Samson & Delilah (Opera Spanga)

dvd_samson&delilah
“Samson and Delilah” (2007) Corina Van Eijk
 オランダのオペラ・カンパニー、オペラ・スパンガによる、サン=サーンスの『サムソンとデリラ』のオペラ映画。
 アメリカのファンから、「このフィルム、アメ〜ズィングな熊男責めがあるし、貴殿にはぜったいにオススメ!」みたいなメールを貰いまして(Thank you, Cecil!)、興味を持って探してみたところ、オランダ盤(おそらく)DVDを見つけたので買ってみました。
 因みに、サムソンとデリラの話は私の好物の一つ(っつーか、ぶっちゃけ性的な原風景の一つ)なので、DVDも、1949年制作のセシル・B・デミル版はもとより、84年のTV版や、96年のニコラス・ローグ版など、見つけるたびに、ついつい買っちゃってます(笑)。

 さて、私はオペラは疎いので、このオペラ・スパンガがどんなカンパニーなのか、まったく判らない。検索してみても、日本語の情報は何も見つからず。ただ、サイトは見つかりまして、それによると、監督のコリーナ・ファン・エイクという女性は、このカンパニーの芸術監督らしいです。
 サン=サーンスのオペラの方も、これまで聴いたことがなく今回が初体験。そもそも、サン=サーンス自体、『動物の謝肉祭』くらいしか聴いたことがない……と、見る前は思ってたんですけど、いざ映画を見てみたら、アリア「あなたの声に心は開く」だけは、聞き覚えがあった。でも、おそらく私の場合、この曲との最初の出会いは、正統派のオペラじゃなくて、クラウス・ノミだと思うけど(笑)。

 映画の内容は、モノガタリはそのままに、舞台を現代の戦場に置き換えたものになっています。
 まず、戦場とおぼしき砂漠で、捕虜らしきゲリラ風の男たちが処刑されていく。それを見守る仲間たちは、嘆きながら祈り、合唱する。
 そして、サムソン登場。やはりゲリラ兵風の出で立ちで、パッと見、キューバ革命時のカストロみたいな感じ。仲間たちを「立ち上がれ」と鼓舞します。
 そこにやってきたのは、ダゴンの神官ならぬ、洒落たスーツを着て、ガードマンと美女を引き連れた、いわゆる資本主義風の金持ち男。見物にでも来たのか、見張りの兵士に袖の下を握らせ、美女の尻に跨ったりと、享楽的な態度を示す。
 ここでゲリラ軍が、サムソンに率いられて蜂起。敵の兵士たちは殺され、美女は犯され、金持ち男も殺される。それを司令部でモニターしていた、ダゴンの祭司長と部下の兵士たちは、こりゃあかん、すわ退却と、パソコンのデータを消去して逃げ去る。
 勝ったゲリラ軍は、長老を囲んでお祝いをしますが、敵軍はそこに、着飾らせた女兵士たちを送り込む。女たちを率いるのは、美女デリラ。
 むさい男所帯に現れた、露出度の高い服を着た女たちに、ゲリラ軍はメロメロに。サムソンも、デリラから目を離すことができず、それを諫めていた長老までもが、オンナノコに股間をまさぐられてアハ〜ン状態。
 ……とまあ、こんな感じで進んでいきます。

 というわけでこの映画は、古典を古典の世界観のまま再現するのではなく、古典を現代的な視点で解釈し、解体/再構成することによって、そこから新たな意義を掘り起こそうとするタイプの作品。
 方法論としては、さほど目新しいものではありません。また、このテのアプローチがされた作品って、モノによっては「舞台を現代に置き換えただけじゃん。……で、それがどうしたの?」で終わってしまうことも、ままある。
 しかしこの映画の場合は、映画作品としての出来は別にしても、アプローチの是非に関して言えば、これはかなり成功している、と、個人的には感じました。どこがどう成功しているかというと、これはちょっと長くなるし、内容もヤヤコシクなってしまうので、後ほどまとめて書くことにします。

 では、ヤヤコシイコトは別にして、映像作品としての出来はというと、まずまずといったところ。
 映像表現は、ケン・ラッセルとかデレク・ジャーマンとか、あるいはジュリー・テイモアとかいった、ちょっと古いタイプの前衛風。80年代に『アリア』というオムニバス映画がありましたが、あれが好きな方だったら、本作も充分に楽しめるはず。ただ、飛び抜けた個性とか先鋭性には乏しいので、そこいらへんはちょっと物足りない。個人的には、好きなタイプの作風なんですけどね。美術も、低予算なりに頑張っていて、雰囲気を出すことには成功している。
 尺が100分と、オペラ映画にしては短めなのも、私としては見やすくて良かった。ただ、オペラ好きにはマイナス・ポイントかも。
 ビデオ撮りらしく、ハイライトに飛びがあったり、エッジにカラーノイズがあるのは、ちょっと残念。

