
銀座のヴァニラ画廊にて、奥津直道さんの個展「咲奔〜SAKIBASHIRI」が、12月16日まで開催中です。
直道さんが日本画的な画面構成で描く、時に生々しく時に幻想的な裸の男たちは、その装飾性とシンプルさの絶妙のバランスや、エロスと品格を併せ持つ香気で、常に私を魅了します。
また、私自身が彼の作品のファンだということもあるのですが、個人的に、若手作家の中での最注目株の中のお一人だと、勝手に考えていたりもします。
既に直道さんのファンだという方も、まだ見たことがないという方も、良い機会なので、ぜひ一度足をお運びになっては?
まんまる
“L’IMAGINAIRE EROTIQUE AU JAPON”

去年取材を受けたフランスの女性ジャーナリスト、アニエス・ジアール (Agnes Giard) が、彼女が書いた本 "L’IMAGINAIRE EROTIQUE AU JAPON" (Albin Michel/ ISBN 2-226-16676-9 / 35,00 EURO) を送ってくれました。
お会いしたときには「今年の暮れに出る予定」と言っていたのに、いっこうに音沙汰がなかったもので、はてどうしたんだろうと思っていましたが、約一年遅れで発売されたってわけですな。まあ、私も『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』が大幅に遅れてしまった前科があるので、人のことは言えません(笑)。
実に立派な本で、造本はセミ・ハードカバー(っつーのかな?)、サイズはB5程度ある大判、本文は330ページ以上で、厚味も3センチくらいあります。例によって、フランス語はさっぱりわややなので、残念ながら読むことはできませんが、全ページフルカラーで、テキストも図版もタップリ。
日本のエロティック文化全般を論じた本らしく、収録されているアーティストは、表紙を飾る山本タカトさんを始め、横尾忠則さん、村上隆さん、会田誠さん、林良文さん、佐伯俊男さん、吉田光彦さん、室井亜砂二さん、丸尾末広さん、駕籠新太郎さん、今泉ゴッホさん……などなど。
私の作品は、"LA CRISE DE LA MASCULINITE"(え〜、これは「男らしさの危機」って意味?)という章の扉を含め、5点ほど1ページ大で使っていただきました。また、嬉しいことに、"GENGOROH TAGAME ET LE FANTASME DU SURMALE" と題された、独立した一章もあり。
でも何よりも嬉しかったのは、この本には昔の浮世絵とかも載っていまして、「自分の作品が、尊敬する月岡芳年と同じ本に載っている!」ってこと。いやもう、クラクラするくらい嬉しいです、マジで。
あ、エロティック・アート以外にも、コスプレ・メイド・ヤマンバ・ラバー・全身タイツ・女王様・やおい・フィギュア・ドール・エロゲー……などなど、実に盛り沢山の内容です。
著者のアニエスとは、去年の四月に東京で会ったんですが、そのときの待ち合わせ場所が新宿二丁目の cocoro cafeでした。「待ち合わせにココロカフェを指定するガイジン? ナニモノだい、そりゃ?」と、驚いたもんです(笑)。
取材は通訳さんも同席で、日本語とフランス語と英語のチャンポンだったんですが、なにしろ私の英語なんてアヤシイコトコノウエナイので、果たしてちゃんと意志が通じていたか、実は今でもちょっと不安だったりする(笑)。本で内容を確認しようにも、フランス語だから読めないし(笑)。
で、そのときに私に関する質問の他にも、アニエスは「フンドシ大好き!」とのことで、褌についても根掘り葉掘り聞かれたんですが、本に載ってる "Les Fundoshi de Gengoroh" っつーコラムは、多分そのときの話が元なんだろうなぁ(笑)。私は文化人類学者でも服飾史の専門家でもないんで、あんまりヘンなコト書いてなきゃいいんだけど、ま、それとは別に "FUNDOSHI : LE DERNIER BASTON DE LA VIRLITE" という独立した一章もあるんで、多分大丈夫でしょう(笑)。
それにしてもアニエス嬢、本当に褌がお好きだとみえて、掲載された私の作品も、彼女がセレクトしたんですが、ぜ〜んぶ褌もの(笑)。
で、取材の後に cocoro cafe の表で写真を撮られまして、そのときの写真が本の巻末のアペンディックスに使われているんですが、これがどーにも顔がマンマルでパンパンに膨れて見える。で、思わず相棒に「この写真、何かすっごく太って見えない?」と愚痴ったら、「だってお前は太ってるだろ?」とゆー、心ない返事が(笑)。
まあ、洋書なんで「買ってね」とは言いづらいですが、前述のようにとっても立派で、しかもキレイな本なので、知り合いに見せたら「この本、欲しい!」という人が、けっこう何人もいました。
とゆーことで、興味のある方やご購入を検討される方がいらっしゃいましたら、amazon.fr あたりで探してみてください。
シンポジウム「これからの多様な性&家族&ライフ・スタイル」のご案内
及川健二さんから、今週末に神田で開催されるシンポジウムのご案内をいただいたので、ご紹介します。性のあり方と個々の生き方について、この機会にマジメに考察してみるのも、またよろしいかと。
あ、私が出るわけじゃないので、そこはお間違えのなきように(笑)。
国際エイズ月間、特別企画
シンポジウム「これからの多様な性&家族&ライフ・スタイル」
日時:12月9日(土)17時
場所:アテネ・フランセ21教室(2F)
千代田区神田駿河台2-11(最寄り駅・御茶の水)
講師:宮台真司(社会学者、首都大学準教授)
及川健二(『沸騰するフランス』、『ゲイ@パリ』著者)
大河原雅子(前都議会議員、民主党・参院選候補者)
赤杉康伸(東京メトロポリタン ゲイフォーラム共同代表)
石坂わたる(東京メトロポリタン ゲイフォーラム共同代表)
定員:70名
会費:500円(おつりのないように御願いします)
事前申し込み必要
電話:03−3291−3391(アテネ・フランセ事務所)
メール:info@athenee.jp
【内容】
新世紀に入り、性・家族・生き方が多様化している。「多くの人が幸せになれる」成熟した社会になるにはどうすればいいのか?
