“Gangs of Wasseypur (血の抗争)” (2012) Anurag Kashyap

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“Gangs of Wasseypur: Part 1” (2012) Anurag Kashyap
“Gangs of Wasseypur: Part 2” (2012) Anurag Kashyap
(インド盤DVDで鑑賞、後日Blu-rayで再購入)

 2012年のインド/ヒンディ映画。インド中部の石炭業で知られるエリアを舞台に、イギリス統治時代末期から21世紀現在のタイムスパンで、マフィアやカーストの抗争を3世代、70年間に渡って描いた、クライム大河ドラマ。監督は『デーヴ D』のアヌラーグ・カシュヤプ。
 総計五時間以上に渡る大作で、カンヌ出品時には一挙上映だったらしいですが、インド本国ではパート1と2に分けて上映。日本でも福岡国際映画祭2013で『血の抗争』の邦題で上映あり。

 物語の発端は1940年代初頭のインド。
 石炭業の首都と称されるダンバード近郊、ムスリムが主な人口を占めるワセイプール(?)では、クレシと呼ばれる精肉業カーストが権勢を振るっていた。クレシ一族の長スルタナは盗賊団を組織して、英軍の輸送列車を襲っては食料や家畜をせしめている。
 パシュトゥーン族の長サヒード・カーンは、それを真似てスルタナの名を騙って自分も列車強盗をする。しかし彼はクレシ族の力をあなどっており、報復として部下たちは皆殺しにされ、サヒードと彼の妻、そして従弟のファルハンはワセイプールから追放される。
 サヒードたちはダンバードへ行き、石炭採掘の鉱夫になる。しかし労働環境は劣悪で、鉱夫たちは坑道に入れられると出入り口を鉄格子で閉ざされ、12時間の労働が済むまでは外に出して貰えない。おかげでサヒードは、妻の死に目にも立ち会えなかった。サヒードは鉄格子の番人を殴り殺し、そんな彼に、炭坑の上役ラマディール・シンが目を付ける。
 やがてインドが独立し英国が去ると、炭坑の権利はインド人の元へと戻ってきた。
 上手く立ち回ったラマディールは、ダンバードの炭坑を手に入れ、サヒードに自分と一緒に働かないかと勧める。サヒードはラマディールの右腕となって、かつての同僚の鉱夫たちであっても容赦なく振る舞うようになる。
 実はサヒードには、いつかラマディールを倒して、自分が炭坑を手に入れる野望があったのでが、それを知ったラマディールは、先手を打ってサヒードを謀殺する。ファルハンは、辛くもサヒードの息子サルダル・カーンを連れて逃げ、密かに自分の甥アスガルと一緒に育てる。
 そして20年後、石炭業で儲けたラマディールは、土建業などを経て政界にも打って出、やがてダンバードを牛耳るボスとして君臨する。一方でファルハンは、成人したサルダルに、父の死の真相を告げる。そのときからサルダルは頭を剃り、父の仇を討つまでは決して髪を伸ばさないと誓うのだが……といった内容。

 大いに見応えがあった一本。すっかり気に入ってしまったので、既にDVDを購入していたにも関わらず、後日Blu-rayも出たのを見て再購入してしまったほど。
 前述したあらすじは、これでもまだパート1の1/4程度で、全体からいったら1/8しかきていません。この後、サルダルの妻や息子、愛人、ラマディールの息子、スルタナの息子と従妹などクレシ一派も登場し、殺し合ったり結婚したりという複雑な人間模様が繰り広げられます。
 そんな感じで、1:見慣れない固有名詞多数、2:登場人物が多く関係性も複雑、3:それぞれのパワーバランスを把握するだけでも一苦労……と、面白いんだけれども、きっちり理解しようとするとけっこうハードルが高い作品でもあります。初見時には、まだあちこち良く判らない部分もあり、二度目の鑑賞で把握できたという感じかな。
 最も興味深かったポイントは、ストーリーのアウトライン自体は、まぁ良くある復讐ものっぽいんですが、実際に映画を見ると、そういったテイストとはちょっと違うあたり。
 というのも、復讐劇とは直接関係のないディテールが実に豊富で、しかもそれらも面白いんですな。

 例えば、パート1の主人公であるサルダルというキャラクターにしても、別に四六時中恨みに燃えて、顔を歪めて仇敵のことばかりを考えているわけではない。女房が妊娠してセックスできないので売春宿に行き、追いかけてきた女房に刃物で追い回されて逃げ回ったり、はたまた余所に女を作ったりといった、復讐劇とは直接関係のなさそうな、しかし人間くさいディテールがあちこち描かれます。
 パート2の主人公となるサルダルの息子たちにも、子供時代は徒党を組んでアイスキャンデーを盗むとか、成長してからはそれぞれ年頃の娘さんにホの字になるとか、とにかくディテールが豊富で、しかもそれがクリシェまみれとではない、ちゃんと独自性が感じられるものになっている。拳銃調達のエピソード一つにしても、車のハンドルを改造して手作りしたり、またそれが暴発したり。
 そして、こういった枝葉が完全に余計なものかというと、これがまた決してそういうわけでもなく、それぞれ微妙に本筋の復讐劇にも絡んできたりする。そんなディテールが、ストーリーやキャラクターに複雑な陰影を与え、一般的な復讐劇やヤクザの抗争劇とは、ひと味もふた味も違った魅力になっている感じ。
 特に、サルダルというキャラクターの複雑さは特筆もので、復讐に燃える男系のカッコ良さと、なのに逃走中に短剣を落として慌てるとかいったカッコ悪さもあり、更に、女房を怖がったり息子を溺愛したり愛人にヤニさがったりという、人間くさい可愛さもあったりして、そんな何とも身の丈サイズのリアリティが魅力的。

