投稿者「Gengoroh Tagame」のアーカイブ

Steeleye Span “Below The Salt” & “Please To See The King”

さて、昨日から芋蔓式に続きまして、スティーライ・スパン(Steeleye Span)の初期作というのを探し、件の”Gaudete”が収録されている4thアルバム”Below The Salt”と、ジャケが気に入った2ndアルバム”Please To See The King”を買ってみました。
steeleyespan4
“Below The Salt” Steeleye Span
輸入盤CD
まず”Below The Salt”ですが、これは実に好みにドンピシャな内容でした。
全曲トラッドで、エレクトリック・ギターやエレクトリック・ベースは使われているものの、ドラムレスのせいか、ベスト盤に入っていた”All Around My Hat”といった曲ほどロック/ポップスっぽくもない。
“Gaudete”同様の無伴奏コーラス曲の”Rosebud In June”は、やはり文句なしに美しいし、いかにも牧歌的でのどけき雰囲気を感じさせてくれる”Spotted Cow”や”John Barleycorn”といった曲も良いし、”Sheep-Crook And Black Dog”や”King Henry”といった、ちょっと重めで構成や展開に凝った曲も聴き応えがあるし、アルバムのラストを締めくくる”Saucy Saylor”後半のインスト部分なんか、もう文句なしに美麗。他にも捨て曲なしなので、広くオススメできる好盤だと思います。
steeleyespan2
“Please To See The Kings” Steeleye Span
輸入盤CD
お次の”Please To See The King”ですが、誤解を恐れずに言うと、これ、かなり「変」で「面白い」です。
いや、内容的には極めて正統派のトラッドだと思うんですよ。”Below The Salt”のようにアレンジに凝ることもなく、もうストイックなまでにシンプルな伴奏に乗せて、マディ・プライヤー(Maddy Prior)嬢の美声を筆頭に、男声ソロ、コーラスなどが、淡々と切々とバラッドを歌い上げる。方法論的にはおそらくアカデミックな古楽に近い、ものすごいオーソドックスなものだと思います。
では、何が奇妙さを感じさせるかというと、エレクトリック楽器を用いた伴奏なんです。いや、エレクトリック・トラッドなんてジャンルがあるくらいですから、伴奏にエレクトリック楽器を使うこと自体は、別に珍しくはない。でも、そーゆーのって概して「ロック/ポップス的な視点でトラッド曲を再構築したもの」であるのに対して、このアルバムは、あくまでも「あくまでもトラッド的なスタンスで楽器だけを置き換えたもの」なので、それが結果として奇妙さを醸し出している。
どう奇妙なのかってぇと、ブン、ブン、ボン、ボンと低音を刻むエレクトリック・ベースに、エレクトリック・ギターやキコキコ泣くフィドルが被さり、それが色気のある展開も見せずに、淡々とリフレインしていくのを聴いていると、何だか次第にサイケデリックな酩酊感のようなものに捉えられていき、もうどの曲がどうだとか、何だかどうでも良くなってくるんですよ。で、何だかサイケデリック・フォークを聴いているような気がしたり、ミニマル・ミュージックのような気がしてきたり、はたまたシタールによるラーガなんか連想したり……という奇妙さ。トラッドものを聴いていて、テリー・ライリーを思い出したなんて、こんなこと初めてです(笑)。
でもまあ、最初はそんな感じでビックリしたものの、改めて落ち着いて聴き直してみると、これはあくまでも、渋くてちょっと暗めのトラッド・アルバム。前述したサイケ感やトランス感といったものは、意図せずに「そこはかとな〜く漂っちゃった」ものでしょうから、あらかじめソッチ系を期待して聴いちゃうと、裏切られると思いますが。
とまあ、あんまり広くオススメできる感じじゃありませんが、変わったもの好き、あるいはサイケ好きの方は、宜しかったお試しあれ。因みに私自身は、かな〜り気に入っちゃいました(笑)。
しかし、こうして聴いてみると、やっぱりマディ・プライヤーの声は魅力的だな〜と、改めて思ったんで、最近のソロ・アルバムの”Arthur The King”や”Gold Frankinsence & Myrrh”を、また聴き直したくなったりして……。
こうして私の芋蔓はズルズル続くわけであります(笑)。

The St Philips Boy’s Choir “Angel Voices 2”

