが物語に有機的に絡んでくる魅力というのは、前述した『クロノス』や『ミミック』でも同様でした。
 映像も美しいです。胎児を漬けたラム酒や濁った貯水槽を初めとして、映像の基本的な色調が、冒頭で語られる「琥珀に閉じこめられた虫」という言葉と見事に呼応している。前述の二作でも、バロック絵画を思わせる美しい光の演出や、シンメトリカルで重厚な構図などに、ときおり「はっ」とさせられたけど、そういう映像美や、そこはかとなく画面に漂う品の良さや格調の高さという点では、今回はそれらを凌ぐ出来映え。

 つまりこの映画は、いわゆる「ホラー映画」とは、かなり趣が違う。もちろん幽霊についての物語ではありますが、同時に生きた人間についての物語でもあり、戦争についての物語でもある。しかも、全体的に「怖い」という要素よりも、「面白い」「じーんとくる」「考えさせられる」といった要素が勝っている印象です。ここがこの映画の面白いところであり、同時に残念なところでもあります。つまり、文句なしに面白いし、感動もあるんですが、でも、もうちょっと怖さも欲しかったな〜、というのも正直な印象。
 まあ、必ずしも「幽霊=怖い」である必要はないんですが、少なくとも物語の前半では、主人公は幽霊の影に脅えている以上、やはり観客も相応に怖がらせて欲しい。しかしこの映画は、「主人公が怖がる姿」は描かれているんだけど、観ているこっちはあんまり怖くはないんですよね。
 その理由は幾つか考えられるんですが、一つは、幽霊ってのは実際に出るまで、つまり「出るぞ出るぞ〜」ってな怪しい気配や不可解な現象が怖いんであって、ナマの幽霊(ヘンな言い方だけど)をポンと出されたって、さほど怖くはないってことです。「誰もいない音楽室でピアノが鳴る」のが怖いのは、あくまでもそーゆー不思議な現象が怖いんであって、幽霊がピアノの前に座って本当に弾いている姿なんてのは、考えようによってはユーモラス。でも、この映画だとそういう前振りがあまりなく、幽霊は比較的アッサリ出る。
 もっとも、幽霊を目撃して、なおかつ「怖い」場合もあります。例えば「窓の外に人の顔が浮かぶ」みたいな、「そんなところに人が立てるはずがないのに、でも、いる」場合とか、あるいは、火葬場だの事故現場だのといった、いかにも曰く付きの場所だったり、もしくは最近のホラーでは定番の「わっ!」と脅かすようなショッカー的な出方をしたり。でも、この映画は、そういった要素もあまりない。そこいらへんも、怖さという点では、盛り上がりに欠けてしまった原因かも。
 ただ、その「出た」幽霊の造形はなかなか凝っているし、けっこう斬新だと思います。少なくとも、こういう「死んだときの状況に則ったモノを身の回りに漂わせている(何だか回りくどいですが、まあどんなものかは見てのお楽しみということで)」という表現は、私は過去に見た記憶がない。

 ただ、こういった物足りなさも、あくまでも前半の、いかにもホラー(っつーか怪談といった方がシックリくるかも)然とした部分に関してのみであり、中盤以降の、幽霊が既に単なる恐怖の対象ではなくなって以降(またまた回りくどいですが、これもまた見てのお楽しみ)は、そんな不満はキレイに消し飛びます。特に、後半で出てくる「もう一人の幽霊」の出方なんか、すごく好きです。
 で、もう話は面白くてワクワクするし、どうなっちゃうのか目が離せないし、禍々しくてゾクッとするし、ホロリとくるし、哀切だし……と、見所テンコモリ。観賞後の印象も、ホラー映画というよりは、ちょっと変わった文芸映画を観た味わい。
 俳優陣も、ヘンに可愛くない子役たちといい、女所長のマリサ・パレデスといい(ゲイな私としては『オール・アバウト・マイ・マザー』はもちろん、オカマな私としても『ディープ・クリムゾン 深紅の愛』のスリップにウェディングベールという姿で夜這いをかけるババァ役が忘れがたい)、医師のフェデリコ・ルッピといい(『クロノス』のときは途中でヒゲがなくなってガッカリしたけど、今回はずっとフルフェイスの白ヒゲでモロイケよ)、とっても良うございました。エドゥアルド・ノリエガは実は初めて見たんだけど、いや〜ん、セクシーだわぁ(笑)。その彼女役の美人ちゃんも良かった。
 そんなわけで、全体としては素晴らしく、ぜひオススメしたい映画です。ホント、これであと『チェンジリング』や『たたり』ばりの「怖さ」があれば、個人的にはもう大大大大傑作! だったんだけど。

