投稿者「Gengoroh Tagame」のアーカイブ

『隊長ブーリバ(タラス・ブーリバ)』音楽三題

 前回、新作ロシア版映画のDVDについて書きましたが、それとは別に、これは全くの偶然なんですが、音楽でも最近『隊長ブーリバ』絡みのCDを続けて二枚入手したので、以前から持っていたもう一枚と併せてご紹介しませう。
フランツ・ワックスマンの『隊長ブーリバ』

cd_taras-bulba 『隊長ブーリバ/OST』フランツ・ワックスマン

 ユル・ブリンナー主演映画のサウンドトラック。ずっと廃盤状態で入手できずにいたところ、つい先日、リイシューCDが発売されたので、大喜びで購入したばっか。
 映画自体、ときおり「ミュージカルですか?」ってな感じがするくらい、音楽の比重が大きい作品なので、当然のごとくサントラも大充実。音楽で映像を饒舌かつ明快に彩ってくる、昔の劇伴の見本みたいな内容。
 中でも、この映画一番の見所(だと個人的に思っている)シーンで使われている「ドウブノへの騎行」(この曲自体は、前にここで紹介したオムニバスCDにも入っていましたが)は、やっぱり良いなぁ。ただ、私はワックスマンの音楽だと、その優美さに特に惹かれる(『フランケンシュタインの花嫁』の「創造」とか、『レベッカ』の「メイン・タイトル」とか)んですが、この『隊長ブーリバ』の場合は、そういった要素があまり感じられないのは残念。
 このCD、限定1000枚のプレスなので、欲しい方はお早めに。アマゾンでは扱っていないので、リンク先はサントラ専門店すみや楽天市場店です。

レインゴリト・グリエールの『バレエ組曲 タラス・ブーリバ』

Gliere: Taras Bulba/Stankovych: Rasputin Gliere: Taras Bulba/Stankovych: Rasputin

 先日ここで書いたように、グリエールが気に入ったのでイロイロと漁っていたら見つけたCD。早速注文したら、それ以前に注文した他のヤツより先に届いちゃいました(笑)。
 先日の映画は、ゴーゴリ生誕200周年でしたが、このバレエ曲は、没後100年記念に作曲されたものらしいです。次に紹介するヤナーチェクと比べるとかなり軽いですが、キャッチーなメロディーラインとカラフルなオーケストレーションが楽しめるのは、先日の『青銅の騎士』と同じ。
 民族風味は満載で、中でも、哀愁メロディの第五曲「広大なるウクライナの草原」とか、いかにもな感じの第九曲「ザバロジエ人の踊り」なんかがお気に入り。ただ、ある種の通俗性があるので、好きな人は好き、駄目な人は駄目、と、ハッキリ分かれそう。
 カップリングは、イーヴェン・スタンコヴィチの『バレエ組曲 ラスプーチン』。初耳の作曲家(1942年生まれなので現代の人)ですが、これはけっこう拾い物。
 現代的な和声を用いた不穏な雰囲気の中に、パッと印象的なメロディが登場する第一曲、ブカブカ鳴る金管に木管の速いフレーズが絡み、打楽器が打ち鳴らされ、一瞬雄叫びみたいなコーラスまで飛び出すという、まるでチェンバー・ロックみたいな第二曲、うって変わって美麗で雄大な第三曲、恐ろしげだけど感動的な第四曲……と、全曲かなり聴き応えあり。

レオシュ・ヤナーチェクの『交響的狂詩曲 タラス・ブーリバ』

ヤナーチェク:シンフォニエッタ/タラス・ブーリバ ヤナーチェク:シンフォニエッタ/タラス・ブーリバ

 これは以前から持っていたヤツ。カップリングは(っつーかメインは)『シンフォニエッタ』で、演奏はノイマン/チェコフィル。
 第一曲のロマンティックとダイナミックの対比、第三曲の民族味とコーダ部分の鐘と金管(ここは何度聴いても感動する)なんかが、それぞれ特に大好きポイント。第二曲は、静かなイントロが一転してテンポアップするところなんかは好きなんですが、最後がちょっと戯画的に過ぎる感じがするのが、個人的なマイナスポイント(って何を偉そうに)。
 主要登場人物三名の、それぞれの死の情景に絡めて作曲されているので、キャラクター性やストーリーを把握したうえで聴くと、なおさら興味深いです。
 因みに『シンフォニエッタ』の方は、(おそらく)ご多分に漏れず、あのファンファーレが大好きなので、やっぱ第一楽章(もう「おぉ〜、かっちょええ〜!」の一言)と第五楽章(後半で「待ってました〜!」って気分に)がたまりませぬ(笑)。優美さでスリリングさをサンドイッチしたみたいな第三楽章も好きだけど、同じ「好き」でも、その度合いはかなり違うかなぁ。第三楽章が「好き」なら、第一楽章は「チョー好き」ってカンジ(笑)

“Taras Bulba” 『隊長ブーリバ』2009年版

dvd_taras-bulba
“Taras Bulba” (2009) Vladimir Bortko

 前に「気になる」とティーザー・トレイラーを紹介した、ゴーゴリの『隊長ブーリバ(タラス・ブーリバ)』のロシア版新作映画。
 前は「TV映画らしい」と書きましたが、劇場公開作(それもかなりの大作)でした。公式サイト(ロシア語)はこちら
 今回、英語字幕付きロシア盤DVD(米amazonで購入可能を入手したので、目出度く鑑賞(笑)。

 ユル・ブリンナー主演の62年版は、面白いんだけど、実はゴーゴリの原作とはかなりかけ離れた内容(ユル・ブリンナーの映画を先に見た私は、後から原作を読んで、その余りの違いにビックリギョーテンいたしました)だったのに対して、今回のロシア版は、かなり原作通りの内容です。
 原作に忠実ということを基本にして、そこに必要最小限のアレンジやトッピングを加え、それを一大視覚絵巻として見せる……といったスタンスの作品なので、原作既読者ならばお楽しみも倍増でしょう。じっさい私も、映画観賞後に小説を再読してみたら、かなり細かなディテールまでフォローされていて驚きました。

