鐘馗地獄行(3)

 地獄の様相は、一変した。
 いまや鬼という鬼が、仇敵の鍾馗が神通力を喪って囚人(めしうど)になったとの噂を聞きつけ、己の持ち場をほっぽらかして、哀れな虜囚が責めを受けるところを見物しようと集まったのだ。
 思わぬ恩恵を被ったのは、亡者たちである。自分たちを苛んでいた鬼が、いきなりいなくなったのだ。亡者たちは、何が起こったのかさっぱり判らぬまま、とりあえずしばしほっと息をついた。この世のはじまり、地獄の開闢以来、はじめての休日である。
 鍾馗は鎖をほどかれて、巨大な俎板の上に大の字に寝かされていた。四人の鬼に両手両足を押さえつけられ、まったく身動きがとれなかった。渾身の力を込めて振りほどこうとしても、鬼たちの腕はびくとも動かない。
 一人の太った青鬼が、にやにやと薄笑いを浮かべながら、これまた巨大な包丁を、鍾馗の鼻の前でちらちらと振ってみせた。果てしない年月、使い込まれてきた包丁は、刀身のあちこちが錆び、あまつさえ刃こぼれすらしている。自分が寝かされている俎板もまた、数え切れないほどの亡者の血を吸い込んで、いたるところ黒いしみだらけだ。
 鍾馗は黙って目を閉じると、覚悟を決めて深く息を吸い込んだ。
 次の瞬間、右手の人差し指に鋭い痛みが走った。青鬼が包丁で指の肉を削ぎはじめたのだ。切れ味の鈍い包丁は、指の骨と擦れあって嫌な軋み音を立てながら、ぞりぞりと肉を削りとっていく。
 やがて、同じ痛みが、左手の人差し指と、両足の親指にも襲いかかった。別の鬼たちがが、同じように包丁で肉を削ぎはじめていた。
 鍾馗の全身に、脂汗が浮かんだ。苦痛で眉間に皺が寄り、こめかみに青筋が浮かびあがる。鬼の包丁は容赦なく、皮膚を切り裂き、脂肪をえぐり、腱を断って、鍾馗の肉をこそぎ落としていく。
 地獄に、時はあって、時はない。鬼たちの仕事は、この上なく丁寧だった。まるで板前が上物の魚を刺身にするが如く、じりじり、じりじりと、鍾馗の四肢を骨だけにしていく。
 両肘、両膝まで、すっかり骨だけになった頃、鍾馗の下唇から一筋の血が滴った。苦痛のあまり、噛みしめた歯が唇の皮を食い破ったのだ。閉じた口の隙間から、堪えきれない苦悶の呻きが洩れ、反りかえった太い首には、巨大な喉仏が浮かんでぐびぐびと上下している。
 やがて、解体が両肩と両腿の付け根まで進んだ頃には、鍾馗はもはや、歯を食いしばる力すら失っていた。口は鯉のようにぱくぱくと開き、喉奥から言葉にならない獣のうなり声のような音が洩れている。
 獄卒たちは、鍾馗の四肢をすっかり骨だけにし終わると、一息ついた様子で、哀れな被虐者の姿を見下ろした。
 鬼たちは、鍾馗の性器には手をつけていなかった。男根は、この恐ろしい拷問を受けながらも、睾丸に寄生した蟲のせいで、いまだ固く勃起したままであった。
 この、雄の淫らがましさゆえに、鍾馗は神通力を喪ったのである。そこにうかつに刃を入れると、すなわち鍾馗を男として去勢してしまうと、あの恐ろしい神通力も戻りかねない。閻魔大王もそれを承知で、いかなる責め苦を与えようとも、性器だけには手を出すなと、鬼たちに命じていたのだ。
 逞しい男が手足を失い、哀れな血まみれの達磨のような姿となり、それでも股間でまらを逞しく振りたてている姿は、恐ろしくもあり、滑稽でもあった。
 鬼たちは、そんな鍾馗を指さして、口々に嘲り笑ったが、鍾馗は汗と血しぶきに汚れた逞しい腹を、ふいごのように上下させながら、この拷問と辱めに、ただひたすら耐え忍んだ。
 やがて鬼たちは休憩を終え、再び包丁を手にとった。
 一人の鬼が切っ先を鍾馗のへそに当てると、ずぶりと中に沈めた。
 鍾馗の口から、けだもののような咆吼があがった。鬼は、構わず臍窩深く刃を入れると、そのまま上へ切り裂いた。溢れ出る鮮血の中、傷口が捲れあがって黄色い脂肪が覗いたかと思うと、中から灰桃色の腸がぶりぶりと飛び出してきた。