 ただ、そんなサルダルの陽性の魅力に対して、パート2の主役となる息子ファイザルは、複雑さは同じでも、どちらかというと陰性のキャラ。陽性のサルダルは魅力的で感情移入もしやすく、それが同時に作品世界全体を引っ張っていく牽引力にもなっていたのに対して、性格が内省的で陰性のファイザルは、魅力的ではあるものの、そこまでの圧倒的なパワーはない。
 ファイザルのみならず、基本的にパート2のメイン・キャラクターは、前世代に比べると全体的に卑俗で、魅力や好感度という点では辛いものもあります。
 そうなってくると、パート1では大いに魅力的だった本筋とはあまり関係のないディテールの豊かさが、パート2では話がなかなか前に進まないというイラッと感になってしまっているという部分も、正直なところ少々。登場人物も次々と増え、ただでさえ複雑だった人間関係がよりヤヤコシクなっていくのも、それに拍車をかけてしまう感じ。
 ただし、おそらく作品の主眼は、復讐劇を描くことではなく(とはいえ、いちおう多少の皮肉っぽさも交えつつ、そのプロットはきちんと決着がつきます)、ワセイプールという街に対する妄執に取り憑かれた人々の姿を描くこと、そのものにあるのでしょう。
 それがラストシーン〜エンドクレジットで明示され、同時にこの卑俗で血生臭いドラマを、一気にまるで民話めいた語りもののように転換してみせるという、その鮮やかさは実にお見事。後味も上々です。

 表現面では、人を殺したりバラバラにしたり犬に食わせたりといった、エグいエピソードは色々あるんですが、直接描写はさほどなく、かつ全体にオフビートなノリがあって、これもなかなか面白い。ヤクザ映画でいえば出入りのシーンなのに、妙に醒めたユーモア感覚があるみたいな感じ。
 また、徹底してリアリズム主体ながら(つまりミュージカル場面はなし)、光と色彩にこだわった撮影は実に美しく、また、フィクショナルなドラマと並行して、インドの地方都市の日常光景を描いた魅力も豊富。
 そんなオフビート感や、個々のディテール描写にハマれば、実に面白く見られるんですが、筋立てから想像するようなシンプルな復讐劇の熱さや迫力を期待してしまうと、ちょっと裏切られるかも知れません。とても多層的な魅力があって、一般的なインドの娯楽映画とは一線を画す感じがあります。かといって、変に気取った感じがないのも、これまた面白いんですが。
 似たプロットの、同じくインド映画の大作“Rakht Charitra”2部作と比べると、完成度も技術的にも、こちらの”Gangs of…”の方が上回っているにも関わらず、作品のパワーという点では”Rakht…”の方が勝るというのも、ちょっと興味深い。
 他にも色々と思うところはありますが、それもひとえに作品の持つ多層的な魅力ゆえ。クオリティの高い見応えのある大作であることは確かなので、興味がある方ならまず見て損はなし。
 ディテールとオフビート感とクールな視点が魅力の”Gangs of…”と、濃さと熱さとパワフルさが魅力の”Rakht…”、そんな好対照の2作を比べて見るのもオススメです。

“Priest of Love” (1981) Christopher Miles

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“Priest of Love” (1981) Christopher Miles
(アメリカ盤Blu-rayで鑑賞→amazon.com

 1981年のイギリス映画。D・H・ロレンスの後半生を、まだ40代頭のイアン・マッケランが演じる(初主演映画らしい)文芸映画。
 85年にディレクターズ・カット版が制作されており、今回鑑賞の米盤Blu-rayも同バージョン。

 コーンウォールに済むロレンスは、海で男友達と全裸で泳いでいたところを見咎められ、更に妻がドイツ人(敵国人)であるために、同地から立ち退きを命じられる。
 一方ロンドンでも、ロレンスの著書『虹』が、猥褻であるとの理由で焚書に処される。彼は妻と、女流画家ドロシー・ブレットを伴って、アーティストたちを贔屓にしているメキシコの女富豪の元に渡る。
 こうしてロレンスは、文明社会と世俗に反発を繰り返し、時に最大の理解者である妻とも衝突しながら、女富豪の元からエルパソ、再びイギリス、そしてイタリアへと居を移す。
 やがてカプリ島へ移ったロレンスは、再び妻との衝突と和解を繰り返し、絵画にも手を染めながら、いよいよ『チャタレイ夫人の恋人』の執筆に着手する。
 しかし同書の出版、絵画の個展などを控えながらも、彼の身体は次第に結核に蝕まれていき……といった内容。

 監督のクリストファー・マイルズという人は、私は初めて聞く名ですが、しっかりとした手堅い仕上がり。この題材なら、もうちょっと表現面に大胆なところがあっても良い気はしますが、危うげのない演出、世界各地のロケーションを活かした美麗な撮影、ドラマチックな音楽の良さなど、作品的な風格は充分。
 まだ若いイアン・マッケランは、流石の上手さ。いささか舞台的な演技が目立つ感はあれども、緩急を効かせた演技は説得力も見応えも充分。前述した冒頭場面では、まだ瑞々しいお肌の、フル・フロンタル・ヌードも披露。
 妻フリーダ役のジャネット・サズマンは、ある意味マッケラン以上の熱演で強印象。どこかで見た顔のような……と思ったら『ニコライとアレクサンドラ』のアレクサンドラ役の人でしたか。他にも『ニジンスキー』『英国式庭園殺人事件』なんかにも出ていたみたい。
 顔見せ的な感じで、メキシコの女富豪にエヴァ・ガードナー、ロレンスを目の敵にしているロンドン警視庁のお偉いさん(?)にジョン・ギールグッド。役者ではなく役柄としては、オルダス・ハクスリー夫妻なんかも出てきます。

