『オペラ座の怪人』(2004)ジョエル・シューマカー
“The Phantom of the Opera” (2004) Joel Schumacher
手堅く楽しませていただきました。絢爛豪華な衣装や美術、大盤振る舞いの歌、ケレンとハッタリが程々に効いた演出、映画代金分はタップリ楽しませて貰えた感じ。
ただ、それらが全て常識的な範疇におさまる類のものなので、そういったものを突き抜けるパワーには乏しい。まあ、これだけ見せてくれれば文句を言う筋合いはないんだけど、個人的な好みで言うならば、もうちょっと美的な力強さか、あるいは歪んだ魅力といった要素が欲しかったところ。
じっさいオペラ座という「表(地上)」の光景は、贅を尽くしてふんだんに描かれているんだけど、実はその「裏(地下)」に、日常と隔絶した闇の別世界が拡がっている……というゴシック・ロマン的なニュアンスは、スケール的にも美学的にも物足りない印象で、ちょっと「ゾクゾク感」には欠けるかな。
キャラクターの造形がツッコミ不足だったり、物語の流れがちょっとギクシャクしているのは、まあミュージカルだとある程度は仕方がないでしょう。
そもそもが非日常的なミュージカルの世界では、語られる物語がシリアスであればあるほど、歌舞シーンとの乖離が激しくなってしまうのは必然でもある。更に極端なことを言えば、メインはあくまでも歌や踊りであって、物語なんて必要最低限の添え物でも構わないわけだし。
そういう意味ではこの映画、物語的な部分とショー的な要素の両立という点では、まずまずの健闘と言って良いのでは。少なくとも、バランスは良く取れていたと思います。
怪人がえらくカッコいいのは、魅力でもあり、同時に弱点でもあり。
というのも、このセクシーさとカッコよさでは、いくら仮面で顔を半分隠していても、どうしても「才色兼備の自信たっぷりの男」に見えてしまうのだ。そうなると、本来あるべきはずのはみだしてしまった者の悲哀とか、誰にも受け入れてもらえない怪物の哀しみとかが、あまり説得力がなくなってきてしまう。この怪人の造形は、モンスター的というよりもピカレスク・ロマンのヒーロー的なんですな。
で、ついつい「ひゃ〜、カッコいい〜!」「いよっ、成駒屋!」「アタシを攫って〜!」なんて気分で見ていると(ホント、もし私がヒロインだったら、あんな華のない青年貴族なんかはさっさと袖にして、怪人相手にあっさり股を開いちゃうぞ)、クライマックスになって、おっとビックリ、そうそう、この怪人は醜さの余り誰にも受け入れて貰えなかったっつー設定だった……なんて、ようやく思い出したりして(笑)。
しかしまあ、これは私がもともとこの怪人役のジェラルド・バトラーを好きなせいもあるのかも。この人主演のテレビ映画で、”Attila” (2001) という史劇もの(日本では劇場未公開&国内盤DVDも未発売。でもWOWOWだかCSだかでは放送があったらしい)がありましてね、あたしゃ輸入盤で見たんですが、そんときのヒゲ面&腰布(どっちも個人的にフェチ心を擽られるアイテム)姿が実にステキでねぇ。そのあと急いで『ドラキュリア』(2000)を借りに行ったくらいで(笑)。
というわけで、そんな私にとっては、この怪人の造形も「これはこれでオッケー!」だし、ものすご〜くカッコいいんだけど、それでも哀切さとかいった点では、元ネタを同じくする映画同士で比べると、ブライアン・デ・パルマ監督の『ファントム・オブ・パラダイス』(1974)や、クロード・レインズ主演の『オペラの怪人』(1943)の方が、胸に迫るものがありましたな。
有名なロン・チェイニーのは、浅学にして未見。ダリオ・アルジェントのは……あれはけっこうトンデモ映画だったからなぁ(笑)、嫌いじゃないけど(笑)。
因みに一番好きなシーンはというと、怪人から手紙を受け取った人々が次々に集まって、主演を降りそうになるカルロッタを宥めて……という一連の重唱。ここは「お見事!」って感じで、かなりの満足感がありました。
あと、このシークエンスの中でカルロッタが衣装を装着するところは、サンダーバードの発進かパイルダー・オンかって感じで、あのトンデモナイかつら共々お気に入り(笑)。
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『アレキサンダー』
『アレキサンダー』(2004)オリバー・ストーン
“Alexander” (2004) Oliver Stone
正直なところ出だしからしばらくは、見ていてかなりイライラさせられた。
いきなり世界の七不思議の一つアレクサンドリアの大灯台が出たときには、思わず嬉しくなっちゃったものの、その後は、まるでドラマへのスムーズな導入をあえて拒むかのように、説明的なモノローグが延々と続く。そして、壮麗さもなければ原初的な荒々しさもない、美的にはほとんど魅力が感じられないマケドニアの衣装やセット。グラグラとドキュメンタリー調に揺れ、人物ばかりを追って世界を捉えないカメラ。ひたすら下卑たいがみあいを続ける、人物的にはおよそ魅力的ではない王や王妃、親族たち。幼年期の主人公のエピソードのとりとめのなさ。成長した主人公の、まるで何か悪い冗談のようなコスチュームの似合わなさ。
それでもやっと、母からの自立や父子のすれ違いなどを経て、こちらがドラマに乗りかけてきたかと思えば、その矢先に、見せなければいけない(と思われた)シーンはナレーションであっさり流され、いきなり次はガウガメラの戦い。
正直なトコロ、ここいらへんでいいかげんにもう限界。「いやぁ、こりゃあハズれだったかなぁ……」なんて諦め気分に。
ところが、やけに埃っぽい臨場感のある戦闘シーンを見ているうちに、だんだん気分がのってきた。
特に戦闘後の、どう見てもベトナム戦争か何かの野戦病院にしか見えないシーン。ここまで来て、ああ、神話伝説の類から虚飾やロマンを剥ぎ取り、リアリズム的にそれらを再構築しようというのが監督の意図ならば、それはそれで面白いよな、なんて感じたりして。