フランスに2年在住し、『沸騰するフランス』(花伝社)や『ゲイ@パリ』(長崎出版)を上梓し、フランスの政治・同性愛事情に詳しい及川健二氏と、「性の自己決定権」を提唱する社会学者・宮台真司氏、都議会議員(『生活者ネットワーク』所属)を3期務め来年の参院選に民主党・公認で東京選挙区から出馬予定の大河原雅子さん、同性カップルの赤杉康伸氏&石坂わたる氏が既存の『結婚』という価値観にとらわれない新しいライフ・スタイルの可能性、ジェンダー・フリー、同性愛について熱く議論する。
トランスジェンダーの上川あや世田谷区議の特別報告あり。
イベント無事終了
昨日のイベント、無事終了しました。……って、十二時過ぎちゃったから、もう一昨日か(笑)。
まずは、簡単な御報告をば。
第一部の原画展は、会場5分前に最初の来客があり、以降途切れることなく、第二部スタートの夕刻が近付くにつれ、客足も増えていきました。
第二部のトークショーは、予約段階で既に満席。キャンセルが幾つか出たこのと、会場の席をちょっと増やしたことで、当日飛び込みも受け付けることができました。トークを始める前、村上さんと軽く打ち合わせをしたんですが、その段階でついつい話に熱が入ってしまい、側にいたポットの沢辺社長から「ちょっと待った、続きは会場で!」と、ストップが入るという一幕も(笑)。
なお、トークショーの模様は、村上隆さんがレギュラーで持っておられるラジオ番組で、紹介していただけるようで、終了後の控え室で、それ用の追補トークも幾つか収録しました。詳細はこちら。
第三部のフィルム上映も、三本ともほぼ満席。雨も降ってきたことだし、遅い時間は人出が少なくなるのではないかと思っていたんですが、会場をお借りしたアップリンクの方からも「この時間帯で、これだけ入るのはすごい」とのお言葉が出る盛況振りでした。
そうそう、前説のときに言い忘れましたが、米盤DVDが出ていると言った『巨根伝説・美しき謎』ですが、「欲しい!」という酔狂な方(笑)のご参考までに、英題は “Beautiful Mystery” です。amazon.comで入手可能。
ご来場くださった皆様、ありがとうございました。
それと、ポットさんとアップリンクさん、そして、実はこの原画展の最大の功労者である城平ちゃんに、大感謝。皆さんが「良い内容にしよう!」と、常に前向きで頑張ってくださったので、私にとっても特別に記憶に残るような、良い一日になりました。
以下は、プライベートな雑感。
私の知人友人関係では、古くは大学時代の友人や会社員時代のOL仲間から、ゲイ雑誌関係者、画業の先輩諸氏、そして近年お付き合いのある一般誌の編集者の方々まで……といった具合に、「二十年間の交友関係総まくり!」といった感じの面子と一日のうちにで会うことができて、何だか感慨深いものがありました。でも、その属性ごとで私の呼び方が違うのが、何だか面白かったなぁ(笑)。
今回初めてお会いした方々もいろいろでして、一番濃かったのは、どのグループだろう、やっぱ「女王様&ゲイ雑誌&ゲイビデオ&ショタアニメ」の、あのグループかな(笑)。
また、来年になりますが、アジアのゲイ映画にテーマを絞ったという映画祭なんて企画もあるそうな。
セクシュアリティやジェンダーの研究をなさっている若い方々が、お二方ほどいらしたのも、今後のゲイ文化の発展を考えると頼もしい限り。
研究といえば、とてもアカデミック方面の三島研究の方が、『愛の処刑』をご覧にいらしていて、いやいや、別に自分が制作に関与した映画でもないのに、お見せするのに何だか緊張しちゃいました(笑)。
そうそう、本の中で「これは本当に天堂寺慎の絵か?」とペンディングにしていた作品が、当時の雑誌『裏窓』の編集をなさっていた方から、「間違いないです」と御確認いただけたのは、大きな収穫でした。ご紹介くださった風俗資料館の女史とは、船山三四の消息を未だ掴めないでいることを、互いに嘆きあったり。
そんなこんなで、終了後の深夜に帰宅して思ったのは、「疲れた」ではなく、「面白かった」「やって良かった」。一時期は開催を断念しかけた原画展なだけに、成功した嬉しさも倍増です。
明日は原画展&イベント
さて、明日はいよいよ日本のゲイ・エロティック・アートvol.2 発刊イベント〜原画展+トークショー+フィルム上映〜です。
……今さらながら、ちょいと緊張してきました(笑)。