 しかし良く考えてみると、このデル・トロ監督、ジャンル的にはホラー映画の監督とされているけれど、今まで観た『クロノス』にしろ『ミミック』にしろ、観ていて私が怖かったかというと、実は「否」だったりするんですな。
 確かに『クロノス』は吸血鬼の話だし、『ミミック』はモンスターの話だし、ジャンルはホラーっちゃあホラーなんだけど、改めて良く考えると、私が好きなのはギミックの魅力だったり、老いた夫婦間の愛情や祖父と孫娘との交流の情感溢れる描写だったり、控えめのブラック・ユーモアだったり(以上『クロノス』)、「母」になりたがっている子の出来ない女性が、「子供たち」を救うために禁断を犯して生み出したモンスターがカタストロフを引き起こし、それでもモンスターは彼女にとっての「子」であり、そこにあらかじめ「母」がなく、やがて「父」をも喪ってしまう「子」が現れ、そして「母」と「父」と「子」が……といった構造であったり(以上『ミミック』)、それらが絵画的な色調の重厚で美しい画面で描かれ、そこには常に一抹の哀感が漂っており……といった、ホラー映画というジャンルを越境する魅力だったりするわけで、実はこの監督、恐怖そのものの描出には、それほど長けてはいないのかもしれない。

 あと、根が真面目な「良い人」なのかな〜とも思いますね。この『デビルズ・バックボーン』なんか、設定だけから考えると、ジョン・ソールのホラー小説みたいに、いくらでもドロドロで陰惨にできそうだけど、出来上がった映画では、子供たちのイジメ一つとっても、決して陰湿にはなっていないし。
 また、いわゆる「オタク系」監督らしいけど、他のオタク系の監督と比べて、例えばタランティーノの『キル・ビル』やピーター・ジャクソンの『ブレインデッド』なんかの「流血描写」に見られるような、まるで小学生が「スゲ〜!!!」と喜んでいるような愛すべき稚気は感じられないし、あるいはアルジェントやデ・パルマのようなヘンタイっぽい魅力というのもあまりない。オタクやホラーという括りの中で考えると、良く言えばバランスの良い、悪く言えば暴走をも恐れないパワーには欠ける作家なのかもしれない。それが魅力であり、同時に良い意味での逸脱を阻む限界なのかも。

 でもまあ、そういった部分もひっくるめて、私はこの監督の映画が好きなんだと思います。この映画もDVDが出たら迷わず買いますし、今度の『ヘルボーイ』も楽しみ。
 うわ、もっとアッサリ感想を書くつもりが、えらく長くなっちゃった。ま、これもまた作品と監督に対する愛情の現れってことで(笑)。

『リディック』

『リディック』デヴィッド・トゥーヒー
“The Chronicles Of Riddick” David Twohy
 レコ屋で貰った販促用のDVDを見て、凝りまくった美術にビックリ。加えて、監督さんの「……オカマ?」ってカンジの所作にも惹かれるものが(笑)。
 ってなわけで、あわてて前作『ピッチ・ブラック』を借りて見て(小粒ながら、SFものとしてはアイデアを上手く使っていて、いいカンジの佳品でした。あと、ヴィン・ディーゼルの目隠し&猿轡のボンデージ姿がエロい!)予習してから、いざ劇場に。
 お目当てだった美術面は、宇宙船や建造物のゴシック的な壮麗さといい、巨大な人面やエンド・クレジットにも出てくる彫像類の造形といい、ちょっとした取っ手やら小道具やらのデザインといい、マクロからほんの些細な細部にいたるまで、もうひたすら凝りまくっていて大満足。スケール感もタップリで、こういった「異世界の構築」に関しては、昨今のCGIの発達は、本当に目覚ましい貢献をしているなぁ〜と再確認。
 お話しとしては、次から次へと色んなものを、あの手この手で見せてくれるんで、退屈はしないんだけど、ちょ〜っとまとまりに欠けるかな? 凄まじいヴィジュアル・パワーに圧倒されつつも、ドラマ的に一番引き込まれたのは「夜明けまでに宇宙船の格納庫までたどり着けるか?」という部分だというのが、この映画の特徴を如実に表しているような気が。一つ一つのエピソードは面白いんだけど、それがリンクしてストーリーを構築していくという点が弱い印象。あ、でもラストの落とし方は好きです。
 個人的な好みから言うと、どうせならもっともっと大風呂敷拡げて、ハッタリもガンガン効かせて、ナニガナンダカワカンナイくらいのレベルまでいっちゃって欲しかったけど、でもまあ、これだけの美術を見せてくれたという点だけでも、私的には大いに満足。
 あと、ヴィン・ディーゼル君。ガタイの良さはもちろんですが、何となく愛嬌があるから好き。ただ、劇中で着ている黒のタンクトップは、もうちょい背中のくりを深くして欲しかった(笑)。