そして、バビロン入城(ここで、またもや世界七不思議の一つバビロンの空中庭園と、崩壊しているバベルの塔が、同一フレームに収まっているなんていう、何とも贅沢な画面が見られて、これまた嬉しくなっちゃった)あたりから、決定的に風向きが変わる。
例えば、前半のギリシャ文化圏の美術の貧相さは、中盤以降のアジア圏の美術の豊かさと対比されて、それまで主人公たちが信じてきた「文化的なギリシャと野蛮な他国」という対比が、実は全く逆であったということを、登場人物たちと同時に私にも知らしめる意義へと転じた。
そして、更に遠征が進むにつれて、私が当初期待していたような英雄やカリスマとしての主人公ではなく、幼少期からの根強いトラウマとコンプレックスを抱え、ひたすら自分の存在意義と自分を受け入れてくれる居場所を探し続けた、寄る辺ない不幸な青年像が露わになっていく。
これならば、マケドニア王としてのコスチュームが似合わず、薄汚れてボロボロになればなるほどしっくりしてくるのも合点だ。見ていて嫌ンなっちゃうような両親も、そりゃあトラウマもコンプレックスも根深くなるわと納得。幼児期のエピソードも、ちゃんと伏線として回収されるし、焦点が写実的リアリズムや人物の内面にあるのならば、カメラだってこれが妥当なのだろう。作劇上は見せなければいけないはずなのに省略されていた部分も、後半になって、物語の実像を掴み始めたタイミングを見計らって、ちゃんと好位置に挿入されるし。
理解者と理想を求めて突き進むが、突き進めば突き進むほど孤独になり、トラウマにもコンプレックスにも押し潰され、最後まで己の居場所を見つけられずに死んだ一青年の悲劇。自らを重ね合わせていた「己の影に脅えていた」愛馬は、伝説としてしかるべき時と場所で息絶えたのに、主人公にはそれすらも与えられない。母によって自分のアイデンティティーを否定された息子は、熱望した父には受け入れて貰えず、最終的には母の嘘(と、ここでは言い切ってしまうが)に縋らざるをえない。不在の父親は母の語るゼウスに置き換わり、自らをヘラクレスに模しながら(ヘラクレスの父親はゼウスであり、その装束はライオンの毛皮である)、自分を迎えにくる鷲の幻影(鷲はゼウスの象徴だ)を見ながら息絶える。
う〜む、これはかなり悲しいぞ。
ただ、こういったことは、いわば現実的な視点による伝説の解体であり、それは単なる伝説の矮小化となる危険も秘めている。
しかし、それも巧みなバランス配分によって回避される。
例えば、主人公の卑近で人間的な物語と同時に、そこにギリシャ悲劇との重なり合いが提示される。最も露骨なのは主人公のエディプス・コンプレックスの語源である「オイディプス王」だが、それ以外にもメディア、ヘラクレス、プロメテウスといった、必然的にソフォクレス、エウリピデス、アイスキュロスの三大悲劇詩人を連想させるキーワードが配されている。これによって、一見解体されて矮小化したような物語も、しかしそれもまた伝説の持つ普遍性の一つであることが示されている。
また、アレキサンダー大王を主体としたドラマをメインとしつつ、その外側にそれを後になってから俯瞰的に回想するプトレマイオスの語りを配置するという、物語の枠を二重にして対比させている手法も同様だ。このことによって、物語の最終的な全体像は、さらに外側にいる観客(つまり私だ)それぞれの判断に委ねられる。こうして、幻想を剥ぎ取られて解体された伝説が、現代人である私の内に再構築されたとすれば、そこには新たな普遍性が生まれる。
ここいらへんも、なかなか面白い。
観客への問いかけという点では、その姿勢が挑発的なのも面白い。
主人公はたびたび、異なる文化を受け入れようとしない、理解しようとしない人々に苛立ちを見せる。これは同時に、観客に向けられた試金石でもある。
映画で語られる同性愛の要素(厳密に言うと、この時代における男同士の交わりというものは、現代における同性愛とイコールではないのだが、そこいらへんは煩雑になるし、同様の問題については以前に自著で詳しく触れているので割愛します)は、そこには物語的な必然性はない。同性愛的な描写は、この時代には同性愛がタブーではなかったということを描くためにしても、テーマの一つに同性愛を盛り込むためにしても、いずれにしても中途半端だ。変に執拗なわりには、深く突っ込まれることがない。
ところが、仮に、歴史上の偉人が同性愛者であったということを描くのが、その偉人を貶めていると怒るとすれば、それはそう怒る人々が、同性愛を劣った忌むべきものだという、差別的な考えを持っているということを露呈することになる。また、必然性がない同性愛的要素の描写に疑問を唱えるとすれば、それはすなわちそういう疑問を抱く人々が、一見理知的に同性愛を受容しているように見えながら、実のところは彼らが同性愛に対して「必然がなければ表に出てはいけないもの」と、無意識のうちにやはり差別的に捉えていることを示してしまう。
実のところ、この映画のアレキサンダーとヘファイスティオンの関係は、もしそれが男女のものであったのならば、観客は何の違和感もなく自然に見るだろう。そかしそれが同性愛であるというだけで、こういった「なぜ同性愛者にするのか」「なぜ同性愛を描く必要があるのか」といった疑問が噴出する。
かつて映画においてゲイはタブーであり、『ベン・ハー』や『スパルタカス』でも同性愛的な要素は巧みに隠匿されていた。現在ではゲイを描いた映画は、珍しくも何ともなくなった。しかし実は、それはあくまでも映画の主眼が同性愛の特殊性に搾られた場合か、あるいは同性愛者に特定の役割を担わせる場合にのみ通用しているだけであり、ごく当たり前に同性愛者が登場することについては未だに否定的だということを、この映画を巡る論議は露呈する。