 表現のスタイルではなく内容の方は、これはかなりアグレッシブで面白い。
 まず、しょっぱなの囚人の処刑シーンからしてスゴい。
 直接表現ではないので、注意して見ていないと判りにくいんですけど、この囚人は性器を切除されてから、仲間の前に引き出されて、息絶えるまで放置されるんです。しかも、切り取られた性器は床のバケツに捨てられ、それを犬がむさぼり食うという凶悪さ。
 前述の有名なアリア「あなたの声に心は開く」もスゴい。
 英語字幕で説明しますと、このシーンでデリラは “Open your heart to my tenderness, come and worship drunkness”(私の語学力では上手く訳せませんが、「優しさに心を開いて、こちらに来て、杯を交わしましょう」って感じなのかな?)と歌いながら、車のボンネットに座って脚を開く。サムソンはうっとりした顔で、その前に跪く。そして、デリラが “Open my tenderness”(私の柔らかいトコを開いて!)、”Drink up”(飲み干して!)と歌うのに合わせて、サムソンがクンニリングスするんです。コンサバなクラシック好きが見たら、憤死しそう(笑)。
 こんな具合に、その露悪的とも言える挑戦的な内容は、大いに見応えあり。

 役者の方は、皆さんオペラ歌手です。口パクではなく、ご本人が演じ、ご本人が歌っている。
 サムソン役のCharles Alvez da Cruz(読みは、シャルル・アルヴェス・ダ・クルス……でいいのかな?)は、高音域になるといささか線の細さを感じさせる部分もなきにしもあらずですが、全体的には必要充分以上に魅力的な歌声でした。
 ルックスの方も、まあ、すンご〜く濃い顔なんですが、ハッキリ言ってタイプ(笑)。チャームポイントのヒゲを、途中で剃っちゃったりもするんですが(まあ、美女とデートするとなると、ヒゲも剃って身だしなみも整えて……ってのは、ノンケさん的には当たり前なんでしょうけど、ムサいの&ヨゴレてるの好きの私に言わせりゃ、「勿体ない!」って感じ)、ヒゲなしでも充分いい男。
 しかも、後述しますがヌードもあれば責め場もある。デリラとの濡れ場では、逞しい臀球丸出しでコトに勤しんでくれるし、お待ちかねの責め場(内容は後述)では、チ○コも丸出しで大熱演。
 というわけで、歴代のサムソン役者の中でも、個人的には一等賞(笑)。因みに二番目が、ニコラス・ローグ版のエリック・タール。有名なデミル版のヴィクター・マチュアは、どっちかつーと嫌いな顔(笑)。
 デリラ役のKlara Uleman(クララ・ウレマン?)は、お世辞にも傾城の美女とは言い難いお顔ですし、トウもたっておられるんですが、まあオペラ歌手にそーゆーことを求めるのが、そもそも筋違いなわけで。
 声がメゾ・ソプラノのせいもあってか、最初は必要以上にオバサンに見えちゃって閉口したんですけど、表現力はスゴい。ダゴンの祭司長との掛け合いや、前述のサムソンとの掛け合いなど、かなりの迫力で圧倒されます。そうなってくると、ちゃんと魔性の美女に見えてくるから面白い。

 では、責め場の解説。
 サムソンとデリラというと、怪力を失って捕らえられたサムソンが、両眼を潰され石臼を挽かされるというのが、責め場的な見所ですが、この映画では、内容がちょっと違う。
 捕らえられて盲目になるのは同じなんですが、檻の中に入れられたサムソンは、石臼ではなくエアロバイクを漕がされて、発電をさせられます。で、我が身を嘆きながら脚が止まったりすると、檻の外から看守にどやされる。そうやって自転車を漕ぎ続けるサムソンを、敵の兵士たちがタバコふかしながらニヤニヤ見物。やがてサムソンが、自転車から降りて神に祈りだすと、今度はそこにホースで放水責め。
 で、この一連のシーンで、サムソンは文字通り、一糸も纏わぬ素っ裸。う〜ん、こりゃエロい(笑)。エロさでいったら、過去見たサムソンとデリラの中でも、これがダントツ!
 一番のサムソン役者が演じる、一番の責め場。これだけで、もう私の偏愛映画の殿堂入りは確定です(笑)。

 YouTubeに予告編があったので、下に貼っておきます。
 上記の責め場も、ちょびっとだけど見られますよ(笑)。

 DVDは、ヨーロッパ盤なのでPAL方式。リージョン・コードは、私が購入したイギリスのアマゾンの表記によると、リージョン2。ただ、ディスク・パッケージには何も書かれていないので、ひょっとしたらフリーかも。
 16:9のスクィーズ収録。音声は、フランス語。字幕は、英語、ドイツ語、スペイン語、ポーランド語、ドイツ語、フランス語から選択可能。オマケは、メイキングと予告編、それとキャストやスタッフのプロフィール。

 では、以下は「ヤヤコシクなるから後述する」といった諸々について。

 この映画を教えてくれた人の説明によると、「プロットはアラブ対イスラエルに置き換えられている」とのことでした。ところが、実際に全編を通して見てみると、必ずしもそういうわけではなかった。
 確かに、歌詞に「イスラエル」という言葉が頻出しますし、伝承の舞台がパレスチナであるせいもあって、パッと見は、中東戦争なんかを連想します。
 しかし、前述のようにヘブライ人(ユダヤ人)側のスタイルは、キューバ革命のゲリラみたいな感じですし、ペリシテ人側も、砂漠迷彩のヘルメットや軍装などを見ると、アラブどころかその反対に、イラク戦争時のアメリカ軍っぽい。
 かと思うと、ゲリラ軍の年長者たちが、頭から布をかぶって長老になったときなんかは、いかにも昔のスペクタクル映画に出てくるヘブライ人のスタイルを連想させます。同様に、クライマックスのダゴン神殿は、内装がモスク風だったりミナレットがあったりもします。
 つまり、この映画で描かれている「戦争」とは、元々の「ヘブライ対ペリシテ」(あるいは「ヤーウェ対ダゴン」)でもなく、かといって現代の「イスラエル対アラブ」や「アメリカ対アラブ」(あるいは「ヤーウェ対アッラー」)でもないわけです。
 では、何なのかというと、これは、そういったもの全般に対するアレゴリーなんですな。単純な置き換えではなく、古今東西における宗教や思想をベースにした対立や、戦争全般に対する寓意。
 前述したような現実的なモチーフの数々は、そこから現実への連想を引き起こすことによって、その寓意が、過去も現代も変わらぬ恒久的なものなのだと、より効果的に印象づける役割を果たしている。
 この手法は、なかなか面白かった。