 物語の舞台は、15世紀から17世紀にかけて、ポーランドと戦闘状態にあったウクライナ。
 ウクライナ・コサックの老勇者タラス・ブーリバの家に、キエフの大学で学んでいた二人の息子、オスタップとアンドリイが帰ってくる。立派な若者に成長した息子たちを、更に一人前のコサックにするために、ブーリバは二人をザバロジエ(地名)のセーチ(軍事共同体村落のようなもの)へと連れていく。
 セーチでのコサックたちの荒々しく好戦的で、しかし自由闊達な暮らしぶりが描かれる中、ポーランドのウクライナへの侵攻の報がもたらされる。コサックたちは軍を挙げ、やがてポーランド軍が立てこもるドウブノを包囲する。しかしドウブノには、次男坊アンドリイがキエフ時代に恋に落ちた、ポーランド人の美女がいた。
 こういった状況を背景に、ブーリバと長男オスタップとの親子の絆や、次男アンドリイと敵の美女の恋愛、そしてブーリバとの相剋などが、叙事詩的に描かれます。

 映画としては、ゴーゴリの原作同様に、祖国愛や男の生き様といったテーマをストレートに謳いあげた、極めて力強い作品。
 反面、19世紀中頃に書かれた小説に忠実であるがゆえに、21世紀に制作された映画として見たときには、いささか「問題」が生じている感もあります。その一例として、この映画が「プロパガンダではないか?」という批判が出てしまったようですが、これに関しては後述します。
 まあ、良くも悪くも原作に忠実で、下手に現代的な視点で「解釈」して「翻案」したり、或いは、リスクを恐れて「無難」にしたり、マーケティング的な理由で「迎合」したりといった、「配慮」めいたものが殆ど見られないので、表現手法としては、昨今のロシア製大作映画同様に、ハリウッド的なそれなんですが、内容的には、ハリウッド映画とは違った魅力がタップリ。
 映像的には、エピック的なスケール感がバツグンで、セットもモブも質量ともに充分以上です。
 そもそも風景からして雄大なわけで、そんな地平線を生かしたワイド画面の中を、騎馬のコサックの大群が駆け回る絵面は、もうそれだけでも一見の価値はあり。
 スペクタクル・シーンであるドウブノ攻城戦は、カメラがCGI的なアクロバティックな動きをしないことや、CGIもおそらくほとんど使われていない(使っているのは爆発シーンくらい?)せいもあって、いかにも物量タップリの肉弾戦といった迫力があります。そんな中で、兄オスタップが城壁に引っかけた鉤縄を、弟アンドリイが上から落とされる石をよけながらよじ登り、兄が城壁から落とされてしまったところを、弟が腕を掴んで助ける……なんてドラマが描かれると、もう見ているこっちも燃えまくり(笑)。
 野戦シーンは、徹底してリアリズム準拠の血生臭さ。胸は撃たれるは、喉はかっ切られるは、槍はブッ刺さるは、首は飛ぶは……ってなシーンが、血糊も特殊メイクもふんだんに繰り広げられます。迫力はもちろん、オッカナイや痛いもタップリ。そんな中で、原作準拠の叙事詩的なセリフの様式美も再現されるんですが、ここは嬉しい反面、様式美とリアリズムの間に齟齬も生じている感じ。これに関しても後述。

 血生臭いといえば、後半のワルシャワでコサックたちが処刑されるシーンも、かなりのものです。四肢の切断、鉄釜に入れて焼き殺し、粉砕刑の後に鉄鉤吊るし……といった処刑の数々は、気の弱い人は見ないが吉。責め場っつーより惨殺場なので、見る人を選ぶとは思いますけど、個人的にはかなりの高ポイントです。
dvd_taras-bulba_scene
 で、その中に原作小説でも白眉の感動シーン(本を読んだとき、私はここで泣きそうになった……)があるんですが、映画でも、役者の力強い演技も相まって、オッカナくて痛いながらも、同時にド感動という、メル・ギブソンの『ブレイブハート』もかくやという名場面に。もう一つ、火刑のシーンもありますが(小説をお読みの方なら、どういうシーンだか判るはず)、これまた雄大な風景をたっぷりと生かした絵面といい、交わされるセリフといい、やはりなかなかの感動シーンに。
 なんかね〜、ここいらへんは思っくそツボを突かれてしまった感アリで、もう「ひぃ〜!(怖)」で「おぉ〜!(涙)」で「きゃ〜!(♥)」ってなカンジでした(笑)。視覚的な残酷美というより、状況やセリフも含めた「無惨の美学」に、もう心が鷲掴みに。
 もちろん、ロマンティックだったりビューティフルだったりクワイエットだったりするシーンも多々あるんですが、そっちは割と標準的な出来なので、どうしても激しいシーンの方が印象に残っちゃうかなぁ。

 役者さんは、いずれも好演。
 タラス・ブーリバ役のボグダン・ステュープカは、『ファイアー・アンド・ソード』や、『THE レジェンド 伝説の勇者』などに出ていた人で、どうやらウクライナ人の役者さんらしいです。
 ユル・ブリンナーとは全くイメージが異なりますが、これはそもそもユル・ブリンナー版のタラス・ブーリバが、原作小説とはかけ離れたキャラクターのせいで、このボグダン・ステュープカ演じるタラス・ブーリバは、老いてなお勇猛な肥大漢という、原作通りの人物です。威厳と荒々しさを併せ持ち、時に悲哀も覗かせながら、文句なしの好演。
 オスタップ役のウラジーミル・ウドヴィチェンコフは、『バイオソルジャー』なる映画に出ているようですが、私は今回が初見。男っぽい顔立ちと立派な体格を生かして、これまたかなりの好演。
 アンドリイ役のイゴール・ペトレンコは、『ウルフハウンド 天空の門と魔法の鍵』にも出ていましたが、その後に見た同じニコライ・レペデフ監督の『東部戦線1944』(あんまりな邦題で損をしていますが、なかなか心に染みる佳品。今なら500円DVDで買えるし、恐ろしすぎる名作『炎628』の、あの少年が成長して出演もしているので、ロシア映画好きにはオススメの一本)の方が印象深い。ナイーブさのある二枚目なので、これまた役柄に良く合っていて好演。
 アンドリイが恋に落ちるポーランド美女役は、ポーランド版『クォ・ヴァディス』でヒロインのリギアを演じていたマグダレナ・ミェルツァシュ。8年経って娘らしさは少し消えましたが、相変わらずの「男好きがする」系美人さん。今回はオッパイも披露。
 脇を固める連中も、コサック連中はいかにもそれらしげな、味わい深い顔つきをしたアンチャン、オッサン、ジイチャンが勢揃いで、画面の説得力を高めるのに大いに一役買っております。
 ただ、コサック側にしろポーランド側にしろ、独特のヘアスタイルとヒゲの形の印象がキョーレツ過ぎて、ちょいと誰が誰だか判んなくなるきらいはあり。IMDbを見ると、『パン・タデウシュ物語』と『THE レジェンド 伝説の勇者』で印象深かったダニエル・オルブリフスキーも出てたみたいなんだけど、正直どの役だったか未だに判らない(笑)。