つまり、この映画における同性愛的な要素を、「なぜ」を抱かずにそのまま受容することができなければ、その観客はアレキサンダーが劇中で非難している、「他文化を受け入れようとしない人々」と同じになってしまうのだ。
これはかなり挑発的であり、問題提起の手法としては興味深い。
こんな具合に、この映画は最初の印象とは裏腹に、最終的にはある意味で面白く見られた。
とはいえ、そういった「面白さ」が全て成功していたか、あるいは、映画作品として素晴らしかったかといえば、残念ながら必ずしもイエスとは言えない。
歴史上未曾有のことを成し遂げた主人公について、「なぜそれをしたか」という部分に関してはある程度の説明があるし、「どういう人物だったか」という考察としても興味深いものの、では「なぜそれができたか」という説得力には乏しい。主人公の成育史など「理」に訴えかけてくる部分は多いが、「感覚」に訴えかけてくる部分が乏しく、結果としてエモーションはさほど揺さぶられないからだ。
また、登場人物が多いわりには語られるのは主人公のことばかりで、群衆劇的な魅力にはおよそ欠けている。少なくとも私は、脇を固める人々のうち、だれ一人としてそこに「生きた魅力」を感じることはできなかった。
前述したエモーションの欠如の理由の一つには、映像と音楽のミスマッチもあるかもしれない。音楽担当のヴァンゲリスは、ギリシャ出身であると同時に、かつて”Spiral”や”China”といったアルバムで東洋思想への接近を見せたこともあるので、理屈から言えば適材であるとも言える。また、ヴァンゲリスの楽曲自体を、劇伴であることを離れた独立した作品として聞いてみると、近年の”El Greco”や”Mythodia”以降の路線の延長線上にあるなかなかの好作だ。しかし、基本的に「ロマン」を謳う彼の作風と、古代憧憬的なロマンを次々と解体していくこの映画の内容は、やはり何ともちぐはぐで、どうも水と油のような印象を受けてしまった(もちろん上手く合致していた部分もありましたが、総合的に見ると、ということです)。
もしヴァンゲリスが、Aphrodite’s Child時代の”666″や、Vangelis O. Papathanassiou名義の”Earth”の頃のように、ロマンチシズムと同時に土俗的な荒々しさやロック的なアナーキーさを持ちあわせていた頃の作風であったのなら、もうちょっと上手く映像と合致したかもしれない……なんて、つい埒もないことを考えてしまうのは、ただのファン心理か(笑)。
というわけで、考えながら見る分には、単に自分の深読みに過ぎないかもしれない部分も含めて、なかなか面白く見られたのだが、私は基本的に、表現の本質とは、理屈や知識とは無縁のところにあると思っているので、そういう面白さだけでは物足りない……というのが総合的な印象。
しかし、退屈はしなかったし、趣味の相違を除けば、作家性がハッキリしているという点は興味深いし、意欲的だし、志も感じられる作品ではある。内容的な如何ではなく、アクの強さと言ったベクトルで見れば、こういったパワフルな作風は好みでもある。
というわけで、いろいろと微妙ではあるものの、好きか嫌いかと聞かれたら「好き」ですね、この映画。
あ、でも、私個人のゲイ的な興趣を擽られる部分は、皆無でした(笑)。
ただし、アレキサンダーとヘファイスティオンが、裏でやることやっているのではなく、本当にセックスはおろかキスもしていなかった……と解釈するならば、そーゆープラトニック・ラブとしての同性愛に憧れる方だったら、それなりにオススメできるかも。見ようによってはこの二人の関係は、アレキサンダーがちゃんと男とセックスもしたがっているマジモンのゲイで、しかしヘファイスティオンはあくまでもプラトン的な理想としての同性愛を希求しているだけなので、アレキサンダーはどうしてもヘファイスティオンにセックスを迫ることができず、代わりにセックスはペルシャ人のダンサーと……なんて風にも受け取れる。だとしたら、実はヘファイスティオンすら真の理解者ではなくなるわけで、これはえらい悲しいことです。
ただまあ、私個人としては、そんなセックスフォビックなロマンチシズムは好きじゃないけど。
責め場的な見所? ……まあ、死体や血はいっぱい出てきますよ。
それだけ(笑)。
『ファイアー・アンド・ソード』
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ファイアー・アンド・ソード(1999)イェジー・ホフマン “Ogniem i mieczem” (1999) Jerzy Hoffman |
ポーランド映画。17世紀中頃、ポーランド人とコサックの内戦で荒れていくポーランド王国を背景に、若い男女の恋愛や、多彩な人物の愛憎渦巻く交錯を描く、壮大な大河ドラマ。
原作は、前に書いた『クオ・ヴァディス』と同じヘンリク・シェンキェーヴィチ。監督のイェジー・ホフマンという人は初耳ですが、調べたらどうもポーランドでは50年代から活躍しているベテラン監督らしいです。
主演はミハウ・ジェブロフスキー。で、実は私、以前同じポーランド産のファンタジー映画『コンクエスタドール』を見て、この人に一目惚れしておりまして(笑)。その彼が主演で、しかも大好きな歴史劇ときたから、もう問答無用、ロクに中身も確かめずにDVDを購入してしまいましたとさ(笑)。
ヒロインはイザベラ・スコルプコ。他の出演作に『サラマンダー』と『エクソシスト ビギニング』があって「ああ、あの人か」と納得。なかなかの美人さんです。
物語は、私がこの頃のポーランドの時代背景に疎いせいもあって、正直かなり判りづらい印象。