 ロレンスのバイセクシャル的な側面に関しては、前述の冒頭場面の他、女富豪の夫である逞しいネイティブ・アメリカンや、『チャタレイ夫人』の森番メラーズを着想する基となった逞しいイタリア人農夫を、何か含みありげに意識している描写があれども、あくまでも何となく匂わせる止まり。
 ここいらへんは、若い頃にケン・ラッセル監督の映画『恋する女たち』(ロレンス原作)を見て、「なにこのホモセクシャルになりそうでならない寸止め感は!」と、変に悶々とした感じを思い出しました(笑)。ロレンス(およびその作品)って、そーゆーものなのかしら… …。
 ただ性愛描写自体に関しては、男女間におけるそれも同様で、ロレンス自身の扱うモチーフや、妻との間で交わされるきわどい台詞、複数の女性と情交がある関係などを、セクシャルな要素をあちらこちらに匂わせながらも、具体的な描写は何もないあたりが、ちょっと興味深かった。ベッドシーンに類する場面としては唯一ある、ロレンスが女性に夜這いをかける場面も、結局は未遂に終わってしまうし……。
 とはいえ、性愛とその表現に関する会話などには、やはり自分の職業柄もあって大いに引き込まれるものあり。ただヒアリングオンリーの鑑賞だったので、かなりの部分は拾い損ねていると思います。Blu-rayだからCC英語字幕が付いてるかな〜と期待したんだけど、残念ながら字幕は入っていませんでした。

 もう一つ、個人的にとても興味深かったのが、ロレンスの絵画展の件。警察の指示のもと、猥褻とされた絵画が撤去押収されてしまうんですが、その中に、画廊が一緒に飾っていた別の作品、それもウィリアム・ブレイクの絵画が含まれていたという、皮肉の効いた描写に思わずニンマリ(笑)。
 具体的には(ちょっとネタバレかも知れないので白文字で)、まず、ジョン・ギールグッド扮する警察の偉い人が、客を装って画廊を訪れ、展示されている絵画の中から《猥褻》に相当するものをリストアップする。そして後日、警察隊がやってきて、リストの作品を一斉に撤去し始める。するとその中に、ロレンスの絵ではなく、画廊が独自に飾っていたブレイクの絵画が混じっている。
 で、画廊の主が「それはロレンスの絵じゃない、もう大昔に亡くなっているブレイクの絵だ」と抗議すると、警官たちは「あっ、そ。もう死んだ奴の絵なんだってさ!」と、その絵は撤去せずに画廊に残していく……という展開です。
 そんな感じで、
官警による《猥褻》の判断と規制を、その滑稽さも交えて小気味よく皮肉っており、これは今の日本でも全く同じ問題が現存しているわけで、そこがかなり個人的にポイント高し。

 というわけで、映画として突出した+αには欠けますが、クオリティは申し分なく、見応えも充分。
 イアン・マッケラン、D・H・ロレンス、性愛表現のタブーに挑戦し続けた作家、表現規制……そういった要素に興味のある方だったら、まず見て損はない一本。

Mascular Magazineに作品提供

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 ゲイ・アート系のウェブジンMascular Magazineの第8号(フェティッシュ特集号)に、作品を数点提供しました。
 同誌のサイトからPDFを無料でダウンロードできます。
http://www.mascularmagazine.com/
 同号には、世界中から総勢30名ほどのアーティストが参加しており、それぞれ数点ずつ作品を提供。総計260ページ以上、約60MBというヴォリュームなので、お使いの回線状況によって異なりますが、ダウンロードにちょっと時間がかかるかも知れません。
 また、収録作品には外性器の露出やボンデージ、SMなどのアダルト・マテリアルも含まれますので、ダウンロード&閲覧は自己責任でよろしくお願いいたします。

 拙収録作に関しては、自分のフェティシズムが反映された作品を数点セレクト、そこに先方の依頼で、自作品解説を日本語と英語で併記。
 で、この日本語の解説ですが、最初に英文で書いた後、それを再度日本語で書き直すという方法をとったところ(先に日本語で書いちゃうと、それを英訳するのが厄介なので……『あ〜こーゆーの英語で何て言えばいいんだ???』ってことになっちゃうので、最初から英語で考えた方が、自分のボキャブラリのキャパに合った説明だけで留められるから楽w)、そしたらなんか脳味噌の接続が上手くいかずに、直訳調みたいな変に固い日本語になっちゃいました。お前ホントにネイティブかって感じの(笑)。
 まぁ、そこいらへんはご愛敬ってことで、ご寛恕。
 提供作品は基本的に、旧作の中からのセレクトですが、以前企画展用に描いたオリジナル作品(つまりその企画展意外では未発表)を、更にこのMasculine Magazine用に新規着色・デジタル仕上げにしたものが入っています。今のところ、ここ以外では見られない作品なので、宜しかったら是非ご覧あれ。

 前述したように、他の収録アーティストは世界中から総勢約30名と、国籍も作風もバラエティに富んだセレクトとなっています。
 大体が写真作品がメインで、絵画系は私も含めて数人程度。レザーあり縛りあり女装ありコンセプチュアルありと、作品のレンジは色々ですが、野郎系好き&フェティッシュ好きの方なら、かなり面白いラインナップで楽しめるかと思います。

【収録作品例】
Gengoroh Tagame
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Aurelio Monge
aureliomongec

Ron Amato
ronamatoc

Olivier Flandrois
olivierflandroisc

Inked Kenny
inkedkennyc

Wim Beullens
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 もちろん各収録作家のプロフィールやサイトリンク等の情報付き。
 前述したようにダウンロード・フリーでもあるので、お時間のあるときにでも是非どうぞ。

ちょっと宣伝、『奴隷調教合宿』第七話掲載です

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 3月21日発売の「バディ」5月号に、連載マンガ『奴隷調教合宿』の第七話掲載です。
 例によって内容は、ラブのかけらもないエロ路線まっしぐらです。
 先月号では一回お休みしてしまいましたが、今月号では、調教の甲斐あって順調に(?)堕ち続けている主人公の痴態を、タップリお楽しみいただけるかと(笑)。
 見せゴマ大ゴマで抜きドコロもしっかり確保。
 是非一冊お買い上げの上オカズに使っておくんなまし。

Badi (バディ) 2014年 05月号 [雑誌] Badi (バディ) 2014年 05月号 [雑誌]
価格:¥ 1,500(税込)
発売日:2014-03-20

aktaさんのコンドーム・パッケージ画を描きました

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 HIV予防啓発&陽性者支援のNPO法人aktaさんの、無料配布コンドームのパッケージ画を描かせていただきました。
 新宿二丁目のコミュニティセンターakta、及びゲイバーなどで無料配布されるはずなので、お見かけの歳は是非お持ち帰りになり、ホットなセーファーセックスを楽しんでください!