私は原画展スタートから最後のフィルム上映まで、終日会場に詰めておりますので、御用の方はお気軽にお声をお掛けくださいませ。姿が見えない、どの人だか判らないなんて場合も、これまたお気軽にスタッフにお問い合わせを。
では皆様、渋谷でお会いしましょう。
さて、朝から会場の設営があるから、今日は早寝しなくては(笑)。
AnimeStudio II とかアニメーションとか

先日のFLASHのハナシに引き続き、趣味でシコシコ作ってみたアニメーションの話なんぞを。
今年の春頃、大きな仕事が一段落したときに、ふと「そういえば、Painterのムービー機能って、一度も使ったことがないなぁ」と思い、ちょいと何か作ってみようかと思ったのが最初のきっかけ。思い立ったが吉日で、幸い時間もあるし、さっそくPainterのマニュアル片手に作業を開始。
前にも書いたように、切り絵風なら比較的手早くできそうだったので、レイヤーをセル代わりに使って制作開始。しかし、Painterのムービー機能はけっこう制限が多く、動きの仕上がりをテストしたりとか、一度作ってからタイムラインを遡って修正したりとか、そういった細かな調整ができない。
そんなこんなで、頑張って全体の3/4くらいまでは作ったものの、そこで挫折しちゃいました。
で、何かアニメーション制作に特化した手頃なものがないかと、探して行き当たったのがぜんまいハウスの AnimeStudio というソフト。これを使えば、やってみたいことは一通りできそうだったので、思い切って購入してみました。
このAnimeStudioは、パソコン上でセル・アニメーションを制作するためのソフトで、ワークフローも一般的なセル・アニメーションの手順に準拠しています。つまり、動画用のセルを用意して、それをタップにセットし、カメラで撮影するという概念。
単純な歩行アニメーションを例にとると、まずPhotoshopのレイヤーを使って、歩行の動作に必要な枚数の画像を用意して、それをAnimeStudioにセルとして読み込む。で、タイムラインに沿って、一つのタップ上に各々のセルの表示順番を割り振れば、同一地点で動き続ける基本的な歩行モーションになる。で、その歩行モーションを、セルをセットしたタップごと左に動かせば、キャラクターが画面右から左へ歩行する……ってなわけです。
後はこの応用で、セルやタップやカメラを必要なだけ追加して、それぞれ目的に従った別々のモーションを振り分けていけばよろしい。セル・アニメーションの概念を把握していれば、ソフトの機能の把握や操作自体は、かなり簡単で馴染みやすい。また、マルチ撮影みたいにフォーカスを外したり、透過光合成なんかもできるし、乗算やスクリーンなどPhotoshopでお馴染みの合成モードもあります。
また、ムービーファイルを読み込むことも可能なので、単純なセル・アニメーションだけではなく、例えば実写のムービー上にキャラクターを合成して動かすなんてこともできます。インポートやエクスポートも、標準的なフォーマットはカバーしているし、別アプリケーションへのデータの受け渡しも問題なし。因みに私の場合、iMovieでは合成機能が足りない場合、FinalCutを購入するかわりにAnimeStudioを使ったりしてます(笑)。
このソフト、かなり気に入りました。
ぜんまいハウス AnimeStudio(amazon.co.jp)
そして、中断していたアニメーション制作を、AnimeStudioを使って再開、残りの1/4を仕上げました。あと、Painterで作ったものの、イマイチ納得がいかなかったカットを、AnimeStudioで手直ししたり作り直したり。
そんなこんなで、できあがったアニメーションがこれ。
QuickTime版
WindowsMedia版
長さは5分54秒、秒5コマ(笑)くらいの、パタパタ切り絵アニメーション。
QuickTimeはバージョン7。WindowsMedia版は、それ用のデータを作るのは初めてで、しかもWindowsマシンがなくて動作確認ができないので、もし上手く再生できなかったらゴメンナサイ。
ところで、最近になって、アメリカで同じAnime Studioという名前のソフトがあることを知りました。
もとは「モーホ」とかゆーちょっとイヤな(笑)名前のフリーソフトらしいんですが、これが2Dにボーンを仕込んで動かせるらしく、「あらやだ、じゃあ切り絵アニメにはうってつけ?」と興味シンシン。
リリース元は米 e frontier なんだけど、イーフロから日本語版も出るのかなぁ?