基本的にはポーランド人とコサックが対立しており、コサックの応援にタタール人が絡んでくるんですが、コサックはポーランド人と対立はしているものの、国王自身は尊敬しており、憎悪の対象なのは実質的な統治権を握っている貴族階級であるとか、国王と議会も、議会の権力が国王のそれを上回っているせいで、対立とまでは言わないまでも芳しくはない関係であったり、或いは対外的にも、前述のタタール人や、ロシア、トルコといった国々が脅威であったり……というように、それぞれの勢力の関係が、かなり入り組んでいる。そこいらへんがいまいち理解しづらいので、映画を見ていても、どことどこが戦争をしているのか、何のために闘っているのか、登場人物の誰がどういう立場なのか、ちょっと混乱してしまう。
加えて展開のテンポが早すぎて、とにかくぱっぱかぱっぱか話が進むから、何がどうしてこうなったのか、何でこの人がここにいるのか……なんて単純なことすら、良く判らなくなってしまうこともある。それがなければ、物語としてはかなり面白そうな気配がするので、何とも残念です。
とは言え、美術や衣装は実に素晴らしく、エキゾチック(我々にとっては、ですけど)で豪奢な衣装の数々とか、コサックの荒々しい歌や踊りの魅力とか、重厚な背景とかは、もう存分に楽しめます。戦闘シーンの迫力もなかなかのもの。画像的には、過去や現在の史劇映画の数々と比較しても(……とは言いつつ、この辺りを描いた史劇は、私はユル・ブリンナー主演の『隊長ブーリバ』くらいしか見たことないですけど)全く遜色のない、いや、かなりハイレベルだと言っていいかも。
あと音楽も、壮大さと哀感や、クラシック的要素と民族音楽的要素が入り交じった、メロディアスにして重厚なスコアで、かなり聴かせます。もしサントラ盤があったら、絶対に欲しい。……なさそうだけど(笑)。
ってな具合で、とにかく「惜しい!」というのが最初の印象。
俳優は、まず前述の主役ヤン中尉を演じるミハウ・ジェブロフスキー。ルックスは、クリストファー・ランバートとラッセル・クロウを足して二で割った様で、眼光鋭いなかなかの男前。低めの声もセクシー。でも、実は私、この人が『戦場のピアニスト』にも出ていたと後になって知ったんですが、その時は全く気付きませんでした(笑)。もう一回見れば、どの役だったのか判るかなぁ? 役作りなのか、前述の『コンクエスタドール』よりウェイトが落ちていたのは残念。あと、面積の拡がったモヒカンというか、逆ザビエルというか、とにかくこの時代のポーランド人がそうであったらしい独特なヘアスタイルにも、ちょいと馴染めない。でもまあ、毛皮の帽子を被っているシーンが多いから、そんなには気にならないけど(笑)。
ヒロインのイザベラ・スコルプコは、前述のような美人さんだし、コスチュームもばっちり決まって、立ち居振る舞いも気品を感じさせるんですが、いかんせん登場シーンが少ない。特に中盤以降は、もう、ほんとビックリするくらい出てこない(笑)。
他にも恋敵のコサック戦士(何故かこの人だけ、髪型が他のコサックと違うのが謎。他のコサックは弁髪みたいなヘアスタイルなのに、この恋敵はフツーのロン毛なの)とか、怪力だけど信心深い大男・ちょっと情けないけど憎めない大デブ・コサックのカリスマ指導者(皆さんいずれも、カイゼルヒゲが長く垂れたような、独特の口ヒゲをたくわえてらっしゃいます)などなど、色々な人物が出てはくるんですが、ヒーロー&ヒロインも含めて、いまいちキャラが立っていない。
というのも、これは前述した「とにかく展開が早すぎる」せいもあるんですが、それぞれのキャラクター描写が圧倒的に足りないし、ドラマも物語を追うのが精一杯で「溜め」がないために、例えば友人と再会したり、あるいは仲間同士の絆が育ったり、または悲劇が起こっても、そこにしかるべきエモーションが湧いてこないんですな。感情移入ができない分、感動も薄くなる。
で、そんなこんなで、ふと疑問に思ったんですよ。「ひょっとしたらコレ、短縮版なんじゃないか?」ってね。
というのも、以前にも同様の最近作られた史劇をDVDで見て、どうも話の展開が速すぎる、というか、あきらかに所々欠けているとしか思えなかったものが幾つかあり(ピーター・オトゥールとシャーロット・ランプリングが出ていた『ローマン・エンパイア』とか、ニコラス・ローグ監督のデニス・ホッパーが出ていた『サムソンとデリラ』とか)、奇妙に思ってIMDbで調べたら、日本で発売されているのは尺を切った短縮版だった、ということがあったんですよ。
で、この『ファイアー・アンド・ソード』も調べてみた。そうしたら、案の定。日本盤DVDのランニングタイムは106分。しかしIMDbでは175分とクレジットされている。これで納得。一時間以上も縮めたら、そりゃあ話もブツブツになるわい。12CHの「午後のロードショー」みたいなもんで。
まあ、普通なら私もココで終わりなんですが、何せこれはミハウ・ジェブロフスキーを拝める数少ないチャンスだし、しかも前述のように「とにかく惜しい!」と思った映画だったから、海外版を入手できないか、ちょいと調べてみようという気になりまして。
最初はアメリカ盤DVDを調べたんですが、尺はOKだけど字幕の有無が判らない。というより、アメリカ盤だと英語吹き替えのみの可能性も大。ただ、フルスクリーン版で、これはどうやら元々がテレビのミニシリーズであるらしいので、こっちが本来のノートリミングで、私が見た日本盤は劇場公開様に上下にマスクを切ったものらしい。
そしてもう一つ、本国ポーランド盤DVDを発見。これがもちろんPALではあるものの、尺はOK、しかも嬉しいことに英語字幕入り(他にもポーランド語・ロシア語・フランス語・ウクライナ語の字幕も入ってる)。画面はワイドだけど、スクイーズ収録(日本盤はスクイーズなしのレターボックス)。英語字幕の有無は大きいので、こっちを購入してみることにしました。いやぁ、ポーランドから通販でものを買うのは初体験(笑)。
で、届いたのがこちらのDVD。

早速鑑賞したところ、これが前述の不満がことごとく吹き飛んだ!