“Poltergay” (2006) Eric Lavaine

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“Poltergay” (2006) Eric Lavaine
(イギリス盤DVDで鑑賞→amazon.co.uk

 2006年のフランス製ゲイ映画。
『ポルターゲイ』というタイトルから想像がつく通り、新婚夫婦が古屋敷に引っ越してくると、そこには5人のゲイの幽霊が棲んでいて……という《ポルターガイスト+ゲイ》のコメディ映画。

 マルクとエンマの新婚夫婦は、パリ郊外にある古い屋敷に引っ越してきた。
 しかし飼い猫は何かに怯え、マルクがシャワーを浴びると自動的にポラロイドカメラのシャッターが切られて、全裸写真が撮影されてしまい、しかもその写真が行方不明になってしまう。
 更にクローゼットはいつの間にか整頓され、気付かぬ間に壁やビリヤード台に翼の生えたペニスの絵が描かれ、夜になるとどこからともなく怪しい音楽……ってもボニーMとかなんですが(笑)……が流れる等の怪現象が続発。
 やがてマルクは、壁を通り抜ける人影を目撃。そしてそれを追った結果、地下室でクラシック・ディスコ・ミュージックにのって踊っている、5人のゲイゲイしい男たちを見つける。
 しかしそれらを見聞きできるのはマルクだけで、エンマは夫の頭が変になったのではと心配する。また、謎の男たちを追い払おうとしたマルクは、屋敷を訪ねたエンマの父親(でありマルクの雇い主でもある)を、誤ってスコップで殴ってしまう。
 これが決定打となってエンマは家を出て、同時にマルクは職を失ってしまう。
 自分だけが見えるゲイたちの姿にノイローゼになったマルクは、友人に相談したり精神分析医にかかったりするが、返事は「君はゲイだ」とか「潜在的な同性愛傾向がある」ばかり。やがてマルク自身、ひょっとして自分はゲイなんじゃないかと疑い始め、ゲイクラブに行ってみたりする始末。
 しかしやがて、マルクは庭で古ぼけた看板を発見。ネット検索した結果、この屋敷の地下はかつてゲイディスコで、それが70年代末に火災事故が起き、何人か死者も出てたことを突き止める。それによって地下室の5人組も、ようやく自分たちが既に幽霊になっていることを悟る。
 ゲイの幽霊たちはマルクに、自分たちをここから解放してくれと頼み、同時にマルクがエンマの愛を取り戻す手助けをすることにする。
 果たしてゲイの幽霊たちは屋敷から解放されるのか? そしてマルクとエンマの仲は? ……といった内容。

 あちこち小ネタでクスクス笑わせながら、同時にストーリー的にもアイデア豊富でエピソードも盛り沢山、軽いノリとテンポの良さ、それと結末への興味でトントン乗せて見せてくれる、なかなか楽しい一本。
 ちょっとした泣き要素や、ラストの「ええええ、こーゆーオチ???(笑)」なんかも良く、後味は上々。
 ただ、内容が盛り沢山&話の展開が早い反面、ちと盛り込み過ぎなところもあり。特に後半、焦点が幽霊たちの成仏の話に移り、テンプル騎士団だの封印の石だのが絡んでくるあたりは、いかにも安易でイマイチ。ゲイの幽霊5人組の中で、しっかりキャラが立っているのは二人だけというあたりも、ちょい惜しい。
 でもまぁ、ゲイネタ込みの軽いコメディ作品としては、十分楽しめる出来かと。
 ゲイネタの笑いでは、自分もゲイかもと思ったマルクが、ゲイクラブで知り合った男に、自分が建築現場で働いていると言うと、相手が急に「作業服あるか?着てくれ!トルコ語しゃべってくれ!」とエキサイトしだすあたりが、個人的にヒット(笑)。
 あとは、自分が死んでからもう30年も経っていると知って、ゲイ幽霊の一人がしみじみと雑誌を見ていると、パリ市長ドラノエ氏の写真を見て「元彼が市長になってる!」と驚いたり、まぁそういうノリです(笑)。
 また、30年ぶりにパリに出たゲイ幽霊たちが、軒並ぶゲイ・クラブやゲイ・ブックストアなんかを見て「約束の地だわ!」(聖書のアレね)と興奮するあたりは、笑いのシーンではありつつ、地味に良い場面だと思う。
 泣かせ要素も、サラッとしたもんなんだけど、でもいい感じだし。

 というわけで、なかなかウェルメイドなコメディなので、題材に興味のある方ならクスクス笑いながら楽しめるかと。個人的にはオチ(笑)と後味が大好き。
 どんなオチかは、末尾に白文字で書いときますんで、ネタバレOKの方はどうぞ。

 ラスト部分の解説、以下白文字。
 結局ゲイ幽霊たちは、マルクの奮闘も空しく、何百年かに一度だった成仏の機会を逃して、失敗してしまう。
 しかしここで、エンマの仕事が考古学者で遺跡の発掘に従事しているという伏線が効いて、彼女がポンペイだかどこだったか、とにかく古代ギリシャかローマの遺跡から、大量の幽霊たちを屋敷に連れてくる。
 爆発事故で廃墟になっていたゲイクラブも、きれいにリフォームされ、そこで生者も死者も入り交じって(その中には、30年前に死に別れた、ゲイ幽霊とその恋人というカップルなどもあり)、皆で楽しく踊り明かす
というオチ。
 好きだわ〜、これ(笑)。

“Solo” (2013) Marcelo Briem Stamm

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“Solo” (2013) Marcelo Briem Stamm
(アメリカ盤DVDで鑑賞→amazon.com