“Hellbent”

“Hellbent” (2004) Paul Etheredge-Ouzts
前に『ザ・ヒル』っつーC級以下のホラー映画(笑)を紹介したとき、「やだ、ひょっとして野郎版ジャーロ? 憧れの野郎系スラッシャー?」なんてことを書きましたが、いや、あるもんですね、世の中にはそんな映画が。
っつーわけで、「そんな映画」の “Hellbent” をご紹介。
と言ってもこれは、2004年制作のアメリカ映画なので、もちろんジャーロ映画であるわけもなく、今どきのスラッシャー映画です。
ただ、ちょっと面白いのは、スラッシャー映画であると同時に、ゲイ映画でもあるんですな。それも、サイコ系映画でありがちな犯人がゲイだとか、あるいは殺されるのがゲイばっかりだとか、そーゆーレベルではなく、ゲイ・コミュニティの中での出来事を描いた、ゲイしか出てこない映画。
つまり、スラッシャー映画とゲイ映画という、二つのジャンル・フィクションが合体した映画、というわけ。
物語の舞台はウェスト・ハリウッド、ハロウィンの前夜から始まります。
深夜の公園でハッテンして、カーセックスの真っ最中のゲイのカップルが、悪魔のマスクを被った上半身裸のマッチョ男に、鎌のような刃物で首チョンパされて殺されてしまう。
翌日、警察でバイトをしている主人公エディ(健全にニコニコしている好青年で、万人受けしそうなタイプの、ノンケさんの世界で例えると、ヒロインタイプのカワイコチャン系ゲイ)は、署長さんだか誰だかから、この事件に関するチラシを、ゲイ・コミュニティ内のショップとかに配ってくれと頼まれる。
余談ですが、この段階でエディが、ノンケ社会で問題なく暮らしている、カムアウト済みのオープンリー・ゲイだってのが判ります。
で、実はエディは、自分も警察官になりたかったんだけど、ある理由でなれなかった、警察マニアのゲイなので、ハロウィンだし、警察のビラ配りの仕事という大義名分も得たので、趣味の警官コスプレの恰好で、嬉々として街にくりだす。で、ビラを置かせて貰いに行ったタトゥー・スタジオで、ちょいワル系のジェイクに出会って一目惚れ。
ビラ配りのバイトを終えたエディは、ハロウィンのパーティーに行くために、友達と待ち合わせ。その顔ぶれは、フェロモンムンムンのラテン系バイセク男で、レザーのカウボーイ・スタイルに身を固めたチャズ、ルックスはナード系なのに、似合いもしないハードゲイ系のコスプレをしてしまったジョーイ、素材はマッチョな大男だけど、ゴージャスなドラァグ・クイーンに化けたトーベィ。
仲良しゲイの四人組は、車でパーティー会場に向かう途中、よせばいいのに例の殺人があった公園に寄り道する。で、肝試し気分なのか「ここで昨夜、生首切断殺人が起きたんだぜ〜」なんてぬかしながら、ツレションしてるところに、例の殺人鬼に出くわしてしまう。彼らはそれを、ハッテン中のお仲間だと勘違いして、からかったりするのだが、男の手に鎌が握られているのを見て、ちょいとヤバそうだと退散する。
パーティー会場に着いた四人は、屋台を冷やかしたり、バンドのライブを見に行ったり、バーで飲んだり、クラブで踊ったり、男を引っかけたりと、ハロウィンの夜を楽しむ。エディはタトゥー・スタジオで一目惚れしたジェイクに再会するし、モテないナード系のジョーイにも、何とジョックス系のボーイフレンドができそうな気配が。
しかし、そんな楽しい四人組の側には、例の悪魔マスクの殺人鬼が影のようにつきまとっていて、やがて一人一人、生首狩りの餌食になっていく……ってなオハナシです。
ストーリーからもお判りのように、基本的な構造は「乱痴気騒ぎをする馬鹿な若者たちが、次々と連続殺人鬼の犠牲になっていく」という、『13日の金曜日』あたりから続くスラッシャー映画のパターンを踏襲しています。で、その合間合間を、現代アメリカのゲイ・コミュニティーの風俗描写で繋いでいく。
で、このふたつの要素が絡み合っていく。どんな具合かと言うと、まず冒頭で殺人をツカミに置き、その後はゲイ的な小ネタやディテール描写で各々のキャラクターを立てていき、こっちもだんだんキャラに感情移入してきて、同じゲイとしてゲイ映画的にハッピーな気分になりかけたとき、その頃合いを見計らって殺人シーンでそんな感傷をブッタ切るっつー、かなり邪悪な(笑)構成。これはなかなかのもので、ここまでは文句なしに面白かった。
また、二種類のジャンル・フィクションの合体という点では、ある種のスラッシャー映画において、被害者の死が「アモラルな若者への罰」のような解釈が可能なように、この映画でも、四人組が殺されていくのは「年長のゲイに対する無神経な言動への罰」としても解釈できるのが面白いですね。