angelvoices2
“Angel Vioces 2” The St Philips Boy’s Choir
輸入盤CD
先日、ヒュー・ハドソン監督の『グレイストーク』のDVDが発売されまして、私この映画大好きなもんで、早速買ってきて観たわけです。んで、やっぱいいよな〜なんて思いつつ、そうしたら同監督の『炎のランナー』も観たくなりまして、ちょいと調べたら廉価盤DVDが出てたんで、またまた買ってきて観たわけです。
で、この『炎のランナー』の中に、ブレイクの詩にパリーが曲を付けた「イェルサレム “Jerusalem”」を歌うシーンがありまして(そんなシーンがあったこと、すっかり忘れてました)、それ観てたら、今度はEL&Pの「聖地エルサレム」(同曲のプログレ風カバー……とでも申しましょうか、実を言うと私、この曲を最初に知ったのは、このEL&Pのバージョンでした)を無性に聴きたくなりまして。でもアナログ盤、それもLIVEの『レディース&ジェントルマン』しか持ってなくて、まあいい機会だからCDを買い直すかと、同曲のスタジオ録音を収録したアルバム『恐怖の頭脳改革』を買ってきたんですよ。
こうしてホクホクしながら、お目当ての「聖地エルサレム」を聴いたんですが、そこでふと、考えてみりゃ私、まだこの曲の「正調」のバージョンをちゃんと聴いたことがないな〜、と気付いた。で、そうなってみると無性に聴いてみたくなりまして、幾つか物色した結果、”The Last Night Of The Proms Collection” BBC Concert Orchestraってのと、この”Angel Vioces 2″ The St Philips Boy’s Choir”の二枚を買ってみたわけです。
ここまでが前振り。芋蔓式に長くてすいません(笑)。
なぜこの”Angel Voices 2″を買ってみたかというと、「イェルサレム」の少年合唱団バージョンを聴いてみたかったのと、他の収録曲に好きな曲、それもかな〜り好きな曲が幾つか含まれていたから。
例えば、フォーレの『レクイエム』から”Pie Jesu”(この『レクイエム』は、私の好きなクラシックのベストテンの一つ。ガキの頃に父親が良く聴いていて耳に馴染みがあるせいもあるんでしょうが、特にアンドレ・クリュイタンス指揮/パリ音楽院管弦楽団のヤツがお気に入り。”Pie Jesu”はヴィクトリア・デ・ロス・アンヘレスが歌っております)、またリチャード・アダムス原作の英国製の劇場用長編アニメーション『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』の主題歌だった”Bright Eyes”(オリジナルはアート・ガーファンクルが、日本公開版では井上陽水が歌ってました)、それと中世ラテン語の聖歌”Gaudete”(これに関しては後述)。この三つが入っているだけでも、私的にはもう「買い」です。
で、アルバム自体は「天使の声」という謳い文句を裏切らない美しいボーイ・ソプラノを、独唱合唱取り混ぜて、タップリ聴かせてくれます。伴奏は(おそらく)シンセサイザーですが、音の雰囲気はあくまでもナチュラル、アレンジはオーソドックスなクラシック風で、曲によって若干のニューエイジ風味やポップ風味をプラス。まあ、正直なところ私の好みから言うと、ちょいと甘ったるくて苦手な部分もなきにしもあらずですが、それでも演奏自体が控えめで、主役の声を押しのけて目立ったり前面に出たりしないところは好感度大。
収録曲は、前述したものの他に、”All Things Bright And Beautiful”や”Amazing Grace”などの賛美歌やトラッド曲、エンヤの”Evening Falls”、カントルーヴの『オーヴェルーニュの歌』から”Bailero”など、硬軟取り混ぜてイロイロ。メジャーな曲が多いようで、タイトルに見覚えが無くても、曲を聴いたら「ああ、これか!」ってのもけっこうありました。
それ系でちょっと嬉しかったのは、”I Vow To Thee My Country (World In Union)”って曲。曲名には全く馴染みはなかったけど、聴いてみたらホルストの『惑星』の「木星」に歌詞をつけたものでした。つまり平原綾香の「ジュピター」みたいなもんですな……って、ちょっと違うか(笑)。どうやらこっちは、ラグビーのワールドカップ公式ソング(の歌詞)らしいですが、とりあえず原曲が大好きなので嬉しい収穫。でも、考えてみりゃ私、この曲も「イェルサレム」同様に、最初に聴いたのは冨田勲のバージョンだったりするなぁ(笑)。あと、ちょっと面白かったのが、「イェルサレム」目当てで一緒に買った”The Last Night Of The Proms Collection” BBC Concert Orchestraの方にも、聴いてみたら同じ”I Vow To Thee My Country”が入っていてビックリ(笑)。
で、一番のお目当てだったその「イェルサレム」ですが、この雄大で荘厳な曲を少年合唱団で聴くのも、独特の清らかさのようなものがあり、また良きかな。改めて惚れ直しました。加えて、その次の曲が前述のホルストなもんですから、またまた雄大&荘厳つながりで、ここんトコの流れはちょいと感動モン。
まあ、とにかくアルバム全体、ひたすらキレイな曲のオンパレードですし、アレンジも含めて程々にキャッチーで聴きやすく、選曲も含めてなかなか楽しめました。まあ、私の好みから言うと、もうちょっとストイックだったり重かったりする方が好みなんですけど、ポップス感覚やヒーリング/ニューエイジ系の声楽として考えるのなら、文句なしの出来映えでは。実際このグループ、最近では「リベラ」と名前を変えて、私は未聴ですが、そっち系では人気を博しているらしいですし。
さて、このアルバムのラストを締めくくるのが、前述した”Gaudete”なんですが、私がこの曲を初めて知ったのは、イギリスのエレクトリック・トラッド・グループ、スティーライ・スパンのヴァージョンでした。学生時代にトラッド・マニアの友人(私をトラッドの泥沼に引きずり込んだ張本人です)に、ペンタングルとかジョン・レンボーン・グループ(どちらも英国のトラッド系グループです)なんかと一緒に聴かされて、もうすぐにレコ屋に突進したくらい好きになっちゃいまして。
で、この”Angel Voices 2″の”Gaudete”を聴いていたら、無性にまたスティーライ・スパンのヤツを聴きたくてたまらなくなり、早速ベスト盤を引っ張り出してきたわけです。ここで、ふと気が付いた。私、このスティーライ・スパンをベスト盤でしか聴いていない。っつーのも、このベスト盤を買って、お目当てだった”Gaudete”は無伴奏ア・カペラのコーラス曲なんですが、他の曲にはドラムありエレキギターありの、いわゆるトラッドをロック風にアレンジしたものばかりだったんで、あんまり自分の好みじゃなかったんですな。だからアルバム単位で聴いてみようと思わなかった。
でも、今回ふと思い付いてネットで検索してみたら、このスティーライ・スパン、メジャーになった中期以降はロック調になったけれど、初期はもっとストイックなトラッドを演っていた、とあるじゃありませんか。そうなると俄然興味がわいてくる。こりゃ、ぜひ初期のアルバムってヤツを聴いてみなきゃ。
とゆーわけで、今度はスティーライ・スパンの初期作を買いに……ってことで、またまた芋蔓式に「続く」(笑)。