とにかくもう、物語が極めつけに面白い。多彩な人物の運命が、絡んでは離れ、もつれては解けていく、大河ドラマ的な醍醐味はバツグンだし、運命に翻弄される恋人同士の、いかにも古典的なすれ違い劇も楽しい。戦闘シーンも、ちょっとした要素が加わることによって、迫力も深みも増している。エピック的な高揚感が増しているのと同時に、戦争の不条理さや哀しさもしっかり描いているのも良い。
カットされていたシーンの中には、それぞれのキャラクターたちの、大筋とは関係が薄いものの、それでもその内面や魅力を伝える小さいエピソードが多く、もうキャラクターが立ちまくり。感情移入だってバッチリで、倍増して伝わってくる仲間たちの絆の強さなんか、思わず嬉しくなっちゃうし、全く印象に残らなかったキャラも、しっかり人間的な厚味を与えられた好キャラになってるし、極めつけは例の「感動の薄い悲劇」シーンで、今度は見ていて思わず目頭が熱くなったほど。もう、ヒーロー&ヒロインはもちろんのこと、他の登場人物の輝きは倍増以上、役者さんの魅力も全員ズドーンと上昇。
特に気の毒だったのは、ヒロインのイザベラ・スコルプコちゃんで、実は出演シーンはほとんどカットされちゃってたのね。オールヌードもあったのに。この物語のヒロインはいかにも古典的な受け身の女性で、こーゆーのって最近のハリウッド映画だと、女性差別絡みもあって必ずアクティブに改変されるんだけど、この映画ではそういうこともなく、久々にクラシックなヒロイン像が逆に新鮮でした。美人で、気品もあって、しかも愛らしさもあって、でも芯は強くて。ヒーローと愛し合っているのに、もう映画も終わりに近付いて、ようやくキス。それも、とっても静かで穏やかなキスシーンで、見ていて思わず古典的なロマンチック気分に浸っちゃいました(笑)。このキスシーンは、かなり好きだなあ。
物語の流れを繋ぐ大きなエピソードが、丸々カットされていた部分も多々あり、短縮盤を見ていて「何がどうしてこうなったのか」と釈然としなかった部分も、なるほど納得、拳をポン。また、話やキャラクターとはあまり関係なくても、目にも楽しい歌舞シーンとか、音楽と映像の効果が絶妙な風景シーンなんかが増えていたのも嬉しい。ベタなユーモアも、また楽し。
新キャラなんてのもいて、おい、魔女なんか前のバージョンには出てこなかったぞ(笑)! おかげで神話的・伝奇的要素も仄かに香って、ますます私好み。魔女が水車で未来を占ったりするあたり、何となくオトフリート・プロイスラーの小説『クラバート』(カレル・ゼマンが映画化してます)や、イジィ・トルンカの人形アニメーション『悪魔の水車小屋』なんかを思い出して、ちょっと嬉しい気分に。
時代背景等は、これは私の英語力の弱さもあり、まだちょっと判らない部分は残りましたが、それでも短縮版に比べると遙かに判りやすくなっている。詳細は判らなくても、見ていて「この人が何のためにこんなことをするのか?」といった疑問は湧いてこないので、つっかえたり混乱することはない。
もう一つ、オリジナル版には信仰に関する描写がいくつかあり、これがドラマの裏に流れつつ、同時に静かで美しい見せ場になっているので、ここいらへんはいかにも『クオ・ヴァディス』を書いた作家さんだなぁと納得。そういえばシェンキェーヴィチは『クオ・ヴァディス』を書く際に、当時ソ連に苦しめられていた祖国ポーランドの状況を重ね合わせていたとか聞いた覚えがあるので、となるとこの『ファイアー・アンド・ソード』も、その後延々と続くポーランドの悲劇の始まりを描いた、なかなか重いテーマを内包しているようにも思えます。
ちょっとビックリだったのが、短縮版にはあったのに完全版にはないシーンも、一カ所あったこと。となると、元のテレビ版(全4話らしい)には、まだまだ別のシーンがあるのかなぁ。そのテレビシリーズも、どうやらこの後に2作続いて、最終的にはポーランドの歴史を綴った三部作となっているらしいので、そうなるとそっちにも興味を惹かれる。
とまあ、あんなこんなで3時間以上、もう夢中で一気に見ちゃいました。で、見終わったあとの印象は、う〜ん、これって「傑作」と言っていいのでは? 面白さと見応えという満足感に、画面の良さも加わった、最近見たこれ系の史劇ものの中では、もうトップクラスです。
まあ強いて言えば、東洋系のタタール人の描写に、やはり一種の偏見に基づくものが感じられたり、その他大勢のタタール人は東洋人の風貌なのに、セリフのある役者はどう見ても西欧人だったりとか、同じモンゴロイドとしてはちょっと気になる瑕瑾もありますが。
完全版を見るのは難しそうですが、もし日本盤の完全版DVDが発売されたり、あるいは衛星放送か何かでやることがあったなら、ぜひオススメしたい一本です。
でもって、実は私、このポーランド盤を買ったときに、同じイェジー・ホフマン監督・ミハウ・ジェブロフスキー主演というコンビの、2003年制作の”Stara basn”という神話・伝説ネタらしき映画のDVDを見つけて、思わず一緒に買っちゃったんですな(笑)。まだ見てはいないんだけど、これまた英語字幕付きだし、楽しみにしているところ。
でも、こーゆーのに限って、そのうちアッサリ日本盤が出たりするんだよなぁ(笑)。(【追記】後に『THE レジェンド 伝説の勇者』という邦題で日本盤DVD出ました)前に買った剣闘士ネタのドイツ製テレビ映画も、今度日本盤が出るし。『ラスト・グラディエーター』という邦題で、これはドイツ語オンリーだったんで、いまいち内容把握に自信はないんだけど、ローマの捕虜になり剣闘士にされた三人の兄弟(うち一人は女)を巡る物語。こぢんまりとしつつも、娯楽作のツボは押さえた佳品という印象でした。訓練所の汗くさい感じなんか、なかなか良かったし。テレビシリーズの『コナン』の主役で、リドリー・スコットの『グラディエーター』にも出てた、ボディービルダーのラルフ・モーラーが、ゲスト出演みたいなチョイ役で出てます。
そうそう、日本盤といえば、前に『テキサス・チェーンソー』のときに書いた、ジェームズ・ランディス監督・アーチ・ホール・Jr主演の『サディスト』(1962)という白黒映画、今度日本盤DVDが出るらしくって、何だかビックリであります(笑)。
さて、真面目な感想の後に、不謹慎ネタも(笑)。残酷ネタとエロネタ嫌いの人は読まないように。
まず責め場ですが、これといったものはないけれど、日本盤もポーランド盤も共通して、ちょっと珍しいところで「串刺し刑」のシーンがあります。血で真っ赤に染まった木の杭をティルトアップしていくと、尻からブッ刺されている腰布一枚のコサック兵が。しかもまだ絶命していないの。うん、映画でこーゆー串刺し刑を見たのは、私は初めてかも。