もう一つ、ジャーロ系の要素とゲイ映画の合体という意味で、女装系には見向きもしなかった殺人鬼が、彼がカツラを取って「ホラ、男としてもイケてるでしょ?」と自分をアピールしたとたん、毒牙にかかってしまうってのが、ジャンル・フィクションの構造自体に対するパロディのようで面白かったなぁ。
スラッシャー映画としては、殺しが鎌で生首チョンパという派手な手口さだし、シーンの描写も、サスペンスとショッカーを織り交ぜた見せ方で、これまたなかなか悪くない。グロ描写自体は控えめですが、首を刈り取られた死体とか、低予算だろうに特殊効果は頑張っている。
レンタルビデオ屋の棚に並ぶ、大量の安〜いホラーと比べても、かなりマトモな部類。見ていて、下手でウンザリするってなことは、決してありません。
ゲイ映画としては、恋愛の奥深さとかエロなセックスとかはないですが、散りばめられたゲイ的な小ネタは、それなりにけっこう楽しい。
個人的にウケちゃったのは、犯人はどんなヤツなんだろうと四人組が話しているときに出てくる、「きっと、年寄りのゲイがあたしたちみたいなのに嫉妬して、クローゼットから出てきたのよ!」っつーセリフ。じっさい、自分の「秘密」がバレることを恐れるクローゼット・ゲイが、職場でカムアウトしているオープンリー・ゲイにホモフォビックな嫌がらせをしたり、あるいは、ゲイ・パレードのような「公の」ゲイたちに対して、批判的な言動をとることはあるので、こういったセリフもまんざら冗談では済まされない点がある。
その反面、オープンリー・ゲイである若い四人組が、年輩のクローゼット・ゲイに対して、明らかに侮蔑的であるとか、ジョックス軍団(つまりモテ筋の体育会ゲイ)はナードなジョーイを馬鹿にするとかいった具合に、ゲイ・コミュニティーを「明るく楽しいパラダイス」としてだけ賛美するのではなく、その内に存在する「ゲイがゲイを見下す」差別的なヒエラルキーも、きちんと描写するという、視点のニュートラルさも好ましい。
そんな具合で、前半はかなりノリノリで見られたんですが、いざ四人組が一人ずつ殺されていく後半になると、ちょいとダレてくるのは残念。
と言うのも、この四人組はそれぞれ別行動中に襲われるので、誰かが殺されても、他の連中にはそれが判らない状況なのだ。だから、登場人物たちにとって、死は「不意に唐突に訪れる」だけで、「自分たちが何者かに狙われている」「次に殺されるのは誰だ?」「生き延びるにはどうしたらいい?」といった、サスペンス的な要素が全くない。しかも、無作為な無差別殺人ではないので、ショッカー・シーンも増やせない。
これを、主人公エディとその相手ジェイクのロマンスや、その他諸々のゲイ映画的な小ネタだけで繋いでいくのは、いかにも苦しく、どうしても後半は間延びした印象になってしまう。物語としては、エディが警察官になれなかった理由とかの伏線もあるし、個々の描写が面白い部分も多々あるんですが、やはり軸が弱い。総合的には、スラッシャー映画としてもゲイ映画としても、ちょいと中途半端の虻蜂取らずになってしまったのが惜しいです。
冒頭で、エディが警察のデータベースから、自分のタイプの犯罪者の写真をプリントアウトしてたりするので、ひょっとしてこれは、ナルシズムやサドマゾヒズム的な要素を含めた展開への伏線か、なんて期待もしたんですけどね。単なる小ネタでしかなかった。スラッシャー映画には、映画を見ることによって、観客が殺人行為を、加害者的あるいは被害者的に疑似体験するとか、時に現実的なモラルが逆転して、殺人鬼が観客にとってのヒーローになる(ジェイソンだのフレディだの……ね)といった、ねじくれたサドマゾヒズム的な要素があるんで、そこいらへんに絡めてくれたら面白かったのに。
役者さんは、それぞれキャラも立っていて、全体的に好印象。
私の一番のお気に入りは、ラテン系のチャズ(この子)なんですけど、殺され方も一番凝っていたから嬉しい(笑)。この映画では全体的に、殺しはズバッと一発で終わる感じなんですが、この子だけ、ちょっとジワジワ嬲り殺し的な要素があるし……って、こんなことで喜んで、自分のセクシュアリティが、前述のねじくれたサドマゾヒズムそのものだと、カムアウトしてどうする(笑)。
殺人鬼の方も、こんな感じでなかなかカッコいい。アスペクト比の狂いか、リンク先の写真はちょいと細身に見えますけど、実際はもっとゴッツイです。
こういったキャラを使って、内容がもっとヘンタイ的だったら良かったのに(笑)。あ、でも、映画前半タトゥー・スタジオのシーンで、血の滴が裸の背中を伝って、ジーンズの隙間に入りそうになる寸前、それを彫り師が手袋で拭う……ってのは、フェチ的にゾクッときました(笑)。