装甲騎兵ボトムズ DVD BOX

bottoms
TVアニメのDVD BOXは、かさばるし、そうそう見る時間もないから、極力買わないようにしているんだが、でも、これだけは出たら絶対に買う! と手ぐすね引いて待っていた『装甲騎兵ボトムズ』のBOXセットが、来年二月ついに発売!

……と、発売ニュースを聞いた瞬間は大喜びしたんですよ。
でも…でも…!
定価¥105,000って……。
ネットショップの割引き使っても、それでも8万円超えるじゃん……。しかもOVAもセットって、うーん、欲しいのはTV放映分だけなんだが。あくまでもボトムズの「ファン」で、「マニア」とまではいかない私にとっては、特典etc.にもあんまり心が動かないし、やはりこの値段はちょっと痛い。
ど〜しよ〜かなぁ……たぶん涙をのんで見送りだなぁ。
しくしく。
あ、画像はDVD BOXとは関係ありません。前に友だちに貰ったちっちゃいプラモです。高さ7センチくらいなんだけど、ヘッドを外すとちゃんと中にキリコが座ってるの(笑)。

ロード・オブ・ザ・リング・コンサート

 映画のサントラを、作曲者ハワード・ショア自らが交響組曲に編曲し、その生演奏+バックスクリーンにアラン・リーやジョン・ハウによる映画の美術スケッチを上映するというコンサート。
 会場は東京国際フォーラムAホールで、私は2日目の31日に行ってきました。
 以下、個人的な感想をいくつか。
 演奏に関しては、アンサンブルの厚みはたっぷりあり、アップテンポでぐいぐい聞かせるところなどは、楽曲の良さも手伝ってなかなかの迫力だったが、正確さやタイトさには若干欠ける印象。ただし、第一ヴァイオリン(女性)が兼任していたフィドル(かな?)や、フルート(アイリッシュ・フルートだったのかな?)などのソロは、なかなか良かったと思う。
 またコーラス全般は、発音の悪さはさっ引いても、音程や声量など、全体的にかなり不満が残る出来。ソロの歌唱に関しても、『旅の仲間』のガンダルフへのラメント(映画サントラではエリザベス・フレイザーが歌っていた)を歌った女性と、”In Dreams”を歌ったボーイ・ソプラノは、共に決して上出来とは言えないだろう。特に後者は、ある意味『旅の仲間』一番の聞かせどころでもあるがゆえに、ああいった高音になるといかにも苦しげになるような歌唱では、どうしても興を削がれてしまう。
 一方、後半の『二つの塔』『王の帰還』になると、歌唱のソロ・パートをシセル(ノルウェーの歌手。リルハンメル・オリンピックの公式テーマ曲や、映画『タイタニック』のサントラへの参加などで知られる)一人でほぼ全てこなすので、これはさすがに堂々たる歌いっぷり。私は上記以外できちんと聴いた彼女の歌は、まだシセル・シルシェブー名義だった頃のアルバム『心のままに』くらいだが、透明な美声を生かして伸びやかでクセのない歌唱をする歌手という印象だった。しかしこのコンサートでは、オリジナルではボーイ・ソプラノのベン・デル・マエストロ、元モンスーンでインド系英国人のシーラ・チャンドラ、ちょっとビョークに似た味わいのあるエミリアナ・トリーニ、元ユーリズミックスでホワイト・ソウルの名手アニー・レノックスといった、それぞれ声のタイプも歌い方も全く異なる歌い手たちによる曲を、シセル一人で巧みに歌唱法を使い分けながら歌いこなしており、それも決して単なるエピゴーネンにはならずに、聴き所によっては元歌を越える魅力も引き出しているあたり、改めてその実力に感心してしまった。特に”Gollum’s Song”と”Into The West”の二曲は、共にシングル盤を発売して欲しいほどの聴き応え。これだけ良いものを聴かされると、前半の『旅の仲間』でもシセルがソリストだったら……と、改めて残念に思えてしまう。
 バックスクリーンの映像に関しては、無彩色で紙白が多くコントラストも少ない鉛筆デッサンは、そもそもスクリーン映写には不向きだし、加えて、楽器演奏者がいるために舞台を暗くはできず、結果としてどうしても映像が白っちゃけてしまうし、思いの外スクリーンのサイズが小さいこともあって、残念ながらさほど効果はなかったように感じた。
 楽曲そのものは、映画やサントラでお馴染みのものをほとんどいじらずに、物語りの時系列そのままにダイジェストしてつなげていったという印象。よって、物語を説明するための交響組曲としてはしごくまっとうであり、それを聴くことによって映画で描かれた『指輪物語』の世界を追体験できるという意味でも、ファンならば十分以上に楽しめる内容だったように思う。こうやって映画のサントラの「いいとこどり」したものを生オケで聴くというのは、そうそうない機会であろうから、そういう点でも嬉しいファンサービスだったと思う。