 そんなこんなで、映画(や小説)の軸である「男らしさ」や「○○魂」や「愛国心」に拒否反応がある方や、血や野蛮が苦手な方は、正直なところパスした方がいいと思いますが、個人的には大満足でした。
 YouTubeに新しい予告編があったので、下に貼っておきます。

 日本盤、出るといいなぁ……。

 因みに、原作小説はこちら。

隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー) 隊長ブーリバ (潮文学ライブラリー)
価格:¥ 1,000(税込)
発売日:2000-12

 では、後述すると言った二つについて。

 まずはプロパガンダ云々の方。
 じっさいIMDbでも米amazonでも、そういった批判を読むことができますし、結果として評価も、最高点と最低点、共に多い。
 またゴーゴリ自身、ロシア文学の作家として知られてはいるものの、出身はウクライナだということも、ソビエトが崩壊してウクライナが独立した現在、ウクライナ・コサックに題を採りながら、ロシア魂を高らかに謳いあげているこの作品の評価に、影を落としている感じ。
 更にこの映画は、ゴーゴリの生誕200周年の年に、ロシア文化庁の後援によって作られた、ウクライナ映画ではなくロシア映画なので、プーチン政権下の現在だと、なおさら民族統一的なプロパガンダだという批判が起きても、ある意味やむなしといった感はあります。
 とはいえ、指摘されているような「ロシア魂」の強調は、ゴーゴリの原作自体にも色濃く見られる要素ですし、逆に、小説に出てくるポーランド人やユダヤ人への偏見(小説を読んでいると、たまに地の文で「この美人は、ポーランド女のつねで、軽率だった」とか「蛆虫のようにユダヤ人の魂にまつわりついている、黄金に対する不断の妄念」とかいった文章に出くわすので、ギョッとします)は、映画からは排除されています。
 特にポーランドに対しては、映画では小説にはないオリジナル・エピソードを加え、人物像を膨らましていたり、憎み合いから和合への示唆を入れたりしているので、私個人としては、プロパガンダ臭は感じませんでした。
 ただ、被抑圧者としてのコサックという像は、原作より映画の方が強調されており、同時に、コサック自体の残虐さ(原作では、ブーリバは復讐と弔いのために、ポーランド人の女子供まで、残酷な方法で惨殺する)は排除されています。おそらくこれは、政治的な意図というよりマーケティング的な要因だと思われますが、厳密な視点からすると、他であれだけ原作に忠実であるだけに、この変更は、完全にニュートラルな姿勢によるものとは言えない感じはしますね。

 次に、叙事詩的な様式美と映画的リアリズムの齟齬の方。
 映画と小説両方のネタバレを含みますので、お嫌な方は、これ以降はお読みにならないように!
 原作には劣勢に陥ったコサック軍にブーリバが「火薬はまだあるか? サーベルは鋭いか? コサック魂はまだ潰えていないか?」と呼びかけ、それに部下たちが一人ずつ「大丈夫です、コサック魂はまだ潰えておりません!」と答えながら、しかし刃に斃れていき、このやりとりが幾度も繰り返されるという場面があって、ここはかなりグッとくるシーンなんですが、これは映画でもそのまま踏襲されています。
 ただ、文章ならば良いんだけど、リアリズム準拠の映像でこれをやられると、何だか、ブーリバが呼びかけたせいで部下たちの動きが止まってしまい、その隙に殺されてしまうように見えてしまうんですな。
 それと、死んでいく男たちに対して、その一人一人の出自がナレーションで入るんですが、これも原作と同じではあるものの、映画としては、やはり不自然な感は否めない。また、そうやって情緒面を刺激された後、コサックたちが皆「ロシアに栄光あれ!」と言って死んでいくので、これも原作どおりなんですが、そこがよりプロパガンダ的な印象に繋がっている感はあります。
 もちろん、こうした齟齬だけではなく、逆に、原作小説の視覚的なアダプテーションとしては、感心させられる部分も多々あるので、そんなところも映画の大きな見所の一つなんですけど。

『青銅の騎士』グリエール

Reinhold Gliere: Bronze Horseman Suite/Concerto for Horn & Orchestra, Op. 91 『組曲 青銅の騎士/ホルン協奏曲』レインゴリト・グリエール
“Bronze Horseman Suite / Concerto for Horn and Orchestra” Reinhold Gliere
(Sir Edward Downes / BBC Philharmonic)

 訳あってプーシキンについて検索していたら見つけたクラシック音楽で、面白そうだったので購入。
 寡聞にして、私自身はこの作曲家の名前は初耳で、つい「何じゃそのチーズみたいな名前は」とか思っちゃったんですが(笑)、この『青銅の騎士』という曲、吹奏楽では有名らしいです。
 Wikipediaによると、グリエールは帝政末期のロシアからソビエト時代にかけて活躍した作曲家で、タネーエフの弟子で、プロコフィエフやハチャトゥリアンのお師匠さんとのこと。
 曲の方は、ロマン派+国民楽派といった感じ。判りやすくキャッチーなメロディーライン、カラフルで華麗なオーケストレーション、処々で顔を出すスラブ的な雰囲気……と、かなりツボのド真ん中を押される好みの作風。
 どうも、検索して判ったことを総合すると、革新性や独自性という意味では特筆すべき個性がなく、かつ当時でも既に時代遅れな作風だったために、忘れられ埋もれてしまっていたけれど、それらを抜きにして改めて振り返ると、親しみやすい佳品をいろいろと残した作曲家……ってな感じなのかな?
 バレエ音楽を基にした組曲『青銅の騎士』は、序曲の「まんまワーグナー!」なカンジにはちょっとビックリしましたが(笑)、その後繰り広げられる、活気のある情景では思いっきり楽しく、ロマンティックな情景では徹底的にウットリさせてくれる、メロディアスな曲の数々にすっかり魅了されました。とても視覚的な楽曲揃いで、リムスキー=コルサコフとか連想したり。
 中でも、ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』から前衛性を抜いたとゆーか、あるいはケテルビーの『ペルシャの市場にて』を本格的にしたとゆーか、そんなカンジの第三曲(トラックは7番目)「踊りの場」なんか、特に好きだなぁ。
 あと、ラストを飾る壮大な第九曲(トラックは13)「偉大なる都市への賛歌」は、聴いていると、こちとらロシア人でもサンクトペテルブルグ市民でもないのに、ついつい愛国心に燃えちゃったりして(笑)、そのくらい気分が盛り上がります。
 カップリングの『ホルン協奏曲』も、聴き応えという点ではそれほどではないにせよ、やはりメロディアスで華麗で優美。時に柔らかく時に力強いホルンの音色や、キラキラしいオーケストレーションは、けっこう楽しめました。
 というわけですっかり気に入った(特に『青銅の騎士』は)ので、同じ作曲家の、やはりバレエ曲を基にした組曲『赤いケシの花』と、好みの題材を扱っている『交響曲第三番 イリヤ・ムーロメツ』を聴いてみたくなり、CDを追加注文。
 早く届かないかな〜♪