 鬼たちは、鍾馗の臍から喉元まで真っ直ぐに切り裂くと、その傷口に手を差し込み、そのまま左右へ引っ張った。肋(あばら)がみしみしと音を立てながら、毛の生えた分厚い胸板が、まるで蝶番のように左右に押し広げられていく。
 次に腹の傷も大きくこじ開けられ、鬼たちは、その中に手を突っ込むと、大腸、小腸、肝臓、膵臓などを、いとも無造作に引きちぎっていった。引きちぎられたそれらは、悲鳴をあげ続ける鍾馗の眼前で、これ見よがしに地べたに投げ捨てられ、更に鬼たちの足でぐちゃぐちゃと踏みにじられた。
 やがて、横隔膜を裂かれ、肺も潰され、鍾馗は悲鳴を上げることすらできなくなった。
 そして、胸の奥でどくんどくんと脈打つ心臓を、一人の鬼が握りしめ、爪を立てて押し潰した。鍾馗の口から、ひゅうと笛のような音が洩れた。
 しかし、心臓を潰され、五臓六腑を全て奪われても、それでも鍾馗は、死ぬことはおろか、気を失うことすらできなかった。
 ここは地獄、時も生死もない世界。
 そして鍾馗も、他の亡者よろしく現せ身の人ではない。たとえ一片の肉塊となっても、あるいは一握りの灰と化しても、それでも『死』んだり『意識が消え』ることは、決してないのだ。
 ようやく鬼たちが身を退いたとき、血まみれの俎板の上で、鍾馗は変わり果てた姿になっていた。
 両腕両脚は骨だけとなり、肉のひとかけらもない。胴体は魚の開きのように左右に割られ、臓器は全て抜き取られて空になっている。頭と股間だけが、まったく無傷のままかつての姿をとどめている。
 頭は、すでに声を出すことはできないものの、それでも苦痛を堪えながら太い眉を顰め、自分を取り囲んでいる鬼どもを、鋭い目でぎろぎろと睨んでいる。
 しかし、そんな表情とは裏腹に、男根は未だ天を衝いてそそり勃ったままである。相変わらず、雨後の茸のように暗紫色の笠をいっぱいに開き、どくんどくんと脈打ちながら、先端の割れ目から透明な粘液を吐き続けていた。
 一人の鬼が、戯れにそこに手を伸ばして握りしめた。と、虜囚の表情が変化した。眉根が弛み、怒りから狼狽へと顔色が変わる。言語を絶した苦痛の中で、それでも確かな快感に襲われているのだ。
 鬼はそれを面白がり、続けてそこをごしごしとしごきはじめた。鈴口から溢れだす露が、よりいっそうその量を増した。
 解体され、ほとんどばらばらの骨と皮だけにされてしまった鍾馗は、指一本、髪の毛一筋動かすこともかなわずに、心の中だけで悶え苦しんだ。
 かくも酷い責め苦を受けながらも、それでも自分の身体は気をやろうとしている。ぱっくりと割れた鈴口に、あとからあとから露が玉となって浮かび、糸を引いて滴り落ちていくのが判る。
 恐ろしい苦痛。恐ろしい恥辱。我と我が身が呪わしかった。
 やがて、鍾馗は絶頂を迎えた。太い男根がびくびくと脈動しながら、さきほどに劣らぬ大量の精を吐きだした。恥辱の粘液が白い弧を描いて飛び散り、虚ろになった腹腔にぼとぼとと落ちた。
 鬼たちは、無様に射精した被虐者を指差し、しばし嘲笑って辱めた。じっさい、手足は骨ばかりとなって、はらわたは全て抜き取られ、それでも頭と性器はまったく無傷のまま、あまつさえ勃起して精液の余滴を滴らせている鍾馗の姿は、残酷でありながらどこか滑稽で、まるで何か悪い冗談のようであった。
 鍾馗は、そのまましばらく放置された。いずこからか風が吹いてきて、ひゅうひゅうと音を立てながら、がらんどうの胴体を吹き抜ける。間断なく続く激しい苦痛の中、それでも射精の快感の余韻が、いまだ男根の中でくすぶっている。きんたまの中でとぐろを巻いた蟲は、相変わらず淫らな毒をはき続け、人智を越えた情欲の炎を消し去らせはしない。
 哀れな虜囚のまなじりから、熱い涙がひっそりと流れ落ちた。