 2013年のアルゼンチン製ゲイ映画。監督はMarcelo Briem Stammという人で、これがデビュー作。タイトルの意味は《孤独》。

 失恋の痛手を引きずっている青年が、出会い系のチャットで知り合った見知らぬ青年を家に連れ込むが……というスリラーもの。
 出会い系チャットをしていた青年マヌエルは、そこで出会った青年フリオと外で待ち合わせして、互いに気に入ったので家にお持ち帰りする。
 フリオにシングルかと聞かれたマヌエルは、二年間付き合った前の彼氏に酷く裏切られて分かれたばかりだと言う。一方のフリオも今は付き合っている相手はおらず、しかも失業中で今借りている部屋も契約更新が迫っている等の悩みがあることを打ち明ける。
 やがて二人は肉体関係を結び、互いにフィーリングも合う感じなので、恋人として付き合おうかという雰囲気になる。
 しかしセックスが終わった後、明日は朝早くに女友達が家に来るから今夜は泊められないというマヌエルに、フリオは「セックスが終わって気分が醒めたゲイは、よくそういう嘘をついて相手を帰そうとする」と言う。マヌエルは、女友達が来るというのは本当で、自分たちが今後どう付き合っていくかは、また日を改めて話そうと説明するが、フリオは再び「また今度と約束して、そのまま二度と連絡しないのも、ゲイがよくつく嘘だ」などと言う。
 そんなフリオの様子に、ちょっと異様な感じを受けたマヌエルは、本気でもう帰ってくれと言う。
 フリオは「自分は頭に血がのぼりやすいんだ」とマヌエルに謝り、自分が今いかに孤独か、そんな自分にとって、フィーリングが合ったマヌエルと、一晩一緒に過ごせるということが、どれだけ大きな期待であったかを説明する。
 それを聞いたマヌエルは、帰ろうとするフリオを「女友達が来るのは朝だから」と引き留める。
 二人は再びセックスをし、あれこれ話もして更に打ち解けるのだが、その間もずっと、もう真夜中も過ぎて明け方だというのに、フリオの携帯が何度も鳴り、しかも彼はそれを無視している。
 一方でマヌエルも、フリオと一緒にいながらも、ときおり分かれた元彼のことが頭をかすめ……といった内容。

 これはなかなかの出来映え。
 ゲイなら誰でも身に覚えがあるような設定を使い、丁寧に描かれたディテールが積み重ねられていき、その合間合間にちょっと不穏な気配も漂い……という構成なので、果たしてこれがスリラー方面に転がっていくのか、それともラブストーリーになるのか、先が全く読めない。
 で、あんまり説明するとネタバレになるんで詳細は避けますが、私はすっかりミスリードに引っかかってしまい、「うわ、一本とられた!」という結果に。
 ストーリーにはツイストが何度も入るし、多少の無理はあるものの、伏線も周到に張り巡らされていて、脚本&作劇のレベルは上々。
 ゲイ映画的な部分のみをピックアップしても、全体のリアルな空気感、交わされる会話の妙味、セックス場面のムードなど、昨今の「身の丈サイズのドラマを、空気感やディテールで丁寧に見せる」系のゲイ映画として、充分以上に佳良。
 おそらく低予算のインディーズ映画だと思うんですが、彩度を抑えた柔らかな色調や、被写界深度を利用したアウトフォーカスなど、撮影のレベルは高く、役者の演技も文句なし。
 ほぼ密室劇、それもたった一晩の出来事を描いているだけなのに、リアルでゆったりとした空気感に、ときおり緊張が走るという構成を上手く用いていて、全く弛緩することはありません。先の読めない展開の面白さに加えて、見応えもしっかり。
 ツイストが入る展開なので、そのあたりで好き嫌いは分かれそうですが、ゲイ映画ならではという醍醐味がありつつ、同時にゲイ映画ではあまり見たことがないタイプの内容でもあり、クオリティも上々。

 リアルなゲイドラマの良さと、スリラー的な面白さが上手く合体した、ちょっと異色の一本で、間違いなく一見の価値はあり。

“David” (2013) Bejoy Nambiar

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“David” (2013) Bejoy Nambiar
(マレーシア盤&インド盤DVDで鑑賞)

 2013年のインド映画。異なる時代、異なる場所で暮らす、同じデヴィッドという名前の男たちの姿を交錯して描きながら、人生の意味を問うヒューマン・ドラマ。それぞれ漁村と都会に住む、二人のデヴィッドを描いたタミル語版と、それにロンドンに住むデヴィッドを加えた三人のヒンディ語版あり。
 監督のは、デビュー作“Shaitan”のエッジの効いた作風が話題になった、ベジョイ・ナンビアール(?)。タミル語版とヒンディ語版共通して、漁村のデヴィッド役にご贔屓ヴィクラム。
 都会のデヴィッドは、タミル語版がジーヴァ(?)、ヒンディ語版がヴィナイ・ヴィルマニ(?)。ヒンディ語版のみ登場のロンドンのデヴィッドにネリ・ニティン・ムケーシュ(?)。