 ただ、主題の変奏や展開を楽しむといった独立した「音楽そのもの」の魅力には、正直なところ若干欠ける印象だ。同様に映画のサントラを演奏会用の楽曲に書き直したものでも、マイケル・ナイマンの『ピアノ協奏曲』や伊福部昭の『交響頌偈(じゅげ)・釈迦』といった、元となる映画を離れた独立した楽曲としても聴き応えのあるものと比較してしまうと、この作品はあくまでもサントラという枠をはみ出すことがないので、どうしても独立した楽曲としては弱い印象がある。
 ただこれは良し悪しではなく、単純に作品の目指しているベクトルそのものが違うということだろう。実際、私自身も楽曲を聴きながら、幾度となく映画のシーンを思い出しては涙腺がゆるんだし、時には映画の追体験という要素を越える感動もあった。例えば、映画で使われていたときから既に音楽の力を存分に見せつけてくれていたパート、『二つの塔』のアイゼンガルドの洪水や、『王の帰還』のゴンドールの烽火のシーンの楽曲などは、生のオーケストラの迫力で聴いて、改めて高揚感に溢れた素晴らしいチューンだと思った。
 まあ総合的には、細かな不満は幾つかあるものの、それでも素晴らしい部分も負けず劣らず沢山あったし、『王の帰還』のアラゴルンの歌を男声バリトンで聴けたのが嬉しかったとか(あ、いや、別にヴィゴ・モーテンセンの歌に不満があるわけじゃないですが)、『二つの塔』のエントのモチーフなんかはサントラで聴いてたときよりも印象深かったとか、『旅の仲間』の”The Ring Goes South”はSEEバージョンを元にしてるな〜なんてサントラとの比較ができたとか、”May It Be”は意地でも入れないんかい! なんて勘ぐったりとか(笑)、細かなお楽しみもテンコモリだったので、やはり聴きに行って良かったです。あと、「この映画と一緒に過ごしたこの三年間は、ホントに楽しかったな〜」なんて、妙にしみじみしちゃったり(笑)。
 最後に一つ。
 プログラムを買う気満々で、それを入れる用に大きめのカバンまで持っていったのに、あっという間に売り切れで買えなかった。
 ……し、しどい。もうちょっと部数用意しといてくれっ!!

『リディック』

『リディック』デヴィッド・トゥーヒー
“The Chronicles Of Riddick” David Twohy
 レコ屋で貰った販促用のDVDを見て、凝りまくった美術にビックリ。加えて、監督さんの「……オカマ?」ってカンジの所作にも惹かれるものが(笑)。
 ってなわけで、あわてて前作『ピッチ・ブラック』を借りて見て(小粒ながら、SFものとしてはアイデアを上手く使っていて、いいカンジの佳品でした。あと、ヴィン・ディーゼルの目隠し&猿轡のボンデージ姿がエロい!)予習してから、いざ劇場に。
 お目当てだった美術面は、宇宙船や建造物のゴシック的な壮麗さといい、巨大な人面やエンド・クレジットにも出てくる彫像類の造形といい、ちょっとした取っ手やら小道具やらのデザインといい、マクロからほんの些細な細部にいたるまで、もうひたすら凝りまくっていて大満足。スケール感もタップリで、こういった「異世界の構築」に関しては、昨今のCGIの発達は、本当に目覚ましい貢献をしているなぁ〜と再確認。
 お話しとしては、次から次へと色んなものを、あの手この手で見せてくれるんで、退屈はしないんだけど、ちょ〜っとまとまりに欠けるかな? 凄まじいヴィジュアル・パワーに圧倒されつつも、ドラマ的に一番引き込まれたのは「夜明けまでに宇宙船の格納庫までたどり着けるか?」という部分だというのが、この映画の特徴を如実に表しているような気が。一つ一つのエピソードは面白いんだけど、それがリンクしてストーリーを構築していくという点が弱い印象。あ、でもラストの落とし方は好きです。
 個人的な好みから言うと、どうせならもっともっと大風呂敷拡げて、ハッタリもガンガン効かせて、ナニガナンダカワカンナイくらいのレベルまでいっちゃって欲しかったけど、でもまあ、これだけの美術を見せてくれたという点だけでも、私的には大いに満足。
 あと、ヴィン・ディーゼル君。ガタイの良さはもちろんですが、何となく愛嬌があるから好き。ただ、劇中で着ている黒のタンクトップは、もうちょい背中のくりを深くして欲しかった(笑)。

