窓〜アル・ナーフィザト(3)

 翌日、俺は朝早くに宿を出た。フロントに座っていたサイードは無言のままだった。
 旧市街へと向かい、迷路の様に入り組んだ路地を、虱潰しに歩き回った。その間ずっと上を向いているので、じきに首が痛くなる。
 人や車、馬や驢馬が通るのに気付かず、しょっちゅうクラクションや罵声を浴びせられた。
 昼飯を喰うのも忘れて、俺は歩き回った。そして気がついた時は既に日が傾き、一日が徒労に終わったことを知った。
 宿に戻る間、俺は自分の捜索は絶望的ではないかと思った。
 大都会、カイロ。その中の旧市街に限るとはいえ、窓は数え切れない程ある。その中からたった一つの窓を探そうというのだ。
 まさに藁の山から一本のピンを探すという例えに等しい。
 俺は疲れ果てて宿に帰った。サイードはやはり無言のままだった。
 部屋に戻った俺は、しばらくベッドの縁に腰掛けてぐったりしていたが、やがてシャワーを浴びようと立ち上がった。
 俺がシャワー室のドアに手を掛けたとき、背後からサイードが呼び掛けた。
「トシ、実はシャワーが使えないんだ」
 振り向いた俺の顔がよほど落胆していたのだろう。サイードは慌てたように続けた。
「でも、私のプライベートなバスは大丈夫だから。そっちを使ってくれ」
 サイードはにこやかに笑いながら、自室のドアを開けて俺を招き入れた。
 サイードの『家』に入ったのは始めてだった。ドアの上の一番目立つ所に、安っぽいフェルト製の旗のようなものが飾ってある。
「ハッジ(メッカ巡礼)の時のだ」
 サイードはそれを指差して得意そうに言った。そう言われてみれば、ムスリム(イスラム教徒)にとっては、一生に一度はハッジを行うのが夢だという話を聞いたことがある。 しかしその割には、飾られた旗はあまりにもちゃちだった。これではまるで、日本の高校生が修学旅行で買う土産ものと大差ない。
「こっちだ、トシ」
 サイードが俺を案内する。
 部屋は綺麗に片づいていた。壁には飾り文字で書かれたコーランの一節や、あまり上出来とは言えないパピルス絵が飾ってある。
 そしてカセットラックに詰め込まれた、山のようなウンム・クルスームのテープ。
 サイードのバスルームは欧風だった。アラビックな装飾タイルに飾られた中、西洋風のバスタブとシャワーが付いている。
「ゆっくり浴びてくれ」
 サイードはそう言って出ていった。
 俺は久し振りに湯船に漬かれるという嬉しさに、共同シャワーの故障に万歳を叫びたい位だった。
 ひとしきりシャワーを浴びて身体を洗うと、俺は泡だらけの浴槽に身体を伸ばしてゆっくりと漬かった。
 温かい湯が、疲れた全身を揉みほぐしてくれるような気分になる。そうしているうちに、あの窓を捜し出すということも、何だか馬鹿げた妄執のように思えてきた。
 その時、ドアがあく音がした。
「サイード?君か?」
 俺はビニールのシャワーカーテン越しに声を掛けた。
 返事はない。
 ビニール越しに、ぼやけた人影が見える。そしてそれが段々近づいて来る。
 太い指がカーテンの端を掴むと、それをさっと引き開けた。
 サイードがそこに立っていた。
 全裸だった。胸にも、突き出した腹にも、黒い剛毛が渦を巻いて生い茂っている。その濃い体毛が、何故か臍の下あたりから陰部にかけて、芝生のように短く刈り込まれている。
 短い陰毛の間から、黒々とした男根がそそり立っていた。
 俺は何が何だかわからないまま、その匂い立つような裸身に圧倒されるように、サイードの股間から目を離せなかった。
 サイードは無言のまま屈み込んで、床に膝を付いた。その手が伸びて、湯から飛び出ている俺の裸の肩に触れる。
 手は俺の肌を洗うように、愛撫するように動き廻った。俺は茫然としたまま、されるがままになっていた。
 肉付きの良い掌から、俺の肌にサイードの体温が温かく伝わって来る。
 サイードの両手が俺の頬を挟むと、その大きな顔が近づいてきた。影に沈み込んだ眼窩の中で、瞳だけが奇妙にきらきらと光っている。
「やめろ……」
 俺がそう言いかけたが、言葉は途中でサイードの唇に封じ込まれてしまった。
 サイードの剛い口髭が、俺の口の横を擽り。閉じた唇の隙間から、濡れた分厚い舌が忍び込んでくる。
 背筋がぞくぞくした。
 気がつくと、俺はサイードの舌を吸っていた。二人分の唾液が混じり合って、俺の喉に降りていく。