最近の500円DVD

 PD映画の500円DVDなんだけど、書籍扱いなのでアマゾンのDVD検索で引っかからないヤツの中から、わりと最近見たものを幾つかご紹介。
 どれも古い映画ですし、500円DVDなので画質とかはそれなりですけど、史劇好きなら見て損はないかと。500円だし(笑)。

ポンペイ最後の日[DVD] 『ポンペイ最後の日』(1935)アーネスト・B・シュードサック
“The Last Days of Pompeii” (1935) Ernest B. Schoedsack

 てっきり、エドワード・ブルワー=リットンの小説の映画化かと思ってたら、しょっぱなに字幕で「違います」と出てビックリ(笑)。
 ストーリーは、貧しいが正直者だった鍛冶屋が、身内の不幸などアレコレあって「金の亡者」と化し、剣闘士や商人などを経てのし上がっていくが、しかし……というのが本筋。それに、イエスの磔刑やピラトとの関係とかいった、聖書劇っぽい要素を絡めつつ、クライマックスのヴェスビオ山の大噴火というスペクタクル・シーンになだれこむ……という、実に盛り沢山で波瀾万丈なオリジナル・ストーリーです。
 まあ、パターンとしては『ベン・ハー』の焼き直しという感じだし、いかにも「キリストの話とポンペイの滅亡を一緒にすれば、ダブルでお得じゃない?」的な浅はかさが透けて見える感はあるんですけど、でも、ベタな娯楽作としては充分以上に面白い展開だし、たっぷり楽しめる内容になっています。「大作娯楽映画のクリシェは全部入れました!」みたいなサービス感も、また楽し。
 そういう意味では、クライマックスのポンペイの滅亡シーンが、実に上出来。町の崩壊もパニック・シーンも大迫力だし(ここいらへんは、スティーヴ・リーヴス版を遥かに上回ります)、はたまたジョン・マーティンばりの絵画的な構図が出てきたりで、もう大満足。ただまあ、そんな期待を裏切らない一大スペクタクルの中でも、「ほら、感動しなさい!」と言わんばかりのコテコテのドラマが、やっぱり出てくるんですけど、ここまで徹底してくれれば、もう目くじらもたてずに楽しく見られます(笑)。
 役者さんは、ピラト役のベイジル・ラスボーンという名前には、何だか見覚えがありますけど(フィルモグラフィーを見ると、エロール・フリンの『海賊ブラッド』『ロビンフッドの冒険』とか、タイロン・パワーの『怪傑ゾロ』とか、幾つか見たことのある映画はありますが、正直どんな役だったかまでは記憶になし)、それ以外は全く知らない方々。因みに主演は、プレストン・フォスターという人。物語の中で剣闘士になったりするので、そこそこ立派な体格。30年代から50年代にかけて、戦争映画とか西部劇に出ていたみたいですね。

ゴルゴダの丘[DVD] 『ゴルゴダの丘』(1935)ジュリアン・デュヴィヴィエ
“Golgotha” (1935) Julien Duvivier

 ジュリアン・デュヴィヴィエ監督は、高名を知るのみで実は作品を見たことがなく、今回が初体験。
 DVDとしては、確か以前にも東北新社かどっかから出ていた記憶がありますが、そっちは既に廃盤みたいですね。内容は、イエスの生涯を、エルサレム入城から磔刑、復活までに絞って描いたもの。
 冒頭、エルサレム全景をスクリーン・プロセスでパンする映像から、神殿内でユダヤ教の祭司たちがあれこれ案じて会話する移動撮影になり、次にイエスのエルサレム入城をこれまた移動撮影で捉えたシーンに繋げ……という、有機的に連動した流麗なカメラワークによるオープニングが絶品。ただ、いざ本編に入ると、全体のバランスがいささかぎこちなくバラけている感があり、全体を通して何をやりたいのか、ちょいと焦点が絞り切れていないみたいな印象。
 とはいえ、捕縛シーンとかで見られるジョルジュ・ド・ラ・トゥールみたいな陰影法とか、ヘロデ・アンティパスのクローズアップで表現されるイエスとの対面シーンとか、映像的にはあちこち「おぉっ!」と目を見張らされる表現が。セットやモブのスケール感は大したものだし、イエスの造形が、映画だと良く見られるルネッサンス的なそれではなく、ゴシック様式の教会にある聖像のような、中世彫刻的なそれなのも興味深い。
 宗教的な解釈等は、特に目新しいものはなく、わりと「そのまま素直に」絵解きとして描いている印象。
 ただ興味深いのは、フォーカスが受難劇そのものではなく、その周囲の人間たちに置かれているということ。受難劇そのものは定型的なそれをなぞりながら、ポンテオ・ピラトや題祭司カヤパやイスカリオテのユダといった人物から、その場に居合わせた一般民衆など、周囲の人々の反応を、日常的な目線で細かく捉えていくという視点が感じられます。それを通じて、人間の「普通」な反応が、このような場では「卑俗」なものとして浮かびあがってくるので、それを見せることで「あなたならどうする?」という問いかけをする、という目的があるのかも。
 特に、鞭打ちのシーンで描かれる、まるで、人間には普遍的にサディズムが内包されている、と、示唆するかのような表現とか、カヤパやユダやピラトが、自らの保身ゆえに決断を下す部分が強調されていたり、十字架の道行き上でも、病気の治癒を求める人がいたり……と、人間の「身勝手さ」を問うような部分は、かなり興味深く見られました。
 役者さんは、私が知っているのはジャン・ギャバン(ピラト役)とエドウィジュ・フィエール(ピラトの妻役)のみで、イエス役がロベール・ル・ヴィギャン、ヘロデ役がアリ・ボールという人。さほど演技的な見所らしきものはなく、それより、前述したような役名もないような人々の表情とかの方が、印象に残る感じ。
 音楽がジャック・イベール。クラシック畑の人で、私は『寄港地』しか聴いたことがないんですけど、この映画の劇伴は饒舌すぎて、残念ながらあまり映像と合っていない感じ。
 あ、でも『寄港地』自体は、エキゾチカ音楽みたいで大好きです。
 こんな曲なんですが、レス・バクスター好きだったらゼッタイにオススメ。
 因みに、私が良く聴いていたのは、父親がLPで持っていたこのアルバム。