『シュレック2』

『シュレック2』アンドリュー・アダムソン、ケリー・アズベリー、コンラッド・ヴァーノン
“Shrek 2” Andrew Adamson, Kelly Asbury & Conrad Vernon
 前作が大好きだったんで、すっごい楽しみにしてました。
「あのキャラたちにまた会える!」ってのはシリーズものの大きな楽しみの一つだけど、これはそれに加えて「長靴をはいた猫」なんつー強力極まりない新キャラが。この猫、キャラ立ちまくりで、もう無敵。スピン・オフで番外編作って欲しいくらい。
 内容も、前作同様たっぷり笑わせてもらいました。ただ、個人的には笑えたんだけど、いかんせん笑いの多くがパロディーなので、前作に見られたような汎的なユーモアは後退。毒も薄れ気味で、ブラックな笑いがあまりなかったのも、ちょっと残念。物語的な求心力も、少し弱いかな?
 しかし「お伽噺」というものが内包する偽善的な部分にメスを入れつつ、同時にそれを単なる批判やパロディだけには終わらせず、最終的には「お伽噺」の本質と合致したところに落とし込むという、物語としてのアクロバティックさは今回も健在。とかく物事をひっくり返して考えたり、斜に構えて見るクセが抜けない「オカマ心」の持ち主にとっては、前作同様やはり最良の娯楽作でした。
 あと、相変わらず画面が美しいなぁ。3DCGなのに、あくまでも「絵が動いている」的な美しさを外さないのは高ポイント。色彩設計が見事です。こーゆー画面作りを見せられると、今度の『ナルニア』がますます楽しみになってくるぞ。
 頑張ってくれ、アンドリュー・アダムソン!

『ワイヤー・イン・ザ・ブラッド』

ワイヤー・イン・ザ・ブラッド DVD-BOX 『ワイヤー・イン・ザ・ブラッド』アンドリュー・グリーヴ
“Wire In The Blood” Andrew Grieve

 レンタルDVDで鑑賞。

 まず、素っ裸の男が磔刑に処せられているような、血みどろホラー系のジャケがイカしてます。
 加えて内容はサイコ・サスペンスもので、描かれる事件は「残酷な拷問を受けて殺された、全裸死体が次々と発見された。しかも犠牲者はいずれも30歳前後の壮健な男性」とくれば、こりゃあ私としては見るっきゃないってカンジでしょ? 実際、ソッチ系で趣味を同じくするジープロのろん君からも「見ました〜?」って聞かれたし(笑)。
 とはいえ、実はこれは劇場用映画ではなくイギリス製のTVシリーズなので、当然のごとく、それほど過激な描写はございません。イカしたジャケも「イメージ写真」の類らしく、本編にそういうシーンはない。ホラー味・スプラッタ味は皆無で、そういった描写そのものは、このテの映画の嚆矢である『羊たちの沈黙』なんかと比べてもずっと大人しいんで、心臓の弱い方でも安心してご覧いただけます。

 お話しの大筋は「心理学専門の男性教授が、女性警察官に協力して、連続猟奇殺人の犯人をプロファイリングしていく」という「どっかで聞いたような話」ではありますが、それなりに途中で飽きさせることもなく無難に引っ張っていきます。TVシリーズ的にキャラを立てるためか、何かとゴチャゴチャと枝葉が多いのは、まあ楽しくもあり、時に鬱陶しくもあり。