あとまあ、ほんの一瞬で、しかもロングショットですが、罪人が村の広場の晒し台に、首と手を枷で固定されて晒されているシーンがあります。着衣だけど(笑)。これも両盤共通。
日本盤には、絞首刑に処された死体が吊り下がっているシーンがありますが、ポーランド盤では、馬の背に乗せて絞首刑を実行するシーンもあり(西部劇なんかで見るアレと同じ)、吊り下がった死体のシーンもあちこちに増えて4倍増くらい。
それとね、これはポーランド盤だけなんですが、男のチ××とキ××マが見えるシーンがあってビックリ。『クオ・ヴァディス』のときに、女性の乳首を男が唇に挟む描写がテレビでオッケーなのに驚いた私ですが、いやいや、まだまだ甘かった(笑)。
しかしこんなことで驚いていると、改めて日本というのは、表現面では文化的後進国だと痛感しますなあ。
やれやれ。
| THE レジェンド -伝説の勇者- [DVD] 価格:¥ 500(税込) 発売日:2011-11-21 |
Garagebandとか
ようやく修羅場が明けたので、プロットやラフやコンテ等の軽い仕事をしつつ、溜まった未見のDVDをせっせと鑑賞したり、Garagebandいじくったりしてしてたら、あっという間に次の締め切りが目前に。あうあう(泣)。
それにしてもGaragebandってのは楽しいソフトですなぁ。現在ちょっとハマり気味。これとかPoserとかBryceとか、趣味の範囲でちょこちょこいじるだけでも楽しめる系のソフトって、本当に好きだ。
もともとループ系やサンプリング系の音楽は好きなせいもあって、プリセット切り張りしたり楽器の音色を変えて遊んでるだけでも楽しいんだけど、困ったことに、最近だんだんMIDIキーボードを買いたいという欲求が(笑)。ブラウザのキーボードからトラックパッドで単音を打ち込んで(iBookでやってるもんで)、あとからタイミングを調整したり和音を足したりしてたら、8小節作っただけで疲労困憊、力尽きました(笑)。
でまあ、そんなこんなで曲が20分ほど溜まったので、試しにCDに焼いてみたりして、そうなるとジャケも欲しいから、ここいらへんは昔取った杵柄でサクっと作ってみたりして、どうせなら最近お気に入りのConstellationレーベルっぽい雰囲気を狙おうか……ってんで、でき上がったのがコレ。

見開き状態。興味のある方はクリックすれば、もうちょっと大きな画像になります(笑)。
『王の帰還』ギフトボックス

予約していた『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』スペシャル・エクステンデッド・バージョンのギフトボックスが、昨日到着。
そして今日は私の誕生日なんで、まあ自分から自分へのプレゼントってことで。ハッピー・バースデー・トゥーミー(笑)。ミナス・ティリスの模型が、何だかプチケーキのようだ。外箱がちょっとひしゃげていたのは悲しいけど。
しかし、ちょうど現在、締め切り前の修羅場真っ最中なので、見る暇がない。うががが。
「DVDを見たいかもしれない。眠りたいかもしれない。しかしそれは今日ではない! 今日は仕事をする日だ! うぉ〜!!!」(ウロ覚え)……ってなわけで、シコシコお仕事中です(笑)。

でも、とりあえず開封して、中身を移し替え。
ちょうど『二つの塔』のギフトボックスに付いていた予備のボックスがあるので、その中に『旅の仲間』『二つの塔』『王の帰還』それぞれの劇場公開版DVDとエクステンデッド版DVDを入れ、『二つの塔』オマケのゴラムDVDと『王の帰還』オマケのシンフォニーDVDを入れたら、上手くきっちり収まっていい感じ(笑)。
『Gay @ Paris』予約プロジェクト
拙著『日本のゲイ・エロティック・アート』でお世話になっているポット出版さんと、以前ロフトプラスワンのイベントでお世話になった及川健二さんが、出版に関するちょっと面白そうなプロジェクトを立ち上げています。
何でも「事前予約が100人集まれば、本が刊行される」という仕組みらしく。
で、それがどんな本かといいますと、
「大統領がゲイ雑誌に登場する」「国民の65%が同性愛に理解を示す」「ゲイ術家(Gay Artist)が文化の一支流を担う」「パリ市長はゲイであることを公言している」「駅のキヨスクではゲイ雑誌が売られる」「大学にはゲイの出会いパーティーのチラシが配られる」……そんな「ゲイ&レズビアンの天国」フランスの性事情について報告するという書籍『Gay @ Paris』
……というものだそうで。
何だか面白げな本ですので、興味のある方はぜひどうぞ。
詳しくはこちらから。
『レッドナイト』
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『レッドナイト』(2003)エレーヌ・アンジェル Rencontre Avec Le Dragon (2003) Helene Angel |
劇場未公開のフランス映画。これは意外に拾いものでした。
とはいえ、パッケージ記載の「十字軍遠征で伝説となった孤高の戦士“レッドナイト”の熱く激しい戦い!!」とゆーアオリ文句から、エピックやスペクタクル、アドベンチャー系を期待すると、拍子抜けすること間違いなし。そういった意味での見所は、全くなし。血湧き肉躍る冒険や、派手な合戦シーンなんかを期待して見たら、観賞後は間違いなく「何じゃこりゃぁ!」となります(笑)。
にも関わらずこれは、「クッソ〜、騙された、金返せ!」ではなく、「おやおや、意外にめっけもんじゃん?」って感じの映画なんですよ。
物語の外枠は、いちおうファンタジー系の騎士物語を踏襲しています。
友人を「紅の竜」の炎の中から救い出したことによって、不死の英雄となった騎士レッド・ナイト。レッド・ナイトに憧れ、従者となる孤児の少年。この二人の「探求の旅」に、妻を殺されたことにより、夜ごと猪に変身する宿命を背負った勇士とか、女たらしでお尋ね者の詩人とか、詩人に恋する修道院の尼僧とか、レッド・ナイトの宿敵騎士といった、なかなか魅力的な面々が絡んでくる。
ただこの「探求」というのが、その形こそあちらこちらの「場所」を訪れる「旅」ではあるものの、実際は「内面の探求」だというところがミソ。
主人公のレッド・ナイトは「伝説」を身に纏った存在として登場し、その周囲には数々の謎がある。旅を通じて、謎は次第に解き明かされていきますが、そのことによって「伝説」は解体されていく。つまり、ファンタジー系の騎士物語といった、定型化されたエピックやファンタジーのフォーマットは崩れていき、代わりに個々の人物の内面が浮かび上がってくる……という仕掛けになっている。