『シュレック2』

『シュレック2』アンドリュー・アダムソン、ケリー・アズベリー、コンラッド・ヴァーノン
“Shrek 2” Andrew Adamson, Kelly Asbury & Conrad Vernon
 前作が大好きだったんで、すっごい楽しみにしてました。
「あのキャラたちにまた会える!」ってのはシリーズものの大きな楽しみの一つだけど、これはそれに加えて「長靴をはいた猫」なんつー強力極まりない新キャラが。この猫、キャラ立ちまくりで、もう無敵。スピン・オフで番外編作って欲しいくらい。
 内容も、前作同様たっぷり笑わせてもらいました。ただ、個人的には笑えたんだけど、いかんせん笑いの多くがパロディーなので、前作に見られたような汎的なユーモアは後退。毒も薄れ気味で、ブラックな笑いがあまりなかったのも、ちょっと残念。物語的な求心力も、少し弱いかな?
 しかし「お伽噺」というものが内包する偽善的な部分にメスを入れつつ、同時にそれを単なる批判やパロディだけには終わらせず、最終的には「お伽噺」の本質と合致したところに落とし込むという、物語としてのアクロバティックさは今回も健在。とかく物事をひっくり返して考えたり、斜に構えて見るクセが抜けない「オカマ心」の持ち主にとっては、前作同様やはり最良の娯楽作でした。
 あと、相変わらず画面が美しいなぁ。3DCGなのに、あくまでも「絵が動いている」的な美しさを外さないのは高ポイント。色彩設計が見事です。こーゆー画面作りを見せられると、今度の『ナルニア』がますます楽しみになってくるぞ。
 頑張ってくれ、アンドリュー・アダムソン!

Craig Armstrong “Piano Works”

craigarmstrong_pianoworks
『ピアノ・ワークス』クレイグ・アームストロング
“Piano Works” Craig Armstrong
輸入盤CD
マッシヴ・アタック、ビョークなどとのコラボレーションや、映画『ロミオ+ジュリエット』『ムーランルージュ』などのサントラで知られるコンポーザーの三枚目のソロ・アルバム。
1st “Space Between Us”、2nd ” As If To Nothing”では、メランコリックかつ重厚なストリングスや、エリザベス・フレイザーやボノをゲストに迎えた歌モノが印象的だったけど、今回の3rdはメランコリックな味わいはそのままに、全曲ピアノ・ソロを主体に微かに音飾が加わったインストゥルメンタルという、よりシンプルな内容なので、以前のちょっと勿体ぶったような大仰さ(そんなトコロも魅力だったんだけど)は、だいぶ薄れた感じ。
が、これはこれで実に美しいし、アンビエント的に聴きやすくもあるので、これからの季節、秋の夜長にはなかなか重宝しそうです。収録曲がもっぱら自作曲のセルフカバーなので、従来のバージョンと聴き比べる楽しみもあるし。
叙情的でキレイなピアノ・ソロが好きな方、例えばジョージ・ウィンストンやウィム・メルテンやアルトゥーロ・スタルテリなどのピアノ・アルバムが好きな方、オススメですぞ。

『ワイヤー・イン・ザ・ブラッド』

ワイヤー・イン・ザ・ブラッド DVD-BOX 『ワイヤー・イン・ザ・ブラッド』アンドリュー・グリーヴ
“Wire In The Blood” Andrew Grieve

 レンタルDVDで鑑賞。

 まず、素っ裸の男が磔刑に処せられているような、血みどろホラー系のジャケがイカしてます。
 加えて内容はサイコ・サスペンスもので、描かれる事件は「残酷な拷問を受けて殺された、全裸死体が次々と発見された。しかも犠牲者はいずれも30歳前後の壮健な男性」とくれば、こりゃあ私としては見るっきゃないってカンジでしょ? 実際、ソッチ系で趣味を同じくするジープロのろん君からも「見ました〜?」って聞かれたし(笑)。
 とはいえ、実はこれは劇場用映画ではなくイギリス製のTVシリーズなので、当然のごとく、それほど過激な描写はございません。イカしたジャケも「イメージ写真」の類らしく、本編にそういうシーンはない。ホラー味・スプラッタ味は皆無で、そういった描写そのものは、このテの映画の嚆矢である『羊たちの沈黙』なんかと比べてもずっと大人しいんで、心臓の弱い方でも安心してご覧いただけます。