ドビュッシー:交響曲「海」/イベール:交響組曲「寄港地」 [XRCD] ドビュッシー:交響曲「海」/イベール:交響組曲「寄港地」
シャルル・ミュンシュ指揮・ボストン交響楽団

 そういや、CDではまだ持っていないなぁ、今度買おう。

鉄仮面 [DVD] 『鉄仮面』(1929)アラン・ドワン
The Iron Mask (1929) Allan Dwan

 ダグラス・フェアバンクス主演の痛快娯楽活劇。原作はもちろん、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)の『鉄仮面』こと『ブラジュロンヌ子爵』。
 ダグラス・フェアバンクスも、名を知るのみで映画は見たことがなかったので、これが初体験。なるほど、ここからエロール・フリンやタイロン・パワーへと、系譜が繋がっていくのかな、なんて感じで納得の、西洋チャンバラ映画でした。
 ストーリー的に『三銃士』とかよりも怪奇味が強いので(子供の頃に児童向けのバージョンで読んだときも、けっこう怖かった覚えが……)、とうぜんそれっぽい雰囲気もあるんですが、でもやっぱり楽しい痛快活劇といった印象が上回る。とにかく調子よく話がパッパカパッパカ進むので、見ていて楽しいことこの上ない。
 というのもコレ、サイレントとトーキーの過渡期のものらしく、基本はサイレントで役者の声は入っておらず、でも中間字幕ではなく、状況やセリフはナレーションで説明される、というもの。それに加えて、全編景気の良い音楽も鳴り響くので、動く絵付き(それもコマ落とし調でパタパタ動く)の楽しい語り物といった味わい。こーゆータイプの映画って、たくさんあるのかなぁ。すっかり気に入っちゃったので、もっと見てみたいカンジ。
 スケール感は申し分ないし、美術も凝っていてステキだし、サイレント映画は退屈だって人でも、これは楽しく見られると思います。ウチの相棒なんか、大喜びしてました(笑)。

ちょっと宣伝、青年系マンガ描きました

loverboy1
 今月21日発売の「バディ」12月号に、マンガ『LOVER BOY(前編)』描きました。
 先月号まで描いていたヤツが、どマニアックなネタだったので、その反動か、フツーのエロマンガを描きたくなりました。
 とゆーわけで、キャラもご覧のようにフツーのタイプ。メガネのリーマンと、カッコイイ系の男子。
 ヤってることも、凌辱やSMではなくフツーな感じ。でも、エロエロ(笑)。

 この号ではマンガだけではなく、付録DVDでも、顔出しトークなんぞを披露しております。
 この付録DVD用に、今年の夏、都内のフリースペースで収録したもので、内容は本邦初公開。
 トークのお相手は、竜超さん。氏が「バディ」に連載しているコラム『現代狂養講座』に連動して、「”ゲイコミック”の明日はどっちだ!?」というテーマで、自分のこととか、ゲイコミックの現状とか、今後の展望とか、あれこれ喋っています。
Badi (バディ) 2009年 12月号 (amazon.co.jp)
 というわけで、マンガとトークとダブルで楽しめる(はず)なので、よろしかったらお買い求めください。
 トークの方は「立ち読み」もできないしね(笑)。

つれづれ

 ここ数日のあれこれ。

 上野の西洋美術館で『古代ローマ帝国の遺産』展鑑賞。
 キュレーションに特に目新しいものはなく、展示点数も決して多いとは言えないけれど、展示品はおしなべて高クオリティでかなり満足。
 壁画に良いものが多く、特に、「庭園の風景」の大きさと色彩の美麗さには目を奪われる。「カノポスのイオ」や、小品ながら「聖なる風景画」の幽玄な雰囲気も素晴らしい。
 ブロンズの工芸品も、デザインの洗練され具合がいいなぁ。細工も高度で、みていてついつい「欲しい!」とか思っちゃう作品がイロイロと。中でも「シレノスのカンデラブルム」は、メールヌード作品としても良く、腰のあたりの肉付き具合なんか、何ともタマリマセヌ。
 サイズが大きな彫像だと、やはり「皇帝座像」と「アレッツォのミネルウァ」が印象に残る。前者は、腕や足の甲の血管の表現に目を奪われたけど、図録によれば、それらは18世紀になされた修復部分だったようだ。
 ミュージアム・ショップでガラスのペーパーウェイトを、その美麗さに惚れて衝動買い。「アウグストゥスのアウレウス金貨」のヤツと「カノポスのイオ」のヤツ。後者は、近々遠方に引っ越してしまう友人(女性)に、お餞別としてプレゼント。
 帰りにアメ横で、靴を一足購入。
 安かったので、店員さんに「これ下さい」と言うと、「はいっ、1万3千円をお値引きで2千8百円になります!」という返事。いや、値札で確認していたから買ったんですが、いざそう言われると、改めて安さを実感してビックリ(笑)。
 サンマが7尾で5百円ってのにも惹かれたけど、いくらサンマ好きでも、いっぺんに7尾は多すぎるから、残念ながら断念。

 デアゴスティーニの『モスラ対ゴジラ』購入。
「マハラ・モスラ」は、ガキの頃から好きな歌だったけど、改めて聴いても、やっぱり良いなぁ。歌バージョンもさることながら、劇伴でも、このモチーフが出てくると背中がゾクッとくる。
 古関裕而の「モスラの歌」は、「イヨマンテの夜」や「黒百合の歌」の作曲者らしい、ポップ味のあるエキゾ歌謡の名曲だけど、伊福部昭の「マハラ・モスラ」は、より土俗性を感じさせる、いかにも古代の異教儀式といった趣で、これまた甲乙つけがたい名曲。
 東宝特撮のDVDは、高価さもあって買い逃がしているものがあるので、そこいらへんはこのシリーズで買おうかな。