 もう一つ興味深いのは、この映画の宗教に対する視線。
 前述したように、サムソンとデリラの時代におけるヘブライ人とペリシテ人の対立とは、平たく言えば信仰の違いによる宗教戦争なんですが、実のところ現代における戦争も、何かと宗教によってその正当性、すなわちそれが「正義の戦争である」と主張される。
 よく知られたところでは、イスラム世界におけるジハード(聖戦)という思想や、第二次世界大戦時の日本での神道の使われ方なんかがそう。キリスト教文化圏でも、有名な賛美歌「見よ、十字架の旗高し」(生ぬるく訳されていますが、原題は “Onward,Christian Soldiers”、つまり「進め、クリスチャン兵士」。歌詞の内容も、イエスの十字架を掲げて、戦争に進軍せよ……というもの)が、同様に戦争における宗教的な正義を謳っており、じっさいに第二次世界大戦中に、ハリウッドのプロパガンダ映画で使われている。
 よって、このサムソンとデリラという話を、伝承のままに描くと、そこにはどうしても宗教的正義という視点が存在してしまうんですが、この映画はそれを批判的に描いている。冷笑的と言ってもいいかも知れない。
 それを端的に表しているのが、映画のタイトルバックです。
 タイトルバックでは、線画によるイラストで、カナブンのような虫の群れが、土中から這い出してくる様子が描かれる。そこに、誰かによってページをめくられている本が現れ、その上を虫が這い回る。読書の邪魔をされ、手は虫を払いのけ、ついには指先で押し潰してしまう。
 で、この「本」が曲者。
 出てくる本は三種類。まず、飾り枠と花文字と挿絵の入った本。次に、飾り枠と文字だけの本。最後に、巻物状のもの。つまりこれらは、キリスト教の聖書(もしくは祈祷書)、イスラムのコーラン、ユダヤ教のトーラー(律法)なわけです。
 このイラストは、映画の最後に再び登場します。
 サムソンがダゴン神殿を破壊し(といっても、この映画では電気をショートさせるんですけど)、悲鳴を上げるデリラのクロースアップの後、三冊の本の上に突っ伏し、頭から血を流して死んでいる、三人の宗教的指導者の絵が現れる。
 現実に振りかざしてきた宗教的正義というものが、それぞれの宗教にとって「邪魔なものを追い払い殺傷する」行為でしかなく、サムソンとデリラでは、ユダヤ教が正義でダゴン信仰が悪とされているが、どっちもどっち、みんな同じだよ、と、痛烈に皮肉っているわけです。
 これ以外にも、宗教(および宗教的指導者)に対する冷笑的な視線は、ダゴン軍が司令部を引き払うシーンや、ヘブライ人の長老が女たちに誘惑されるシーン、クライマックスのダゴン神殿のシーンなどで、他にも幾つか見られます。そして、これらのシーンで、現実の宗教に近い具体的なモチーフが引用されているのは、おそらく、前述したような連想効果を狙った、意図的なものでしょう。
 こういったアグレッシブさには、かなりグッときました。

ちょっと宣伝、『童地獄』後編です

Wappa03 8月21日発売の「バディ」10月号に、ショタ責め時代劇マンガ『童地獄(わっぱじごく)』の後編が掲載されます。
 前編は拷問、中編は凌辱と羞恥責めがメインでしたが、この後編は左のサンプル画像の通り、露出責め+ストーリー的なオチになります。最後の最後まで、ラブのひとかけらもなし(笑)。
 さて、とりあえず『童地獄』というマンガは、これにて終わりとなりますが、後編をお読みになった後、「うが〜、こっから先が読みたいんだよ〜!」なんて、お思いになる方もおられるかも知れません。
 でも、ご安心あれ。来月と再来月の「バディ」さんでは、これとは別の現代モノの読み切りを前後編で描く予定ですが、その後、11月発売の1月号から、この『童地獄』の続編を、三回か四回くらいで描かせていただく予定となっております。
 続編のタイトルは何かって? そりゃ、『父子地獄(おやこじごく)』に決まってるじゃないですか(笑)。
バディ10月号(amazon.co.jp)