 お話しの大筋は「心理学専門の男性教授が、女性警察官に協力して、連続猟奇殺人の犯人をプロファイリングしていく」という「どっかで聞いたような話」ではありますが、それなりに途中で飽きさせることもなく無難に引っ張っていきます。TVシリーズ的にキャラを立てるためか、何かとゴチャゴチャと枝葉が多いのは、まあ楽しくもあり、時に鬱陶しくもあり。

 では、お目当ての拷問マニア向けの鑑賞ポイントをば。
 前述したように比較的大人しめのTVモノなんで、拷問マニアが一番「見たい!」と思うようなそのものズバリのシーンは、ぶっちゃけたところありません。ただ、それでも要所要所で、それなりに「好き者のツボ」も押さえてくれます。
 一番グッときたのは、「犯人が警察にビデオを送りつけ、それには誘拐された警察官(いちおうジム通いもしていて体格も良く、笑顔もカワイイ人好きのする好青年)が、カメラに向かって泣きながら自己紹介した後に惨殺される光景が映っていた」というヤツ。この無惨味・残酷味は、なかなか良ろしい。
 犯人が、「座部のない椅子の下部に、金属の円錐に有刺鉄線を巻き付けたものを取り付け、それで肛門を串刺しにする」ような拷問器具を手作りしているディテールとか、「気を失った男の服をハサミで切り裂き、全裸にした後、手足に拷問用の枷などを順々に装着していく」といったプロセスの描写があったりするのも良い。これ、拷問マニア的にはけっこう重要。自分のマンガでもそうなんですけど、こういった「拷問の準備段階の描写」が、一コマでもいいからあるのとないのとでは印象が大違い。
 クライマックスの「全裸男性への古典的な吊り責め」シーンが長めなのも、ポイント高し。加えて受刑者の胸のおケケがフッサフサなので、個人的なポイントはさらに倍。
 ってなわけで、直截的な描写はほとんどないにも関わらず、それでも拷問マニアを自認していらっしゃる方でしたら、意外に楽しめると思いますよ。具体的に「見せる」シーンは少なくても、セリフでどういう拷問をされたか(謎の器具で無数の火傷を負わされていたとか、関節が外れていたとか、性器が切り取られていたとか)説明はしてくれるので、あとは脳内で補完しましょう。過度な期待は禁物ですが、レンタルで借りるぶんには、充分にオススメです。

 ついでに、ゲイ的にマジメに気になった部分についても書いておきます。
 概してサイコ・サスペンスものって、とかくゲイやら性同一性障害やらが絡んでくるものが多い。で、自分たち(の仲間)が「ヘンタイの殺人鬼」みたいに描かれることに、いい加減に辟易しているゲイたちが、抗議したり批判することも珍しくない。そのこと自体に関しては、複雑だし長くなるのでここでは触れませんが、とりあえず、この作品もその例外ではない。やはりセクシュアリティの話が幾つか絡んでくる。
 ただ、ちょっと興味深かったのは、そういった問題に関して、制作者側もおそらく注意深く取り扱っているらしき節が伺えることです。

 例えばセリフに出てくる「同性愛者」を指す言葉が、ケース・バイ・ケースで「ゲイ」「ホモセクシュアル」「クィア」などと使い分けられている。で、「クィアの殺人事件」と言った若い刑事に対して、主人公の学者が「差別的だ」とたしなめたり、同じ主人公のセリフで「トランスジェンダーだ、トランスベスタイトじゃない。これは重要だ」なんてのがあったりする。
 しかし残念ながらそういったニュアンスは、日本語字幕では全くといっていいほど拾われていない。「ゲイ」も「ホモセクシュアル」も「クィア」も、字幕では全て「ゲイ」一つに統一されてしまい、「トランスジェンダー云々」というセリフも、字幕では「トランスベスタイトじゃない、これは重要だ」に該当する部分がスッポリ抜け落ちている。
 後者に関しては、まあ字幕の限界もあって仕方ないことだとも思いますが(けっこう早口のシーンでしたし)、前者に関しては、ちょっと考えるべき余地が残されているような気がします。

