カテゴリー別アーカイブ: コミック

5月6日〜14日:北米(ニューヨーク/フィラデルフィア/トロント)イベント参加のお知らせ


『弟の夫』英語版(Pantheon)第1巻が、5月2日に発売されました。つきましては販促を兼ねて、北米で開催されるイベント幾つかに参加いたします。お近くの方、いらっしゃいましたら、どうぞお立ち寄りください。

ニューヨーク

5/4: PEN World Voices Festival “Transcendent Obscenity”パネルに登壇(from 2-3:30pm at Dixon Place, NYC)

5/7: Anyone ComicsでDrink n’ Drawイベント(お酒を飲みながら男性ヌードモデルのデッサン大会をするイベント)開催(from 5-8pm in Crown Heights Brooklyn)

5/9: 紀伊國屋書店ニューヨーク店でサイン会(from 6-8pm, on 6th Ave. at 40th St.)

フィラデルフィア

5/10: Giovanni’s Room/Philly AIDS Thrift Storeでサイン会/読書会/Q&Aイベント(from 6-8pm)

トロント

5/13、14: Toronto Comics Arts Festivalに参加:

5/13
PM 2:00 サイン会(at Reference Library)
PM 4:00 パネル“LGBTQ Comics Abroad”Saturday(at the Marriott Bloor)
PM 7:00 TCAF Queer Mixer (with preview of “Queer Japan” by Graham Kolbeins)(at Glad Day Bookshop

5/14
AM 11:00 サイン会(at Reference Library)
PM 2:45 パネル“Canada 150!”(at the Marriott Bloor)

5/9〜30
田亀源五郎『弟の夫』展(at Reference Library)
(ネーム、下絵、ペン入れ原画、完成原稿プリントなどが展示されます)

サンフランシスコで開催されるクィア・コミック・カンファレンスに出ます


 今週末、サンフランシスコのCalifornia College of the Artsで開催される、Queers & Comics 2017 Conferenceに、キーノート・スピーカー/パネリストとして参加します。

イベント:Queers & Comics 2017 Conference
日程:4月14日(金)〜15日(土)
会場:California College of the Arts、米国サンフランシスコ

 登壇予定パネル:
Queer Manga – History and Cultural Context
14日(金) PM 2:30〜
Keynote
15日(土) PM 7:30〜

詳細は下記公式サイト参照
Queers & Comics 2017 Conference

現地においでの方、よろしかったらお立ち寄りください。

第19 回文化庁メディア芸術祭受賞作品展+トークイベントのお知らせ

mediaart
2月3日(水)~2月14日(日)、第19回文化庁メディア芸術祭受賞作品展が、国立新美術館、TOHOシネマズ 六本木ヒルズ、スーパー・デラックス、セルバンテス文化センター東京で開催されます。
 つきましては、マンガ部門で優秀賞をいただいた拙『弟の夫』関連も、国立新美術館にて展示されます。ワンブース使ってストーリーの概要や、ネーム>下絵>アナログペン入れ>デジタル仕上げといった作業工程などを、原画や複製原画、プリントや写真などで展示予定。
 入場無料ですし、お時間のある方は是非お立ち寄りください。
http://festival.j-mediaarts.jp/exhibit/outline

 また、2月6日(土)16:00-17:00には、同じく国立新美術館にて受賞者トークイベントに登壇いたします。マンガ家のすがやみつる先生、松田洋子先生とご一緒。
 こちらも、お時間ある方は是非お越しください。
 現在、事前申し込みを受け付け中。詳細は下記リンクにて。
http://festival.j-mediaarts.jp/event/661

『劇画 家畜人ヤプー」沼正三/石ノ森章太郎、復刊!

 紹介しよう、しようと思いつつ、件の「非実在」関係のせいで、すっかり遅くなってしまいました。
 ポット出版さんから、沼正三・作の天下のマゾヒズム奇書『家畜人ヤプー』を石ノ森章太郎がマンガ化した、『劇画 家畜人ヤプー』が復刻されました。