 1975年、ロンドン。
 同市に居を置くインド/パキスタン系マフィアのボスで、インドでのテロにも関与している人物を暗殺するために、インドから特殊工作員数名が来英するが、そのボスには腹心でスゴ腕の男、デヴィッドがついている。
 デヴィッドは幼い頃に親を亡くし、ボスに育てられ父親のように慕っており、同時に同じくボスの家に暮らす縁戚の娘ヌールと密かに愛し合っている。一方でボスの実の息子は、父親が自分よりデヴィッドを愛していると感じ、グレて放蕩者になっている。
 しかしデヴィッドは、インドからきた工作員たちから、実はデヴィッドの実父を殺し母を奪ったのは、彼が慕っているボスであり、その暗殺に手を貸すように持ちかけられ……。
 1999年、ムンバイ。
 都会に住む青年デヴィッドは、牧師の息子でミュージシャンを目指している。彼は、自分たちの生活費を削ってまで貧しい者のために尽くそうとする父親に反感を持っており、いつかこの街を飛び出してミュージシャンとして成功することを夢見ている。
 そんな中、ようやく念願叶ってデモテープが認められ、彼は有頂天になるのだが、そんな最中、反キリスト教の保守派が家を襲い、彼の父親である牧師が公衆の面前で暴行されてしまう。以来、牧師は精神に異常をきたしてしまい、デヴィッドはそんな父親の仇をとりたいと、事件の黒幕である女政治家に迫るのだが……。
 2010年、ゴア。
 漁村に住む中年の漁師デヴィッドは、かつて結婚式の日に花嫁に逃げられ村中から笑われて以来、酒浸りとなって酒場では喧嘩を、しかも日がな酔っぱらって死んだ自分の父親の幽霊と話しているので、周囲からはちょっと頭がいかれていると思われている。
 ある日、漁師のデヴィッドの親友ピーターのところに、結婚話が持ち上がる。その結婚相手、美しい聾唖の娘ロマに紹介されたデヴィッドは、ふとしたきっかけで彼女から頬にお礼のキスをされて舞い上がってしまい、真剣に自分が彼女と結婚したいと思うようになる。
 しかし自分がロマを横取りすれば、かつて自分が受けた仕打ちと同じことを、親友に対してすることになる。思い悩んだデヴィッドは、父親の幽霊や、馴染みのマッサージパーラーの女主人や、母親に相談するのだが、可笑しなトラブルばかり起きていっこうに悩みは解決せず……。
 果たして、ロンドンのデヴィッドは育ての親であるボスの暗殺に手を貸すのか、ムンバイのデヴィッドは父の教えに従って件の政治家を赦すことができるのか、漁師のデヴィッドは親友の花嫁を奪って結婚式を壊してしまうのか?
 ……といった内容。

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 では、まず先に鑑賞したロンドン・パートがないタミル語版の感想から。

 なかなか面白かったです。
 同監督の話題になった前作”Shaitan”でもそうでしたが、映像は如何にも今風のスタイリッシュ系で、テンポや演出もシャープ。いわゆる昔ながらのインド映画っぽさはほぼ皆無で、テイストとしてはアメリカのインディーズやヨーロッパ映画に近い感じ。同時に、魅力的ながらも後半ちょっと失速してしまった”Shaitan”と比べると、今回の”David”ではそういうこともなく、完成度もこちらの方が上。
 漁村のパートを完全にコメディ仕立て、都会のパートは完全にシリアス仕立てにしているのも、その対照が効果的でマル。陽光に満ちたカリブ海風の映像と、寒色を基調とした都会の映像のコントラストも良く、それぞれのエピソードを切り替えるタイミングも上手い。
 全体の尺が、インターミッションなしの2時間強というコンパクトさも良し。
 テーマ的には、良心の声とキリストの教えという二本柱で、人はそれによって救われるかといった感じなんですが、それと同時に、見えざる神の手のような運命論的な要素も見え隠れするのが興味深いところ。
 エピソード的には、漁村パートであちこち仕込まれる《奇妙な話》系の小ネタが楽しい。

 ヴィクラムは相変わらず達者。ユーモラスな悩める男を愛嬌たっぷりに見せてくれます。
 青年デヴィッドを演じるジーヴァも、抑えたリアリズム主体の演技で佳良。
 牧師役のナサールはタミル映画で良く見かける人ですが、これまた抑えたリアリズム演技が、いつもとひと味違っていてとても良かった。
 総合すると、全体がリアリズム主眼でインド映画的なクセもなく、一般的な他の国の映画と変わらない感じで見て楽しめる一本で、後味も上々。ただ、魅力的な要素は多々あれども、これぞという決定打にはもう一つ欠ける感じもあり。
 とりあえず、ヴィクラム目当てならマストと言って良いかと。

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 続けて、後から見たロンドン・パートが増えているヒンディ語版の感想。

 まず、タミル語版と比較すると、タミル語版ではロンドンのパートがないということもあって、全体的なまとまりはタミル語版の方が上。
 しかし、最後に明らかになる仕掛けの面白さ、つまり、この三人のデヴィッドの話には、いったいどういうことが秘められているかが、最期に浮かびあがるというカタルシスは、構成がより複雑なヒンディ語版の方が勝っているという印象。
 映像面では、タミル語版同様、寒色系主体でフォーカスの操作なども凝ったムンバイと、色鮮やかで暖色系主体のゴアに加えて、かっちりとしたモノクローム映像のロンドンが加わり、いかにも映像派の監督らしい魅力が増大。撮影監督も三人いて、それぞれがそれぞれの場所を撮っているらしいです。
 ただ、前述したまとまりという点では、ロンドンのパートだけ毛色が異なり過ぎていて、ちょっと上手く噛み合っていない感じがするのが正直な印象。
 ドラマの基本構成は、個の内面の葛藤という点で、他のムンバイやゴアと同じなんですが、ロンドンだけストーリーの外枠が大きすぎる。その結果、どうしても状況説明に多くの時間を費やすことになり、心理ドラマが描写不足になってしまっているのが物足りない。
 また、他の二人のデヴィッドは、それぞれの決断がダイレクトに物語の締めに繋がるのに対して、ロンドンのデヴィッドだけそうではないのも、やはり違和感が生じる要因の1つ。
 その反面、このロンドンのドラマ的な枠組みの大きさによって、クライマックスの仕掛けによる「あ、そうか!」感が、より大きくなっているというメリットはあり。
 また、タミル語版とヒンディ語版に共通して、音楽が良かった。インド的なテイスト保ちつつ、ゴアではラテン調、ムンバイではオルタナティブ・ロック風の要素などが加わり、特にヒンディ語版のロンドン・パートで、結婚式のカッワーリ(ヌスラット・ファテ・アリ・カーンも歌っている”Dam Mast Kalandar”)に途中からエレキギターが被さって、映像と共に変化していく部分なんか、かなり「おおっ、かっこええ!」なんて思わされたり。