Rainbow Arts 9th Exhibition 2008

2008hontenflyer_hp_2 本日、8月17日から、毎年恒例のセクシュアル・マイノリティの有志にによるアート展、Rainbow Artsの第九回展覧会がスタートします。実行委員長の加藤さんからご案内をいただいたので、ここでご紹介。
  参加アーティストのリストや詳細は、下記にあるRainbow Artsのサイトで、”Artists” をクリックすると見られます。
 私が面識のあるところでは、幻想少年絵画のマエストロの稲垣征次さん、華麗な装飾性とユニークな世界観が印象深いКэнъя Симидзуさん、生々しいエロから爽やかなポップまで何でもござれの龍谷尚樹さん、など(他にも失念している方がいらっしゃったらゴメンナサイ)。その他にも、様々なタイプ、様々なスタイルのアーティストが参加されるご様子。
 今年は残念ながら東京パレードはお休みとなってしまいましたが、こういった企画展が着実に回を重ね、早くも九回目にまでなったというのは、何とも嬉しいことですね。来年(になるのかな?)の記念すべき第十回に向けて、ますますのご発展をお祈りいたします。
 会期は今週いっぱいまでなので、皆様、お誘い合わせのうえ、お出かけください。
 以下、頂いたご案内の転載となります。

「Rainbow Arts 9th Exhibition 2008」は、LGBTを中心とする非営利のアート集団です。
 9周年を迎える今年は、作品ジャンルもキャリアもセクシュアリティも多彩な45組のアーティストが参加します。
 アート・イベントとしても、セクシュアル・マイノリティの交流の場としても、出展する人、観に来てくれる人、皆が楽しめるパワフルなアートの祭典を創って行きたいと思います。
Rainbow Arts 9th Exhibition 2008
日時:2008年8月17日(日)〜8月23日(土)
10:00〜20:00(17日は16:00オープン、23日は17:00クローズ)
会場:全労済ホール スペース・ゼロ
住所:渋谷区代々木2-12-10
17日…16:00〜19:30 オープニングパーティー(軽食あり)
23日…13:00〜17:00 クロージングパーティー(軽食あり)13時より出展者によるパフォーミング・アートを上演予定)
■お問合せ先
Rainbow Arts 2008実行委員会
Rainbow Artsのサイト

ちょっと宣伝、読み切りマンガ(白熊系)描きました

Kanbatoutou 8月18日発売(とはいえ、もうショップやネット書店には並んでいる模様)の「肉体派 vol.10」に、白熊系(おじいちゃんネタってことです)読み切りマンガ描きました。タイトルは『汗馬疾々(かんばとうとう)』。
 このタイトルからもお判りかと思いますが、単行本「ウィルトゥース」収録の『雪原渺々』、「肉体派 vol.7」掲載の『長夜莫々』と、同じシリーズです。日露戦争当時の中国大陸を舞台にした、小此木中将と明石少佐のほのぼのエロ(笑)。「肉体派」さんの今号の特集が「制服」なので、編集さんのリクもありまして再々登板。
 今回、ちょっとだけチェンジ・オブ・ペースしまして、新キャラを一名投入。この新キャラ、いちおう名○智○さんのマンガに出てくるみたいな、美形ヨーロッパ貴族をイメージしたんですけど……ははは、玉砕したかも(笑)。
 左上画像でからもお判りのように、ボンデージ・シーンなんぞも入っています。とはいえ、基本路線は変わらずのラブい路線なので、このシリーズのファンの方はご安心あれ(笑)。相変わらずオジイチャンも可愛く描けたと思うし(笑)。
 というわけで、よろしかったらぜひお読みくださいませ。
肉体派 vol.10(amazon.co.jp)

古墳とか夕焼けとか

Hodota01
 保渡田古墳群を見に、群馬県の高崎へ行ってきました。
Hodota02
 火山の噴火で埋もれてしまった、五世紀の遺跡群です。
 古墳のある広々とした公園は、よく手入れされていて気持ちよいし、博物館も、小粒ながらしっかりと見応えあり。
 展示されている埴輪や、復元模型などが気に入ったので、売店で迷わず図録を購入。
Hodota03
 お天気も良く、満足満足。
Kusatsu01
 遺跡の後は、草津まで足を伸ばすことに。
 その途中、夕焼けがキレイだったので写真をパチパチ。仏画にでも出てきそうな茜雲。
Kusatsu02
 草津に着いたときは、もうすっかり夜に。
 宿も空いていなかったので、賽の河原の露天風呂に入って、帰ることにしました。