 まあ、下手に「オカマ」とかいう言葉を使うと、それはそれでまた、その言葉を使用すること自体が差別的であるといった批判が出てくる可能性があります。とりあえず全て「ゲイ」にしておけば、差別云々といった問題は起こりにくいので、無難な選択ではあるでしょう。これもまた一種の配慮が働いた結果であるともいえます。
 ただ、この場合の「蔑称としての『クィア』を使った人間に対して、『差別的だ』と批判が出る」シーンで、「クィア」の訳語を「ゲイ」にしてしまうと、それを受ける「差別的だ」という反応の意味が通らなくなってしまう。やはりここは訳語も「オカマ」か何かにして欲しかった。言葉が使われ方次第でネガティブにもポジティブにもなるという点でも、「クィア」と「オカマ」は良く似ていますしね。
 言葉の差別的な用法の一例をきっちり描けば、少なくともそれによって、観客が言葉と差別の関係性を学んだり、差別的だとされる言葉の使用法について考える手助けになる。しかし、いわゆる「放送禁止用語」のように、差別的だとされる用語の使用自体を完全に禁止してしまうと、そういった学習の機会は永遠に訪れない。それどころか、それはまるでこの世界にそういった差別が存在していないように見せかけているだけであり、ある意味では表面だけを取り繕った一種の欺瞞ともいえます。同じ「デリケートな素材を取り扱うに際しての配慮」として考えると、この二つのもたらす結果の違いはかなり残念です。
 もちろん「ゲイにとって侮蔑的な言葉」を「ゲイを指す一般名詞」としては「使わない」という配慮は、それは充分に歓迎するところではあります。しかし「ゲイにとって侮蔑的な言葉」を「絶対に使わない」もしくは「使ない」という配慮(もどき)によって、ゲイが侮蔑されているシーンを表現することすらもできなくなってしまっては、これはやはり本末転倒だと言わざるをえないでしょう。

エロの考古学 in 伏見憲明Blog

 伏見憲明さんのBlogで御自身が所有しているヴィンテージ・ゲイ・エロティック・アートを、「エロの考古学」というタイトルで幾つか展示してくださいました。
 絵も写真もあるのですが、その中でも2点ある「髷もの写真」に、希少性・作品としての力強さ・時代背景といった点で、特に目を奪われました。
 興味深いのは、この写真はメイクアップなどから推察すると、時代劇全般を指す「髷もの」の中でも、特に大衆演劇へのフェティシズムに依るものではないかと思われることです。
 時代ものに対するファンタジーは、数こそ少なくなったものの、それでも現代でも僅かながら見ることができます。しかし、こうした大衆演劇に対するファンタジーは、ほとんど全くといっていいほどお目にかかれません。
 ところが、実は昭和30年代の『風俗奇譚』などを読んでいると、大衆演劇に関して、自分の性の芽生えはそれであるといった手記や、どういった性的刺激を受けたかという話、フェティッシュな思い入れを綴った手記、自らそういった扮装をして楽しんでいるという話などが、少なからずあるんですよ。
 そこで、改めて分析的に考えてみると、実のところ大衆演劇の中には、ゲイたちを惹きつけてしかるべき、いくつかの特徴があるように思われます。
 一つに、立ち回りの際にちらりと除く褌や、啖呵をきる際の諸肌脱ぎといった、純粋に視覚的な性的刺激。
 二つめに、渡世や義兄弟といったものが内包している、ホモソーシャルなファンタジー。
 三つめに、女形のようなトランスベスタイト、トランスジェンダー的なファンタジー。
 これは更に「女形=実際は男性」なので、「舞台の上の男女=実際は男同士」となり、「芝居の上では男女の性愛=現実に見ているのは男同士の性愛」という具合に、ちょっとメタフィクションめいた構造を経て、結果として、そこでは男同士の性愛が「正当化」されているような、そんなイメージを併せもっていた可能性もあります。
 四つめに、捕り物などにおける、サディスティック/マゾヒスティックな刺激。
 五つめに、実はこれはかなり大きい要素ではないかと個人的には推察しているのですが、上に挙げたような諸々のことが、最終的には芝居という「美しい」ものとして提示されるということ。
 この「美しさ」は、当時の多くのゲイたちが抱えていた、ホモフォビアとセックスフォビアが合体してしまった深い自己嫌悪、すなわち「同性に欲情する自分=変態=きたならしい存在」という悩みを、ある程度は解消してくれた可能性があります。
 こういった形による自己受容、つまり、現実の自分そのものを受け入れるというよりは、自分をフィクションに仮託する、自分自身をフィクション化することで自己受容するというのは、なにもこの大衆演劇フェチに限ってことではありません。
 例えば、古代ギリシャや江戸時代以前の日本に例を求めて歴史的な安心感を得たり、世紀末ヨーロッパ文化などの「異端の美学」に範をとったり、欧米のオーバーグラウンド化した「かっこいい」ゲイ・カルチャーを求めたり、こういったことは手を変え品を変えして、綿々とゲイの中で繰り返されているように思えます。
 つまり、それだけゲイは、己の存在の正当性へのエクスキューズを求めてきたということであり、大衆演劇にもそれを満たす側面があるということが、前述した「大きな要素」という推察につながります。
 以上のような前提を踏まえ、当時の人々にとっての娯楽としての大衆演劇の身近さや、更に範囲を髷もの全般に拡げて、小説、挿絵、映画などで時代物に触れる頻度なども併せて考えると、ひょっとすると、この頃のゲイたちの中では、髷ものフェチ全般はもちろんのこと、大衆演劇フェチもそれほど珍しいものではなかったのかも知れません。
 だとすれば、この二葉の写真は、現代では絶滅してしまった、過去のフェティシズムの遺産なわけです。これこそまさに考古学。
 まあ、そういったことを抜きにしても、この写真は実に素晴らしいです。
 ここには、最良のエロティック・アートならではの、個々のテイストを突き抜けた普遍性がある。例え自分自身はチンピクしなくても、脳髄はしっかり勃起させられます。
 この純粋さと力強さ。一種の畏怖のような感動を覚えます。
 伏見さん、自分は飽きっぽいなんて言わないで、ぜひこれからも続けてください。

