『モンゴル』

モンゴル(2007)セルゲイ・ボドロフ
Mongol (2007) Sergei Bodrov
 いや、お見事!
 実は、見る前はちょっと不安でした。というのも、監督のセルゲイ・ボドロフには、『コーカサスの虜』と『ベアーズ・キス』で好感を持っていたけれど、身の丈サイズの世界を描くのに長けたタイプという印象で、それがスケールの大きな時代劇を撮るというのが、どうもピンとこなかったからです。
 しかし、いざ『モンゴル』を見てみたら……う〜ん、すごい! 作家としての懐の深さを見せつけられた感じで、ほとほと感服しました。
 内容的には、後のチンギス・ハーンとして知られるテムジンの、前半生を追いかけたものですが、いわゆる歴史劇とは、アプローチの仕方がちょっと異なっています。
 というのも、歴史劇というものは、基本的に「何が起きたか」という叙事の要素に重きが置かれますが、この映画の場合は、そこはあまり重要なことではなく、「そういう場で、人が何を感じているか」という点にフォーカスが置かれている。
 そういうわけで、歴史の絵解きを期待すると、そこいらへんはちょっとはぐらかされるかもしれない。テムジンという人間が、いかにしてそれを成し遂げたか、というパワーゲーム的なプロセスの部分が、ドラマからバッサリ省略されていてるからです。
 では、ドラマの視点が個に終始していて、マクロな視点がないかというと、これまた違う。というのも、この映画には主役が二人いて(……というか「二つあって」の方が正確か)、テムジンという人間と並んで、モンゴルという場所そのものも、また一つの主役なのである。そして、その「地」を捉える視点が、歴史よりも更にマクロに引いた、神話的なスケールの巨視になっている。
 このことは、ドラマを「モンゴルという地で起きた歴史事件」というよりは、「モンゴルという神話的な土地を描いたもの」といった感触にしている。そして、それと童子に、その中で蠢く「人」という個にフォーカスを置き、そこで生まれる様々な感情といった普遍的な「人の生」も、同時に描かれる。
 ここいらへんは、映画の肌触りとして、イヌイットの神話的世界を描いたカナダ映画『氷海の伝説』なんかに近い。或いは、パゾリーニの『アポロンの地獄』や『王女メディア』にも、ちょっと似た感覚がある。
 そして、こういった複数の視点の、バランス配分が実に素晴らしい。
 映画では、テングリ(天の神)絡みのシーンで、幾つかの超常的なものが描かれる。これは、神話世界に属する要素だ。それが、リアリズムを損なわない範囲で(つまりファンタジー映画にはなってしまわないバランスで)、静かに、しかし印象的に描かれる。
 そして、テムジンという人物を描くという、歴史劇としての要素。前述したように、叙事に関しては割愛要素が多いし、生い立ち等の内容も、かなりフィクションが含まれているようだが、何を考え、どういういきさつで、彼が「それ(具体的には世界帝国の樹立だが、この映画ではそこまでは描かれないので、モンゴル統一ということになる)」を行うに至ったのか、或いは、彼にそれを可能にせしめた、他と違う何が備わっていたのか、といったことは、さりげなくではあるが、しっかりと描かれている。
 また、当時のモンゴルの風習や、人の価値観。これも、歴史劇に属する要素で、人間の行動原理が、現代人的なものとははっきりと異なった、いかにも、その時その地でそうであったろうと思わせるものになっている。こういった、キャラクターの非現代性が、現代人にとっては新奇に映る風習などの細やかな描写と相まって、歴史劇的な説得力が生まれている。
 しかし、こういった現代人とは異なる行動原理を備えたキャラクターであっても、その場その場で生まれる感情そのものは、現代と変わらぬ普遍的なものだ。例え、それぞれのキャラクターの持つ行動原理や当時の価値観には、馴染めなかったり理解し難かったりするものがあっても、その行動によって生まれる愛とか怒りとか悲しみとかいった、感情そのものには容易に共感することが可能である。このことによって、この映画は人間ドラマとしての普遍性も獲得している。
 そして、それを映像表現として、実に見事に見せてくれる。たっぷり引きのある雄大な風景と、人物の極端なクローズアップ。悠然と構えて動かぬカメラと、グラグラと揺れる手持ちカメラ。カメラの視点がドラマの視点と重なり、映像とテーマが密接に離れがたく組み合わさっている印象。