トルコ初の「ゲイの名誉殺人」の犠牲者

 個展をやったフランスのギャラリーArtMenParisのオーナー、オリヴィエ・セリから、彼の友人のトルコ人青年が、オープンリー・ゲイであったがゆえに殺されたことと、この事件を出来るだけ多くの人に伝えてくれというメールが来ました。
 事件のあらましは、The Independent(イギリス)のこの記事で読めます(英語)。
 見出しや本文に、gay honour killingとかhomosexual honour killingという言葉が出てきますが、このhonour killing (名誉殺人)とは、婚前交渉や浮気をしたり、あるいは強姦の被害者となった女性が、彼女の属する家や親族の「名誉を汚した」ものとして、その「汚された一族の名誉を回復するため」に、父親・夫・兄弟などの男性親族の手によって殺害されるという慣習を意味する言葉です。
 そして、今回殺された青年は、おそらくトルコで最初の「同性愛者であるがゆえの名誉殺人」の犠牲者なのではないか、という疑いが持たれているようです。
 イスタンブールにはゲイ・バーもありますし(行ったことはないですけど)、イスタンブール・ベアクラブなんていう組織(これはコンタクトを貰ったことがあります)もあります。記事によると、今年のイスタンブール・ゲイ・プライド・パレードは過去最大規模だったそうですし、ゲイの人権団体もある。
 しかし、当然それらに対する反発もあり、記事中にも、「彼は、トルコで現在発達しつつある人権意識と、古い慣習によるメンタリティの、戦いの犠牲者になった」といった談話が載っています。
 また、別の談話では、「彼は自分のセクシュアリティを隠すこともできた。しかし彼は、自分自身に正直でありたいと望んだ。殺害の脅迫が始まったとき、彼のボーイフレンドは、彼に国外に逃げるよう説得した。しかし彼は留まった。彼はとても勇敢で、とてもオープンだった」といった経緯を述べています。
 つまり、彼はハッテン場などで無差別にゲイを襲うといった、いわゆる「ホモ狩り」のような事件の犠牲者というわけではなく、オープンリー・ゲイであるがゆえに殺されたわけです。
 こうしったヘイト・クライムや、ましてやゲイが理由となった名誉殺人などは、日本で暮らしていると、あまりピンとこない話かもしれません。しかし、こうした「ゲイであるというだけで殺される」という悲劇が、世界のどこかで常に起こり続けていることも、また事実です。
 それを、自分たちとは関係ないことだと思うか、それとも同じゲイとして、こうした悲劇を何とか食い止めたいと願うのか。
 私個人としては、自分自身に正直であることを貫いた、このトルコの青年は、やはり尊敬に値すると思いました。

つれづれ

 アメリカ人から「日本はそろそろボン・フェスティバルなんだろ? ハッピー・ボン!」というメールが来ました。え〜、ハッピー・ボンって……(笑)。
 お盆ってのは、いわゆるフェスティバルとはちょっと違うんだよ、と説明しようと思ったんだけど、はて、じゃあどう説明したらいいかが判らない。祖先の霊が云々という意味では、ハロウィンに近いような気もするけれど、雰囲気はぜんぜん違うだろうし。
 だいたい、お盆ってのは、果たして「目出度い」ものなんだろうか? 個人的な感覚だと、お祝いをするようなものとは趣が異なるような気がするけど、「盆と正月が一度に来たような」なんて慣用句から考えると、やっぱ目出度いものなんだろうかとも思えるし。
 けっきょく、お盆というものの意味合いを、自分自身も正確に把握していないことが、改めて判ってしまいました(笑)。
 このメールに限らず、最近は外国とのやりとりが何かと多いです。
 ここ一ヶ月の間だけでも、イギリスとフランスからそれぞれ取材が一件ずつ、企画展に出品中のスペインのギャラリーとは、引き続き十月からの別展示に関する打ち合わせをあれこれ、来年に向けて、アメリカとオーストラリアの企画がそれぞれ一つずつ、まだ海のものとも山のものともつかない企画が、イタリアとスペインで一つずつ……ってな具合です。
 イギリスとフランスの取材は、どちらも日本のエロティック・コミックに関するもので、まあ自分のことやゲイマンガについては、何を聞かれてもそれなりにお答えできるんですが、何故か決まって、日本のHENTAIマンガやYAOIマンガについても、オピニオンを求められるのが困りもの。
 触手もののエロマンガとかフタナリとか、やおいやボーイズラブとかって、趣味的に楽しむことがあるだけで、ジャンル全般に関して意見や考えを述べるほどは、読み込んでもいないし知識もないしねぇ(笑)。
 ただまあ、こんな取材が続けて来ると、なるほど、確かにヨーロッパでは、日本のマンガがブームなんだなぁ、とは感じます。
 さて、外国ネタで続けますと、フランスとスペインから、ソード&サンダル映画の新しいDVDが、何枚か届きました。
Dvd_longride_es スペインから届いたのは、まず、スティーヴ・リーヴスの『地獄の一匹狼』”Vivo per la tua morte (A Long Ride from Hell)”。
 これは、ソード&サンダルではなくマカロニ・ウェスタンですが、これでアメリカ盤とヨーロッパ盤を合わせれば、リーヴスの主演作は全てDVD化されたことになります。パチパチ〜。