劇画家畜人ヤプー【復刻版】 『劇画 家畜人ヤプー【復刻版】』
作・石ノ森章太郎、原作・沼正三

 去年の秋だったか、この本を復刻する予定だと、ポットの沢辺さんに聞いたとき、私は、絶版になっていたとは知らずに、ちょっとビックリしました。このマンガが最初に世に出たのは1971年、私が実際に読むことができたのは、83年に復刊されたときでしたが、作品自体が有名だし「あの石ノ森章太郎が」というネームバリューもあるので、てっきりその後も地味に版を重ね続けているのだとばかり思っていたもので。
 というわけで、まずは復刻自体に乾杯。オマケに今回は、丸尾末広氏の解説付き。愛蔵版として所有するのに相応しく、ハードカバーのしっかりとした造本、黒とシルバーをベースに、隠し味に紅を効かせた(余談ですが、昨年フランス人に聞いたんですけど、黒と赤ってのは、彼らにとってはとても「日本的」な配色なんですって)シックな装丁。
 さて、装画も含んだ『家畜人ヤプー』のヴィジュアライゼーションというと、「白い女神崇拝」というテーマとヨーロッパ的な耽美趣味が良く合っていた村上芳正氏、サイケ感覚と奇形化した肉体描写の合体が、ローラン・トポルの『マゾヒストたち』のような味わいの宇野亜喜良氏、「完結編」初出時の奥村靫正氏、最近のマンガ化の江川達也氏、現行文庫版の金子國義氏……といった具合に、様々な絵師が手掛けているわけですが、その中でもこの石ノ森版は、小説家の個性とマンガ化の個性が、かなり良く合っているのではないか、と、個人的に思っております。
 まあ、解説でも指摘されているように、確かにちょっと絵が荒いきらいはありますし、デフォルメ、特に肉体描写に関しては、70年代のマンガではいたしかたないこととはいえ、やはりマンガ的な記号表現のみでそれを描く限界が感じられてしまい、肉体の持つリアルな説得力という意味では物足りない。
 それでも、石ノ森キャラの「お姉さん」的な風情は、女尊男卑で統べられた超未来社会のドミナ、サディスティン像には良く合っていると思うし、現在の目で見ると既にレトロ・フューチャーになってしまっているとはいえ、SF的な描写もお手の物。
 それに何と言っても、流石は早熟の天才にしてベテラン作家の手によるマンガ化、その、マンガとしての読みやすさが素晴らしい。膨大なテキスト量、それも俗に言う「説明セリフ」が、動きのない会話で延々と続くにも関わらず、コマ割りや構図の工夫で、その単調さを最小限に抑えて見せる手腕は、やはり「マンガ家・石ノ森」ならでは。
 ここで「What if」を語っても、余り意味のないことだとは思うが、もし、誰か他の作家が『ヤプー』をマンガ化するとしたら誰がいいだろう……などと考えてみると(因みに丸尾氏は解説中で池上遼一氏の名前を挙げておられる)、私なんかは、「『白い女神』的なドミナ美女」と「男女共に解剖学的なリアリズムのある肉体描写」という二点から、三山のぼる氏(残念ながら既に鬼籍にはいられてしまったが)の描く「ヤプー世界」を見てみたい、と、個人的には思うのだが、しかし、この石ノ森版のマンガ的な完成度、マンガとしての読みやすさは、やはりそういったものとは別種の「技術力」だと思う。
 もう一つ、私がこの石ノ森版を愛好する理由として、マゾ側の主人公、瀬部麟一郎の造形がある。
 小説版でも石ノ森版でも、この、現代から未来世界に「拉致」されて、「日本人・瀬部麟一郎」から「ヤプー(家畜人)・リン」にされてしまう主人公は、いちおう「西ドイツの大学に留学中、柔道五段」という、いわば「文武両道の男らしい日本男児」である。
 ところが小説版では、それは最初のキャラクター設定的に語られるのみで、ストーリー中では全くというほど機能していない。やはりこれは、マゾヒストの作者が己のマゾヒズムを投影しているせいか、未来世界に拉致されてから後の麟一郎のキャラクター描写に、およそ「文武両道の男らしい日本男児」らしさが見られないのだ。
 全裸のまま家畜同様に扱われ、体内に寄生虫を入れられ、糞尿や経血を餌として与えられ、皮膚や口唇の加工といった様々な肉体改造をされ、あまつさえ去勢もされ、決して後戻り出来ない道へ堕ちていき……といった展開にも関わらず、それに対する心理的な抵抗や絶望感が余りにも乏しいので、端で見ていると「いとも易々と」家畜人としての自分の運命を享受していくように見えるほどだ。で、ついつい「これだったら『原ヤプー』も『土着ヤプー』も、大して変わらなさそうだな」なんて、余計なことを考えてしまう。
 こういったことが、私が小説版を読んでいて、最も物足りなさを感じてしまう部分なのだが、この石ノ森版は、その「物足りなさ」を「絵」による「表現」によって、ある程度カバーしてくれる。
 具体的に言うと、石ノ森版の麟一郎は、その外見そのものが、さほど個性的ではないが、それでも「青年マンガのヒーロー」的な造形になっている。つまり前述したような、設定で語られながらストーリー中では抜け落ちてしまっている「男性的」な要素が、キャラクターの絵そのものによって補われているのだ。
 もう一つ、麟一郎の「表情」がある。基本的なエピソードの展開は、小説もマンガも同じだとはいえ、その場面場面で描かれる「キャラクターの表情」は、心理を表現するという点で、ある意味で文章を越える説得力をもたらす。つまり、テキストでは描かれなかった麟一郎の戸惑い、怒り、苦痛、屈辱、諦念などの感情が、その表情によって何よりも雄弁に語られる。
 これらが、私にとって石ノ森版の最大の魅力である。
 さて、石ノ森版について語ろうとする余り、ついオリジナルの小説を批判するような文言が続いてしまったが、過去にもあちこちで語ってきたように、私にとっての沼正三の『家畜人ヤプー』および『ある夢想家の手帖から』は、マルキ・ド・サドや西村寿行などと並んで、作家としての私に大いに影響を与えた作品であり、大いにリスペクトしている作品でもある。
 前述したような「不満点」は、あくまでも私の個人的な「ポルノグラフィー脳」から出る反応であり、正直、ポルノグラフィー的な観点での愉しみ方だけ言えば、私にとっての『ヤプー』は「麟一郎の去勢」あたりでストップしてしまうのだが、『ヤプー』の魅力はそれだけではない。他に類のない綺想小説として、イマジネーション迸る幻想小説として、十代の私が夢中になり、そして未だにその呪縛から逃れ切れていない感のある小説だ。
 リビドーに基づくイマジネーションの暴走と、それによって拡がっていく、有無を言わせぬほどパワフルな世界観というものは、ポルノグラフィーなど、エロティックなフィクションならではの醍醐味である。その中でもこの『ヤプー』は、最大にして最強(最凶かも知れないが)の存在だ。
 特に「『ヤプー』って良く聞くけど、実際にはまだ読んだことない」という方には、この石ノ森版はオススメである。
 原作小説のペダントリーや言葉遊びの嵐に挫折してしまった人にも、このマンガ版は、そのエッセンス、美味しくて食べやすい部分だけを味見できるだろう。実際の小説は、後年になって書かれた続編(完結編)も含めると、この石ノ森版は冒頭部分のみ、まだ全体の四分の一くらい(?)ではある。ただ『ヤプー』の「良いところ」は、全てこの冒頭部分に集約されている(ぶっちゃけ個人的には、後年に書かれた「続き」は、全く面白いとは思えなかった)ので、この部分だけでも全体のイメージを掴むには充分だ。
 もちろん、小説既読で石ノ森版は未読の方にも、前述したような「新たな魅力」も発見できるのでオススメしたい。
 余談。
 私が『ヤプー』を読むたびに「羨ましい」と思うことが一つある。それは、男女という性差の存在だ。
 私自身でも、こういった「世界レベルでの支配・被支配」を、サドマゾヒズム的なスタンスで描いてみたい、という希望はあるのだが、いかんせん「ゲイもの」だと、「人種」はともかくとして「男女」のような絶対差が存在しない。世界を真っ二つに分けることができないのだ。
 というわけで、この『ヤプー』とか、洋物のフェムダムのような、そういった「男女」という「違い」が「問答無用で活かされている」SMものに触れると、いつも「ゲイSMフィクションの限界(笑)」を感じてしまうのである。

レオ(とパンジャ)は、最初から「白いライオン」だったのだろうか?