『ザ・ヒル』

ザ・ヒル [DVD] 『ザ・ヒル』デヴィッド・デコトー
“Leeches!” David DeCoteau

 レンタルDVDで鑑賞
 え〜、下心バリバリで借りました。っつーのも、何でも裸のイケメンマッチョが大勢出てきて、そいつらがバタバタ殺されてく映画だっつーし、IMDbでもallchinema Onlineでも「ホモ大喜び」みたいなユーザーズ・コメントが登録されてるし、「やだ、ひょっとして野郎版ジャーロ? 憧れの野郎系スラッシャー?」なんてワクワクしちゃいまして。
 んでもって再生。タイトル・デザインはクラシックB級SFみたいなグニャグニャのクリーピー系で、ちょっといい感じ。
 そして早速、競泳ビキニ一丁のイケメンが。カメラがスローモーションで、その肉体美を舐めるように追いかける。……どこのゲイビデオですか?
 ストーリーは、大会目指して特訓中のカレッジの水泳部部員が、次々に巨大化したモンスター・ヒルに襲われて、その餌食になっていく…というもの。あとはそれにちょっと殺人事件やドーピングが絡んだり、馬鹿馬鹿しい青春映画チックな乱痴気騒ぎがあったり。
 まあ、低予算なのには目を瞑りましょう。モンスター・ヒルはどう見ても、ゴム製のスリッパかナベツカミに、人が手を突っ込んでウネウネ動かしてるだけだし、床を這うときは露骨にテグスで引っ張ってるし、身体に吸い付いた小型のヒルは、身動きひとつせずにブラ〜ンとぶら下がってるだけだし、まあローテクと言ったらローテクに失礼なんじゃないかっつーくらい、果てしなく底なしに安い。
 で、お目当てのイケメンマッチョの方はというと、これはまあ惜しげなく出てきます。しかも、ほとんど服を着ない。まあ、水泳部だからってのもあるんですが、プール以外でも何のかんのでとにかく脱ぐ。ただ、全員イケメン揃いってのもクセモノでして、とにかくみんな似たタイプなもんだから、誰が誰やら区別が付かない。どーゆーイケメン・マッチョが出てるのかというのは、まあこちらの公式サイトのギャラリーをご覧あれ。……えー、もう一度。どこのゲイビデオですか?
 というわけで、こいつらがゴム製のスリッパに襲われて次々とくたばっていくんですが、はっきり言ってスリルもサスペンスも全くない。当然のことながら、恐怖感も皆無。シャワーを浴びたりプールに浸かったりする裸のイケメン相手に、カメラが動いたりスローモーションになったりしても、それはスリルやサスペンスの演出とは全く無関係。安手のイメージビデオよろしく、イケメンの筋肉美を撮すだけ。
 ……とすると、いささか変態ちっくで面白いかとも思われるけど、残念ながら変態性は「ホモっぽい」だけに留まっていて、それ以上のものは何も無し。襲われるシーンも、派手な音楽が鳴り響いて、色照明の中でアタマを振るイケメンのクローズアップばっかりで、工夫のないことはなはだしい。シャワー室で昏倒したイケメンの口に、件の巨大ヒルが潜り込む……なんてシーンは、ちょいと変態ちっくで期待させられるんですが、それだけ。(だいたい、何でヒルのくせに口に入るんだ???)まあ、撮影の裏側を想像すると、裸のイケメンにスタッフの男たちが群がり、「ヒル手袋」をはめた手で凌辱している……と考えられないわけでもないので、そこんとこは変態っぽいっちゃあ変態っぽいけど。
 まあ、こんな具合で、ハラハラドキドキも全くせず、緊張感も微塵もないまま、ダラダラと話が進んでクライマックスへ。ヒルが巨大化した理由が告げられるアタリは、もう突っ込む気力も起きずに乾いた笑いが。ラストのどんでん返しも「ふ〜ん、さいですか」だけ。やれやれ。
 なんかな〜、襲われるのが裸の男ばっかりなんつーホラー映画は稀少なんだから、もうちょっと何とかして欲しかった。これで『マニアック・コップ』や『エルム街の悪夢2』ばりの、ステキな惨殺シーンがあれば、もう大絶賛しちゃうし、DVDだって即購入しちゃうんだが……残念。
 こうして私のよこしまな期待は、シュウ〜と音を立てて萎んでいきましたとさ。
 でも、感想を書いていたら、何だかもう一回見たくなってきた……(笑)。