 役者さんは、ロンドンのデヴィッドを演じるネリ・ニティン・ムケーシュが、とにかくすこぶるつきのハンサム。もう、この人を見ているだけでも満足できるくらい、個人的にはツボにヒット(笑)。
 演者が変わったムンバイのデヴィッドは、タミル語版がわりと熱血直情青年系だったのに対して、ヒンディ語版はもう少し今様のクールさやナイーブさが感じられる青年になっていて、また違った魅力あり。ミュージシャンに憧れる云々という点で言うと、ドレッドヘア効果もあってヒンディ語版のヴィナイ・ヴィルマニの方が、よりしっくりきている感じもあり。
 というわけで、意欲は買うんだけど正直必ずしも成功しているとは言えない感じもありますが、それでも捨てがたい魅力も多々ある……というのがヒンディ語版の印象。無理がないぶん完成度は高いタミル語版、破綻はあれども心意気やよしのヒンディ語版、私としては「どっちも好き!」という結果でした。

 どちらのヴァージョンも、特殊性を求めてインド映画をご覧になる方には、あまりオススメできませんが、映画好き・映像作品好きなら、あちこち見所・お楽しみどころが沢山あると思います。ただ、私の入手したタミル語版DVDは画質が悪く、対してヒンディ語版DVDは高画質でしたので、どちらか一本だったら、尺が長いことも含めてヒンディ語版がオススメ。

“Çanakkale 1915” (2012) Yesim Sezgin

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“Çanakkale 1915” (2012) Yesim Sezgin
(トルコ盤DVDで鑑賞、米アマゾンで入手可能→amazon.com

 2012年のトルコ映画。第一次大戦時、イギリス他の連合国軍対オスマン・トルコ軍の、ダーダネルス海峡とガリポリの戦いを、トルコ側の視点で描いた戦争大作映画。

 ストーリー的には戦記物に徹していて、1914〜15年にかけてのダーダネルス海峡周辺で起きた戦闘を、日時を明記しながら時系列に沿って、軍の上層部と現場の兵士たち双方の視点を交えながら描いたもので、戦場およびその周辺以外のドラマはほぼ皆無という作り。
 兵卒側の視点は、愛国心に燃えてアナトリア地方の村から入隊してきた青年たちのドラマがメインとなり、司令部側では優れた軍人で人徳にも篤い青年将校ムスタファ・ケマル(後のアタチュルク)が、次第に頭角を現していくのが描かれます。
 それらを通じて、祖国を守るために人々がいかに闘ったか、銃後の人々もしかにそれをサポートしたか、戦場ではどんな悲劇や感動的なドラマがあったか、ちょっと難ありのオスマン・トルコ上層部に対して、アタチュルクはどれだけ優れていたか……といった要素が愛国心を鼓舞しながら繰り広げられる。

 イスラム色も濃厚で、いわゆる英霊的な描写も多く、映画全体も、故国を守るために戦死した英雄たちに捧ぐ頌歌のような作り。海戦場面などはCG大会になっちゃいますが、それでもスケール感や物量感といった大作の味わいはタップリ。
 ドラマ的には、登場人物が皆似たような口ヒゲを生やしているせいもあって、ちょいと見分けが付きづらく、また、戦場以外のエピソードはほぼないので、感情移入もし辛い面はあるんですが、それでもいかにもエモーショナルなエピソードが次から次へと出てくるので、けっこうグイグイ見られます。
 例えば、砲台に弾を運ぶ装置か何かが壊れてしまい、一人の力自慢の兵士が何百キロもある砲弾を背中に乗せて、何往復もして運ぶとか、部下を庇って撃たれた上官をおぶって野戦病院まで運び、すぐまた戦場に戻るとか、そういった《戦争美談》みたいのがいっぱい。
 銃後の描写でも、過去の戦争で夫も息子も亡くした老農婦が、彼らの帰りを待っている間に編んでいた靴下を、兵隊さんのために役立ててくれと供出し、担当の兵士に敬礼して挨拶するとか、昔の日本の国策映画を連想するようなシーンも幾つか。

 トルコの映画ならではといった味わいも多く、例えば、塹壕で兵士が皆、生き埋めになり死んでしまった……と思いきや、ジャラ〜ンというトルコの伝統音楽の調べと共に、土中からムクムク這いだしてきたり、将校が独断で兵を出すことを決断し、進軍するシーンにオスマントルコ軍楽が流れたり。
 戦死した兵士のポケットから自作の詩が出てきたかと思うと、次のシーンでは塹壕の中でサズの弾き語りでそれを歌い、更に次にはその歌が兵士の間で流行していたりするあたりも、いかにもトルコ映画的な感じで面白かったです。
 敗れた軍服を麻袋を切って繕うといった、戦線における日常を描いたディテールもあれば、鳥瞰で捉えたトルコ歩兵対連合軍歩兵の衝突が、そのままイスラムの赤い三日月にオーバーラップしたりなんていう、叙事詩みたいな場面もあり、そんな表現の幅広さも面白く見られたポイントの一つ。

 というわけで、とにかく愛国心と信仰心をベースにした戦争美談スペクタクル映画なので、そういう意味では潔いほどブレがない一本。
 そういったもの自体に抵抗を感じる方には、これは全くオススメしませんが、戦記物がお好きな方だったら、2時間強、もうタップリ楽しめること請け合いです。

『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ (Ernest et Célestine)』 (2012) Stéphane Aubier, Vincent Patar, Benjamin Renner

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“Ernest et Célestine” (2012) Stéphane Aubier, Vincent Patar, Benjamin Renner
(英盤DVDで鑑賞→amazon.uk、米盤DVD&Blu-ray、2014年6/10発売→amazon.com