 さしあたっての締め切りが片付いたので、先日ここで書いた手塚治虫の『ジャングル大帝 漫画少年版』を、ゆっくりじっくり読んでおります。
 種々のバージョンがあるという同作ですが、私がこれ以外で読んだことがあるのは、講談社の手塚治虫全集版のみ。というわけで、バージョンによる内容の違いは、私が気付いた分も気付かない分も含めて色々あるんでしょうが、私の場合、例によって全集版の本すら実家にあって手元にないので、細かな比較はできず。う〜ん、読み比べのためだけに、また文庫版を買っちゃいそうな自分が怖い(笑)。
 とはいえ、今回このマンガ少年版を読み始めたら、じきに、細かい部分ではなくて、もっと大きな部分に関する素朴な疑問が、頭に一つ浮かびました。
それは、
「レオ(とパンジャ)って、本当に最初から、白いライオンという設定だったの?」
ということ。
 私の記憶にある限り、マンガでもアニメでも、パンジャもレオも「白いライオン」で、その「白い」というのが、キャラクターの外見的特徴として、最大かつ重要な要素だったはず。
 ところが、今回の復刻版を読むと、何故かこの「白い」という要素が、なかなか出てこない。
 第一話で、パンジャの毛皮を欲しがっている黒人酋長が、白人のハンターと組んで罠をしかけるときも、パンジャの形容として、「ジャングルの帝王」や「森の化身」といった言葉は出てくるんですが(1巻・4ページ……以下特記以外は全て1巻)、肝心の「白い獅子(ライオン)」という表現がいっさい見あたらない。
 とはいえ絵を見ると、他の雄ライオンのたてがみは黒く塗られている(5ページ)のに対して、パンジャのたてがみは白いままで、まあ白黒のマンガ画面で見る限りは「白いライオン」に見えるんですけど、セリフのフォローが何もない、特に酋長が、白い毛皮の希少性ゆえにパンジャに執着しているといった内容がいっさいないのは、キャラクターを立てる要因として「白いライオン」というものを設定したのだとしたら、いささか不自然に感じられます。
 そこで、次に気になるのが、目を閉じて堂々と闊歩するパンジャの姿が描かれている、第二話のカラー扉(7ページ)。
 このパンジャは、たてがみと尻尾の房は白く無彩色のままなんですが、他のボディ部分には薄いベージュが塗られています。
 これを見て思い出したのが、ウィキペディアにも載っている有名なエピソード。

「白いライオン(ホワイトライオン)」というアイディアは、手塚がかつて動物の絵本を依頼された際にライオンの絵を白熱灯の下で彩色したところ、電灯の光のために、できあがってみたら色がきわめて薄くて没になった失敗談が発端という。

 これってひょっとして、実はこの扉絵のことなのかしらん、なんて思ったり。
 さて、同話の後半で、いよいよレオが誕生するわけですが、ここでも奇妙なことに、「白いライオンの子が生まれた」という、セリフによる描写がいっさいない。生まれた子供が真っ白だったら、レオの母エライザ(ただし漫画少年版ではこの名は出て来ない)を捕らえているクッター氏にしろ、輸送船の乗組員にしろ、もっと驚いてもよさそうなものだけど、そういったリアクションはいっさいなし。
 それどころか暢気にも、

「ほほう! こりゃあ かわいらしいな 母おや似だな」
「おいおい ライオンはどれだって みんな顔が同じだ」
(15ページ)

なんてセリフのやりとりすらある。
 もし、パンジャは白で、その子どものレオも白という設定が、当初から存在していたのだとしたら、こういう展開にはならないと思うのだが……。
 以降、レオをメインに話は続いていくんですが、相変わらず「白いライオン」という要素は皆無。
 出会った魚も鳥も、別の船の船員もネズミも、人間サイドの主要キャラクターであるケン一やメリイやヒゲオヤジも、レオをネコと間違えることはあっても、誰一人としてレオが白いということに驚かないのだ。
 そんなこんなで、レオの色が白いということに関しては、テキストでは何も触れられないまま話は進み、やがてレオは、ケン一たちと一緒にアフリカに戻り、パンジャの毛皮と出会うのだが、このときも

「ぼくと おなじ におい!」
(43ページ)

というセリフはあれども、毛皮が同じ白だという要素は出て来ず。
 そんな調子で、第四話まで続きます。
 そして、次の第五話。
 ここにいたって、ようやくカラー扉(45ページ)の「前號まで」というあらすじ中に、「白い獅子パンジャは」という一文が初めて出てくる。
 ただし、カラー扉に関しては、レオの姿が初めて描かれた第三話、次の第四話、そしてこの第五話でも、レオの身体の大半は彩色されない白ではあります。血管の赤みと思しき両耳部と、ボディのシャドウと思しき部分等のみに、ほんのり赤褐色系の彩色が施されている。
 しかし奇妙なことに、第五話のカラー扉では、キャプションでは「白い獅子」と名言されているパンジャの毛皮が、絵ではたてがみ部分のみが白く、顔やボディははっきりとしたオレンジ色になっている。
 そして、この第五章でも、本文になりと、やはりレオやパンジャの白さには触れられない。パンジャの毛皮を持ち運ぶレオを見て、ケン一とメリイが交わすセリフも、やはりまた、

「この子は なんてまあ 毛皮を こうもって まわるんだ ろう」
「その毛皮と レオとなにか かんけいがあ るんじゃ ないか」
(49ページ)

という具合で、二者の間の「白い」という共通項は描かれないままだ。
 この調子で、第五話でも、扉以外の本文中では最後まで、レオやパンジャが「白い」と明示するシーンはない。
 ところが、次の第六話になると、様相が一変する。
 まず、カラー扉(55ページ)は、古代エジプトでスフィンクスの前で眠る、レオの先祖の白獅子アンドロクレス(ただし漫画少年版ではこの名は出て来ない)である。
 そして本文に入ると、まず2ページめで、レオの消息を求めるヒゲオヤジが

「雪みたい白い ししのことをきか なかったか」
(57ページ)