 まだ再生チェックをしただけで、中身をちゃんと見ていないので、映画の内容についてはコメント不能(笑)。IMDbによると、リーヴスは「刑務所で過酷な扱いに耐える」らしいので、ちょっとは責め場もあるのかな? あるといいなぁ(笑)。
 画質は、いささか退色気味ではあるものの、ディテールは良好。ビスタの非スクィーズ、レターボックス収録。音声はスペイン語とイタリア語で、残念ながら英語はなし。
Dvd_king_of_slaves それから、ゴードン・スコット主演の “L’Eroe di Babilonia (The Beast of Babylon Against the Son of Hercules a.k.a.Goliath, King of Slaves)”。
 これはおそらく、初DVD化かな? 米盤でも、他の欧盤でも見た記憶なし。
 これまた画質良好でスクィーズ収録。やはりイタリア語とスペイン語のみ。
 後半でダンジョンに入れられて、鎖と金属枷で岩壁に手足と首を繋がれ、延々と悶えるシーンが続くのが美味しい(笑)。責めとしては平手打ちくらいだけど、ちゃんと(何がだ?)上半身裸だし、ヒゲ付きです(笑)。パターンとしては、前に紹介したこれと同じなんだけど、こっちの方が尺が長く、撮り方もねちっこいので、なかなかそそられました(笑)。
Dvd_maciste_enfer フランスからは、まず、リッカルド・フレーダ監督、カーク・モリス主演の “Maciste all’inferno (The Witch’s Curse)” と、前にもここで紹介した、レジ・パーク主演の “Maciste nelle miniere di re Salomone (Samson in King Solomon’s Mines)” の、2 in 1ディスク。
 カーク・モリスのヤツは、ソード&サンダル meets ホラー映画の、まあ珍品に類する内容なんですが(笑)、マチステの地獄巡りのシーンに、ときどきドキッとさせられる妙な迫力があって、けっこうお気に入りの一本。米盤DVDがあるんですが、いかんせん画質がズタボロなのを残念に思っていたところ、この仏盤を発見。期待に違わず、傷なし、退色なしの、状態の良いマスターを、スクィーズ収録という、高品質DVDだったので大喜び。レジ・パークの方も同様ながら、これは既に持っているスペイン盤も高品質なので、さほど有り難みはなし。フランス語音声&字幕なしと、イタリア語音声+フランス語字幕が選択可能。
Dvd_giant_metropolis もう一枚、同じシリーズで、これまた前に何度か紹介している、ソード&サンダル meets SciFiのやはり珍作、ゴードン・ミッチェル主演の “Il Gigante di Metropolis (The Giant of Metropolis)” と、これまた、ソード&サンダル meets ホラー映画の珍作、レジ・パーク主演の『ヘラクレスの怪獣退治』”Ursus, il terrore dei kirghisi (Hercules, Prisoner of Evil)” の2 in 1。
 こちらも同様の高画質で、ゴードン・ミッチェルの方は、画質が悪かった米盤や、それよりいささかマシだった独盤と比較しても、フィルムの状態が遥かに美麗。レジ・パークの方は、おそらくDVD化は初だと思うんですが、やはり同様の品質。ただ、これはいかんせん、映画の内容そのものがヒドいのだ(笑)。私もおそらく、2 in 1じゃなかったら買っていなかったと思う(笑)。音声と字幕の作りは、前のと同じ。あと、双方に共通して、同系映画のオリジナル予告編(イタリア版もあればフランス版もあり)が、6本ほどオマケで入ってます。
 今回はお試し購入でしたが、この2 in 1シリーズ、他にもいろいろ出ているので、高品質に味をしめて、また幾つか買ってみる予定。他のラインナップに興味のある方は、メーカーのサイトへどうぞ。
 とりあえず、今回はうっかり見落としてしまっていた、スティーヴ・リーヴスの『怪傑白魔』は、すぐに買わなきゃ(笑)。高画質ノートリミングで、あのボンデージと鞭打ちシーンが見られるかと思うと、もうウキウキです(笑)。カップリングされている、ヒルデガルド・ネフ主演のエカテリーナの映画には、あんまりそそられないけど。裸のマッチョは期待できないし、監督もウンベルト・レンツィだし(笑)。
 フランスといえば、先日、レンタルで『ナルコ』というフランス映画を借りて、なかなか面白かったんですが、これに、こないだここで書いたばかりの、『ゴールドパピヨン』でベス役を演じていたザブー(ザブー・ブライトマン)が出ていたので、ちょっとビックリ。あれから20年も経ってるのに、面変わりはしていても、たいして老けてもいなかったなぁ。
 主演男優に影響されて、ちょいと自分も薄汚い長髪にしてみたくなりましたが(ゲイ受けは悪いけど、個人的にはトラッシュな感じの長髪って、けっこう好きなんですよね)、相棒に猛反対されて断念しました。……まぁね、私の面相と髪質じゃ、長髪は似合わないのは判ってるけどさ(笑)。でも、昔のヒッピーとか、昨今のルーザーとかホワイト・トラッシュのスタイルって、けっこう憧れてるんだよなぁ……(笑)。