まあ、それだけで終わっていたら、私もさほどの興味は惹かれませんが、実はこの映画の場合、最後の最後にもう一つ仕掛けがありまして。
こうして最終的に完全に解体された「伝説」は、実はそうやって解体されたことによって、逆に新たな「伝説」として再生するんですな。その手際の鮮やかさに、個人的にかなりグッときまして、好感度もアップ。
いやぁ、好きだなぁ、こーゆーオチ。
あ、因みに物語自体は、別に難解でも何でもありません。フツーに面白いオハナシ。ただ、エピック的なカタルシスとは無縁だ、というだけで。
視覚面も、そういった構造に上手く追従していて、なかなか見応えがあります。
冒頭で、いきなり大胆な色彩設計に目を奪われるものの、それ以降の序盤では、ヴィジュアル面でのエキセントリックさはさほどない。ただ、構図は絵画的にバッチリ決まっているし、何となく神秘感も漂う、例えて言えば、ブアマンの『エクスカリバー』の後半(パルジファルの聖杯探求のくだり)のような雰囲気です。
旅が始まり、謎めいた要素が次々と提示されていく中盤は、大自然の中や遺跡めいた建造物の中に、慨然のものから微妙にずらしてあるような、ちょっと凝った衣装を纏った人物が配置されるという具合に、エキセントリックさが若干増してくる。ここいらへんは、パゾリーニの『王女メディア』『アポロンの地獄』や、ホドロフスキーの『エル・トポ』を、もっと軽くしたような感じ。
そして、クライマックスに相当する旅の終焉地になると、エキセントリックさは更に増して、フェリーニの『サテリコン』のような、諧謔味や祝祭的な雰囲気も加わってくる。
大仕掛けなセットがないので、美術を楽しむという意味では、衣装やちょっとした小道具に留まってしまうのは少し残念ですが、それらの中に明らかに日本文化からの引用が見られることとか、或いは、それらを計算された構図で自然の中に配置することで、異質感と象徴性を帯びた絵を作り上げるといったセンスなどは、小粒ながらも見所はいろいろ。
役者は、レッド・ナイト役でダニエル・オートゥイユという大物(ですよね? フランス映画はいまいち疎いので自信なし)も出ていますが、基本的にどの役柄も寓意的な記号という側面が強いので、演技云々はあまり印象に残りません。
それより、メインも脇役も全部含めて、顔や体つきに記号的に強烈な個性が乏しいのが惜しい。それこそ前述のパゾリーニやホドロフスキーやフェリーニや、あるいは『薔薇の名前』あたりと比較しても、登場人物がごく当たり前の外見の面々なので、どうしても「濃さ」に欠ける印象。
まあ、真っ当な意味では、ラウル役のセルジ・ロペスという熊さんは、なかなか可愛くはありましたが(笑)。
つまり、この映画は史劇やアドベンチャー系のような売られ方をしていますが、実質は、アート系(あんまり好きな言い方じゃないですけど)映画のファンにアピールしうるような、そんな内容なんですな。上で例に挙げたような映画がお好きなかたでしたら、満足度の大小は別としても、それなりに楽しめると思います。
もしこの映画を、あまり予備知識なしで単館上映かなにかで見ていたら、後々になってもちょっと尾を引くような「何となく忘れられない映画」になっていそう。で、内容を忘れた頃になって、「ああ、もう一回見たいなあ」なんて思ったり。
個人的に例えると、アルゼンチン映画の『南東から来た男』とか、ニュージーランド映画の『ビジル』とか、ロシア映画の『スタフ王の野蛮な狩り』とか、スレイマン・シセの『ひかり』とか、デッド・カン・ダンスのリサ・ジェラルドが出ていた『月の子ども』とか、そこいらへんの映画に仲間入りしていたかも(笑)。
ただ、こうして本質と異なるような売り方をされてしまうと、その売り方で食いついた観客は失望しか得られないでしょうね。逆に、こういった映画を求めている観客には、この売り方では届かないわけで。
まあ、「興業」や「商品」を売るためという、それなりの理由があるのは判りますけどね。でも目先ではなく長い目で見ると、結局はどちらにとっても不幸な結果しか生まれないわけで。
残念なことです。
『クオ・ヴァディス』追補
『クオ・ヴァディス』(TV版)
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『クオ・ヴァディス』(2001)イェジー・カヴァレロヴィチ “Quo Vadis?” (2001) Jerzy Kawalerowicz |
キリストの磔刑から30年ほど後のローマを舞台に、青年軍人マルクス、マルクスが恋をしたクリスチャンの少女リギア、リギアの従者で怪力のウルスス、暴君ネロ、マルクスの叔父でネロの寵臣でもある好事家ペトロニウス(『サテリコン』の著者ですな)、地下活動で布教を続けている使徒ペテロ……といった多彩な登場人物が織りなす、「人は人としていかに生きるべきか」を描く、壮大な大河ドラマ。
原作は、ノーベル文学賞を受賞したシェンキェーヴィチの同名著作。それをシェンキェーヴィチの母国ポーランドと、アメリカが合作でTVムービー化。(ただ、残念ながら私は浅学にして原作は未読ですし、また、マーヴィン・ルロイ監督、ロバート・テイラー、デボラ・カー、ピーター・ユスティノフ出演の1951年度版の映画も未見なので、それらとの比較等はできません)
監督は『尼僧ヨアンナ』の……って、これまたタイトルを知るのみで見たことはないんだけど(笑)、イェジー・カヴァレロヴィチ。
とにかく、キャラクターが良く立っている。多彩な登場人物は、いずれも魅力的。加えて物語がめっぽう面白いので、先が気になって目が離せない。さらにDVDにして3枚組、トータルで4時間半以上という長尺。連続ドラマを見る気分で(実際、内容は6話に別れている)、三日ほどかけて見れば、もう、じっくりタップリ楽しめること請け合い。
絵的には、正直TVムービー的な限界を感じさせる部分も幾つかあり。頑張ってはいるものの、それでもやはりスケール感の乏しさは否めない。特に、ローマの炎上のようなスペクタクル・シーンでは、そういった弱点が露呈してしまった感じ。
反面、コロッセオにおけるキリスト教徒たちの一大殉教シーンは、流石に物語全体のクライマックスらしく、かなり力を入れており、スケール感もスペクタクル性もあり。人々が次々にライオンに喰い殺されていくあたりの、心理的な圧迫感がある描写や、磔刑に処された人々が色鮮やかな花綱で飾られているような、ちょっと不思議な悲愴美とか、見応えもタップリ。
最近制作された史劇の中では、アクション・シーンの比重は少なく、また、カメラもあまりアクロバティックには動かないせいか、全体的には落ち着いた品の良さがあります。ただ、発色が鮮やか過ぎるのは、好みが分かれるところかも。個人的には、色彩設計はもう少し落ち着きのあるものにして欲しかったかな。ちょっと内容に対して、絵が軽い印象。