と言うのを皮切りに、次のページでは、まるでだめ押しのように

「ワタみたい な白さだよ」
「ケムリ みたいな白さだッ」
「歯の白さ だ、わかるか」
(58ページ)

と続き、以下も

「で、しってるか 白いししを」
「白いしし? そんなもの いるのかい わッははは」
「白いしし! いますとも」
(58ページ)

と、これまで一度もセリフには出て来なかった「白い獅子」が、何と6コマに渡って連発されるのだ。
 更に、7コマめからは、やはり後に主要な役を負うアルベルト少年によって、アフリカ大陸における「白い獅子」の解説が、

「医斈上では シロコという んですよ」
「今からざっと 四千年まえに 『白いしし』がでた というきろくが あります」
(58ページ)

という具合に始まり、以降2ページ半(59〜61ページ)に渡って続く。
 そして、この第六話以降、レオが白いライオンだということが、あらすじや本文中で、折に触れて語られるようになります。
 つまり、私が今回の復刻版を読んで、どう感じたかというと、
「レオもパンジャも、最初は白いライオンという設定ではなかったのでは?
その設定は、第五話から六話の間ぐらいの時期に、後から付け足されたものなのでは?」
という印象を受けたということです。
 ひょっとしたら、こんなことは周知の話なのかも知れないけれど、寡聞にして私自身は、これまでそういった話は読んだことも聞いたこともなかったもので、これが事実だとしたら、ひどくビックリなわけで。
 ホントのところはどうなのかは、私にはこれ以上のことは判りませんが。
 もう一つ、パンジャの色に関しては、実は物語が後半に入ってからも、レオが自分の子どものルネとルッキオに、パンジャの毛皮を見せるシーン(2巻・13ページ)で、たてがみは白だが顔とボディーはオレンジ色をしているのも興味深いところ。
 ひょっとすると、パンジャに関しては、かなり後半になっても、全身が真っ白という設定ではなかったのかも。特典の複製原画にある、学童社版の単行本用表紙原画でも、やはりパンジャの色は、たてがみと尻尾の房のみ白(をイメージさせる薄いブルーのシャドウ)で、顔やボディはベージュ色をしているし。
 更に余談になりますが、もし『ジャングル大帝』の成立に、エドガー・ライス・バロウズの『ターザン』シリーズや、南洋一郎の『バルーバ』シリーズの影響もあったのだとすると、当初のパンジャは両シリーズに出てくるような「金獅子」を想定していて、第一話でたてがみが白いのも、白毛ではなく金毛のつもりだったのかも……なんて、更に妄想も膨らんだりして(笑)。

今年のあれこれ

 2009年も残り一日なので、今年のあれこれをちょいと反芻してみたり。

 マンガは、ゲイ雑誌を主軸に一般向けも二つほど(うち一つは、まだ世に出ていませんが)混じって、わりと充実していたかな。『父子地獄』を完結できたのも嬉しい。
 あと、月産ノルマ78ページという月があって、これは自己記録を更新してしまった(笑)。私はアシスタントを使わず一人でやっているので、流石にこれはちょっとキツく、某少年週刊マンガ誌の編集さんにも驚かれました(笑)。
 とはいえ、年間を通しては、そうメチャクチャ忙しかったというわけではなく、10年ほど前の、「バディ」で『銀の華』、「ジーメン」で『PRIDE』を、毎月並行連載しつつ、「ジーメン」では表紙イラストとレギュラー記事も幾つか担当し、合間に挿絵なんかもやりつつ、更には別名義での小説連載までしてた頃にくらべりゃ、ぜんぜん余裕かも。正直、あの当時のことをもう一度やれと言われても、今じゃ体力的にも無理だと思う(笑)。
 マンガ単行本も、日本で一冊、フランスで三冊(まだ最後の一冊は手元に届いていないけど)、イタリアで一冊出せたので、全部併せると例年以上のペースに。
 それと、マンガ関係で今年一番驚いたのが、文化庁メディア芸術祭から、『外道の家』がノミネートされたのでエントリー承諾書にサインしてくれ、という書類が来たこと。まあ、結果はもちろんかすりもしませんでしたが、ゲイ雑誌発のあーゆー作品が、こーゆーのにノミネートされたことだけで、もうビックリでした(笑)。

 一枚絵関係だと、これはやっぱりこのブログで詳細をレポした、フランスでの個展が大きかったですな。セレブにも会えたし(笑)。
 あと、オーストラリアの企画展にも参加したし、銀座の画廊の企画展にも監修で関わったけ。銀座ではトークショーもしましたが、ここんところ毎年、何かしらの形でこのトークショーってぇヤツをやっているような気がする(笑)。
 イギリスとフランスで一冊ずつ、アートブックへの掲載があったのも嬉しい出来事。

 プライベートでは、何よりかにより20年来の念願だった、モロッコ旅行ができたのが嬉しかった。
 アイト・ベ・ハッドゥの景観やメルズーガの大砂丘でのキャンプは忘れがたいし、マラケシュの喧噪も懐かしい。フェズのメディナで道に迷い、加えて暑さでヘロヘロになったのも、今となっては楽しい想い出。人里離れたところにある、ローマ遺跡のヴォルビリウスから、持参した携帯で鎌倉の実家に電話したら、ちゃんと繋がって父親が出たからビックリもしたっけ(笑)。
 タジン(モロッコ料理)も、色んな種類を食べられて美味しかった。個人的には、マトンとプルーンの入ったヤツと、肉団子と卵が入ったヤツが好きだったな。あと、パスティラという、鳩の肉をパイで包み焼きして、上にアーモンドと砂糖がまぶしてある、不思議な料理(笑)。しょっぱいんだか甘いんだか、何とも形容しがたい味なんだけど、でも不思議と美味しいのだ。
 あとはやっぱり、屋台のオレンジ・ジュースですな。生のオレンジを、その場でギュッギュッと幾つか搾って、ガラスのコップに入れてくれるの。疲れて喉が渇いたときには、これが一番でした。イランやパキスタンのザクロ・ジュース以来の、感激の美味しさ(笑)。