 でもって更にスゴいのは、この映画が娯楽映画的な完成度も、きちんと外さずに抑えているところ。
 扱うテーマに比して、ドラマのテンポは意外なほど早い。アンドレイ・タルコフスキーやテオ・アンゲロプロスと比べればもちろんのこと、テレンス・マリックがダメな人でも、この映画なら大丈夫なんじゃないかというくらい、娯楽映画的なテンポの良さがある。
 また、ある意味でラブ・ストーリーが前面に出ているので、エモーショナルなキャッチーさもある。復讐譚的なツカミも効果的だし、ストーリー的に興味を引きつける娯楽要素が多い。作品の持つ多層性によって、様々なレベルでの楽しみ方が可能になっている、懐の深い内容だ。
 ただし、多層的であるが故の弱さもあって、例えば前述したように、歴史の絵解きを期待するとはぐらかされるというケースもあるし、エピック的なカタルシスを期待してしまうと、これまた同様にちょっと物足りなさが残るかも知れない。
 しかし、息をのむような壮大な風景を捉えた圧倒的な映像美は、それを見るだけでも損はないし、テムジン、その妻ボルテ、盟友ジャムカといった、魅力的な面々が繰り広げるキャラクタードラマも、大いに魅力的だ。クライマックスの大合戦シーンなど、スペクタクル的に明解な見所もあるし、この大合戦を含め、大小取り混ぜての繰り広げられる戦闘シーンは、アクション映画的な魅力も充分にある。
 このアクション・シーンというのも、映画を見る前は、ボドロフ監督によるそれというのがちょっと想像できなかったのだが(失礼を承知で白状すると「え〜、迫力のある戦闘とか撮れんの?」とか思ってました)、これまた主観と客観の切り替えや、SEの大小やカメラのスピードで生み出される間合い、更には血しぶきが飛び散るタイミングまで、不思議なリズム感があって、すっかり魅せられてしまいました。
 あと音楽も、期待通りホーミーやモリンホールの響きがふんだんに使われ、オルティン・ドーみたいな歌も出てきたし、他にもアンビエント的な音響とかあったり、あと、エンド・クレジットでモンゴル版ヘビメタみたいのまで出てきたりして(正直、個人的な趣味から言うと、このモンゴリアン・ヘビメタは、ちょっとイマイチな感じでしたが)、サントラ買う気満々で映画館を出たんですが……残念、出てないのね。ロシアのCD通販サイトも調べたけど、見つからなかった。発売希望。
 役者さんは、まずテムジン役の浅野忠信。ライバル役のスン・ホンレイが、アクも押しも強いので、ちょっと押されちゃいそうな感じはあるんですが、しかしそれに負けない静かな存在感があって、演じるキャラクターとも見事に合致してマル。
 ジャムカ役のスン・ホンレイ、親しみやすさと豪放さを併せ持った、いかにも魅力的なサブキャラに相応しい存在感でマル。
 ボルテ役のクーラン・チュラン。かなり個性的なお顔というか、「欧米ウケはするが日本人ウケはしない」タイプの顔の女性ですが、少女的な純粋感から始まって、女性的な強さ、母性的な包容力と、ドラマの進行に伴って、魅力の幅がどんどん拡がっていってマル。
 他には、子役のテムジン、テムジンの母などが印象に残ったかな。敵役が少し弱いのと、テムジンの配下あたりに、もう一つキャラの立った人物が欲しいところ。
 どーでもいい追補。
 捉えられたテムジンに、敵役が「いいか、この『木のロバ(……だったかな?)』に乗せて拷問してやるぞ!」みたいなシーンがあって、「うわ、どんな拷問?」と楽しみにしていたのに、そのシーンがなかったのは、ちとガッカリ(笑)。
 ただ、檻に入れられて見せ物にされているテムジンの顔が、垢に覆われて魚鱗のようになっている特殊メイクは、ちょっと他の映画で見た記憶がないので、なかなか新鮮でした。

『モンゴル』」への1件のフィードバック

  1. soramove

    「MONGOL モンゴル」かつて大帝国を造った男の伝説前夜

    「MONGOL モンゴル」★★★☆
    浅野忠信、スン・ホンレイ 主演
    セルゲイ・ボドロフ 監督、2007年
    ドイツ、ロシア、カザフスタン・モンゴル合作、125分
    アカデミー外国語映画賞ノミネートで
    一気に知名度を上げた本作品。
    浅野忠信は映画俳優だ、
    こ……

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