 長年の友人(女性)のヘルプで、初めての土地へ。
 とはいえ、たかが電車で30分、そこからバスで30分の距離だし、行った先もただの住宅街なのだが、過去にあまり見た記憶のない雰囲気の場所で、しかもなかなか気持ちの良いところだったので、ちょっとした小旅行気分に。
 用件は撮影の手伝い。彼女がビデオ、私が写真を担当。
 終了後、バスに乗って大都会に戻り、遅めのランチをとっていたら、ほんの一時間前の出来事だというのに、さっきの場所が、まるで異次元にでも行ってきたかのように感じられて、何だか不思議な気分。
 そんな気分は後々まで続き、彼女と一緒に拙宅に戻り、二人で撮影した素材の整理などして、それから仕事から帰宅した相棒も交えて、三人で夕飯なんぞを作っている頃には、昼間の出来事が、とてもその日のこととは思えないような感覚に。

 イタリア人から、「バディ」のバックナンバー購入についての問い合わせが。
 単行本効果かな? だったら嬉しい。

ちょっと宣伝、イタリア語版単行本、発売されました

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 前にここで、私のイタリア語版マンガ単行本・第一弾が先々週発売されたとお伝えしましたが、昨日、見本が届きました。
 本のタイトルは”RACCONTI ESTREMI”。英語だとextreme storyという意味だそうな。
 ただ、本を開くと1ページ目に、”Kinjiki”というタイトルがあって、一瞬この『禁色』が副題かと思って、「ひぇ〜、そんなおこがましい、ヤメテクレ〜!」とか思ったんですが、奥付を確認すると、下記の記載を発見。
RACCONTI ESTREMI
di Gengoroh Tagame
collana Kinjiki
volume 1, autunno 2009
 collanaというのは「ネックレス」とか「叢書」とかいった意味らしい。というわけで、これは「禁色叢書・第一巻」なんですな。
 シリーズ全体の名前と判って、ホッとしました(笑)。

 本全体の造りは、サイズはA5、カバー付きのペーパーバック。
 総ページ数は、200ページ強、価格は15ユーロ。
 カバーは、左上の書影だと判らないんですが、葡萄茶色の地色と角版のイラスト部分がツヤのないマットPPで、黒の地紋と白のアルファベット部分のみ、ツヤのあるグロス加工になっています。
 とってもキレイで品の良い装丁。気に入りました。
 内容は、短編マンガ8本に加え、巻末には、私のインタビュー、ラフスケッチ数点、各作品に関する注記、擬音に関する解説なども収録されています。
 綴じは、日本と同じ右開きで、巻末のテキストページだけ左開き。というわけで、マンガの絵も逆版にはなっていないので、ホッと一安心。なぜ安心かというと、絵を描く人なら判るはず(笑)。
 紙質も印刷も上々だし、丁寧に作ってもらえたようだし、嬉しいなぁ。こうなると、解説とかを読めないのがクヤシイ(笑)。

 具体的な収録作品リスト(とイタリア語題)は、以下の如く。
・MASOCHISTA(「マゾ」)
・PATRIOTTISMO – L’ESERCITO DEI VOLONTARI DELLE LACRIME(哀酷義勇軍)
・GIGOLO(ジゴロ)
・BURATTINAIO(傀儡廻)
・GASTRITE DA STRESS NERVOSO(神経性胃炎)
・PATIBOLO(晒し台)
・CHIGO(稚児)
・CONFESSIONE(告白)
racconti-estremi-aracconti-estremi-b
 作品をセレクトしたのは先方で、「未単行本化のものを」とリクエストされたので、当時まだ雑誌掲載のみだったマンガのコピーを渡して、その中から選んでもらいました。
 ただ、契約が締結してからこうして本が出るまでに、例によってけっこう時間がかかったので、その間に日本で出た『髭と肉体』と、収録作品が4本かぶってます。残りの4本は、今回が初単行本化。
 ちょっととりとめのないラインナップのような気もしていましたが、こうして並んでみると、さほど案ずるほどでもないかな。最後を『告白』で締めてくれているあたりも、なかなかいい感じです。
 ただ、イタリア初上陸にしては、巻頭に「ヒゲなし若め主人公」ばっか4本並んでいるのが、ちょいと誤解を招くかもしれないなぁ(笑)。私の十八番の「ヒゲ熊拷問」が、一本しかないし(笑)。

 内容をじっくり見ていると、細かなところも神経が行き届いています。
 例えば各作品のタイトルですが、まず作品のアタマに、本の表紙と同じ地紋を用いた新規の章扉があり、そこにイタリア語のタイトルが書いている。その章扉をめくると、白ページ(つまり章扉の裏は白紙になっている)を挟んでマンガが始まるんですが、マンガの元々タイトルが入っていた場所に、今度はローマ字表記の日本語タイトルが入っている。
 また、マンガに出てくる、ポスターや看板の文字の処理を見ると、例えば『哀酷義勇軍』だと、義勇軍募集のポスターは日本語のままで、欄外に意味を説明した注がある。かと思えば、適性検査の結果が出た掲示板は、これは画面でもイタリア語に翻訳されていて、ちゃんと文字に掲示板に合わせたパースもついている。
 些細なことではありますが、こういったのを見ると、「ああ、丁寧に作ってくれているなぁ」って感じで、生みの親(笑)として実に嬉しい。

 因みにフランス語版では、擬音もフランス語に置き換わっていましたが、このイタリア語版では、日本語の擬音がそのままになっています。どうしてかというと、「そのままにして欲しい」と言われたからで、理由を聞いたら「カッコイイから」なんだそうな(笑)。
 ここいらへんの感覚は、国や個人によってまちまちのようで、スペインの出版社(契約済み)は「置き換えたい」派でした。ちょっと前に会って話したアメリカ人も、「置き換えたい」派。でも、長い付き合いのあるアメリカ人のファンは「英語の擬音は表現力に乏しいから、日本語のまま残して欲しい」派。
 まるで、映画の字幕派と吹き替え派みたいなので、いっそ、擬音の切り替えができる電子書籍版とか作ったら面白いかも(笑)。