あと、私事ではありますが、パーティー会場で Nick Name というゲイのパンク歌手がゲスト出演しているんですが、私、以前この方からファンメールをいただいたことがありまして。パフォーマンスを拝見するのはこの映画が初めてなんですが、超マッチョ二人を従えた、シアトリカルなスラッシャー風パフォーマンスで、ちょいと面白かったです。
DVDは米盤、リージョン1、ビスタのスクィーズ収録。
日本盤は出てませんけど、おそらく出る可能性もないでしょうなぁ。ビデオ撮りとはいえ、こういった映画が商品として成立しうる、アメリカのゲイ・マーケットの大きさは、やはり今さらながらうらやましい。
佳品どまりではありますが、決して悪くはない映画です。少なくとも、『ザ・ヒル』よりゃ百倍マトモよ(笑)。
“Hellbent” DVD (amazon.com)
『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』刊行記念イベント、明日から予約受付開始です

先日ここでお知らせした、『日本のゲイ・エロティック・アート vol.2』発売記念・原画展&トークショー&フィルム上映イベントですが、有料&定員制のトークショーとフィルム上映の予約が、明日11:00から受付開始します。
タイム・スケジュール等、イベントの詳細、および予約はポット出版の該当ページからどうぞ。
会場およびプログラムの詳細については、アップリンク・ファクトリーの該当ページもご参照ください。
トークショーに関しては、前回お知らせした通りです。
ただ、フィルム上映は、当初は日本のものを一本と、アメリカのゲイ・ポルノ映画も一本上映したいと思っていたのですが、やはり洋モノは、局部描写等セクシャルな描写に関して難しい問題があり、残念ながら断念せざるをえませんでした。
できればこの機会に、私が個人的に敬愛している、アメリカ・ゲイ・ポルノ映画の伝説的カルト監督、Joe Gageの作品を、どれか一本紹介したかったんですけどね。個人的には、初期三部作の中の一本で、アメリカン・ニュー・シネマ系のロードムービー的な魅力もある、”El Paso Wrecking Corp” (1977) を候補として考えていました。
モザイクを入れての上映という案もあったのですが、Joe Gageの作品は、とにかく「性行為をいかにエロティックにフィルムに定着させるか」に徹しているので、修正を入れてしまうと、ナニガナンダカワカンナイ部分が殆どになってしまうことと、同時に作品的な真価が全く伝わらなくなってしまうだろうということで、涙をのんであきらめた次第です。リスクも大きいしね。
エロティック・アート関係に係わっていると、とにかくこの性器の露出やら性行為の直接描写といった、日本の法律の壁にブチ当たります。いいかげん、ウンザリ。
しかし、そのかわりといってはなんですが、上映する日本製ゲイ・ポルノ映画(二本に増えました)に関しては、なかなか面白い充実したラインナップになりました。
まずは小手調べ、『巨根伝説・美しき謎』(1983)監督:中村幻児。
俗に「薔薇族映画」の呼称で知られる、上野や梅田の専門映画館で上映されているゲイ・ピンク映画の、黎明期に制作された力作かつ怪作です。
三島由紀夫の自決事件や「楯の会」をパロディにした内容なんですが、黎明期ということもあってスタッフにゲイが一人もいないのか、「ノンケさんが考えた勘違いゲイ描写」が、全編に渡って炸裂。バック掘られながらオネエ言葉で熱演する大杉蓮さんとか、紙吹雪舞い散る中で集団切腹ごっこする褌男たちとか、見どころ(ツッコミどころとも言うが)いっぱい! ……とはいえ、ロッテルダム国際映画祭正式招聘作品でもあるんですけど(笑)。
ゲイでもヘテロでも楽しめますが、キワモノ好きの方には特にオススメしたい逸品。目くじらたてずに、ツッコミ入れながら明るく楽しく鑑賞しましょう。
もう一本は真打ち、『愛の処刑』(1983)監督:野上正義。
これも「薔薇族映画」の一本ですが、こっちは実際に伊藤文學先生のお名前も制作クレジットに入っています。
内容は、もう知る人ぞ知る……って感じですが、ゲイ雑誌誕生前夜、同好の士に向けて出されていた同性愛者向け会員誌に発表された、某文豪の匿名による作と伝わる、同性愛と切腹を描いた、日本のゲイ史上に残る伝説的地下文学の完全映画化。内容的には、取り組んだ原作が巨大過ぎるがゆえに、頑張っている部分もあり、力及ばずの部分もあり、といった感じですが、往年の日本映画を彷彿とさせる雰囲気自体は、決して悪くないです。