 2012年のフランス/ベルギー製長編アニメーション映画。
 ガブリエル・バンサンの絵本『くまのアーネストおじさん』シリーズのアニメ化……というより、それを元に自由に翻案した感じの作品。
 2012年フランス映画祭、他、『アーネストとセレスティーヌ』の邦題で上映あり。監督・ステファン・オビエ、ヴァンサン・パタール、バンジャマン・レネール。近日では東京アニメアワードフェスティバル2014(3/20〜23)でも上映予定あり。
 残念ながら受賞は逸しましたが、2014年のアカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネートされた一本。

 地上ではクマが、地下ではネズミが、それぞれ街を作って人間のように暮らしている世界。
 冬が訪れ、貧乏な大道芸人のクマ、アーネストは腹ぺこ。孤児院育ちのネズミの少女セレスティーヌは、歯医者の元で働いているが、本当は歯医者になんかなりたくなくて絵を描きたい。
 ネズミの世界では、《何でも食べる大きな悪いクマ》というのが、子供を脅す定番となっているのだが、セレスティーヌは、クマとネズミが仲良くしている絵を描いて孤児院の院長に叱られたりして、周囲に馴染むことができない。
 そんなある日、歯医者の仕事で地上に出て、クマの歯を集めていたセレスティーヌは、誤ってゴミ箱の中に閉じ込められてしまう。そんなゴミ箱の蓋を開けたのは、腹ぺこで食べ物を探していたアーネスト。
 セレスティーヌは、アーネストを菓子屋の地下倉庫に忍び込ませてあげ、代わりにアーネストは、セレスティーヌのためにクマの《差し歯屋》のストックを盗んであげるのだが、その結果二人は、クマの世界とネズミの世界の両方から強盗犯として手配されてしまい……といった内容。

 叙情あり、活劇あり、人情あり、笑いありの、本格的な長編娯楽アニメーション。画面は美麗で、テーマも良く、そして面白さもバッチリという、三拍子揃った良作でした。
 ストーリーはかなり自由に翻案されているようで、原作絵本のファンからすると、ひょっとするとどうかという内容なのかも知れないけれど(私も原作は絵を知るのみで、内容は良く知らず)、独立した話としては充分以上に面白く、見所もいっぱい。
 絵は線描+水彩淡彩調で、ガブリエル・バンサンの達者この上ない絵には、残念ながら全く及んではいないものの、しかし軽やかな描線や柔らかな色調は美しく、キャラクター以外にも叙情的な自然描写などには絶大な効果を発揮。
 一方でキャラクターの表情などは、かなりマンガっぽいデフォルメ、それも日本のマンガっぽさを感じさせるタッチで、ちょっとはるき悦巳先生とか村野守美先生とかを連想したり。見ていて何となく、ジブリアニメを連想したりもしたので、ヨーロッパのアニメ慣れしていない一般の日本の観客にも、良い意味で敷居が低いんじゃないかな?
 ストーリー展開に応じて変化していく、ヴィジュアルや動きによる見せ場のあれこれも面白く、例えば地下のネズミの街には、『天空の城ラピュタ』の炭坑町的なファンタジー性を感じたし、地上のクマの街では、カーチェイスといったアクションシーンもあり。
 中間部は、アーネストとセレスティーヌが共に暮らしながら、少しずつ心を通わせていく様子が描かれるんですが、このパートでは叙情的な魅力がたっぷり。更に、アート・アニメーション的なアプローチも上手く盛り込まれていたりして、もう見所いっぱい。
 そしてクライマックスでは、再びドラマチックでスペクタキュラーな展開となり、しかしエンディングはもちろんハートウォーミング。あちこちユーモラスな描写も佳良で、ラストは原作絵本との接続もあり……と、長編アニメーション(1時間20分)を見たという満足感は大。
 クラシカルな要素に、ちょいとアヴァンポップとかキャバレー音楽みたいなテイストも加味した、洒落た室内楽といった感じの音楽も実に良し。
 あと、セレスティーヌはとにかく可愛いし、対するアーネストは、ちょいとアウトロー気味で、がさつなところもあれば優しいところもある、もっさいオッサンという感じで、これまた萌える。
 で、そんなはみだし者二人の間に、世間一般ではあり得ないとされる絆が生まれ……とくれば、これはもう私としてはツボ押されまくり。世間で《普通じゃない》とされている関係を、それでも自分たちは毅然として貫く姿勢というのには、やはりグッときちゃいます。

 この部分を、ゲイ目線でもうちょっと突っ込んで語ると(ちょいネタバレ気味かも知れないので白文字で)、最初はこの二人は、アクシデント的に一緒に暮らし始め、そして互いのことを知っていくうちに、やがて深い絆で結ばれるわけですが、まだその時点では、人里離れたアーネストの家に一緒に隠れ住む、つまり世間とは隔絶された《二人だけの世界》でしかない。しかしクライマックス、二人の逮捕・裁判という展開において、二人はそれぞれに堂々と、自分たちが互いに互いを必要としあっているということを、きちんと《世間》に向けてアピールし、そしてそれを勝ち取る。
 こういった、二人だけの世界で隠花植物的な幸せを営むので終わらせずに、そういう関係をアウトして(隠さないでオープンにして)世間に受け入れさせるところまでを描くというのは、2014年に生きる一人のゲイとして、「よくやってくれました!」と喝采したい気分になります。でもって、そのアウトの部分がエモーショナルなクライマックスになるわけですから、これはもうたまらない。

 というわけで、まず何より面白い。そして綺麗で可愛くて有意義。
 しかも海外アニメ好きのみならず、普通にジブリアニメとかが好きなファミリー層にも受けそうな、間口の広さが感じられる作品なので、これが日本では映画祭等の上映だけなのは、何とももったいない。
 何とか一般公開か、それが無理ならDVDスルーででも、日本語字幕や吹き替え付きで、広く見られるようになることを切望します(一応ギャガが買い付けはしているらしいんですが……)。

【追記】『くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ』の邦題で、2015年8月22日〜めでたく日本公開!(公式サイト

【追記】日本盤DVDも無事発売。
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