 映画は、ブログでもいろいろ書きましたが、輸入DVDで見た未公開映画に、感銘を受けたのが多かったような。
 何だかねー、最近「これは見たい!」って楽しみにしてたヤツが、劇場公開されずってパターンが多くて……。昨年暮れだったかも、ドイツ映画の実写版『クラバート』が、ドイツ映画祭か何かで上映されて、どーしてもスケジュール的に行けなかったんで、いつか一般公開されるんじゃないかと待ちつつも、けっきょくそれっきりでソフト化もされてないみたいだし……。
 そんな中で、『キング・ナレスアン』の日本盤DVDが無事出たのは、もうホント嬉しかったし、この間書いたように、『戦場でワルツを』を無事劇場で見られたのも嬉しかった。
 現在公開中のヤツだと、『監獄島』は、愛しのストーン・コールド・スティーブ・オースチン様主演だから気にはなるんだけど、内容的にどんなものなのか(笑)。ストーン・コールド様だけが目当てだったら、脱ぎっぱなしのプロレスのDVD見てた方がオイシイかも知れないし(笑)。因みに、このストーン・コールド様のプロレスの輸入盤DVD、私の気付かないところでウチの相棒が、ジャケを見てレザー系ゲイAVだと勘違いして、ホクホク喜んで再生し、中身を見てガッカリしたという逸話が、我が家にはあります(笑)。
 あと、映画じゃなくてテレビドラマですが、年末になってNHKの『坂の上の雲』を見たら、思いのほか出来が良くてハマってしまった。このドラマのことを何も知らなかったので、何を見るでもなく漫然とテレビを点けたら、第三話の再放送をしている最中で、軽い気持ちで「お〜、明治ものだ!」と見始めたら、そのまま最後まで目を離せなかった(笑)。
 私は普段、連続テレビドラマを見る習慣が全くないんですが、こればかりは、残り二話もしっかりチェック。放送時間になってテレビの前にやってきた私を見て、相棒が「ひゃ〜、珍しいね!」と驚いてた(笑)。というわけで、気に入ったにも関わらず、一話から三話前半までは未見なので、年明けとかにまた再放送してくれないかしらん。それとも、さっさとDVD出すとか……って、NHKだとDVDも高価そうだけど(笑)。
 それとまあ、こーゆーゲイはけっこう多いんじゃないかと思いますが、広瀬武夫役の藤本隆宏ってイイですね(笑)。相棒も「誰だい、これは?」と目を輝かせていました(笑)。越中褌でのヌードがあったので、今度は六尺姿を希望(笑)。
 昔の東宝の『日本海大海戦』では加山雄三だったけど、あたしゃこっちの藤本氏の方がダンゼン好きだ。しかし、気に入ってしまっただけに、今から「杉野はいずこ」のシーンを見るのが、怖いような楽しみのような……。

 マンガは、ブログで紹介しそびれていたヤツだと、何と言っても吾妻ひでおの『地を這う魚 ひでおの青春日記』が素晴らしかったなぁ。

地を這う魚 ひでおの青春日記 地を這う魚 ひでおの青春日記
価格:¥ 1,029(税込)
発売日:2009-03-09

 何がいいって、面白いとかしみじみするとか、そーゆーのもあるんですけど、何よりかにより作品全体の空気感がタマラナイ。その空気感に浸りたいがために、もう何度読み返したことか。
 自分が入っていきたくなる世界がそこにある、個人的な大傑作。
 最近買ったヤツでは、夢枕獏/伊藤勢『闇狩り師 キマイラ天龍変』1巻。

闇狩り師 キマイラ天龍変 1 (リュウコミックス) 闇狩り師 キマイラ天龍変 1 (リュウコミックス)
価格:¥ 590(税込)
発売日:2009-12-16

 雑誌『リュウ』を、オマケの手ぬぐいとクリアファイルに惹かれて買ったら(って小学生かい)、そこに連載されていたマンガで、絵に勢いがあってカッコイイので、単行本出たら買おうと待ち構えておりました(笑)。
 もともとが小説の外伝的な位置づけらしく、ストーリーの方はちょっとよーワカラン部分もあるんですけど(夢枕氏の小説も、浅学にも私は、20年以上前に『猫弾きのオルオラネ』を読んだっきりだし)、やっぱ勢いのある絵と迫力のある画面構成がカッコイイです。
 しかし、ドーデモイイことなんですけど、この伊藤勢といい、伊藤真美とか伊藤悠とか、伊藤姓のマンガ家さんって、絵に勢いがあって画面構成に迫力のある、カッコイイ作風の方が多くありません?(笑)
 何だか、だんだん「今年を振り返る」じゃなくて、ただの「近況つれづれ」になってきたので、ここいらへんでオシマイ。

プレゼント

 予約していたブツが、クリスマス当日に届きました。
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 キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
 というわけで、小学館クリエイティブの『ジャングル大帝 マンガ少年版 豪華限定版』です。ご覧のように、輸送用のケースに入っております。

 で、それを開けると……
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 チョコレートのギフトボックスみたいな、黄金色の外箱が。前に買った『完全復刻版 新寶島 豪華限定版』と同じパターンですな。

 で、それも開けると……
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 B5版ハードカバーの本2冊と、付属の小冊子、複製原画なんかが出てくる。
 まだパラパラとめくっただけで、きちんと読んではいないんですが、やっぱ大判なのと、カラーや2色ページが再現されてるのは嬉しいなぁ。
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 というわけで、期せずして自分から自分へのクリスマス・プレゼントをゲットしました(笑)。
 実は、「ちぇっ、なかなか届かねェなぁ」なんて思ってたんだけど、こーゆーオチだと、ちょっと嬉しい(笑)。