しかしまあ、「物語を楽しむ」という面に関しては、TVシリーズという長所を生かしきっており、いわゆる劇場向け長編映画を見たときとは、また別の意味での満足感があります。歴史や史劇好きの人なら、見て損はないですよ。
役者陣も、いずれもなかなかの好演。
主人公マルクス役のパヴェウ・デロングは、割と今風のハンサムさんなれど、コスチュームや立ち居振る舞いもしっかり板に付いていて違和感なし。尊大で傍若無人な若者が、他者の影響で次第に人格的に成長していく様を、上手く演じているように感じました。
リギア役のマグダレナ・ミェルツァシュは、やはりモダンな顔をした美人さん。華奢なせいもあり、清楚で純真にも見えるんですが、ただちょっと口元がユルくて淫らっぽい(笑)ので、どこか「こいつ本当はスキもんなんとちゃうか?」なんてことも感じちゃうカットも(笑)。
ネロ役のミハウ・バヨルは、悪くはないが、迫力という点ではもうひとつ。暴君のオーラやカリスマ性に乏しいので、何となく小粒感が漂う。ローマの大火を見ながら自作の歌を吟じるあたりは、滑稽さと同時に鬼気迫る狂気なんてのを期待したのだが……。
ペトロニウス役のボグスワフ・リンダは、これはお見事。単純に善とも悪とも言い切れない、ある意味で最も現代人的な感性を持つキャラクターを、魅力的かつ説得力をもって見せてくれます。物語のオブザーバー的な存在でもあるので、この役者が決まっていることが、全体の出来にかなり影響して好結果になった印象。
キロン役のイェジー・トレラもなかなかで、その卑怯な小悪党ぶりは見ていてムカツクんだけど(笑)、人物造形としては魅力的なキャラになってます。
ペトロニウスに恋する女奴隷エウニケ役の女優さんも、少ない出番ながらも、感情を奥に秘めた微笑みがステキ。個人的には、リギアよりもこっちの方が好きかも。
しかし、私的な収穫は、何といっても巨人ウルスス役のラファウ・クバッキ! いや〜、何てカワイイんでしょ!! マッチョな巨躯、むさいヒゲモジャ、強面なんだけど目は可愛くて、笑うと人が良さげな顔に……うむむむ、ツボのド真ン中でございます。もー、「おばさん、アンタを見てるだけで、ゴハン三杯いけちゃうわよ!」ってカンジ(笑)。あんまりカワイイんでググってみたら、この方、柔道の世界チャンピョンだったのね。小川直也のライバルだったそうな。どーりで、演技は大ダイコンだったわけだ(笑)。まあ「寡黙な力持ち」役なんで、ダイコンでもあんまり支障はないけど(笑)。熊系好きなら必見。(だいいち、確かウルススって、ラテン語の熊じゃなかったけか?)
責め場に関しては、まあコロッセオの一大シーンがありますが、「責め」じゃなくて「大虐殺」だからなぁ。あんまり下心が入り込む余地はありません。
それでも列挙だけしますと、前述のライオンの餌や集団磔以外にも、生きながら松明として燃やされたりするシーンがあります。あと、我が愛しのウルスス君が、裸の美女を救わんがために、巨牛と素手で一騎打ち、なーんて場面も。
あ、そうだ、もう一人マッチョな剣闘士も出てきたな。さほど見せ場はないけれど、ウルスス君と格闘したりします。
もう一つ。これは本当にどーでもいいことなんですが、思いのほか大胆なヌード・シーンもあり、「うーむ、ポーランドのTVでは、唇で乳首を挟む描写があってもオッケーなのか」と、変なトコロで感心してしまいました(笑)。
お蔵だし〜アゲアゲ系ハウスのシングル in 90’s
昨日の続き。10年ほど前に買ったハウスのシングルから、イケイケ系のお気に入りを幾つかご紹介。
因みに、私はDJさんではないので、以下のシングルは全てCD。あと、私的にこのテのヤツは「気持ちいぃ〜」「カッコいぃ〜」「イッちゃう〜」ってのが全てですんで、解説らしい解説は書けません。ご了承を。

Ultra Nate “Rejoicing”
これはガラージ? でいいのかな? う〜ん、ハウスやテクノのジャンル分けって、どうも良く判らなくて。「シカゴ・ハウス」とか「デトロイト・テクノ」とか聞くと、何だか「関サバ」とか「松阪牛」とか連想しちゃうし(笑)。
ともあれ、ちょいゴスペル風味の歌ものハウスなんだけど、歌い方は割と突き放したようでドライ。基本的に「気持ちいいハウスは、長ければ長いほど嬉しい」ので、8分程ある”Deee-Liteful Stomp Mix”がお気に入り。

Morel I.N.C. “Why Not Believe In Him?”
これは更にゴスペルっぽい。グイグイ盛り上げてくれるコーラスが、すンごい多幸感。オルガン・ソロもイカしてます。これまた9分以上ある”The Sunday Noon Mix”がお気に入り。

Outrage “Tall N Handsome”
何だかジャケがスゴすぎますが、多分これは再発モノ。RuPaulとかRight Said FredとかClub 69とか、それ系のゲイもの好きなら気に入るのではないかと。もうちょっと泥くさいですけどね。
リミックスが6種入ってますが、正直どれもイマイチ。Original Mixが一番良いので、それのエクステンデッドがないのが残念。

Grace Jones “Slave To The Rhythm”
オリジナルは80年代の曲ですが、リミックスを施されて再発されたシングル。オリジナルも大好きだったけど、リミックスも”Love To Infinity Classic Paradise 12″ Mix”ってのが好きでして。ドラマチックなストリングスとシャカシャカビートにシャウトを挟んで、ジワジワと溜めながら次第にグイグイ引っ張っていく展開、そしてやがてオリジナルのイントロが現れ、そこにリズムセクションが次々に加わっていくあたり、もう本当にスリリングに気持ちよくって最高。7分半以上あるし。
Grace Jonesといえば、LDで持ってた『ワンマンショー』っつーLIVE(仕立てのプロモかな?)が大好きでしてねぇ。その中でアコーディオン片手に、涙を流しながら「薔薇色の人生」をシャウトする勇姿にシビれまくったもんです(笑)。DVDで出ないかなぁ。
ま、とりあえずはこんなところで。
基本的に有名な曲ばかりなので、おそらく今でもオムニバス盤やミックス盤で聞くことができるのでは?
ただしこーゆーのって、フロアの追体験的な要素大なので、独立した音楽として聞いて、どれだけ楽しめるかは判りませんが……。
しかし我ながら、なかなかゲイゲイしいラインナップだなぁ(笑)。
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