 サイードは俺の唇を吸いながら、泡まみれの手で俺の肌のあちこちを撫で回した。俺は湯の下で自分の股間が、次第に固くなっていくのを感じた。
 時折り理性が蘇り、男と接吻を交わしている自分が異常だと囁いた。しかし理性の声はすぐに本能に打ち消され、サイードの身体を押し退けようとした手は、いつの間にかその毛深い胸を愛撫していた。
 俺の頭はすっかり混乱していた。
 自分に同性愛の気があるとは、夢にも思っていなかった。
 しかし現実に、俺はサイードの愛撫を受けて欲情し、俺の腕はサイードの身体を抱き締めたがっている。
 サイードの手が湯の中に潜り込むと、俺の熱くなった中心を握った。俺は思わず腰を引きそうになったが、サイードの指はそこをがっちりと握ってそれを許さなかった。
 俺が抵抗しなくなったのを見計らって、サイードの指はゆっくりと動き始めた。石鹸にぬらついた湯が俺のそこに絡みつき、太い指がリズミカルな刺激を与え続ける。
 俺は塞がれた口の中で喘ぎ、湯を揺らして身体をくねらせた。
 サイードの愛撫は巧妙だった。俺はすぐにでも絶頂に達しそうになり、サイードはそれを見抜いては手を休める。俺が息を整えると、再び指が動き始める。
 俺は気が狂いそうだった。
 やがてサイードは俺の唇と性器を開放すると、自分も浴槽の中に入って来て、その縁に腰を降ろした。
 毛深く太い脚の間、サイードのものがびくびくと脈打ちながらそそり立っている。俺は息を飲んで、その雄姿に見入っていた。
 サイードが俺を手招きする。俺はまるで催眠術に掛けられたように、浴槽の底に膝をついてサイードの股間に近づいた。
 自然と手を伸ばしかけ、触れる前に躊躇した俺の手首を、サイードが握って脈打つものに導く。俺は生まれて始めて、自分以外の男の性器を握った。
 それは持ち主に似た、太い肉棒だった。握った掌を押し退けるような、程よい柔らかさを持った弾力が心地好い。
 包皮が全く見当たらない。その代わりに亀頭の括れに奇妙な筋がある。割礼の跡だろうか。
 サイードは俺の頭に手を添えらると、それを手前に引き寄せた。俺は顔をそれに近づけられながら、震える唇をゆっくりと開いていた。
 自分で自分が信じられなかった。何の抵抗も嫌悪感もなく、男の性器を口に含もうとしている自分が怖かった。
 艶やかに漲った先端が、俺の唇を割ってぬるりと侵入してきた。俺は口に含んだ亀頭をゆっくりと吸った。
 サイードの手がゆっくりと俺の頭を引き寄せていく。その男根がじりじりと俺の口を犯していく。
 亀頭が喉に当たる。俺は噎せ込む。噎せ込みながらも、それを必死に吸っている。
 サイードの足先が、湯の中に沈んだ俺の男根を捉えた。俺の男根はさっきから萎えることもなく、勃起し続けていた。
 足の指で器用に俺のそこを玩びながら、サイードは腰を揺するように動かした。男根に喉を突かれる度に嘔吐感が襲いかかり、俺は唇の端から涎を滴らせて呻く。同時に、そのざらついた足指に怒張を嬲られて、俺は脳天まで突き昇るような快感に喘ぐ。
 やがて俺の口の中で、大量の樹液が迸った。それと同時に、俺も湯の中に射精していた。
 射精の瞬間、サイードは俺の頭をぐっと引き寄せた。俺は口の中の生暖かい粘液を、吐き出す事も出来ずに飲み込んでしまった。
 結局サイードは終始無言のままだった。俺の口から萎えた男根を引き抜くと、そこをさぶさぶと湯で洗ってバスルームを出ていった。
 俺は快感の名残にぼうっとして、しばらく浴槽に浸ったまま動けなかったが、やがて魔術から解き放たれたかのように我に返った。 同時に凄まじい自己嫌悪と、羞恥心が蘇る。
 湯船から出た俺は、身体を拭くのもそこそこに、服を着てバスルームを飛び出した。
 サイードがこっちに背を向けて、ソファに座っている。俺はそれに声もかけずに、自分の部屋に戻って扉に鍵を掛けた。
 心臓が早鐘のように打っている。何故、自分があんなことをしたのか、さっぱり判らない。
 混乱した頭を抱えてベッドにもぐり込んだ時、俺は始めて自分が夕飯を食べていないのに気付いた。
 腹は減っていた。しかし、この部屋から出たくなかった。サイードがフロントに座っていたら、俺はその顔をまともに見れない。
 あの窓のことは、俺の頭からすっかり消え去っていた。
 空腹を抱え、自分のした行為に戸惑いながら、俺はその晩、しばらく寝つけなかった。