 そういやこの黄金の外箱って、ガキの頃に良く見かけた、クリスマス用のチョコレート・ギフトを思い出させますね。表面がクリスマス・モチーフのレリーフになっているデッカい板チョコで、付属の小さい金属製のハンマーで砕きながら食べるやつ。
 あれは、外箱のゴージャス感といい、レリーフの物珍しさといい、ハンマーで砕くギミック感といい、少年時代に大好きだったっけ。懐かしい(笑)。
 で、『ジャングル大帝』も、少年時代の記憶と密接に結びついているので……って、流石に私は、このマンガの連載をリアルタイムで知っている年代ではないんですが、テレビアニメと、親に買って貰ったレコード『子どものための交響詩 ジャングル大帝』が大好きだったもんで、ますます懐古的な気分に(笑)。
 自分が使っていた幼児用スプーンも、レオの絵が付いていたし、レオの顔の形をしたお風呂用のスポンジなんてのも使っていた記憶が。確かスリットが入っていて、中に石鹸を入れられるようになっているの(笑)。
 そんなこんなで、ちょいノスタルジー気分の、クリスマス当日でした。
 しかし、こんな気分になってしまうと、頭の切替をしてゲイSMマンガを描く仕事に戻るのが、ちょいと厄介でもあります(笑)。

『シュマリ』のホモソーシャル性とホモセクシュアル性

シュマリ 1 (手塚治虫文庫全集 BT 25)シュマリ 2 (手塚治虫文庫全集 BT 26)
 手塚治虫文庫全集で『シュマリ』が出ていたので、久々に読みたくなって購入。例によって、私の持っていた本(小学館文庫版)は、実家に置いてあって手元にはないもんで。
 で、およそ20年ぶりくらいに再読したら、中盤で描かれるシュマリと人斬り十兵衛の関係性に、やけにドキドキしちゃったりして。
 というのも、基本的にこの二人の関係は、あくまでも「男同士の固い友情」、つまりホモソーシャル的なものなんですが、今回再読したら、そこに、ホモソーシャルからホモセクシュアルへと揺らぐ、微妙な「危うさ」のようなものを感じてしまっだのだ。
 加えてこの十兵衛というキャラが、ヒゲ面の中年男だし、腕や足にはしっかり毛も生えているし……まあこれは手塚マンガの常で、コマによってあったりなかったりするんですけど(笑)、内面的にも、過去を捨てた寡黙で一本気な男、しかもめっぽう腕も立つ、という、ツボのド真ん中を付いてくるタイプで、オマケにしょっちゅう、褌一本の裸になるもんだから、なおさらドキドキしたりニヤニヤしたり(笑)。

 具体的に、どーゆートコロにドキドキしたかというと、シュマリと十兵衛は、札幌の集治監(監獄)で出会うんですが、最初はフツーに、互いにタダモノならぬ気配を感じて牽制し合うような、いかにも「男と男」の関係なんですな。
 ところが、とある事件をきっかけに、十兵衛はシュマリに一目置く……というか、その男気に惚れて、シュマリが炭坑に移送されると、自分も一緒についていくことを望む。
 で、いざ炭坑に移ると、二人は起居を共にするようになるんですが、ここでの十兵衛は、シュマリのためにたすき掛けで料理は作るわ、針仕事はするわ、弁当のオカズに気を配るわ、あまつさえ、食卓で物価の高さに愚痴をこぼしたり、厨房で後かたづけをしながら情歌めいた都々逸を口ずさんだり……と、まるでシュマリの女房のように振る舞うわけですよ。
 はぐれ者のいかつい野郎どもが、こうして二人身を寄せ合って暮らすというのは、それだけでも私的には、かなり「萌え」なシチュエーションなわけで(笑)。
 では、どこが前述の「危うさ」に通じるかというと、基本的に、「男が男に(精神的に)惚れる」という、ホモソーシャル的なリレーションシップとは、これは、二者が互いに相手を「オス同士」だと、認め合っていることが前提となるわけですよ。
 ところが、この場合の十兵衛は、シュマリの中に、自分の「オスらしさ」を越える「男性性」を見て、共に生きたいと願った結果、自らシュマリの女房役を買ってでている。つまり、「対等のオス同士」だという関係は、この段階で既に崩れているんですな。

 そこでちょっと、十兵衛がシュマリの男気に惚れた「事件」を、改めて振り返ってみると、未読の方のお楽しみを削がないように詳細は省きますが、実はこの事件は、「男根の切断」で始まり「睾丸の粉砕」で終わっている。
 となると、いささか強引ではありますが、この一連の流れを構造的に整理して考えると、以下のような構造が浮かびあがってくる。
 まず、オスだけの社会で、あるオスAが自分の強さを誇示するために、他の弱いオスを力によって去勢する。
 そこに、もっと強いオスBが現れて、オスAはオスBに負けて去勢されてしまう。
 それを見ていたオスCが、オスBの中に自分を越えるオスらしさを認め、そこに惚れ込む。
 そして、オスBが群れを離れる際、行動を共にすることを望んだオスCは、自らに状況的な去勢を施す……つまりジェンダー・ロール上でフェミナイズすることによって、オスBと「つがい」の関係になろうとする。
 どうです、こう書くと、かなり「危うい」感じでしょう(笑)。

 まあ、深読みのし過ぎだと思われるのは、重々承知のうえではあります。
 しかし、実際に十兵衛が、炭坑に移送されるシュマリについていきたいと望む場面では、彼は「道行き」なんていう、男女の駆け落ちや心中行の意味がある言葉を使っていたりするんで、こりゃ深読みもしたくなるってもんです。
 そして、もっと後になって、十兵衛の昔馴染みだったらしい「なつめ」という女が出てくると、こういった「危うさ」が、もっと深まってくるんですな。
 なつめは、十兵衛を慕って追ってきたんですが、それを十兵衛は「そんな女は知らない」と突っぱねる。そんな十兵衛に対して、シュマリはそれとなく「その女と一緒に行け」、つまり、自分ではなくその女と「つがい」になれと勧める。すると十兵衛は、こう答える。

見損なっちゃ
いけねえ
おれはおまえと
死ぬまで離れんと
決めたんだ
おれにとっちゃ
おまえさんしか
頭にないんだよ

 という感じで、こうなるともう、恋愛感情による三角関係の様相と、構造的には同じなわけです。
 もちろん全体を通じて、あくまでも「男と男のあつい友情」という枠は、外見的には崩れてはいないんですけれど、どうも私には、このシーンが「ホモソーシャルという分厚い楯の隙間から、一瞬、秘められたホモセクシュアル的な情念が噴出した瞬間」のように見えてしまう。