 では、お目当ての拷問マニア向けの鑑賞ポイントをば。
 前述したように比較的大人しめのTVモノなんで、拷問マニアが一番「見たい!」と思うようなそのものズバリのシーンは、ぶっちゃけたところありません。ただ、それでも要所要所で、それなりに「好き者のツボ」も押さえてくれます。
 一番グッときたのは、「犯人が警察にビデオを送りつけ、それには誘拐された警察官(いちおうジム通いもしていて体格も良く、笑顔もカワイイ人好きのする好青年)が、カメラに向かって泣きながら自己紹介した後に惨殺される光景が映っていた」というヤツ。この無惨味・残酷味は、なかなか良ろしい。
 犯人が、「座部のない椅子の下部に、金属の円錐に有刺鉄線を巻き付けたものを取り付け、それで肛門を串刺しにする」ような拷問器具を手作りしているディテールとか、「気を失った男の服をハサミで切り裂き、全裸にした後、手足に拷問用の枷などを順々に装着していく」といったプロセスの描写があったりするのも良い。これ、拷問マニア的にはけっこう重要。自分のマンガでもそうなんですけど、こういった「拷問の準備段階の描写」が、一コマでもいいからあるのとないのとでは印象が大違い。
 クライマックスの「全裸男性への古典的な吊り責め」シーンが長めなのも、ポイント高し。加えて受刑者の胸のおケケがフッサフサなので、個人的なポイントはさらに倍。
 ってなわけで、直截的な描写はほとんどないにも関わらず、それでも拷問マニアを自認していらっしゃる方でしたら、意外に楽しめると思いますよ。具体的に「見せる」シーンは少なくても、セリフでどういう拷問をされたか(謎の器具で無数の火傷を負わされていたとか、関節が外れていたとか、性器が切り取られていたとか)説明はしてくれるので、あとは脳内で補完しましょう。過度な期待は禁物ですが、レンタルで借りるぶんには、充分にオススメです。

 ついでに、ゲイ的にマジメに気になった部分についても書いておきます。
 概してサイコ・サスペンスものって、とかくゲイやら性同一性障害やらが絡んでくるものが多い。で、自分たち(の仲間)が「ヘンタイの殺人鬼」みたいに描かれることに、いい加減に辟易しているゲイたちが、抗議したり批判することも珍しくない。そのこと自体に関しては、複雑だし長くなるのでここでは触れませんが、とりあえず、この作品もその例外ではない。やはりセクシュアリティの話が幾つか絡んでくる。
 ただ、ちょっと興味深かったのは、そういった問題に関して、制作者側もおそらく注意深く取り扱っているらしき節が伺えることです。

 例えばセリフに出てくる「同性愛者」を指す言葉が、ケース・バイ・ケースで「ゲイ」「ホモセクシュアル」「クィア」などと使い分けられている。で、「クィアの殺人事件」と言った若い刑事に対して、主人公の学者が「差別的だ」とたしなめたり、同じ主人公のセリフで「トランスジェンダーだ、トランスベスタイトじゃない。これは重要だ」なんてのがあったりする。
 しかし残念ながらそういったニュアンスは、日本語字幕では全くといっていいほど拾われていない。「ゲイ」も「ホモセクシュアル」も「クィア」も、字幕では全て「ゲイ」一つに統一されてしまい、「トランスジェンダー云々」というセリフも、字幕では「トランスベスタイトじゃない、これは重要だ」に該当する部分がスッポリ抜け落ちている。
 後者に関しては、まあ字幕の限界もあって仕方ないことだとも思いますが(けっこう早口のシーンでしたし)、前者に関しては、ちょっと考えるべき余地が残されているような気がします。

 まあ、下手に「オカマ」とかいう言葉を使うと、それはそれでまた、その言葉を使用すること自体が差別的であるといった批判が出てくる可能性があります。とりあえず全て「ゲイ」にしておけば、差別云々といった問題は起こりにくいので、無難な選択ではあるでしょう。これもまた一種の配慮が働いた結果であるともいえます。
 ただ、この場合の「蔑称としての『クィア』を使った人間に対して、『差別的だ』と批判が出る」シーンで、「クィア」の訳語を「ゲイ」にしてしまうと、それを受ける「差別的だ」という反応の意味が通らなくなってしまう。やはりここは訳語も「オカマ」か何かにして欲しかった。言葉が使われ方次第でネガティブにもポジティブにもなるという点でも、「クィア」と「オカマ」は良く似ていますしね。
 言葉の差別的な用法の一例をきっちり描けば、少なくともそれによって、観客が言葉と差別の関係性を学んだり、差別的だとされる言葉の使用法について考える手助けになる。しかし、いわゆる「放送禁止用語」のように、差別的だとされる用語の使用自体を完全に禁止してしまうと、そういった学習の機会は永遠に訪れない。それどころか、それはまるでこの世界にそういった差別が存在していないように見せかけているだけであり、ある意味では表面だけを取り繕った一種の欺瞞ともいえます。同じ「デリケートな素材を取り扱うに際しての配慮」として考えると、この二つのもたらす結果の違いはかなり残念です。
 もちろん「ゲイにとって侮蔑的な言葉」を「ゲイを指す一般名詞」としては「使わない」という配慮は、それは充分に歓迎するところではあります。しかし「ゲイにとって侮蔑的な言葉」を「絶対に使わない」もしくは「使ない」という配慮(もどき)によって、ゲイが侮蔑されているシーンを表現することすらもできなくなってしまっては、これはやはり本末転倒だと言わざるをえないでしょう。