奥津直道さんの個展

Okutu 奥津直道さんから個展のご案内をいただいたので、ご紹介。
奥津直道展
8月22日(金)〜8月30日(土)
12:00〜19:00(日曜18:00まで/最終日17:00まで)
柴田悦子画廊
〒104-0061 東京都中央区銀座1-5-1第3太陽ビル2F
03-3563-1660
 直道さんの作品については、以前の個展のときにちょっと書いてますので、よろしかったらご覧あれ。
 今回は、新作を中心に十数点の展示だそうです。皆様、どうぞお出かけくださいませ。

追悼、Greasetank

 アメリカの友人から、アーティストのグリースタンク(Greasetank)が、去る8月1日に亡くなったとの知らせを受けた。
 寝耳に水の驚きだった。
記事中にグリースタンクの作品を掲載していますが、中には残酷な内容も含まれているので、苦手な方は拡大画像を見ないように注意してください。
Greasetank01 2001年に、グリースタンクと私は、ウェブを通じて知己を得た。
 彼が私の作品に惹かれたのと同様に、私もまたすぐに彼の作品の熱烈なファンになった。
 我々はメールで互いの作品を称賛しあい、互いのサイトにリンクを貼った。それが縁で、彼の作品が「G-men」や「SM-Z」で紹介されたこともあるので、ご記憶の方もおられるかも知れない。
 残念ながら、彼のサイトは数年前に閉鎖されてしまったが、その後も我々は、頻繁ではないにせよ、互いにコンタクトを取り合っていた。今年の正月も、私は彼に恒例の年賀メールを送り、彼からも返信があった。亡くなった原因は心臓発作であり、今年の1月にもそれは起きていたそうである。
 しかし私は、彼のプライベートについては何も知らず、また、その訃報も、ネットのオンライン・グループ内で回ってきたものを、人づてに受け取っただけなので、彼の死については、具体的にはこれ以上のことは何も判らない。
Greasetank03 グリースタンクの作品は、セックスと暴力と殺人に満ちていた。それは暗く、残酷で、アモラルなものだったが、同時に恐ろしいほど美しかった。
 彼の作品は、ドローイングでもペインティングでも写真でもなく、Poserによる3DCGをメインに用いたものだが、数多いそういったアーティストたちの中でも、彼は作家の個性を明確に作品に刻印できる、紛れもなく最も優れたアーティストの一人だった。
 彼は、自分のイマジネーションを具体化する手段としてPoserを用い、出来上がった作品は、フォトリアルな3DCGに見られるような現実の模倣ではなく、3DCGによるフィギュア遊びの延長でもない。そこには、恐ろしいほど研ぎ澄まされた作家性だけが、技法の如何とは関係のない、極めて高いレベルで結晶している。
 その個性や作家性の高さは、禍々しくエクストリームな幻想を描くときでも、シンプルなポートレイトめいた作品を作ったときでも、決して揺るがず常に変わらない硬質な美しさに満ちていることからも明瞭である。
 3DCGやPoserといった手法の如何に関係なく、彼は間違いなく、21世紀に生きる比類ないゲイ・エロティック・アーティストの一人だった。
Greasetank04 今回の記事のために、手元にあった彼の作品を幾つかアップしてみたが、これはブログということもあり、彼の作品の中でも、特に大人しめでソフトなものを選んでいる。そのくらい、彼の作品はエクストリームだった。
 彼の作りだす世界は、荒々しく暴力に満ち、その中で、拷問、殺人、戦争、ナチス、差別、フリークスなどが、サドマゾヒズム的な視点で描かれている。そのファンタジーの過激さは、作品中にタブーではない要素を見つける方が難しいくらいである。彼の世界では、現実的なモラルやタブーは、その鮮烈な美学と強固な作家性の前に、脆くも吹き飛び踏みにじられるのだ。
 因みに、左上の青みを帯びた作品には、”Coming for you, fag!”というタイトルが付けられている。「てめェのために来てやったぜ、オカマ野郎!」といったとこだろうか。ヘテロのみならず、同じゲイにとってすら、彼の作品がいかに「神経を逆撫でする」か、これ一つでもお判りになるだろう。ここに描かれているのは、暴力と殺人の予兆でしかないが、その実これは、ヘイトクライムとポルノグラフィーの合体なのだ。
 しかし、そんな過激な内容でありながら、最終的に提示される作品群は、まるで透明な結晶のように静かで美しい。その硬質で凍り付いた世界は、さながら、ポール・デルヴォーの絵やアンナ・カヴァンの小説のようである。
Greasetank02_2 彼のモチーフの過激さは、彼の作品がオーバーグラウンドな場に出ることを、おそらく阻んだでいたと思われる。
 実際、敵や批判も多かったでようである。これは伝聞でしかないが、彼がサイトを閉じた直接の要因は、自らを「良識派」だと自認する者たちからの、攻撃があったせいだとも聞いている。
 もちろん、その作品はインターネット上だけではなく、幾つかの出版メディアなどにも紹介はされていたが、その作家性と作品性の高さから考えると、それらの露出は余りにも少なすぎるし、そして過小評価であったように思われる。
 正直なところ、このブログでもそうなのだが、タブーを避けて彼の作品を選び、紹介することは、まるで作品を「去勢」してしまうようなものである。こういった紹介の仕方では、残念ながら彼の作家性は、その実像と比べると、だいぶ矮小化してしまうだろう。
 今回、彼の訃報を届けてくれた友人も、「グリースタンクのアーティストとしての勇敢さは、本当に驚くべきものだった。しかし、君(田亀)と違って、彼にとって不幸だったのは、彼はついに、彼に正当な評価をくれる鑑賞者(注・ちょっとどう訳したものか悩んだんですが、参考までに原文では『”legitimate” audience』となっています)を得ることはできなかった。彼は、君がその美学と作家性ゆえに孤独であるように、それ以上に孤独な存在だった」と書いている。
 そんなグリースタンクが亡くなってしまった。
 私は、彼については、その作品と、取り交わしたメールを知るのみで、彼がどんな容姿であるかすら知らない。実のところ、今回の訃報で初めて彼の年齢を知り、それが作風から想像していたよりもずっと上だったので、驚いたほどだった。
 顔も知らない人の死を悲しむのは、いささか奇妙なようでもある。
 それでも私は、とても悲しい。
 心から、その才能を惜しみ、その死を悼む。
 享年59歳だったそうである。
 一つ余談。
 閉鎖された彼のサイトでは、彼自身の作品だけではなく、彼同様に、作品をオーバーグラウンドで発表するには、余りにも過激であったり、タブー的な要素が多すぎるような、そんなアンダーグラウンドなゲイ・エロティック・アーティストたちが、世界中から集って絵や小説を発表していた。
 巧拙は別にしても、その、アートとしての純粋さとパワフルさを持ち合わせ、エロティック・アートの真髄を見るような、そんな魅力的で個性的な作家たちの数は、総計60人以上にも及んでいた。
 しかし、現在はそれらを見ることができず、作家たちの消息も、残念ながら殆どが不明である。