 こんな感じで読み解いて(或いは意図的に誤読して)いくと、まだまだ他にも気になる要素が出てくる。
 例えば、なつめというキャラは、初登場時に「男装」しているんですな。
 まあ、こういった異性装というのは、手塚作品では定番のネタなので、それほど特別視することではないんですが、しかし、十兵衛が以前関係を持っていた「女」が、こういった「男装」が可能な、つまり、性差にアンドロギュヌス的な「曖昧さ」を持つキャラクターだということは確かなわけで。
 また、この場にはもう一人、オス的な獣欲の塊のような、弥十という男(これ、音が「野獣」と同じなあたりが、いかにも手塚作品っぽい)が居合わせている。
 弥十は、なつめが女であることに気付き、オスとしての欲望の手を伸ばす。それを感じたなつめは、十兵衛に庇護を求める眼差しを向けるんですが、十兵衛は全くそれに気付かない。この場面のみならず、十兵衛が女に対して、何らかのオス的な興味を示すシーンは、全体を通して皆無なんですな。
 更にもっと言うと、十兵衛が捨てた過去の中にも、男色や衆道といったものに結びつけることが可能な要素があったりする。
 とはいえ、この件に関しては、読者の知識次第で、そういう深読みも可能になるというだけで、マンガの中でそういった部分に関する言及があるわけではないですし、前述した知識というのも、一般的というよりは、かなり偏向したものだとは思いますが。
 まあ、こんなことを考えていると、どんどん「ゲイ的な興味」から「やおい的な妄想」になってしまいそうなので、ここいらへんでヤメにしておきましょう(笑)。

 そんなこんなで、もともと『シュマリ』という作品は好きだったし、十兵衛だけではなく、お峯さんとかポン・ションとか、好きキャラもいっぱいいたんですけど、今回の久々の再読では、やっぱりこの十兵衛が絡む第11章から第23章までが、特に印象に残りました。
 でも不思議なことに、最初に読んだときも……これは確か高校生の頃だから、ひゃ〜30年前だ(笑)、それから何度か再読したときも、十兵衛とシュマリの関係性にジーンときたり感動した記憶はあるけれど、こういう感じでドキドキしたっつー記憶は、全くなかったりします。
 ひょっとしたら、歳くってプラトニック・ラブに憧れるようになったのかしらん(笑)。それとも、やおい脳が進化しちゃったのかも(笑)。

つれづれ

 両親の金婚式のお祝いで、久々に実家へ帰省。とはいえ、私は東京在住、実家は神奈川なので、帰省といっても超短距離なんですが。
 母と雑談していたら、先日レヴィ=ストロースが100歳で亡くなったという話題になり、私が「死んだことより、まだ生きていたことにビックリした」と言ったら、母も同様で「もっとずっと昔の人だと思ってた」そうな。同じように感じられた方、けっこういらっしゃるのでは。
 とはいえ私は、その名前と『悲しき熱帯』の書名を知っているだけで、実際には読んだことがない。で、家にあるかと尋ねたところ、あるとのこと。「もう読まないから、持っていっていいよ」と言われたので、ありがたくいただいてきました。
 でも、ハードカバーの上下巻だし、ムズカシソウだし、読了できるか、ちょっと自信なし(笑)。文化人類学には興味があるけど、現代思想とかはサッパリだしなぁ。親にも「けっこう手強いよ」と脅されてしまった(笑)。

 別の休日、天気が良かったので、散歩がてら清澄庭園へ。
 紅葉が見られるかと思ってたけど、赤くなっていたのは一本だけ。想像していたよりも狭かったし、けっこう人出も多かったし、背景に高層ビルも見えるし……と、日本庭園的な滋味はあまり満喫できず。全国から集めたとかいう名石の数々も、ちょいとスペースに対して数が多すぎる感じで、何だか成金趣味に見えちゃったなぁ。
 とはいえ、池の周りをぐるりと散歩するのは気持ちよくて、しかもその池にカモやらカメやらコイやらがウジャウジャいるので、ついつい庭の風情よりも、そっちの生き物たちに目が釘付けに(笑)。
 そんなわけで、写真はそんなカモとカメとコイの三位一体図。略してKKK(違う)。三種類同時に1フレームに収まるように、シャッターチャンスを狙うのが、けっこう難しかったです(笑)。

 最近買ったマンガ本。

芋虫 (BEAM COMIX) 『芋虫』丸尾末広/江戸川乱歩

 何てったって、乱歩の『芋虫』といえば、私自身も大きく影響された小説だし(で、『闇の中の軍鶏』とか『だるま憲兵』を描いた)、丸尾末広さんのマンガと乱歩といえば、昔の短編でも『芋虫』ネタを扱ったものがあって大好きだったし(『薔薇色ノ怪物』とかあそこいらへんの初期の短編集で読んだんだけど、手元に本がないので、タイトルや収録単行本が判らず)、前の『パノラマ島綺譚』もホント素晴らしかったから、大いに期待して購入しました。
 その期待は裏切られず、やはりすごい作品だった。当然のことながら、『パノラマ……』の時の何かを突き抜けたような絢爛豪華さとは異なり、今回は薄暗く閉じた世界で繰り広げられる性的でグロテスクな美の饗宴なので、もう私のハートはますます鷲掴みに。
 毎日毎日、繰り返し飽きもせず眺めております。

 最近見たDVD。

ロード・オブ・ウォリアーズ [DVD] ロード・オブ・ウォリアーズ(2006)モンス・モーリンド/ビョルン・スタイン
“Snapphanar” (2006) Måns Mårlind / Björn Stein