諸般の事情から、めったに見る機会がない幻の映画なので、ヘテロもゲイも関係なく、とにかく「この映画を見る」ということ自体が貴重な体験になると思います。また、日本のゲイ文化史を俯瞰するにあたって、日本でもかつては即物的なゲイAVだけではなく、こういったフィルムが制作されていたこともあったのだという、そんな時代的な意義も体感できると思います。
あ、もちろん前座の『Desert Dungeon』(2006)監督:田亀源五郎もよろしく(笑)。
一人の作家が趣味にあかせて、こんなバカなものをマジメに作ってるんだ……ってなことで。
ご予約&ご参加、お待ちしております。
『トリスタンとイゾルデ』
『トリスタンとイゾルデ』(2006)ケヴィン・レイノルズ
“Tristan + Isolde” (2006) Kevin Reynolds
ワーグナーの楽劇で有名な、中世伝承文学の映画化。ロミオとジュリエットの原型的な悲恋物語ですが、構造的には、アーサー王伝説におけるラーンスロットとグィネヴィアに近いのかな。
リドリー・スコットがプロデュースとのことで、内容の硬派さや絵的な見応えに、ちょっと期待していたんですが、それらはどちらも見応えありでした。
絵的な面に関しては、構図の美しさが一見の価値あり。物語の前半、アイルランド王妃の葬送のシーンで、雄大ながらもいかにも荒涼とした風景の中、ちっぽけに蠢く人間たちという、素晴らしいスケール感の対比には思わず瞠目。
同様に、入り江に浮かぶ船団のシーンなど、ドラマの主役である「人」や「モノ」を極力小さく、しかもセンターを外して配置して、あくまでも「風景」という世界の中の一部として見せる構図の数々が、実に見事で素晴らしい。同じ監督の『ロビン・フッド』のときには、こういった感覚に感心した記憶はないので、これは撮影のアルトゥール・ラインハルトという人のセンスなんだろうか。
他にも、戦死者を船に乗せて火葬で送るシーンとか、婚礼の場に向かうイゾルデを乗せた船のシーンとか、絵的に「こう見せたい」というのがはっきり伺われる画面が多々あり、映画の「絵を楽しむ」という面では、かなり満足度は大の作品でした。
ただ、全体的に彩度を極端に落とした画面設計は、重苦しい悲劇の予感としても、寒々とした感覚の惹起という点でも、それなりに面白い効果はあるものの、全てがそれで一本調子なので、ちょいと途中で飽きがくる感もあり。これは、もうちょっと内容の変化に応じてのメリハリが欲しかった。一律に彩度を落としているだけで、低い彩度の中での色彩設計までは気が回っていない感じ。
内容的には、神話伝説的な要素は極力排除して、リアリズム志向で歴史物的に再構成した、という感じでしょうか。
ただ、奇妙なことに『トリスタンとイゾルデ』と謳っているわりには、肝心要の恋愛要素がひどくおざなりで、それより各国間の政治的な駆け引きや戦闘シーンといった部分に重きが置かれている。規模は小さいけど迫力はタップリな、えらく気合いの入った戦闘シーンに比べて、主人公二人の恋模様の描写の、何とも気が抜けていーかげんなことよ。正直「……これ、別にトリスタンとイゾルデじゃなくってもいいじゃん」とか、思ってしまいました(笑)。
演出も、風景や情景や戦闘といった「絵」を見せることに注力するのみで、人物の内面を描くという点がおそろしく不足している。登場人物たちの行動原理は、神話伝説的なシンプルで力強いものではなく、より近代よりの人間的なものであるにも関わらず、そういった内面描写が不足しているのが、何ともちぐはぐで落ち着きが悪い。よって、愛する者への裏切りや、裏切ったものへの赦しとかいった、心情的な部分でのドラマも、頭では理解できるんだけど感情には訴えてこないので、見ていてエモーションが揺さぶられることもない。
特に、主役二人の内面描写の乏しさは致命的で、しかも外見上の魅力も乏しく、ラブシーン関係もおよそ褒められた出来ではないせいもあって(ラブシーンで「美しい」とか「ロマンチック」と感じさせるような絵が微塵もないってのは、恋愛が鍵となるドラマでは、ちょっとどうかと思うぞ)、悲恋の二人に感情移入するとか同情するとかではなく、逆に「……うっとおしい連中!」とまで思ってしまった(笑)。
これはドラマの構成にも問題があって、こういった運命的な悲恋ものの場合、恋人たちの意志とは関係なく、にっちもさっちもいかない状況に追い込まれていくからこそ、結果として訪れる悲劇に重みが増すのだが、この映画の場合、主人公たちが「自分たちの意志で選択できたはず」の状況が多すぎる。よって、彼らから受ける印象も、「過酷な運命を辿らざるをえなかった悲劇の恋人たち」よりも、「身勝手に周囲を振り回すバカップル」に近いのだ。
以下、ちょっとネタバレを含みますので、お嫌な方は次の段は飛ばしてね。