最近お気に入りのCD

Cd_tcherepnin_pc1「チェレプニン:ピアノ協奏曲第1番, 第3番/祝祭音楽/交響的行進曲」アレクサンドル・チェレプニン
 チェレプニンという作曲家については、チェレプニン賞という名前や、伊福部昭や早坂文雄のお師匠さんだということくらいしか知らなかったんですが、CD屋の試聴機で本盤を聴いてみたところ、一曲目の「ピアノ協奏曲第1番」の冒頭だけで、もう虜になっちゃいました。
 民俗楽派を思わせるエキゾチックで力強い、ストリングスによる導入部が、もうムチャクチャかっこ良くてツボを押されまくり。そしてピアノが華麗に登場し、曲は時にゆったり、時にグイグイとドラマチックに展開していきます。ちょっとリムスキー=コルサコフみたいだな〜、なんて感じもあり、メロディも良く、久々の大当たり。
「第三番」の方は、もう少しコンテンポラリー寄りで渋め。「祝祭音楽」は、その二つの中間といった味わい。「交響的行進曲」は、再び明快でダイナミックでかっこ良い。
 とゆーわけですっかり気に入ったので、これから他の作品も聴いてみることにします。
「ピアノ協奏曲1番、他」アレクサンドル・チェレプニン (amazon.co.jp)

Cd_thomson_plow_that_broke「大草原を耕す鋤/河」ヴァージル・トムソン
 これは全く知らなかったんですが、アメリカ近代の作曲家で、この二つはそれぞれ1930年代に制作されたドキュメンタリー映画用に書かれたスコアだそうな。確かにアメリカの農村風景を連想させるような、壮大でありながら、どこかフォークロリックな素朴さも感じさせるオーケストラ曲。
 二曲とも、フォスターを思わせるような優しいメロディーや、民謡や賛美歌から引用された懐かしげな主題が、優美に、ユーモラスに展開していく様は、何とも楽しくて愛らしい。近代アメリカらしく、ブルーズの要素なんかも入っていて、そこだけ聴くとムード歌謡みたいな味わいもあったり(笑)。
 たまに、恣意的に使用されている現代風の和声が、かえってメロディーの素朴な美しさの邪魔になっていたりもしますが、全般的には、これまたかなり好みの曲調でした。
 因みに米ウィキペディアによると、このトムソン氏、ゲイだったらしいです。
「大平原を耕す鋤/河」ヴァージル・トムソン (amazon.co.jp)

Cd_asian_roots_takedake「エイジアン・ルーツ」竹竹 with ネプチューン
 アメリカ人尺八奏者のジョン・海山・ネプチューンが、竹のマリンバ、竹のパーカションなど、竹製の楽器だけのアンサンブルを率いて演奏しているアルバム。ジャズ&ワールド・ミュージック風味のニューエイジって感じ。楽器は違いますが、雰囲気的にはフェビアン・レザ・パネみたいな感じもある。
 柔らかくて、どこか懐かしい感じのする竹製楽器の奏でる音は、それだけでも魅力的。純邦楽やインドネシア音楽がジャズ風にまったり混じり合っていく様は、なんとも自然で穏やか。自然すぎて、ミクスチャー音楽的なスリリングさには欠けるなぁ、なんて贅沢を言いたくなるくらい(笑)。とにかく気持ちの良い音楽。
 夏の夕暮れに、まったり楽しむにはうってつけでした。ホクホク(笑)。
「エイジアン・ルーツ」竹竹 with ネプチューン (amazon.co.jp)

Cd_il_terrore_dei_barbari「鉄腕ゴライアス 蛮族の恐怖(サントラ)」カルロ・イノセンツィ
 これまでも何度か紹介してきた、DIGIT MOVIESから出ているイタリアン・ペプラム映画・アンソロジー・シリーズ第九弾は、あの「鉄腕ゴライアス」が登場。う〜ん、このBlogでこの映画を取り上げるのは、これでもう何回目だろう(笑)。
 この映画、アメリカ公開時には音楽をレス・バクスターのものに差し替えられていて、おそらく私がヴィデオやDVDで親しんでいたのもそっちだと思うんですけど、今回のCDは、差し替え前のカルロ・イノセンツィによるものを発掘、復刻したもの。
 とはいえ、この映画の音楽で一番印象に残るテーマ曲は、私が覚えているものとメロディーも同じで、唯一違うのは、映画で入っていた男声コーラスの有無くらい。全体的には、正統派史劇映画の劇伴といった感じで、なかなか堂々とした味わい。戦闘シーンはブラスと打楽器でダイナミックに、ヒロイン関係は流れるようなストリングスでロマンティックかつエキゾチックに聴かせてくれます。
 ただまあ、レス・バクスターが大好きな私としては、できればそっちの方も復刻して欲しいな〜、というのは正直なところ。
 インナー・スリーブには、例によって各国版のポスターやロビーカート、スチル写真などの画像が載ってます。個人的には、ポスターだとこれが好きだなぁ、やっぱ(笑)。
「鉄腕ゴライアス 蛮族の恐怖(O.S.T.)」カルロ・イノセンツィ (amazon.co.jp)