 例によって酷い邦題には閉口しますが、17世紀、スカンジナビア半島南端にあるスコーネ地方の所有権を巡って、デンマークとフィンランドが戦った「スコーネ戦争」を描いた史劇です。スウェーデン/リトアニア/デンマーク/フィンランド/ノルウェー合作のテレビ映画。
 北欧史なんて何も知らないので、当然このスコーネ戦争も初耳。加えて映画の主人公たちが、デンマーク軍でもフィンランド軍でもなく、その時点ではフィンランドに属しながらも被差別下にあるスコーネ地方で、自由を求めてデンマーク軍に加わっている義勇軍なので、パワーバランス的にもちとヤヤコシクて、最初のうちはキャラクター配置を掴むのがちょっと難しかったりしましたが、いったん乗ってしまえば後は快調、波瀾万丈の起伏に富んだストーリーをたっぷり楽しめます。
 内容的には、娯楽活劇とシビアな歴史劇の折半といった感じで、ちょいとそこいらへんが上手く噛み合っていない感はありますが(IMDbを見ると、どうやらこのDVDはオリジナルより14分短い短縮版のようなので、そのせいもあるのかも)、キャラクター・ドラマとしては個々の登場人物が魅力的だし、それを上手く生かしたグッとくるシーンも多々あるので、見ている間、2時間40分という長さは全く感じさせませんでした。
 ただ、本格的な歴史劇を期待してしまうと、フォーカスが施政者ではなく市井の人々なので、国家間のドラマ描写が少なかったり、いささか処理が安易だったりするのが物足りなくはあります。
 映像的には、ゲリラ戦的な手法のスコーネ義勇軍がメインなので、大規模な戦闘シーンはないせいもあり、物量感やスケール感はそれほどでもありませんが、いかにも寒々しい北欧の風景とか、貧しい農村とか城塞といったセット(後者は本物かも)とかは、ちゃんと必要充分以上の説得力あって佳良です。
 そんなこんなで、まあ何といっても稀少な題材ですし、モノガタリ自体はなかなか面白いので、コスチュームものがお好きだったら見て損はないです。
 あ、例によって責め場もあり。上半身裸にされた主人公が、鎖で両腕を左右に引っ張られ、見物人に囲まれて背中をフロッギング。雰囲気はけっこういいです。
 でも、主人公がマッチョではなく、どっちかというと優男なのが、私個人にとってはマイナス・ポイントだったり(笑)。ヒゲはあるけど、顔立ち自体はあんまタイプじゃないし(笑)。

『W(ワンダースリー)3』手塚治虫文庫全集版

 本屋に行ったら、手塚治虫文庫全集の第一回配本が並んでいたので、『W(ワンダースリー)3』(以下『W3』)全二巻を購入。

W3(1) (手塚治虫文庫全集 BT 15) W3(2) (手塚治虫文庫全集 BT 16)

 最大のお目当ては、2巻に収録されている「少年マガジン版」の復刻。
 馴染みのない方に簡単に説明しますと、『W3』は最初は「週刊少年マガジン」に連載されていたものの、とあるトラブルによって連載が中断、仕切直しを経て「週刊少年サンデー」で再連載されたという経緯があり(詳しくはWikipediaの「W3事件」でも見てください)、これまで単行本等で読むことができたのは、「少年サンデー版」の方。
 で、今回の文庫では、1巻と2巻の中途まで従来の「少年サンデー版」ベースの全編を収録し、2巻の後半に「少年マガジン版」の雑誌掲載分を復刻、という形になったもんですから、ウホウホ喜んで買ってきたわけで。

 まあ、未収録分を読むというためだけなら、2巻だけを買っても良かったんですけど、私の持っている『W3』の単行本(秋田書店サンデーコミック版)は、何てったって自分が小学生の頃(笑)に買ったものですし、実家に置いてあって手元にはないから、1巻も一緒に買いました。あともう一つ、あんまり大きな声では言えない個人的事情もあるんですが……それは後述(笑)。
 というわけで、「少年マガジン版」を全部読むのはこれが初めて(第一話の冒頭だけ何かで見た記憶あり)なんですが……
 ナルホドねぇ、これまで自分が読んでいた最終版の『W3』では、主人公・真一(および小川村を巡るアレコレ)と、主人公の兄・光一(および秘密組織フェニックスを巡るアレコレ)の間に、どこか微妙に埋まりきらないような齟齬を感じていたんですが(とはいえ、そういった齟齬……具体的に言うと、前近代的な日本の農村風景と、モダンな国際スパイ映画的な世界と、銀河スケールのSFテイストが、ひとかたまりになったストーリー……も、私にとっての『W3』の魅力の一つなんですけど)、当初の「少年マガジン版」では、こういった絡みかたをしていたんですか。これならきちんと繋がるなぁ。納得。

 作劇法の差異も興味深くて、モノガタリ全体の輪郭を最初から露わにしている最終版に対して、「少年マガジン版」は、謎の提示を冒頭に置き、関係の読み取れない複数の事象を並行して進行させ、やがてモノガタリ全体の大きな輪郭が見えてくる……という作りになっていて、これはかなり惹き込まれる。以前どなたかが(確か、みなもと太郎氏だったと思うけど)、「仕切直し後(つまり最終版)の『W3』を読んで、「少年マガジン版」との違いにガッカリした」といったようなことを、書かれているのを読んだ記憶がありますが、なるほど、その気持ちも判ります。
 ただ、作劇が魅力的とはいえ、同時に、光一青年とフェニックスの関わりとかは、今となっては荒唐無稽に過ぎる感もあるので、そこいらへんのディテールを割愛してモノガタリの枠外に置いてしまった最終版の方が、やはり「正解」なのかな、って気はします。それに、真一少年のキャラクターも、「少年マガジン版」のあか抜けたカッコイイ少年よりも、やっぱ最終版の、『無法松の一生』か『けんかえれじい』かってな、不器用で無骨(少年の形容には相応しくない言葉ではありますが)な少年の方が、私にとっては魅力的。

 しかし、改めて読んでみると、小川村のアレコレとか、エンディングのムードとか、ガキの頃に読んだときよりも、大人になった今の方が、ノスタルジーとかいろいろ入り交じって、なんか、しみますね。
 さて……と、前述した「私が1巻も買った大声では言えない理由」ですが……ま、判る方にはお判りですよね(笑)。毎度毎度こんなネタで申し訳ないんですけど、幼心にもアレ的にムズムズしたという意味でも、この『W3』には思い入れがありまして。
 この文庫全集版で言うと、210〜211ページ、285〜288ページあたりがソレなんで、お手持ちの方はご確認あそばせ。二つあわせて見ると、思っくそご納得いただけると思います(笑)。
 しかしまあ、久しぶり(20年ぶりくらい?)に再読したんですけど、我ながらホント、三つ子の魂百までとゆーか、雀百まで踊り忘れずとゆーか、自分の「変わってなさ」に呆れてしまう(笑)。