『ゲイエロ3』打ち合わせ

daisuke_takakura
 前回の続き。
 上の図版は、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.3』収録予定作家のお一人、高蔵大介さんの作品(『さぶ』1996年7月号より)。

 というわけで、『さぶ』の発掘作業も完了したので、セレクトした分をポットさんに持参して(って、実際は持ち歩ける量ではないので、宅急便で送ったんですけど)、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.3』の打ち合わせをしてきました。
 とりあえず現状の進捗状況は、収録図版の粗セレクトが完了した状態。
 集めることのできた全ての図版の中から、最終的に収録できる点数の数倍に相当する量をセレクトした、いわば「一次選考」が終わった状態です。
 これで、本の全体像が朧に見えてきた(つまり、出来ることの可能性と限界を、同時に把握できた)ので、それを踏まえて、最終的にどういった構成にするかを話し合います。
 今回、作品の収集をしている段階で、過去の既刊二冊とは異なった構成にしたい部分が出てきたので、予算や技術も踏まえて相談したり、本のサブタイトルをどうするか検討したり。
 サブタイトルに関しては、自分独りでずっと考えていたときには、かなり煮詰まってしまっていたんですが、今日の打ち合わせで担当編集者さん二人を交えて話し合っていたら、ビックリするほどスンナリと結論を出せました。「うわ〜、やっぱブレーンストーミングって大事!」と、改めて感心したり。

 また、実はこのシリーズ、限られた予算内で最良の結果を出すために、画集としては(おそらく)イレギュラーなページ構成になっています。
 そのこともあって、今回も、制作費の見積もりを作るために、ラフな台割り(本全体のページ構成を決める表のこと)を用意して、「この折り(一般的に、本は16ページ分を一枚の大きな紙に印刷して、それを折りたたんで裁断して作るので、この16ページを一単位にしたものを『折り』といいます)は、表を四色(カラー)裏を一色(モノクロ)でいきます」とか、「こっちの折りは、両面一色でいけます」とか、説明しながら細部を詰めていきました。
 さて、これで最終的に収録可能な図版点数の、ガイドラインができました。
 ここまでが、今日の成果です。

 この後、仮決定したページ構成を踏まえて、粗セレクトした作品の中から、最終的な掲載作品を絞り込んでいきます。これがまた、楽しくも辛い作業。というのも、どうしても「涙をのんで収録を断念せざるをえない」作品が、多々でてくるので。
 掲載作品が決定したら、次は文章原稿の執筆に取りかかります。これがまた、調べ物とか取材とかが必要になるし、そもそも文章書きの専門ではない私にとっては、なかなか厄介な作業です。
 文章ができたら、次は翻訳(このシリーズは、日本のゲイ・アートをより海外にも喧伝するために、全テキストを日本語と英語で併記しています)して、これでようやく本に必要な原稿が全て揃うわけです。
 こういった一連の作業を、集中して一気呵成に出来ればいいんですが、残念ながら他の仕事の都合もあるので、その合間合間に長いスパンで進めていかなければなりません。事実、今月はもう、これ以上の時間的な余裕がないので、最終的な掲載作品の絞り込みを始められるのは、来月上旬以降になるでしょう。

 本の完成までには、まだ時間がかかりそうです。
 とはいえ、一番メインの図版収集作業が完了したので、ちょっと一安心。

『さぶ』の山

sabu
 ここ数日、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.3』の準備で、『さぶ』の山と格闘中。
 メインの目的は、高蔵大介さんのイラストのセレクトなんですが、それ以外にも、初期に活躍していらした鈴木節さんの作品とか、幾つか抑えておきたいものがあるので、古くは昭和50年代年代初頭のバックナンバーから紐解いております。
 というわけで、薄い中綴じの頃から、平綴じになったけれどまだ薄い頃、厚みを増していった頃、表紙絵が三島剛さんから木村べんさんに変わった頃、本文印刷が活版からオフセットに変わり用紙も変わった頃……と、歴代の『さぶ』を、開いては閉じ、付箋を貼っては積み重ね……といった作業の繰り返し。

 しかし、改めて創刊当初の『さぶ』を見ると、ゲイ雑誌誕生以前の「よろず変態雑誌」の頃の香り、つまり『風俗奇譚』とかと同種のテイストが、まだけっこう残っていますね。
 最初期の『さぶ』で小説挿絵を描かれている「風間俊一」という人は、おそらく、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.1』で採り上げた江戸川重郎や、『vol.2』の天堂寺慎などと同様に、ヘテロ雑誌に描かれていた職業イラストレーターでしょう。イラストレーション的に手慣れたテクニックと、男性のエロティシズムをフェミニンに描写しているという特徴が、全く共通しています。
 また、『風俗奇譚』などでは良く見られるものの、私がリアルタイムに親しんだ80年代以降の『さぶ』では全く見られなくなっていた、素人女装の投稿告白などという記事も、この頃の『さぶ』には、まだ僅かながら載っていますし、アメリカのフィジーク誌から転載したと思しき、ブルース・オブ・ロサンジェルスの写真や、エチエンヌやトム・オブ・フィンランドのイラストレーションが載っているのも、やはり『風俗奇譚』と同じです。
 とはいえ、そういった記事と並行して、日本のゲイ・エロティック・アーティストたちも、『vol.1』で採り上げた三島剛は、もちろん創刊号から参加していますし(三島剛さんは『さぶ』という誌名の名付け親でもあります)、『vol.2』の林月光、遠山実、児夢(GYM)といった面々も、すぐに誌面に登場します。
 また、長らく『さぶ』の名物コーナーだった読者の投稿写真ページ「俺のはだか」や、森本浩史さんの「縄と男たち」なども、中綴じの頃から既にスタートしているし、小説執筆陣にも、花田勇三さん、土師志述さん、愛場幹夫さん、いけはらやすあき&でぶプロさん、真須好雄さん……といった、平綴じになってからの『さぶ』でも見覚えのある名前が、既に登場しています。
 こういうのを見ていると、それからおよそ十年後、私がデビューした頃の『さぶ』とも、シームレスな繋がりを感じられて、ちょっと嬉しい気分になりますね。まるで、両親や親戚の若い頃の写真アルバムを見ている気分。