『ザ・ヒル』

ザ・ヒル [DVD] 『ザ・ヒル』デヴィッド・デコトー
“Leeches!” David DeCoteau

 レンタルDVDで鑑賞
 え〜、下心バリバリで借りました。っつーのも、何でも裸のイケメンマッチョが大勢出てきて、そいつらがバタバタ殺されてく映画だっつーし、IMDbでもallchinema Onlineでも「ホモ大喜び」みたいなユーザーズ・コメントが登録されてるし、「やだ、ひょっとして野郎版ジャーロ? 憧れの野郎系スラッシャー?」なんてワクワクしちゃいまして。
 んでもって再生。タイトル・デザインはクラシックB級SFみたいなグニャグニャのクリーピー系で、ちょっといい感じ。
 そして早速、競泳ビキニ一丁のイケメンが。カメラがスローモーションで、その肉体美を舐めるように追いかける。……どこのゲイビデオですか?
 ストーリーは、大会目指して特訓中のカレッジの水泳部部員が、次々に巨大化したモンスター・ヒルに襲われて、その餌食になっていく…というもの。あとはそれにちょっと殺人事件やドーピングが絡んだり、馬鹿馬鹿しい青春映画チックな乱痴気騒ぎがあったり。
 まあ、低予算なのには目を瞑りましょう。モンスター・ヒルはどう見ても、ゴム製のスリッパかナベツカミに、人が手を突っ込んでウネウネ動かしてるだけだし、床を這うときは露骨にテグスで引っ張ってるし、身体に吸い付いた小型のヒルは、身動きひとつせずにブラ〜ンとぶら下がってるだけだし、まあローテクと言ったらローテクに失礼なんじゃないかっつーくらい、果てしなく底なしに安い。
 で、お目当てのイケメンマッチョの方はというと、これはまあ惜しげなく出てきます。しかも、ほとんど服を着ない。まあ、水泳部だからってのもあるんですが、プール以外でも何のかんのでとにかく脱ぐ。ただ、全員イケメン揃いってのもクセモノでして、とにかくみんな似たタイプなもんだから、誰が誰やら区別が付かない。どーゆーイケメン・マッチョが出てるのかというのは、まあこちらの公式サイトのギャラリーをご覧あれ。……えー、もう一度。どこのゲイビデオですか?
 というわけで、こいつらがゴム製のスリッパに襲われて次々とくたばっていくんですが、はっきり言ってスリルもサスペンスも全くない。当然のことながら、恐怖感も皆無。シャワーを浴びたりプールに浸かったりする裸のイケメン相手に、カメラが動いたりスローモーションになったりしても、それはスリルやサスペンスの演出とは全く無関係。安手のイメージビデオよろしく、イケメンの筋肉美を撮すだけ。
 ……とすると、いささか変態ちっくで面白いかとも思われるけど、残念ながら変態性は「ホモっぽい」だけに留まっていて、それ以上のものは何も無し。襲われるシーンも、派手な音楽が鳴り響いて、色照明の中でアタマを振るイケメンのクローズアップばっかりで、工夫のないことはなはだしい。シャワー室で昏倒したイケメンの口に、件の巨大ヒルが潜り込む……なんてシーンは、ちょいと変態ちっくで期待させられるんですが、それだけ。(だいたい、何でヒルのくせに口に入るんだ???)まあ、撮影の裏側を想像すると、裸のイケメンにスタッフの男たちが群がり、「ヒル手袋」をはめた手で凌辱している……と考えられないわけでもないので、そこんとこは変態っぽいっちゃあ変態っぽいけど。
 まあ、こんな具合で、ハラハラドキドキも全くせず、緊張感も微塵もないまま、ダラダラと話が進んでクライマックスへ。ヒルが巨大化した理由が告げられるアタリは、もう突っ込む気力も起きずに乾いた笑いが。ラストのどんでん返しも「ふ〜ん、さいですか」だけ。やれやれ。
 なんかな〜、襲われるのが裸の男ばっかりなんつーホラー映画は稀少なんだから、もうちょっと何とかして欲しかった。これで『マニアック・コップ』や『エルム街の悪夢2』ばりの、ステキな惨殺シーンがあれば、もう大絶賛しちゃうし、DVDだって即購入しちゃうんだが……残念。
 こうして私のよこしまな期待は、シュウ〜と音を立てて萎んでいきましたとさ。
 でも、感想を書いていたら、何だかもう一回見たくなってきた……(笑)。