こうなると、前述したリアリズム志向の再構成という点とも関係するのだが、原典で二人を宿命の恋に走らせる「媚薬」の存在を、映画では完全に排除していまったのが裏目にでてしまう。このことによって、恋人たちの結びつきは、あくまでも二人の意志に異存することになるからである。
ならばせめてこのカップルに、若気の至り的な同情をさそうような、初々しい魅力があれば救われるのだが、前述したようにそういった要素もない。
そんな二人の愛について、最後にもっともらしく「二人の愛は国を滅ぼすことはなかった」なんて語られても、つい「そりゃ、結果として『滅ぼすには至らなかった』だけであって、別に『二人の愛が国を救った』わけでもないんだから、他の人からしてみりゃ、やっぱ迷惑なバカップルだったじゃん」とかツッコミたくなるし、そんな愛が至上のものとは到底思えない、ってのが正直な印象。
ただ、愛の偉大さが、二人の恋愛ではなく、それによって裏切られたにも関わらず、最終的に赦すことができた、マーク王の愛について語られているのだとしたら、それなら納得ですけど。このマーク王、ホントいい人だわ(笑)。
役者陣は、トリスタン役のジェームズ・フランコとイゾルデ役のソフィア・マイルズは、タイトル・ロールであるにも関わらず、前述したように残念ながら魅力がゼロ。特にソフィア・マイルズの魅力のなさは痛く、この人『アンダーワールド』のときは、脇役だったけど、今回よりもずっとキレイに撮られてたし、魅力もあったから、何だか気の毒な気がします。
ロミオとジュリエットの伝統に倣って、こーゆー内容の話の場合は、ヒロインは初々しい溌剌とした魅力を最重要視した人選の方が良かった気はします。かつてジュリエットを演じた、スーザン・シェントールやオリビア・ハッセーのように、見ているだけでこっちも幸せになって、おもわず応援したくなるようなヒロインだったら、この内容でもバカップルにはならずに持ちこたえられるから。
ともあれ、主演二人に関しては、全体的な魅力不足と内面描写の乏しさゆえに、演技力云々とは関係なく、全く感情移入できなかったのが辛かった。
マーク王役のルーファス・シーウェルは、役柄的にも演技的にも、最も魅力的で見応えもありました。ただ、ちょっと外見が若々しすぎる気も。あと、この人は目の色のせいなんでしょうか、どうしても非人間的で感情が乏しそうだったり、歪んだ内面を持っていそうな印象を受けるので、今回は役柄としては、基本的にあまり合っていないという気も。逆に、『ダークシティ』の主役や、テレビ映画『トロイ・ザ・ウォーズ』のアガメムノン役とか、『レジェンド・オブ・ゾロ』の悪役とかは、けっこうハマってて好きだったんですけどね。
その他の脇役については、更に内面描写が不足してキャラも立っていないので、外見以外には余り印象に残らず。アイルランド王役の、デヴィッド・パトリック・オハラって人は、ちょっとタイプでした(笑)。でもまあ、私の場合、こーゆー出で立ちでこーゆー髭面だったら、どんな男でもプラス30点増しくらいにはなるんですけどね(笑)。
そんなこんなで、ちょいとバランスは悪いけれども、基本的には地味で真面目に作った歴史映画という味わいなので、西洋史劇が好きな方だったら、お楽しみどころもタップリです。
前述した構図等の画面の見応えに加え、セットや美術やコスチューム等も、歴史的な重厚さを感じさせる出来映えで、かなり上質。それ系が好きな方だったら、そういう満足度は高いでしょう。
アクション系も、前述の迫力のある戦闘シーン以外にも、姫を勝ち取る競技大会のシーンが、全体をまるでボクシングの試合のように見せたり、石の札で対戦相手を決めていくとか、細かなディテールがいろいろ凝っていて面白いので、古代戦闘好きの方に加えて、ファンタジー等の設定マニアの方にもオススメかも。
逆に、古典ロマンスを期待しちゃうと、ちょっと裏切られちゃうかもしれません。『トリスタン・イズー物語』好きやワーグナー好きの人は、別物と割り切って見た方が吉。特に、ワーグナーの楽劇は好きだけど、史劇には興味がないというクラッシック好きの方は、この映画にはワグネリズム的な要素は皆無なので要注意。
あ、あと、アン・ダッドリーによるスコアも、個人的にはけっこう気に入りました。派手にエピック風に盛り上げるのではなく、情感を押さえて静かに流れつつ、ところどころでトラッド風(そういえば、楽曲提供のクレジットには、アフロ・ケルト・サウンド・システムの名前もありました)や古楽風の要素も入ったりして、なかなかいい感じでした。
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