 中綴じ時代の『さぶ』は、総ページ数が160ページ程度と、薄い本ですが、中身の方は、本の厚さと反比例するかのように、実に濃厚な印象。
 というのも、まず、イラストレーションの扱いが大きい。カラーやモノクロのグラビアページを使って、前述したような錚々たる作家陣が、その腕と妄想力をふんだんに発揮してくれている。
 例えば、昭和53年8月号を例にとると、この号だけで、三島剛さんの褌テーマの巻頭カラー口絵4ページ、林月光さんの巻末カラー絵物語「月光・仮面劇場」4ページ、児夢さんの学ランテーマのモノクロ連作口絵4ページ、水影鐐司さんのラグビー部テーマのモノクロ連作口絵4ページというゴージャスさ。
 更に、児夢さんと水影さんのカラーイラストも1ページずつ。小説挿絵では、三島さん、林さん、水影さんの他に、前述した『vol.3』収録予定の鈴木節さん、更には吉田光彦さんや渡辺和博さんといった『ガロ』系の方々まで。
 男絵好きにとっては、これはもうたまらなく魅力的な誌面。
 また、本文に情報ページや広告ページが殆どなく(メイトルームの数も、まだ200そこそこと、決して多くない)、読み物ページは主に小説に占められ、加えて、その小説のラインナップが「濃い」のも、雑誌全体の充実感に繋がっているようです。
 この頃の『さぶ』には、現代物の恋愛小説とか、エロな体験告白といった、昨今でも良く見かける「身近」な設定の小説も、もちろんあるんですが、それと同じくらい、いや、ひょっとしたらそれより多いくらいの比率で、時代物、任侠物、軍隊物……といった、今どきでは殆ど見られなくなった、フィクション性の強い設定の小説が掲載されている。中には、時代物伝奇小説の連載まであったり。
 これらの小説は、ポルノ的なエロ描写そのものに限って言えば、今読むと実に「大人しい」ものなんですが、反面、情景描写や情緒表現を含めて、しっかり「小説」にしようという心意気の感じられるものが多く、即物的なポルノグラフィーとはまた違った味わいがあります。

 そんなこんなで、今回の目的は、あくまでもイラストレーションのセレクトだけのはずなのに、ついつい文章も読みたくなっちゃって、難儀しております。読み始めたらきっと止まらなくなって、作業がぜんぜん進まなくなっちゃいますから、もう、我慢我慢の日々(笑)。
 それでもやっぱり、花田勇三さん(叙情的な筆致でホモソーシャル的な世界を薫り高く描いた、「男と男の叙情誌」という『さぶ』のキャッチフレーズを体現するような作家)とか、渚剣さん(任侠や軍隊といった男っぽい世界を舞台に、凌辱・拷問・切腹といった男責め小説を描いた作家)の小説が出てくると、「ちょっと休憩がてら……」とイイワケして、一、二編、読んじゃったり(笑)。
 あ〜、作業がはかどらない(笑)。

つれづれ

 どうでもいい独り言。
 ク○フーとD○Cが、どーしてもアタマの中でスムーズに繋がってくれないんだよね〜。理解はしていても、イメージのギャップを、どーしてもアタマが納得してくれないカンジ。「美」のベクトルの向きが、なんか正反対なんだもん。
 ……と、あんまり余所様のコメ欄で雑談を続けるのもアレなので、こっちに書きました。判る人だけに判るネタ(笑)。
 さて、イタリアの出版社から、以前契約を交わしたイタリア語単行本(短編集です)が、先々週無事に発売されたとの連絡がありました。ただ、まだ見本が届かず。
 本のタイトルは”Racconti estremi”で、これは「エクストリーム・ストーリー」という意味だそうな。
 詳しい紹介は、実際に本が届いて内容を確認してからにしますが、とりあえず表紙画像だけなら、出版社のサイトで見られます。
 DVDネタ。

ヴァレンティノ [DVD] 『ヴァレンティノ』(1977)ケン・ラッセル
“Valentino” (1977) Ken Russell

  久々に鑑賞。テレビ放映されたのを見て以来だから、20年ぶりくらい?
 この映画あたりから、ラッセルの勢いが衰えてきたという印象があったんですけど、改めて再見すると、これはこれで力もあるし、見所も多いな。
 冒頭の、斎場に乱入する群衆のシーンとか、レスリー・キャロン絡みのシーンのブッ飛び具合とか、シンメトリックだったりデコラティブだったりする構図の数々とかは、やっぱり「ラッセル印!」ってカンジの悪趣味スレスレのケレン味が素晴らしい。窓の外でファンたちが、ポエトリー・リーディング(っつーかシュプレヒコールっつーか)するシーンとかも好き。
 ただ、留置所のシーンなんかは、これでも充分エグいんですけど、ラッセルにしては物足りない感じがしてしまうのは否めないし、映画のラスト、ボクシングの試合以降の映像力がイマイチ弱いせいで、全体の印象も弱くなってしまった感はあり。
 ああ、あとメールヌード絡みで、ルドルフ・ヌレエフのフルヌードが、引き締まった裸身(特にお尻)が美麗極まりない……ってのは記憶通りで嬉しかったんですけど、今回のDVDでは醜いボカシがなくなって、フロント部分がチラチラ「見え」るのも、少し得した気分だった(笑)。
 ゲイ絡みだと、男同士でタンゴを踊るシーンがちょっと有名ですけど、実は私は個人的には、こーゆー耽美趣味にはあんまりピンとこない。ホモセクシュアルにデカダンな幻想は抱いていない、とでも言うか。
 とはいえ、私は自分のことを「耽美作家」だと思っているんですけどね(笑)。ただ、私にとっての「美の追求」というものが、「体毛を執拗に描き込む」とか「ヒゲのマッチョが苦悶する」とかいった、あまり一般的には共感されにくそうなものだ、というだけで。「道徳的功利性を廃して美の享受・形成に最高の価値を置く立場」(広辞苑)という点では、耽美主義以外の何者でもない、と、自分では思っています。
 閑話休題。
 しかし、どーしてラッセルの映画って、比較的どーでもいいものばかりDVD化されて、マジでスゴいヤツは出ないんだろうなぁ。
 まあ、『トミー』や『マーラー』が出たのは嬉しいし、『ヴァレンティノ』『アルタード・ステーツ』『クライム・オブ・パッション』もいいんですけど(『サロメ』『レインボウ』『白蛇伝説』になると、私的にはわりと「どーでもいい」部類)、やっぱ『恋する女たち』『恋人たちの曲/悲愴』『肉体の悪魔』『ゴシック』という、個人的に大々々好きな4本を、何とかDVD化して欲しい。